オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

朝からカレー

2014-02-13 | Weblog

2/13(木) 昨晩、今朝と炭水化物のオンパレードになっちゃった・・・、駄目な男である。昨夕、大手町の某社に勤務する後輩のKeijirou君と会った。夕闇迫る大手町はN・Yのような佇まい。私がこの町に勤務したのは、三十年以上も前になるが、当時のビルはすっかり変わり、ピカピカの高層建築になった。

未だ変わっていないのは大手町ビルと、朝のモーニングコーヒーでさぼっていた新大手町ビルぐらいである。このビルも早晩建て変わるとか。旧丸の内ホテル辺りから、国電(今じゃJRか)のガードの先の上空を見ると、仙台銘菓の「萩の月」のような色合いの半月が浮かんでいた。

                   

かつて勤務したビルは雄々しく聳え、シティと云う雰囲気を醸している。keijirouは、かつて勤務し、今は雄々しく聳えるこのビルに勤めている。懐かしい場所ではあるが、然しこれだけ変わってしまうと懐かしさも湧いてこない。不思議なものだ。

思いおこせばここに勤務した頃、薫風とともに花々が咲き始めた時期は、職場の皆で弁当をを誂えて皇居内の公園で昼食と摂った。花見に次ぐ、五月の恒例の行事であった・・・・。のんびりとした、いい時代のことである。

                 

この雄々しいビルの地下にある安酒場(安い店があるんで安心するぜ)で待ち合わせた。前にも一緒に入った「杵屋」である。彼が、ここに焼酎のボトルを入れてあるとのことで、此処になった。

 何時もながらの昔語りが中心だが、一応仕事のことなども訊き、見積もり提出の用意があることなども伝えておく。Keijirou は、先般松山から上京したHoshika君の下にいたので、その時のことなどを聞かせた。ほど良く酔いもまわり、私のフランチャイズ・人形町までのすことになった。東京駅発21時30分が、静岡まで帰る彼の最終便、その時間に間に合うように送り出せばいい・・・。

そうなんだ、彼は静岡から新幹線通勤をしているのだ。朝は五時半起きで、七時過ぎの新幹線に乗り、出社は八時半だと云う。飲み過ぎて帰れない日は、御徒町のカプセル・2800円に宿泊だとか(ゆっくり眠れるのでいいそうだ)。寝てしまい、何度か乗り過ごしたこともあるそうだ。ご苦労なこったよ。

人形町では、取り敢えず「ちょっぷく」で一杯やり「ローカーボ」へと移動。彼はホットワインなど注文、三分の一程飲んだところで眠り始めた・・・。お疲れだろと、カウンターに顔を伏せたままの彼を暫く眠らせた。その間、私は隣に座っている女性と歓談をして時間を潰した。店は珍しく混んできた・・・。

頃合いを見計らって起こした。九時前であった。タクシーに乗せ東京駅に向かうように伝え、別れた。不幸にも、彼を見送ったのが九州ラーメン「由まる」の前だった。ついつい店に入り、豚骨ラーメンを喰っちまったと云う次第。流石に100円の替え玉は控えたが・・・・。

そして夜中に目覚める。本を暫く読みながらNHKの「ラジヲ深夜便」から流れてくる、雪をテーマの歌を聴いて過ごした。酔いが醒める所為か、連夜の深夜の目覚め、新聞配達のバイクが来る3時半頃である。明け方にウトウトと一時間ほど眠った。そして、朝風呂に浸かり・・・。

台所を見ると、カレーが匂ったのだ。先日から家人が煮込んでいた豆スープが、カレーになっていた。止せばいいのに、カレーライスにして喰う気になっていた。昨晩の余計なラーメンを考えれば、今朝もスムージーが穏当な処なのだが・・・。食い意地の張っているオヤジは、喰いっ気に負けて朝からカレーライスを喰っちまった。でも、量は抑えた・・・つもり。

                  

カレーライスで胸焼けと胃もたれの腹を抱えて出勤となった・・・。外に出ると河津桜が四五輪、花弁を冷たい風にそよがせていた。

                  

 

 

 

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