2/16(日) 金曜の未明から降り出した雪は、この日の深夜までつづいていたようだ。通勤に利用している東横線が、この深夜に追突事故を起こして止まっているのを知ったのは翌朝の土曜日であった。雪の所為とは云え、電車が追突事故じゃしゃれにもならないが・・・。
私にとっての幸いは(予知能力が高いというべきか)、この夜は珍しく早目に切り上げ、23時頃には帰宅していたことである。電車は脱線したそうで、土曜日も終日動かなかったようだ。金曜の夜ともなれば、一軒では終わらず、馴染の安酒場を梯子するのが常なのだが・・・、KYだった(危険予知のこと)。
金曜日の夜、雪は一向に止まず昼ごろから積もり始めてひどくなっていた。が、予定どおりにY氏とTOMOKI君を引合すために「ローカーボ」で落ち合った。ボタ雪で下手な歩きをすると滑る。Y氏とTOMOKI君には「転ぶなよ」と、雪道の歩き方を電話で伝えた。雪道の歩き方は" 関東も雪"と、心配をしてくれた札幌の友人Tさんが、わざわざメールで知らせてくれた。この受け売りであったが・・・。
金曜日・23時頃学大碑文谷 日曜日・昼前の同場所
物流会社に勤めるTOMOKI君と、物流ニュース配信の編集者Y氏との意見交換と云うか、顔つなぎをセットした次第。後から弊社のスタッフF君も顔を見せ、何時もながらの貧乏酒であった。
すっかり忘れていたが、この日はチョコレート・デイであった。銀座や六本木の酒場に顔を出せば、姐さんたちから後が怖い義理チョコを押し付けられる処だが、この頃はそんな元気もない。スタッからの義理チョコと、曰く因縁の義理チョコが一つであった。この程度なら、虫歯の心配はないか?
日曜の今日、会社に出るとYOSHIが作業をしていた。一つぐらいチョコを分けてやろうと見せると「あっ美味そうだ、二つ貰っちゃおう」と、取りやがったぜ!
チョコで思い出したが、最近の記憶で美味しかったチョコレートは二年前の早春のこと。女性登山家の「田部井淳子」さんのお宅を取材で訪れたが、この時に出して頂いたロレックスのマーク入りのチョコが殊のほか旨かった。インタビューをしているHIROさんの傍で、カメラマンのSUGITAとパクついたことを思い出す。昨年であったか、田部井さんは癌に侵されていることを公にされた、快復を祈りたい。
今日は快晴だが風が強い。事故から開通した東横線は、ダイヤが未だ乱れていた。高架になっている学芸大学のホームで、電車を待つ間、日差しを求めてホームの端に立ち、青い空と向のビルの広告看板を眺めた。看板は、青黒い海と沸き立つ雲、陽光の下のゴルフコース、日差しに輝くコンドミニヤムが写されていた。
沖縄・宮古島のリゾート地の広告看板である。この景色を見て、かつて訪れた宮古島のことを思い出した。あれから四半世紀以上も経つか・・・。季節は冬、一月半ばであったが、その日の平良市は蒸し暑かったように思う。
訪れた当地の電話局の係長さんが、夜の席を自宅で設けて下さった。泡盛と沖縄料理が並び『泡盛の飲み方は、ロックですよ』と教えて貰った。熱帯魚のような色の魚、豚肉料理などが大皿に並んでいた。一番記憶に鮮烈なのは、庭の芝生が青々としていたことである。
沖縄独特の家屋、庭に面して直ぐの座敷。その座敷の灯りで見た芝生の緑、その色が強烈な印象で残っている。宮古に入る前は本島に居たし、ブーゲンビリヤ・ディゴ、沖縄桜の妖艶なほどの桃色も見てきたのだが・・・。
宮古島の夜、民家の座敷から視た芝生の青さ、薄灯りをとおしてみた芝生の緑が、あれほどまでに美しかったのか。その色の柔らく美しかった記憶が、刻み込まれていた。
吹き抜ける風と、二月にしては力強く感じる日差しの下。ビルに取り付けられた広告看板を眺めながら、遥か昔、遥かに遠い地で驚いたことの記憶が蘇っていた。