2/2(月) 昨日の午後、KOCHIから帰京した。羽田から京急線で品川を経由して恵比寿、メトロで中目黒を経て学芸大学に着いた。中目黒駅ホームで東横線下り電車を待ったが、北風が吹き抜け、寒~いTOKYOを実感した。高知と比べちゃいかんだろうが、故郷はまるでワイハだ?
木曜日の午後に帰省したが、曇り空だったが暖かい。翌日は昼前まで小雨が降ったが、午後からは晴れて暖かくなった。二月振りに車を運転して、食料の買い出しに出かけた。夕食は「鍋」でもしようと、室戸の魚屋まで足を延ばして魚探しに行ったのだが、めぼしい獲物はなかった。なんのことはない、買ったのは冷凍のミナミマグロだった。
夜は従姉と、亡くなった従姉の長男で大工のKATUOが来て一緒に飯を喰った。いい加減に飲んだところでKATUOに言った『お前、俺の棺桶を創っとけよ』と。半ば冗談もあるが半分は本音だ。ただし、上手い具合に帰省中に逝ってしまわないと使えないのだが・・・。その棺桶に入れて、安田川から太平洋に送り出してもらう、骸になって西方浄土を目指。妙案ではあるが・・・難しいか。
そんな馬鹿っ話をして、翌日の夜も同じメンバーで一緒に飯を喰った。こんなことをしていると、喰い過ぎになるのだ。金曜日はマグロの刺身に鶏鍋、土曜日は、キャベツを使いたくて「ロールキャベツ」にハンバーグ、カニ爪(タラバ)にホタテバター焼き、大根の煮物などがテーブルに載った。結局、私の一月の減量作戦は有名無実、またしても仕切り直しとなった。
畑に出たのは土曜日の半日だけ。遅まきながら柿の木の枝を切り、枇杷の木も切った。そんなことをしながら、小芋を焚火の灰に埋めた。これが美味かったよ。
蜜柑は温州が終わり、紅蜜柑は鳥たちに喰われながら少々残っていた。ピンポン玉位の大きさだが、仄かに香りがあって甘い。小さいくせにタネが多いのが難。八朔が取り入れ時期と云うので、半分ほど収穫して小屋に入れた。樹に残っているのは、文旦・小夏・甘夏にネーブルが少々。未だあったか。一個だけ成っている清美と晩白柚(バンペイユ)が・・・。
晩白柚
何れにせよ、私の蜜柑は文旦と小夏を除いて木が若い。若木の実は旨味が不足している、これぞ若気の至りてぇやつだ。先月に収穫して籾殻に入れてあった『ポンカン』も、甘味が足りない。これじゃ他人様に差し上げる分けにもいかん、鳥様に上げるのがいいか?
小 夏 これは、ネーブル
家から4~5km奥のでは、畑の芋も大根も柑橘類 も、猿の襲撃で根こそぎやられているとのこと。こいつらは、イスラム国にでも売り渡したいものだが、向こうに行くともっと性質が悪くなりそうだ・。家の方の里山に下りてくるのも時間の問題か・・・畑に火を間欠泉するゴリラでも据えるか?
こんなことをして、昨日、北風の江戸に戻った。「都会の風の冷たさに込上げる涙・・・」か、平成の御世に昭和枯れ芒などはマッチしねえが・・・。
で、今朝も明け方に目覚めて、来し方行く末を思案したが、棺桶も直ぐには仕上がるまいと、弁当を作ることにした。
今日はステーキだぜ!またしてもアメリカンビーフの安肉だが。他にはオムレツと、出来合のシューマイ、そしてホウレンソウの胡麻炒めだ。超簡単な手抜きメニューと云えようが、今朝は何時もよりは早い出勤なんだ。内容よりもスピード重視てな次第。
やっぱ、この肉は旨いとは言えん。どちらかと云うと、濃い味付けにした方が肉のやな匂いを消してくれるだろう。牛は、和牛だね!