オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

牛煮

2015-02-17 | Weblog

2/17(火) 今朝の弁当のメインメニューは「牛煮」である。先週の土曜日から決まっていたようなメニューの登場だ。

今朝の目覚めも遅かった。「もう七時だよ」と、起こされて目覚めるという体たらくだった。直前まで夢を見ていた、この夢の大まかな内容は覚えている。
「いつもの散髪屋に行こうとしていたが、なんとこの時は床屋までの専用バスが有った。マイクロバスぐらいの大きさで、既に大勢の人が乗っていたが、最後に乗車した。床屋に行く乗客には、かつての職場で出会った年嵩の方の顔も在った」

「目黒通りに似た道を通り、床屋に着いたが、店の前は広場になっており大勢のお年寄りが並んでいた。通された店の奥も広い座敷だが、そこにも散髪の順番待ちをする年寄りがたむろしていた。暫らく待ったが、埒が明かない。散髪中の店主がこっちを見て、今日は難しいねぇ、と云う。女将さんも日を変えた方がいいよ、といった」

「何でこんなに混んでるだ?と訊くと、今日は老人サービスデーで無料なんだよ。と返ってきた。それでこんなに年寄りが押しかけて来たんだ。と合点が行った」。然し、何であんな夢を見たのか?未だに合点がいかぬ。意味不明な夢であったが、丁度散髪屋を出た処で、起こされたと云う次第だ。

 

そんな夢から醒めて、弁当作りだが肝心のご飯がなかった。大急ぎで鍋飯を炊きはじめた。それから食材のタマネギ・大根・蒟蒻を準備し、牛煮がスタートした。私の牛煮は、関西風味付けのすき焼きに近い。

                     

                                    丼の牛煮は余り物

後の菜は、鶏肉とシメジ・チンゲン菜・鶏肉の中華風炒め。焼き鮭と定番の卵焼きである。簡単なものばかりで、寝坊の朝にはピッタンコだ。

                      

                     鍋飯は、奇麗に炊き上がった。

かくして二人分の弁当が完成したが、菜は余っている。残り菜で、私は朝から飯を喰うことになってしまった。

                     

 

昨夜の退社も八時前、真っ直ぐに帰る伝書鳩のような勤勉さは持ち合わせていない。公園をうろつく野鳩のように、帰り道の飲み処に寄り道だ。軽く一杯のつもりで「ローカーボ」のカウンターに腰を下ろした。

一杯目のハイボールが空いた頃に、スタッフのTOKIOが姿を見せた。「休み明けなんで、居るだろうと思ってましたよ」と、足元を見られてしまった。TOKIOの息子は四月にワイハで華燭の典。TOKIO夫妻も出席すると、早々と休暇願を今日だしてきた。そこで、ちょいときついボデブローを見舞ってやった。

『4月の休暇届けなんて必要ないだろう。その頃は、フリーで自由な身だぜ。』と、やつが一番気になる処を弄った。TOKIOとは年間契約で、3月末が更新なのだ。たまにゃ、こんな会話で憂さ晴らしでもしなきゃな・・・、厭味なOYAJIである。

二杯目が空いた処にHOYAさんが現れた。作業服が似合っている。今日は現場を二か所ほど廻ってきたとか。「流石に作業服が似合ってるね」と、TOKIOもマスターも誉めた。「それにヘルメットで抑えられた髪型も、いいね」と、妙な誉め方。ひょっとしたら誉め殺し?

                           

三杯飲んで、次の店「ちょぅぷく」へと、三人そろって移動となった。今度のハイボールは薄い、健康的なハイボールだが、トイレが近くなる。折角ローカーボで気持ち良くなったのが、覚める。その覚めるハイボールを二三杯遣ってお開きにした。が、HOYAさんは「seijuの婆さんの顔を見てくる」と、引き返して行った。元気なもんだ、あの元気は敬服に値する。

そんなことで、帰宅は23過ぎと早かった。蒲団に入ったのは24時頃か、十分に眠ったはず・・・・、夜中に暑くて一度起きたような気もするが・・・。

 

 

 

 

 

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