2/14(土) 今年もまた、バレンタインなどと云う日がやってきた。が、最近は義理チョコを頂くことも激減だ。但し、これは嬉しい限りであるが・・・。強がりかな?
それでも昨日、会社の女性スタッが皆にチョコを配給していた。夜には、「ちょっぷく」でRIE嬢と店のチーフであるヨっちゃんから一つづつ頂いた。
今日昼に会社に出ると、GODIVAのチョコが一つ横須賀から届いていた。チョコレートで、これまで一番美味しかったのは、登山家の「田部井淳子」さんのお宅で頂戴した「ロレックスのネームが入ったチョコレート」である。取材で訪れたのだが、美味しくて何度も手が出た。
義理チョコであれ、何であれ、頂いたものは有難く頂戴するに如かず。四歳の孫娘が母親と作り持参したチョコには、「にいさん」と、拙い文字で書いてあった。この呼び名には、私の日頃の指導が生かされている。
来週は歯医者通いを再開するか・・・。
昨夜は寒風の中を渋谷へ。ハチ公前で、佐賀から上京の地球市民の会事務局長OONO氏と待ち合わせた。もう一人、OONO氏がミャンマー駐在時代のアシスタント兼通訳だったと云うカンラ君を同伴していた。カンラ君は六年ほど前に来日したがで、来月には帰国するとのことだった。
彼の来日方法は、タイとの国境を越えた関所破りだったと云う。今度の帰国は正式なパスポートが取れてとのこと、ミャンマーも開かれた証しか?
二人のミャンマー時代の話や、若者の限りない夢を聴きながら焼酎を飲んだ。夢を語れる若者はいい、東京に居て夢を聴かせてくれる若者に出会った試しがない。夢が夢でもいい、そこには明日に向かう希望があるから。こんなことを思う私は、年老いたかな?
カンラ君はパァオ族(僕らはポー族と呼んでいたが)だそうだが、日本に来て少数民族の誇りと夢、神仏を崇める心が大きくなったと語る。7~8年も前になるが、私がミャンマーを訪れた折には現地事務所のスタッフだったとか。道理で、その顔に覚えがあった。
一升の焼酎が空いた頃を見計らって、会社のスタッフYOSHIOに電話を入れた。「未だチョップクに居ますよ、チケットの残り僅かです。」と言う。『じゃあ、これから人形町に戻るから、待ってろ』と、渋谷の宴を閉めた。
「ちょっぷく」に着いたのは十時半頃になっていたが、店は賑やかだった。YOSHIOにFUJIKURAとRIE嬢、三人で盛り上がっていた。この夜の会の言いだしっぺは、RIE嬢だった聞いていた。或る案件が片付いたので、それを口実にコミを図ろうと云うところだろう。とてもいい発案だ。そう思ったからこそ、渋谷からUターンした。
昨夜もYAMAKAGE店長から酒を勧められ、「ちょっぷく」最後の客になってしまった。電車は、東横線の最終の一本前、寒い中を帰った。宴の後の侘びしさよ・・・。