2/9(月) 今朝の弁当事スタートは、丁度七時になっていた。が、案ずるには及ばず。ご飯は昨夜に炊いたのを使うし、菜の方も決まっているので手間は要らない。そんなことから、遅いスタートなった。尤も夜中に目覚めて、本などを読んで過ごしたせいで、朝の起床も遅かったが。
「野菜と牛焼肉」をメインに、「鶏肉と蒟蒻・人参・白菜の煮物」と「出汁卵焼き」が今朝のメニュー。これで足りなければ、昨夜に炊いた「ブリの大根煮」が控えている。大根は、茄子や小松菜とともに田舎の従姉が送ってきた。大根が三本もあるので、ブリの粗を贖ってブリ大根にしたのだが、たっぷりと残っている。
大根で気を使うのは、今時分の物は身が柔らかいので煮過ぎないことだ。ちょっと油断をすると溶けてしまう。私が、よくやらかす失敗だ。
敢えてレシピを書くほどのこともない。使った食材だけを記すと、牛肉・鶏肉の肉類、蒟蒻・人参・ピーマン・タマネギ・長ネギの野菜群、卵を三個、以上である。今朝も変わり映えのしない弁当であった。
ー幅広く見ると云うこと・・・-
昨晩と云うか今朝方と云うべきか、深夜に目覚めて本を読んでいたわけだが、その本は河出文庫から出ており「日本人のくらしと文化 -炉辺夜話-」と云うタイトル。著者は宮本常一である。師が晩年に近い頃に各地で講演した話を本にしている。
民俗学の泰斗である師が、同志への戒めとして言っているのが「狭い範囲で事物を見ると肝心なもの、ことが見えない、間違う。幅広く見ると、様々な事象から本質が見えてくる」と、云う意ようなことを言っている。この言葉は民俗学の学究の徒に限らず、師が各所で話をするすべての人、ことに共通し、師からの問いかけである。
この本を読みながら、如何に何も視ず、聴かずに素通りしてきたのかと、過ぎ去りし時が悔やまれるのであった。
本に出てくる講演先の山形県では、岩波観音堂の絵馬。これは、1500年代のものが奉納されていると聞きながら、流した。また、船乗りから篤い信心があったと云う隠岐島・島前の焼火(たくひ)信仰と焼火神社のことや、島の振興の歴史など。或いは、八丈実記を記した近藤富蔵とその本の内容について・・・。訪れた先々で、眼を開いておれば触れ、感じ知ることができたろうことを見逃してきたのだ。
日々の中でも然り、今更ながらに反省ばかりである・・・。
宮本常一が面白くなって、師の故郷「周防大島」を訪ねてから三年が経つ。三月であったが、瀬戸内のこの島にも小雪が舞って寒かった。記念館を訪ね、彼の生家を見たかったが、海岸道路の整備のために移転していた。この辺りであろうかと、師が遊んだであろう神社や、家の前だった云う小島へと歩いた。
師が亡くなって、三十年余となるが、その足跡を辿れるものはなかろう。