8/13(木) 今日から月遅れ盆か! 通勤電車のすいているのは勿論だが、最寄駅の小伝馬ちょうから会社に向かう通りにも、人の姿はまばら。休日のような静けさであった。世の中の7~8割は休んでいるようだ。
何時もの酒場「ローカーボ」は、週始めから休みのようだし、「高松」も「ちょっぷく」も、今日から休みだ。昨晩、九時前に「ちょっぷく」に顔を出したが、店内には客の姿が疎らだった。店主のYAMAちゃんも暇そうにしていた。が、ポツリポツリと客は来る。早仕舞いをしようにもできない様子だ。
会社に残っていたYOSHIOに連絡をし、呼んだ。すると、暇なYAMAちゃんと競馬談義で盛り上がった。残った摘みをテーブルに並べて「喰ってってくれよ」と煩い。『俺やぁ安い肴は要らないんだよ』と云うが、YOSHIOは、この際とばかりにパクついていた。
暇な所為か、YAMAちゃんはスマホで演歌を流し、唄い始めた。そろそろ店仕舞いの時刻、とうとうスピーカーに繋いで唄いだした。それも古~い歌「べサメムーチョ」だ。唄っているのは、薬で何度目かの御用になった桂銀淑だ。つづいて流れたのは、数か月前まで彼がテーマソングにしていた「故郷の話をしよう」(北原けんじ)だ。こっちまで、一緒に声を出してしまった。「きみ~の知らない、僕の故郷 ふるーさとの はなーしをしよう・・・」こんな歌詞だぜ。
可笑しいのは、この詩の故郷と云うのは港町なんだ。「鰹船入る港に・・・」ってあるぐらい。処が、YAMAちゃんの故郷は、岩手の山奥の村(街灯も信号もない、山間を谷川が流れているらしい)なんだ。だから、俺は云うのさ『お前さんの故郷とは、大違いの詩じゃねえか』って。すると、顔を赤らめて恥ずかしそうにするんだょ。
『夜の十時過ぎは、昭和演歌専門の店にしたらどうだ』、そんなことを言ったら、マジな顔をして頷いた。店は、明日から盆休みだ。少しはゆっくりするかと思いきや、土曜日は「深川八幡の大祭」なので神輿を担ぎに行くと張り切っている。
『深川八幡の大祭と云えば、サラリーマン時代に、えらく寄付を取られたぜ。ふざけやがって』と、昔のことを思いだして、腹が立った当時のことを思いだしたのである。
十数年も前になるサラリーマン時代。深川八幡の在る森下町に、当時勤めていた会社の研修センターがあり、そこの責任者も兼務していた。そんなことから、町会長だか祭りの肝いりだかが来て、「大祭なんで、企業は十万円の寄付が最低となります」と、押しつけ寄付をさせられたことがあるのだ(決め決めのようだと、センターの課長からの報告)。
本店の所在地でもないし、たかが研修センターで常駐している人数も6~7人だ。随分無体なことを言いやがる、と思ったし腹が立った。普通ならそんな金額は断り、応分の寄付を落とし処とするのだが、お人好しで押しが弱い課長は、取り敢えず頷いてしまったようだ。
寄付の要請に来た世話役が、二軒隣で商売をしているオッサンというのも気にしたようだが・・・。その報告を受けて腹が立ったよ、お願いじゃなく、強要だから。一旦受けた話を、出て行って壊すのも大人気ないかと、不満ながら稟議をとおしたのだが・・・・・。
祭りの寄付なんぞは、地元に根付いているものが、その気風で出すものさ。それを、偶々出先の事務所があるからといって、金目を一律にどうこうと言ってくるのは筋がとおらねェ、と今で思っている。
たかだか江戸以来の伝統だろう、ニギニギしく祭りをするようになったのは?と云いたくなるぜ。
ここ人形町も江戸以来の伝統がある町で、今年は大祭だった。が、企業だから一律にナンボの金子を寄付をお願いします。なんてことは言ってこないよ。「ちょっぷく」の安酒が脳に廻ったのか、古い話、それも手前の銭でもないのに、妙に腹が立つことを思いだしてしまったのだ。
企業も大手になれば、出先だけでも何十ヶ所~数百ヶ所ある。寄付のお付き合いも祭りだけじゃないさ、となれば自ずとバランスと云うもんが求められる・・・。
つまんねぇことを書いてしまったが、あの件だけは妙に生なましく残っていた。思い返せば、伝統や習慣、それも自分たちの流儀を、押し付けられたことに対する反発が強かったのであろう。若いね、それともアホか!
余談がすっかり長くなってしまったが、今朝もちょろちょろっと弁当を作ってしまった。今朝の目覚めは、七時。夜が涼しかった所為かな?帰宅は零時前、蒲団に入ったのは25時前だろうが、随分寝たようだが・・・夢を見てたね。
七時過ぎスタートの弁当作りは、内容が限定される。所要時間三十分以内の制約があるのだ。
そこで、冷凍の出来合品「チキンカツとシューマイ」が登場し、レンジで温める。そして、冷凍の鶏肉と万願寺・オクラの煮物。豚バラニクとピーマン・シメジの炒め物。冷凍秋刀魚の焼き物。
最後に、「茄子・シメジと挽肉の味噌炒め」が出来上がり、お仕舞となった。
今夕、18:50分発にて帰省。どう足掻いても、弁当は明日から休みなのだ。明日からは、母の飯と仏壇にお供えする膳の当番兵だ。喰いもしない、母の食事で、私の腹回りは更に成長することだろう・・・。帰京は、20日の予定だ。