8/29(土) 昨夕、在る案件の打ち合わせにライターのOGURA氏が来社。海の物とも山のものとも分からぬ企画について相談した。案件が進むようなら、氏にひと肌脱いでもらうことになるが、快諾を頂いた。
打ち合わせ後「高松」にて一献交わし、過去の付き合いの中で知り合った、弘前の面々のことなどを聞いた。弘前の面々とは、既に解散した「ばっけ」と云う、NTTのメンバーで構成されていた劇団のことである。殆どのメンバーがOBとなり解散してしまったが、津軽弁の芝居を四十年に渡り施設などで演じてきた。
演劇青年であったと云うOGURA氏は、取材でその劇団と出会って以来、サポートをつづけていた。かつて、私もその芝居を取材したことから、氏とも昵懇となった。それ以来交流がつづいている。
久しぶりの懇談であったが、私の方のグラスは一向に進まなかった。金魚割と、ハイボールを一杯づつで、それ以上はアルコールが入らなくなったのだ。時折こんなこともあるが、時間を置くと又進む。然し、昨夜だけは最後まで飲めなかった。原因は、飯の喰い過ぎかな?
一昨夜は、郷里の中学で一緒だったOGAWA君が会社に寄ってくれた。故郷の安田川の鮎が妹から届いたので、それを彼にお裾分けした後、「ローカーボ」「セイジュ」「ちょっぷく」と廻って、昔話などに花が咲いた。一夜置いただけで、こうも飲めなくなるとは情けない・・・・。
昨日の弁当は「炒飯」となった。最近、家人が炊く夕飯がやたら多いのだ。大飯食いの、次女の亭主が現れたりするので大目に炊いているだろうが・・・。朝、釜に沢山のご飯が有ると困るのだ。混ぜご飯、オムライス、炒飯にするくらいしか、技がない。
具沢山の炒飯と、南瓜煮、茄子味噌炒め、焼き鮭・明太子、豚小間生姜焼きが菜となった。
家人は例によって白いご飯を所望する。救いは、長女の「あっ炒飯だ。美味しそう!」の一言であった。
今夜は、「古賀武夫物語」(仮称)の取材で、ライターの橋本君と一緒に人に会う。明日の夕方は、横浜で古賀さんの子息にあって取材である。平和島のボートレースも休みだし、これまた平穏な週末か?(取材の前に、恵比寿のクリニックで、一月前に受診した、MRIと腫瘍マーカーの検査結果を聴く。それ次第だな・・・・・)。