オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

お祝い

2015-08-22 | Weblog

8/22(土) 昨夜は九時前と早目の帰宅。次女の誕生日だと云うので、用があった「奈加野」に立ち寄ったが、生ビール一杯だけで引き上げたのだ。奈加野は、八月の日照り月にも関らず繁盛していた。どうりで店主の鼻息が荒い。その鼻息の荒さで、明日の平和島競艇では大勝をしてほしいものだ。明日の午後は、三週間ぶりとなるボートレースだ

「KAYO&RURI」と、七月の末に生まれた赤ちゃんと、次女とのお祝いケーキになっていた。子供の名前をRURIなんて付けるもんだから『バカか』と言ったが、こればかりは私に命名権がないので如何ともし難い。

                       

『なんでそんな名前にしたんだ』訊くと、瑠璃はガラスの古称だし、青をさすからと言う。次女はガラス細工の作品を作っているので、こじ付けたんだろうが。私は気に入らないので『小僧』と呼んでいる。嫌みなOYAJIである。

最近の子供は名前は読めないし、意味不迷。そんなのが流行りのようだが、理解できない。名は体を表す、そんな理屈からすると、訳の分からん大人が増えることだろうな・・・。

それはともあれ、長女と娘のSORAもやってきて、賑やかなお祝いができた。家族とすごす、俺だって偶にはそんな日があるのだ。とは云いながら、早々に部屋に籠ったが・・・・。

部屋に籠って本を読もうとする、SORAが来て邪魔をする。幼子がいると、ゆっくりと本の世界にも浸れない。精々、後三・四年のことであろうが・・・・。

 

読み始めた本は「二十世紀最大の謀略 -ケネディ暗殺の真実-」落合信彦・小学館 である。二十年余も前に出版された本のリメイク版文庫だが、これが面白い。

                            

これを読んでいると、アメリカと云う国の暗部、薄汚さがつまびらやかになる。友人のMATUMO君が「石油ネット」に最近書いた、戦争は最大の公共事業であるが、如実になる。

こんな国に70年も尻尾を振り、飼いならされてきたわけだが・・・・・。集団安保の行く末が思いやられる。根底から国家の在り方を考え、どうするかを示さない限り、この国かたちは定まらない。国家感が明確でない国は、人口減の前に滅びて行くであろう。存在意義がないか?・・・・。

この不良OYAJIでさえ、そんな心配をしなければならん時代になっちまったぜ! 

それでも明日はボートレース、とは、なんとも締らない話であるが・・・・・・。

 

 

 

 

 

コメント
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