オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

「大心劇場」

2020-02-10 | 弁当

2/10(月) 今日は月曜日、と云うことは週に一度の掃除の日である。遅い朝食を終え、頂いていた金柑を砂糖煮にしながら掃除を始める。

金柑の砂糖煮は風邪ひきで喉の調子が悪い時の薬(?)になると云う思い込みからである。煮詰めて瓶にでも入れて保存するのだ。

掃除の途中、従姉と埼玉から爺さんの見舞いに来た孫が姿を見せたので暫しお茶を出して相手をした。従姉の旦那は一時容態が悪くかったが、今は小康状態が続いている。子供や孫たちが心配して遠方から駆けつけているのだ。

一時過ぎに掃除を終え、日課とも云える散歩に老と出ることにした。顔を見せた妹も一緒に行くと言う。三人で柚子ロード呼ぶ森林軌道跡の道を川沿いに下る。

               

少し風があり冷たい中、2Km程下流に在る「大心劇場」まで歩くことにした。この劇場は二代目となる周吉君が運営しており、彼のバンド名と同じ豆電球と云う喫茶を併設している。

昭和の香り一杯のレトロ満載な劇場であるが、劇場は高知県東部でここしかない。古い映画が専門で、明日まで「新宿の女」という藤圭子の歌と同名の映画がかかっている。

東京に居る時はついぞ映画などを見る機会がないが、今夜見に行こうと思ったこともあり、大心劇場まで散歩することにしたのだ。

夜の部の上映準備中の周吉君に声をかけ、隣の喫茶で暫し話を聞きながらコーヒーを飲む。これも地元の者だからであろう・・・。

              

彼の親父さんが映画館を始めたのは昭和三十年代の始めだろう。当時は我が家から直ぐで、川沿いの正弘橋の袂にあり「中山映劇」という名だったはず。ここで裕次郎の映画「錆びたナイフ」や「嵐を呼ぶ男」などを見た覚えがある。

            

            柚子畑になった中山映劇の名残

我が山里はかつて、中山村といった。戦前に安田町と合併後も、かつての地名から中山小・中学校があり、学校が無くなった今でも幾つかの集落を総称して今でも中山と呼ばれる。

 

余談が長くなったが、町内の何カ所かに出ていた周吉君手作りの看板を目にして「大心劇場」行こうと思った。思い返せば彼の親父さんも玄人はだしに手描きの看板を作つていた。

温めのコーヒーを飲みながら彼の映画への、劇場への思いを聞きながら親子二代にわたる心意気を感じるのであった。劇場の灯をともしつづける心意気と云うのであろうか・・・。観に行くことが応援でろう。

見知らぬオジサンが劇場の前をウロウロしていた・・・。なんと、兵庫県から「新宿の女」を見に来た客とのことだ。藤圭子のファンで、大心劇場で映画が上映されるとの情報を得て来たとのことだ。昼の部を見て、夜の部までの時間を持て余していたのか。明日の昼の部も見てから帰るとか。

初めて「大心劇場」を訪れる客は驚くだろう!そのロケーションに。三セクの鉄道・ごめん~なはり線の安田駅から3kmほど川沿いの森林軌道跡の道を上流に向かう。山迫る川沿いにポツンと一軒だけ建つ映画館なのだから。エッ!こんなところに在るのかと。

次回の上映はオール高知ロケの「カスリコ」という映画で、2/23~3/1までの一週間。高知を舞台にした賭場の小間使いになる若い衆が主人公とか。モノトーンの人情身のある映画だと聞いた。

     

さあ~今夜映画だ!。暖かい格好で行かなくちゃなるまい・・・。夕食は映画から戻ってからだ・・・。

 

 

 

 

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