オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

雨と雛人形とコロナ

2020-02-29 | 弁当

2/29(土)昨夜からの雨が降りつづく小寒い朝。昨夜の鍋の汁を使った雑炊の朝食を済ますと、後の予定はなし。雨で庭仕事もできない・・・。

八時半の町内放送で「町屋雛飾り」への案内放送があったことを思い出し、USUI老を誘って行ってみることにした。雛人形にはさしたる興味はないが、イベントの一環で軍鶏鍋があるというのだ。

老と軍鶏鍋で一杯やろうとの魂胆である。となれば車の運転はご法度だ。昼に下りのバスがあるのでそれで出掛けることにした。そぼ降る雨の下で十分ほどバスを待った。

小型の運行バスの乗客は高校生と初老の男の二人だけ。バスから見える景色はどう?なんて老に話しかけながら雨に煙る川沿いを7~8分で町に着いた。料金は330円と都会に比べると高い。ここのバスに乗ったのは何十年ぶりであろうか・・・。

会場の町並み交流館に行くと、雨の所為か人の姿はなく閑散としている。運営の小母さんたちがテント張りの中で寒そうにしていた。「軍鶏鍋はあるの?」と訊くと、なんと新型コロナの影響で持ち帰り用にした小さなパックになっていた。

なんと、高知にもコロナウイルス患者が出たとのこと!。新しものスキの土佐人ゆえに何時かはと思っていたが・・・。高知市内の看護師らしいが、感染ルートは大阪から持ち帰ったようだ。古い話になるが、エイズの国内第一号も高知であったように記憶する。

これじゃ目当てにした軍鶏鍋で一杯と云うわけにいかない。わざわざバスで来る必要はなかった。交流館になっている旧市川医院跡の町屋に入り、飾られている雛人形を見るも数が少ないので直ぐに見終わった。幼稚園児が色紙で作った雛飾りも展示され、長閑である。

              

以前、長女が生まれた時に家人が作つた木目込み人形の七段飾りも数年飾られていたようだが、今は東京の長女宅に行った。孫娘のSORAが誕生したので実家から引き上げたのだ。

子供の頃、ここが医院であった時代に何度か診察を受けている。厳めしい先生であったことを思い出す。

        

夕食用にと軍鶏鍋のパックを贖って会場を後にしたが・・・。この町に昼から酒を出すような店は皆無。後から聞くと喫茶店らしきものがあるようだが?分からなかった。帰りのバス時間まで一時間以上もある。

時間を潰す場所がないのが田舎町の悲しさだ。輝ポートなる小さな販売所で夕食用にウドン ー今夜もウドンになるが、軍鶏鍋にウドンが合うと言われたのでーと、ニロギ(柊魚)、茗荷&胡瓜に田舎寿司を買い中野ハイヤーでの帰宅となった。帰りの車代は1800円也。

中野ハイヤーと云うのは、彼の渋谷の名店「奈加野」オヤジの実家。オヤジの兄は引退でその息子が後を継いでいる。明日の夜、隣町でオヤジの同級生の先輩と一杯やることになったので、その迎えも予約した。

そんな閑な雨の土曜日、帰宅後は何をするでもなく過ごしている。夕食は軍鶏鍋を煮なおすが、ニロギは南蛮漬けか?胡瓜と茗荷の酢物、老が好みと云う茄子とミョウガの酢物も作ってやるか!。

今朝の段階では、今夕はホイコーロに鯵の開きを予定していたが、我が人生と同じように目論見外の繰り返しである。飯ぐらい、どうでもいいか・・・。

 

 

 

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