オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

手早く

2009-02-16 | Weblog
2月16日(月) 6時15分より弁当作りに着手。今朝は、体が重い。

今日は、出来合いの材料を簡単に調理するメニューが主体。弁当は、三人分を作る。

香味味付けの豚肉のソテー、カレー味付け鶏肉のフライ。昨日、妻が煮付けた牛バラ肉と大根・蒟蒻の煮物。それに、ホーレンソウの塩・胡椒炒め。以上、四品がお菜。

7時には完成し、弁当に詰める。そして、オニギリ1個。

では、今日の総費用〆て、780円也。
一人前、260円のお弁当となった。


昨日は、午後出社しトイレ他を掃除する。

T・Yが出社して作業をしているが、金曜日に彼の机の周りに落ちていたゴミが無い・・・?

夕方、顔出したYによると、昨日、掃除をお願いしているOさんが来ていたとのこと。

後の祭りだが、掃除は何度やってもいいだろうと、自らを納得さす。

Y・Uも今日の打合せ資料作成の為に出社してきた。

夕方、T・Y,Y,Y・Uの作業を切り上げさせて、四人で雑談の場を持った。

仕事の進め方、仕事に対する心構え・対応の仕方などについて気になっている事、反省やこれからについて一時間半ほど・・・。

勤務時間外では、愉しい・面白い話がしたいと云う考えもある。それも善いだろう、が・・・。

しかし、仕事は常に考えていなくてはいけない、と云うのが私の持論。
まして、課題山積の現状では、場を離れ率直に思いを語り合うことが肝要。

そして、明日の仕事に活力を見出せたら、どんなに勇気と元気が湧くことか。

素直に語り合う場が、ことが、もっともっと沢山にあっていいと思っている。

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津葬

2009-02-15 | Weblog
2月14日(土)

8時頃に自宅を出て、富士市に向かう。
心配された天候も、西に向かうほど晴れてき、うららかな陽光となった。

新幹線にて、新富士駅に下りる。之よりタクシーで南松野の東光寺に向かう。

車中、運転手と富士市の景況など雑談する。此処には、製紙メーカーや幾つかの製造工場があるが、ご多分に洩れず暗いと云う。

富士川沿いに上り、20分ほど走った小さな盆地の入り口、戸数100~200戸余りの鄙びた集落が南松野だった。


小澤常敏先生の本葬は、生家の「東光寺」にて執り行われた。
此処のご住職であり、また身延町の南松院の住職も兼任されていた。長く教職にも就かれ、地元では剣道の指導もされていた。

臨済宗妙法寺派の本山や関係寺院の僧侶30名程の読経の中、地元の檀家・信徒、身延からの檀家、剣道関係者と共に、本堂前に張られた大テントの下に参列した。

僧籍にある人の本葬を、津葬(シンソウ)と云うそうだ。冥土に渡る、河岸(津)から送り出すと云う意味だそうな。

少しは、仏教のことも知らなくていけない。

余談だが、先般、地球市民の会・古賀前会長の仏壇の前に佐藤現会長と並んだ時、佐藤さんは「般若心経」を朗々と唱えられた。

葬儀の帰途、春霞の向こうに富士の山が美しく立っていた。
写真は、「東光寺 山門」



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葬儀と命日

2009-02-13 | Weblog
2月14日は、先月逝去された富士市・東光寺の住職小澤常敏先生の本葬が東光寺にて執り行われる。

またこの日は、大先輩の中村正明氏の三回忌にあたる。
中村さんは、以前勤務した会社で一方ならぬお世話になった方である。

中村さんに初めて会ったのは、私がその会社に入り三度目の職場、20代の後半に入った頃であった。大手町にあった職場で、人事担当の末席で仕事をしていた。

正直なところ、当時の私は腐っていた。不貞腐れていた。投遣りであった。

その職場には、同期のMが隣の課に先に転勤していた。(Mは残念ながら一昨年、癌で逝ってしまった)

当時の始業時間は、八時半。何時も10分程遅刻をしていた。そして、出勤するや、Mと示し合せ、隣のビルにある喫茶店でモーニングコーヒーを飲み、20分ほど時間を潰すのが常であった。

Mが此処に転勤になった時、私の処に来て言った言葉「飛ばされちゃったよ」だった。
私は、そんなこと無いじゃないと、慰めたが。
その私が、半年遅れて同じ職場に転勤となった。Mに云った、俺も飛ばされたよ!

私のそんな態度に、係長は業を煮やしていた。(当然だ)

偶然にも、中村さんは私の剣道の先輩であるKさんの直接の上司であったが、私が勤務する職場の課長として、半年後に着任された。奇遇にも、中村さんと私は同郷であった。

そんな、幾つかの偶然の結果なのか、殊のほか私に眼を掛けてくれた。

或る時、係長が課長に言ったと云う。「A(私)はしようがないです」と。
課長は、「お前の指導がなってないからだ」と応えたそうだ。

係長には、申し訳ない話だった。

そんな課長に僕が言っていたのは、「このまま此処に居るのだったら、僕は辞めますよ」だった。何度か、そんなことを言った覚えがある。(生意気な小僧だった。しかし、本当に辞めて捲土重来を期すつもりだった)

人事担当の仕事(作業)は忙しかった。特に、2月から4月にかけてと、秋が多忙だった。

仕事といっても、私の場合は資料の用意・整理、コピー焼き、データー投入の単純作業であったが、追われていた。
何の発見もなく、しなかった。(資料の揃え方、折り方は上手くなった)

作業は、深夜に及ぶことが常態だった。帰宅は、零時が普通。
或る時、泊まりが続き、一人で作業を終え、夜中に会議室の床に布団を引いて横になった。眼を瞑り寝ようとすると、心臓の鼓動が早くなり・高まった。寝れば、このまま死ぬと思った。(泊まりの時は、3時・4時が普通、時には明け方まで作業をする)

忙しい事が嫌だった訳ではない。単純な作業が嫌だった。
引込み線に入ったと思えるレールの上にいることが耐えられなかった。サラリーマンとしての前途が見えなかった。

中村さんに出会えず、そこでサラリーマンを続けていれば沈んでいただろう。

中村さんが、そんな私を救ってくれた。翌年、本社に転勤をさせて貰った。

私だけではない。人事担当は、全員転勤した。隣の給与担当も半分が異動した。
皆、上部機関や役職が付いての、所謂栄転であった。

担当、全てが変わることなど考えられない人事異動であったが、中村さんは、心配ないよ、何とかなると泰然としていた。

転勤後も何かと気に掛けていただき、三十余年に亘りご厚誼を頂いてきた。

一昨年、亡くなる前日に電話を貰った。
「医者からなんともないと云われた、これからゴルフもバンバンやるよ。処でUさんの仕事は順調かな」と云い、私やU氏のことを気に掛けていた。

それまでの一年有余、目眩がするとのことでゴルフや酒も控え目にされていたが、医者からのお墨付きも貰ったので、気にしないようにするとのことだったが・・・。

その中村さんが、翌日に突如自宅で倒れ、還らぬ人となった。

忙しい人だった、人の面倒を徹底して見る人だった。
ゴルフは下手だったが好きで、私も同じゴルフ場のメンバーとなった。自宅に泊めて貰い、早朝から奥様もご一緒にコースに出た。

鮎釣りが好きで、夏が近づくと私の故郷の川の溯上や各地の河川状況を聞いてきた。


お世話になりっぱなしだった中村さん。同じく三十有余年前に合宿でお世話になり、その後、年賀状を通じて交流頂いてきた小澤先生。


明日は、富士での葬儀に参列した後、戸塚の中村さんの墓前参ろう。
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すき焼き弁当

2009-02-13 | Weblog

2/13(金) 今日は、すき焼き弁当。

 

前夜帰宅後、土曜日に買ってあった牛肉を冷凍庫から取り出して解凍した。

牛肉と、田舎から届いた手作り蒟蒻、豆腐、大根、玉葱の他、大蒜の茎を入れたところ妻からヒンシュクを買った。日本酒、砂糖・醤油で味付けする。

 

処で、大蒜の茎は、兎や猪の肉を煮る時に使うといい。牛蒡・蒟蒻・大根に大蒜の茎、是に味噌・砂糖・醤油、酒ですき焼き風にして食す。

辛口の日本酒を遣りながら熱いのを喰うと、なんと云えない冬の味覚・・・喰いたいな~。田舎の従兄弟に言って、猪肉を送らすか。

 

 

本題の弁当。すき焼きの他は、卵焼きのみ。

5人半前が完成。今夜から帰宅する長女はオニギリ。後の家族は、何時もの弁当スタイル。私だけは、すき焼き丼風にした。

 

         images          images  

                                    私用、牛丼

 

今日の、御代は?〆て約2000円か。

一人前、360円也!

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バランス

2009-02-12 | Weblog

2/12(木) 6時15分より弁当作りに着手する。

 

今日は、娘二人はサンドイッチを所望。私と妻はご飯弁当とする。

サンドは、何時ものツナサンドと卵サンド。お弁当も昨夜の残りオデンと茹でインゲンの胡麻和え、冷凍シューマイ、ハンバーグ。これにホウレンソウとシメジの卵炒め。

 

オデンは、大根・蒟蒻・卵・つみれをそれぞれ少々。結構、バランスのいい食事と自画自賛。

 

かくして、7時10分に4、5人前が完成。

                  images

 

さて、今日の費用は?〆て770円也。

一食辺り、171円と出ました。

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お休みなのに

2009-02-11 | Weblog

2/11(水) 建国記念日の祝日

祝日なれど、一時帰宅中の長女が夜勤とのこと、夜食のサンドイッチ作りを頼まれる。

必殺弁当人として、喜んで立ち上がる。

ハムとチーズ、卵と野菜のサンドイッチ二種、あっと云う間に作る。

 長女も、紆余曲折を経て、妻と同じ職種についた。

今日は、4時から仕事に入り、24時半終りとのこと。明日は、8時半から仕事の為、職場に宿泊する。大変な仕事ではある。

元気に働け、世の為、人の為になれ。オヤジとして望むのはそれだけだ。

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三日ぶりの弁当

2009-02-10 | Weblog
2/10(火) 今朝は、三日ぶりに弁当を作る。昨日の朝は、佐賀におり昼過ぎに帰京。

弁当作りという愉しみを得たことに感謝しなくてはならない、なんてことを思いながら、今朝は弁当を作る。

お菜は、鳥笹身と小松菜のバター焼き、豚バラ肉とシメジの焼肉たれ炒め。スナックインゲン・人参の茹でサラダ。定番の卵焼き。


三人前+αが完成。完璧の仕上がり?

今日の総費用は?
なんと、650円。弁当一人前200円位か。安いね~、いいね~。

明日は、高い弁当で行きます!

そう云えば、ANA機内誌にお弁当のページがあった。
トレンドとして、実用として弁当が日常的に話題となる。

我々が手掛けているPR誌・社内誌で、サラリーマンのお弁当をテーマにしたコーナーを提案するのも面白いと思うが・・・。
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地球市民の会 25周年

2009-02-10 | Weblog
2/8(日)地球市民の会25周年行事に参加する。

日曜、一番の便で佐賀へ。

当地での「地球市民の会」25周年記念行事、シンポジュウム&祝賀会に出席する目的である。
空港に、佐藤会長・山下理事長が出迎えてくれる。山口理事の運転する車で、故古賀会長宅へ。来月には、一周忌を迎えるので、早やいがお参りをさせて頂く。

古賀さんの奥様、Yさんは、変わらずにたおやかでおられる。空手道場の方を見ておられるが、この「たおやか」さがあれば心配はない。
(古賀さんは、NPO法人地球市民の会の活動と並行し、英語・空手を教えて糧としていた)

14時より、シンポジュウム。
基調講演は、青年塾・代表の上甲 晃氏。幾つかの示唆に富んだ話が聞けた。
その中で、松下幸之助さんが言ったという言葉を、一つだけ紹介したい。

「困って、困らず」
人間、困る事はいろいろ起きる。だけど、本当に困りきったらいかん。
困りきったら、途方にくれる、自分だけ生きればいいと思うようになる。
これは、真理に反する。(根底に生かされている、という思想がある)

困りきらんような生き方、困りきらんように生きろ、と云うことか・・・。

上甲氏のことは、故会長の古賀さん、現会長の佐藤さんから何度かお聞きしていたが、初めてお会いし、話が聞けた。感謝。

シンポジュウムは、上甲氏の他、マリ・クリスティーヌ氏、佐賀県知事古川氏、佐藤会長の四氏。テーマは、人間の持つべき文明として「営み・思想としての『農』」について。
限られた、時間の中では掘り下げきれない感があった。

夜の祝賀会には、古賀前会長の知己、弟子・教え子・会員が集った。
知事の他、現職の国会議員5人が、友人・後輩・弟子の立場で常に会に参加している。故古賀武夫の人間力に他ならない。

私の「地球市民の会東京」。新たな活動を定めなくてはならないが、今回の佐賀では、体調不良もあり其処まで踏み込んだ話ができなかった。検討の時期にきている。
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今様に・・・

2009-02-07 | Weblog
2/7(土) 今日は、午後より会社に出て掃除に取り掛かる。約一時間の短い掃除であるが、気持ちが落ち着く。

そう云えば、昨日の午後より、鼻水とくしゃみが酷い。風邪かと思っていたが・・・。

昨夜帰宅してよくよく考えて見ると、どうも風邪ではなさそうだ。う~ん、そうか。
現代病と云われている、花粉症か?今様の病か?

今様の流行とは関係ない、石器人と自負していたが、大したものだ・・・。
とは云え、何で急にこうなったのか?今更ながらである。

この半年程前より、体の細胞が大幅に変化したようだ。
会社で居眠りなどするはづが無いと思っていたのが、居眠りをするようになった。
体重を落とすつもりが、落ちない。
左肩の痛みが取れない・・・。
昨夜は、電車に座って本を広げたのはいいが、本を床に落としたまま眠った。
数え上げればきりが無い。

畜生~、花粉症や流行病など蹴散らしてやるぞ!と強がりを・・・。


昨日、N氏より電話がある。会って話したいことがるとのこと。
夕方、一時間程話を聞く。

N氏は、かって2年半ほど我々の会社にパラサイトしていた。3年程前に友人と一緒に新しい会社を立上げ、移った。会社は順調に行き、10人程の体制となっている。


話を聞く限りでは、仕事に対する友人の感性・思いが強すぎ、クライアントや社内で波が立ちすぎたとのこと。結果的に、近々に社員の大半がN氏と行動を共にして、今の処を離れるとのこと。

N氏は凄いキレ・感性・経験の持ち主であり、得がたい人物である。

私なりに判断すると、どうも、その友人との二頭立て体制が、会社・チームとして上手くいかない遠因と思えるが。

私の相棒のヒロさんは、その辺りの感覚・気配りは凄い。何も言わない、語らない、只只、私の言うこと、やる事が全てだと言い切ってくれる。不甲斐ない私だが、こんな好い相棒に恵まれている。


我々に、何か役立つことがあるだろうか?N氏も何かを期待しての相談であろう・・・。
表現は悪いが、尻に火が付いているような私に、何ができるだろうか・・・。


明日は、早朝より佐賀へ行く。
「地球市民の会」25周年のシンポジュウム・お祝い会。創立者の古賀武夫が河岸へと旅立って来月で一年、墓参もしたい。

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赤目とトンカツ

2009-02-06 | Weblog
2/6(金)またしても明け方、4時に目覚める。寝汗を掻いている。少し風邪気味の様子だが、本を読み始める、

今、読んでいるのは、佐伯泰英「酔いどれ小藤次留書」のシリーズ。
これと、車谷長吉「贋世捨人」。

佐伯泰英は、時代物で何本かのシリーズを出しており、売れに売れている。が、少し荒唐無稽。その中では「酔いどれ・・・」は、風景や心理描写が丁寧で読み物として厭きがこない、主人公が爺侍というのも良い。池波正太郎の時代物に通じる気がする。
こうした読み物は、文字の中に自然とその情景が浮んでこなくてはいけない。「酔いどれ・・・」にはそれがある。

車谷は、平成10年「赤目四十八瀧心中未遂」で直木賞を取った、遅咲きの作家だ。
実は、この本しか読んでいないが、この一冊で好きな作家となった。昨夜から、読み始めた本で二冊目。(当時、赤目・・・・を読み、随分と廻りに進めた)

読み始めた本の中に、若き日の主人公が京都・妙心寺(臨済宗)を訪ね、学僧の暮らしを聞くところがある。
奇しくも、過日逝去された富士・東光寺の小澤常敏先生が修行をされた本山である。若き小澤先生の修行姿と重なった。


そう云えば、小藤次の姓名は「赤目小藤次」、そして「赤目四十八瀧・・・」。私は、飲むと赤目になる。今日のキワードは「赤目」か?


さて、今日の弁当であるが、メインは「トンカツ」。そして米三合を炊く。

佐賀の酵素豚(この豚肉は全く臭みがない上物)、このヒレ肉をフライにする。付き合せに玉葱とポテト、エンド豆を揚げる。

これに、キャベツとブロッコリを付ける。
一口味見、上々の出来上がりだ。オニギリを四個、梅・高菜・刻みトンカツが具。

さて、今日の費用は、〆て1150円と想定した。
一人前、280円也。
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