9/4(金)今日は弁当箱を使用しないメニューをと、前々から次女に頼まれていた。そんな訳で、今日のオヤジ弁当は久々にモームスならぬ「天むす」とした。
「天むす」の具材はエビとホタテ、家人のリクエストの鮭となった。二日酔いで重い頭とムカツク胃をなだめながら準備にかかる。 ご飯の方は、昨夜の残り飯が相当に在る。
エビの殻を剥き、ホタテを解凍する。少しお菜系をとアスパラの豚肉巻きを作り一緒に揚げ物とした。
アスパラ巻きが揚がり、エビ・ホタテが揚がったが天麩羅用の衣が残っている。ついつい食いしん坊オヤジは、おまけの掻揚げを作ることとした。玉葱・牛蒡・インゲン・シメジを斜きりにして手早く掻き混ぜて、油の海へソロリとご入浴頂いた。
かくして、具材が完成。そうそう、鮭が焼かれて待っていた、お皿に載せて身をほぐしてやる。
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出番前の天・天と掻揚げ
処が具材タップリ、飯足らずとなった。急遽、米二合半を炊くはめとなった。無理をして炊くことも無かったが、昨日K君のオニギリがなかった。今日は週末、一寸多めに用意をしてやろう・・・。
Kには、掻揚げ丼どか弁とオニギリ三種(三個)、家人と末娘が二個づつ、私は三個。肝心の次女が居ない、おまけに小僧もいない。折角の具材の始末に困る。結局私のお菜となった。
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準備万端出撃を待つ
昨夕、私がフロント部門で仕事をした頃の新入社員だったY/K君が来社。当社のスタッフに引き合わせた後、一杯やる。店は、隣に在る蕎麦屋「高松」。此処は、我が社の迎賓館と称して贔屓にしている。
何時ものようにグダグダとビールや金魚割(焼酎に大葉と鷹の爪が入る)をやりながら、十数年も前の新人時代の話になった。
当時Y/Kは、私から「文句を言いたければ結果を出せ」と云われていたらしい。彼はそれで発奮したという。(私とて、誰にでもそう云うことを云う訳ではない、応えてくれるであろう可能性と期待、受容する心があると思うからこそである)
確かに彼は、新人時代から抜きん出た成果を上げた。周りにも恵まれたであろうが、彼の持っているもの(考え方や気質)が良い結果を生み出したと思う。何よりも前向きでチャレンジャブルな処が良かった。そのチャレンジャブルな処から、結果的に転職をすることとなったが、自分の人生を己で設計して生きる、その生き方には共感する。
そして、私のこととなった。「何故辞めたのか、グループの中に残れば安泰でしょう」とY/Kは訊く。
「辞める分けは、山ほどあるさ。でも最大の理由は、君たちと一緒に仕事をしていた頃。僕が、ベテラン社員に言っていたのは『自分の足で立て、寄りかかるな。職業人として何処へ行っても使える、使ってもらえるプロになれ』そう言ってた。だから、それを自分が実践しなければ嘘になるからね・・・」
そんなことを云いながら、酔いが廻り始めた頃、携帯電話が鳴った。
田舎の高校の同級生、M/Kからだ。彼は或る食品系会社の常務になっている。この前から会おうと云っていたが、漸く暇が出来たようだ。
一年程前、知人の案件で彼の会社を紹介してもらった。上手く行かなかったが、世話になり、それ以来となる。遠慮しあう中ではなし、人形町の「高松」まで来てもらい、三人で飲むことにした。
都会育ちのY/Kに僕たちの田舎の高校のことを話す。太平洋を望む、小高い丘の上に建つ校舎、下宿の柿を遊びにきて喰っちゃったこと、田舎では珍しかった親父のジョニ赤を飲ませてやったことetc。
嗚呼、すっかり出来上がってしまった。