2/10(火) 今朝も弁当毎のスタートは遅かった。昨晩の帰宅が遅かったこともあるが、原因は飲み過ぎであろう。七時前に台所に行くと、電気釜の中にご飯が残っている。しかし、これじゃ二人分の弁当には足りない・・・。どうするか悩んだ!
結果、炒飯なら「焼き飯」にすることとなった。ベーコン・ウインナーを一つづつ、小エビを解凍した。野菜は、ピーマン・タマネギ・長ネギだけである。熱したフライパンにニンニクを一かけら、これは避けたいのだが小エビが入るので加えた次第。具を炒め、ご飯を放り込んで炒める。味付けは塩胡椒、仕上げに醤油をひと垂らしし、味を調えた(つもり、量が少ないので味見も控えた)。
菜の方は、ハンバーグとポテトサラダだけ。挽肉にパン粉と卵を一個だけ。後は何も使わなかった。時間が無いので他の物を準備する余裕がない、が本音だ。その割には旨かったぜ(三個焼いたので、一つは自分が喰った)。ソースの加減が良かったのだろう。
ポテトサラダは、卵と人参・ジャガイモを茹で、タマネギのスライスを晒し、後は潰して塩胡椒に、お酢をひと垂らししてマヨネーズで和えるだけだ。今日の菜は以上であった。
弁当を取りに寄った長女曰く「今日は何だか淋しいね~、何時もなら四・五品有るのに」と。味で勝負だよ、と云いたかったが、控えた。
さて、昨夕同郷の友人MATUMOTOから電話を貰った「神田に居るんだが、時間があれば一杯やりたいね」と。それじゃ人形町までいらっしゃいと、来て貰った。店は何時もの「ローカーボ」にした。『ここのハイボールは、日本一だぜ』と薦めた。「いやあ~美味いね!」と、満足気に彼はグラスを重ねた。
其処に、学生時代の友HOSOKAWAから電話が入った。「どうしてんだよ、この近所(新橋だ)に居るんなら会おうかと思って」てなことを云う。『早く人形町に来いよ、MATUMOTOと飲んでるとこだ』と言うと、「Mって誰だ?しらねぇよ」と云う。『バカ野郎~、会ってるよ。会えば判るさ、早く来い』と、電話を切った。
MATUMOTOが神田にいたのは、出版社との打ち合わせだったとか。今度出す本の原稿を渡しに来たと云う。それで、ホットして一杯飲みたくなったんだろう。訊くと、新書版で一万部の出版だそうな。内容は国際時事に関する論評・解説だな?多分。次いで、夏には終戦七十年を総括する本の企画も進んでいるとか。彼も一時は、軍事評論でTVに出ていた時期があったからな、納得だ。
『アンタもフリーランスの物書きから、大学の先生になり、今度は自分の書いた本を学生に売る。大したタマだねェ…』と、誉め殺し?。そうこうするうちに、HOSOKAWAが着いた。直ぐに判ったようだ。若い時に、新婚のMの処に一緒に泊まったことまで思い出していた。Sはテレビ屋なので、彼がマレーシアに駐在した頃の制作番組をMがやたら誉める。もう二十年も前のことだが、私は全く記憶なし、否知らない。
常連のHOYAさんと、不動産屋の帝王が我らの話に加わり、賑やかなことこの上なし。五月蠅いと云うべきか、多分マスターはそう思ってたはずだ。
同い年の三人でアホな話に興じ、落ちは「物忘れが激しい、名前が出てこない。漢字が書けなくなった」で一致した。お互い歳だねぇ~と、実感した。
二人が帰った後、一人で「ちょっぷく」でのみ、YAMAちゃんの「カラオケだ~」にほだされて「Seiju」に参上。と、ここでローカーボに居た二人と出会い、合流して歌合戦が始まった。が、私はおとなしく聴くだけです?
すっかり出来上がり、中目黒からの電車は、「横浜中華街行 最終電車」となっていた。昨夜は酔ってたな、自分でも分ったよ。25時に帰宅して、スーツの着替えに随分と手間取ってたから・・・。
今夜は、そう云うことがないように努めよう。七時から人に会って軽い食事と一杯、それから帝国ホテルか銀座で熊本から上京するTAKEMURAと飲むことになった。Tも昨夜、ローカーボに居る時に電話を寄越して「今日上京するので、夜は空いてるか?」と来た。先約を済ませてから会うことにしたのだ。
仕事の方も、これくらい売れっ子ならいいのだが・・・・・・。