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オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

焼き飯

2015-02-10 | Weblog

2/10(火) 今朝も弁当毎のスタートは遅かった。昨晩の帰宅が遅かったこともあるが、原因は飲み過ぎであろう。七時前に台所に行くと、電気釜の中にご飯が残っている。しかし、これじゃ二人分の弁当には足りない・・・。どうするか悩んだ!

結果、炒飯なら「焼き飯」にすることとなった。ベーコン・ウインナーを一つづつ、小エビを解凍した。野菜は、ピーマン・タマネギ・長ネギだけである。熱したフライパンにニンニクを一かけら、これは避けたいのだが小エビが入るので加えた次第。具を炒め、ご飯を放り込んで炒める。味付けは塩胡椒、仕上げに醤油をひと垂らしし、味を調えた(つもり、量が少ないので味見も控えた)。

                       

菜の方は、ハンバーグとポテトサラダだけ。挽肉にパン粉と卵を一個だけ。後は何も使わなかった。時間が無いので他の物を準備する余裕がない、が本音だ。その割には旨かったぜ(三個焼いたので、一つは自分が喰った)。ソースの加減が良かったのだろう。

                       

ポテトサラダは、卵と人参・ジャガイモを茹で、タマネギのスライスを晒し、後は潰して塩胡椒に、お酢をひと垂らししてマヨネーズで和えるだけだ。今日の菜は以上であった。

                       

弁当を取りに寄った長女曰く「今日は何だか淋しいね~、何時もなら四・五品有るのに」と。味で勝負だよ、と云いたかったが、控えた。

                       

 

さて、昨夕同郷の友人MATUMOTOから電話を貰った「神田に居るんだが、時間があれば一杯やりたいね」と。それじゃ人形町までいらっしゃいと、来て貰った。店は何時もの「ローカーボ」にした。『ここのハイボールは、日本一だぜ』と薦めた。「いやあ~美味いね!」と、満足気に彼はグラスを重ねた。

其処に、学生時代の友HOSOKAWAから電話が入った。「どうしてんだよ、この近所(新橋だ)に居るんなら会おうかと思って」てなことを云う。『早く人形町に来いよ、MATUMOTOと飲んでるとこだ』と言うと、「Mって誰だ?しらねぇよ」と云う。『バカ野郎~、会ってるよ。会えば判るさ、早く来い』と、電話を切った。

MATUMOTOが神田にいたのは、出版社との打ち合わせだったとか。今度出す本の原稿を渡しに来たと云う。それで、ホットして一杯飲みたくなったんだろう。訊くと、新書版で一万部の出版だそうな。内容は国際時事に関する論評・解説だな?多分。次いで、夏には終戦七十年を総括する本の企画も進んでいるとか。彼も一時は、軍事評論でTVに出ていた時期があったからな、納得だ。

『アンタもフリーランスの物書きから、大学の先生になり、今度は自分の書いた本を学生に売る。大したタマだねェ…』と、誉め殺し?。そうこうするうちに、HOSOKAWAが着いた。直ぐに判ったようだ。若い時に、新婚のMの処に一緒に泊まったことまで思い出していた。Sはテレビ屋なので、彼がマレーシアに駐在した頃の制作番組をMがやたら誉める。もう二十年も前のことだが、私は全く記憶なし、否知らない。

常連のHOYAさんと、不動産屋の帝王が我らの話に加わり、賑やかなことこの上なし。五月蠅いと云うべきか、多分マスターはそう思ってたはずだ。

                        

同い年の三人でアホな話に興じ、落ちは「物忘れが激しい、名前が出てこない。漢字が書けなくなった」で一致した。お互い歳だねぇ~と、実感した。

二人が帰った後、一人で「ちょっぷく」でのみ、YAMAちゃんの「カラオケだ~」にほだされて「Seiju」に参上。と、ここでローカーボに居た二人と出会い、合流して歌合戦が始まった。が、私はおとなしく聴くだけです?

                        

 

すっかり出来上がり、中目黒からの電車は、「横浜中華街行 最終電車」となっていた。昨夜は酔ってたな、自分でも分ったよ。25時に帰宅して、スーツの着替えに随分と手間取ってたから・・・。

今夜は、そう云うことがないように努めよう。七時から人に会って軽い食事と一杯、それから帝国ホテルか銀座で熊本から上京するTAKEMURAと飲むことになった。Tも昨夜、ローカーボに居る時に電話を寄越して「今日上京するので、夜は空いてるか?」と来た。先約を済ませてから会うことにしたのだ。

仕事の方も、これくらい売れっ子ならいいのだが・・・・・・。

 

 

 

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焼肉&鶏

2015-02-09 | Weblog

2/9(月) 今朝の弁当事スタートは、丁度七時になっていた。が、案ずるには及ばず。ご飯は昨夜に炊いたのを使うし、菜の方も決まっているので手間は要らない。そんなことから、遅いスタートなった。尤も夜中に目覚めて、本などを読んで過ごしたせいで、朝の起床も遅かったが。

「野菜と牛焼肉」をメインに、「鶏肉と蒟蒻・人参・白菜の煮物」と「出汁卵焼き」が今朝のメニュー。これで足りなければ、昨夜に炊いた「ブリの大根煮」が控えている。大根は、茄子や小松菜とともに田舎の従姉が送ってきた。大根が三本もあるので、ブリの粗を贖ってブリ大根にしたのだが、たっぷりと残っている。

               

大根で気を使うのは、今時分の物は身が柔らかいので煮過ぎないことだ。ちょっと油断をすると溶けてしまう。私が、よくやらかす失敗だ。

敢えてレシピを書くほどのこともない。使った食材だけを記すと、牛肉・鶏肉の肉類、蒟蒻・人参・ピーマン・タマネギ・長ネギの野菜群、卵を三個、以上である。今朝も変わり映えのしない弁当であった。

                     

 

ー幅広く見ると云うこと・・・-

 昨晩と云うか今朝方と云うべきか、深夜に目覚めて本を読んでいたわけだが、その本は河出文庫から出ており「日本人のくらしと文化 -炉辺夜話-」と云うタイトル。著者は宮本常一である。師が晩年に近い頃に各地で講演した話を本にしている。

民俗学の泰斗である師が、同志への戒めとして言っているのが「狭い範囲で事物を見ると肝心なもの、ことが見えない、間違う。幅広く見ると、様々な事象から本質が見えてくる」と、云う意ようなことを言っている。この言葉は民俗学の学究の徒に限らず、師が各所で話をするすべての人、ことに共通し、師からの問いかけである。

この本を読みながら、如何に何も視ず、聴かずに素通りしてきたのかと、過ぎ去りし時が悔やまれるのであった。

本に出てくる講演先の山形県では、岩波観音堂の絵馬。これは、1500年代のものが奉納されていると聞きながら、流した。また、船乗りから篤い信心があったと云う隠岐島・島前の焼火(たくひ)信仰と焼火神社のことや、島の振興の歴史など。或いは、八丈実記を記した近藤富蔵とその本の内容について・・・。訪れた先々で、眼を開いておれば触れ、感じ知ることができたろうことを見逃してきたのだ。

日々の中でも然り、今更ながらに反省ばかりである・・・。

 宮本常一が面白くなって、師の故郷「周防大島」を訪ねてから三年が経つ。三月であったが、瀬戸内のこの島にも小雪が舞って寒かった。記念館を訪ね、彼の生家を見たかったが、海岸道路の整備のために移転していた。この辺りであろうかと、師が遊んだであろう神社や、家の前だった云う小島へと歩いた。

 師が亡くなって、三十年余となるが、その足跡を辿れるものはなかろう。

 

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連戦はつづき・・・

2015-02-08 | Weblog

2/8(日) 金曜日は神楽坂で後輩のAIKAWA氏と一献交わした後、人形町まで戻った。未だ八時と時間も早かったし、酒の肴は控えめにしたので元気が残っていた所為だ。

会社には戻らず「ちょっぷく」にて一杯やることにした。前々夜に、常連のミムラッチからチケットを一枚借りたので、その借りを返す所存であった。未だ彼は来ていない。一人で飲むのもつまらないので、スタッフのYOSHIOを呼んだ。店は大盛況で賑やかな話し声が店内一杯に響いていた。店長のYAMAちゃんもニンマリしている。繁盛が何よりの元気の源だ、結構結構・・・。

YOSHIOが姿を見せた後、FUJIKURAまで現れた。こっちは相当に酔いが廻り始めている、酔っちまえばこっちのもんだ、仕事とのことであれこれと注文を付ける。そうこうするうちに、客が引けはじめ店長がテーブルに顔を出して、どんどん注文をする。まっ、商売だ、大目にみよう・・・。

で、客の姿もちらほらとなり、YAMAちゃんが「カラオケ唄いたいな~」なんて始まった。するとチーフのヨっちゃんが「あたしも、しばらく唄ってないよ」と、言いだした。『それじゃ、SEIJUへ行くべぇか』となり、YAMAチャンは残って、我等三人とヨっちゃんで繰り出した。

店には客の姿がなく、異次元に取り残されたような閑さが漂っていた。ママさんは奥の席で居眠りでもしていたのかな?どうやらこの日、最初で最後の客のようだ。

ヨッちゃんの歌は初めて聴いたが、中々のもんである。3~4曲唄って店に戻った。後は、三人で何か唄ったが、すっかり忘れた。腰をあげようとしない二人を残し、先に席を立った。

                   

ふらりと戻った「ちょっぷく」には、常連が二人と店長、チーフだけが残っていた。ワイン一杯で切り上げようとしたら「ちゃんと呑めよ」と、加茂鶴を持ってきた。神楽坂でも燗酒をやったので、ここは避けたいところだが・・・。そうは問屋が卸さねえと、嬉しい悲鳴だ。お蔭さまで、最終電車となった。

そして翌土曜日、ランチが終わり、掃除が済んだ「ちょっぷく」で、夕方からまたしても飲んでしまった。

土曜日の夕方、COCO壱の豚ルーの10辛と、ランチの小鉢や菜の残りで飲むのが手伝いをしてくれる常連への気遣いのようだ。其処に何の手伝いもしないOYAJIも闖入し、競馬の結果を聴き(彼らの)、四方山話をしながらご相伴に与かっている。これも、暇なOYAJIなればこそか・・・。

 

昨日、郷里の従姉から猪肉が届いた。これが足の骨とアバラ骨が付いたブロックだった。一苦労して切り分け、少し煮てみた。薄く切り過ぎたのか、肉の旨味を感じない。小僧が遊びに行って居ないので、こんなものを喰うのは私だけだ。最後は始末に困るぜ・・・、「奈加野」に持って行くか・・・。

 

 

 

 

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連戦疲れ

2015-02-06 | Weblog

2/6(金) 昨夜はスタッフのRIE嬢とNOBORUの誕生祝と云うことで、焼き鳥屋へ。銀座の焼き鳥屋に行こうかと思っていたが、天候のことや時間が不確かなことから、かつて行ったことのある地元の甘酒横丁に在る「久助」と云う店にした次第。

焼き鳥になったのはRIE嬢のリクエストによるが、折角の機会なので「玉ゐ」のアナゴ料理でも勧めればよかったかと、後で思った。焼き鳥のコースを食しながら、生ビールと焼酎を飲んだが、腹一杯となり酒の方も進まなかった。店は結構な人気店だが、雪の予報の所為かキャンセルが出たとかで空いていた。勿怪の幸いだった。

スタートが八時過ぎ、終わったのが十時。お腹が苦しくて、もう一軒次へと廻る気にならなかった。連戦の疲れか?十一時の帰宅であった。

 

で、今朝の弁当始めは6:45分からとなったが、どうも気力が充実しない。弁当の方も簡略になった。

三合の飯を炊き、出来合の水餃子に野菜の巾着煮、鶏の唐揚げ酢と、温めたり出汁で煮るだけの菜が並んだ。唯一、茄子・タマネギ・シメジの炒め餡かけが自作になった。だんだんと労働意欲が減退しているようだ・・・。

おまけに、デジカメの具合も悪く写真の方も最悪。踏んだり蹴ったりの三隣亡かと思いきや、今日は五黄の大安だ。夕方には良いことがあるかな?その夕刻に、某社の後輩を訪問することになっている。事務所は飯田橋、神楽坂が近いので此処で一杯やる予定だ。大安日に相応しい、神楽坂の夜が待っているかな?

 

 

 

 

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縁が切れぬ・・・

2015-02-05 | Weblog

2/5(木) 今日は東京も雪の予報。出勤の折には霙らしきものが落ちていたが、夕方となった今の人形町は雨である。とはいいながら、東京も広いのだ。先ほどまで出かけていた練馬は雪であった。出掛けたのは老人ホームに居る伯父の誕生日が今日で、九十五歳を迎えたのでそのお祝いだ。ショートケーキにプリン、ノンアルコールビールに菓子、お茶などを持参した。

酒が好きであった伯父は、ノンアルコールの缶を見て嬉しそうに笑った。ホームではアルコールはご法度のようだ。が、以前は小さな缶ビールをこっそり飲ませたが、流石に年令と体の弱り様を目の当たりにするとアルコールを差し入れる分けにはいかん。かなりボケも始まっているので、本物のビールと思って飲んでいたようだが?

「俺ももう長くはないよ、二度ほど死ぬかと思ったことがあった。後半年ぐらいのものじゃないか」と言う。耳も遠く、目も見えなくなったと言うので、『九十五歳誕生日おめでとう。百歳まで元気に生きて下さい』と、大きく書いた紙を見せたら、笑っていた。

 

縁が切れぬ・・・と書いたのは、酒ときれない自分のことだが。昨夜も帰宅が零時半となった。仕事じゃねえよ、酒場に居たのさ。八時丁度に会社を出て、例の如く「ローカーボ」で一二杯飲んで帰ろうと立ち寄った。これが始まりで、顔を出した近所のスペイン料理店のオーナーと商売談義、更に顔馴染の常連さんが姿を見せ、長~いお話となった。遠くの席に居たのが、わざわざ隣まで来てもらっちゃあ席を立つのも具合が悪い。挙句にHOYAさんまで現れた。帰るに帰れない状況となっていた・・・。

                 

              TVドラマを見入っています!      HOYAさんと常連さん

ここから真直ぐに帰りゃいいものを、歯止めが利かなくなり、灯りに魅かれて今度は店仕舞い前の「ちょっぷく」のドアを開いた。でもう一杯となる。

                          

店長のYAMAちゃんや常連さんを相手に駄法螺を吹いてひと時を過ごした。酒場とお酒との縁は中々切れない!前世の因縁とやらで赤い糸で繋がっているのか・・・。

        

       客も疎らな閉店前       店長YAMAちゃん        ベトナム人のバイとさん       チーフのヨーちゃん

で、今朝の弁当事は六時半からスタート。出来合の冷凍「唐揚げ酢」に、人参・油揚げ・蒟蒻・白菜の煮物、茄子・ピーマンと豚肉の味噌炒め、卵焼きにジャガイモと人参のカットサラダ、ホウレンソウの胡麻炒め、こんな処でお茶を濁した。またしても次女が泊まっていたので、三人分の弁当となった。

            

が、長女は遅くなったので「弁当を取りに寄れない」と、ふざけた連絡が入った。結局この弁当は、私の朝飯となった。

 

 

 

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節分

2015-02-04 | Weblog

2/4(水) 昨夕、USUI老が会社に顔を出した。これから一緒に一献交わす予定だが、クライアントが打ち合わせで来社していた。スタッフとの打ち合わせ後に挨拶をすることになっていたので、老には先に「高松」に行ってもらった。

六時前、会社を出て店に向ったが、直ぐ裏手の「椙ノ森神社」の前に警備車両が止まっていた。境内を見ると本殿と神楽殿の前に人だかりがしている。何事かと境内に入ると、丁度節分の豆まきが始まる処であった。狭い境内なので人出は百人ぐらいか。豆まきが始まると、ワアーワアーと手を挙げて競い合っていた。こんな光景を目の当たりにして、節分を実感した。

             

老とは「高松」で飲み、そこからローカーボの前を通って「ちょっぷく」へと向かうコースをとった。飾り窓越しにローカーボの店内を横目に見ると、カウンターに居たのはマスター一人だけ。『口開けに、一杯だけ飲って行こうか』と、ドアを開いた。本当に一杯だけ、上手い具合に客も入ってきた。そして「ちょっぷく」へと向かった。

「ちょっぷく」も客の姿が少なかった。そういや何時も満席の「高松」のテーブルも空きがあった。『どうしたんだね?YAMAちゃん。少ないねぇ~、もうひと回転したんかい?』と、嫌みを垂れると「節分の所為だよ」と返ってきた。『俺が来ると客が入るぜ』と、請け負ったが・・・。老が会いたがった、スタッフのTOKIOとYOSHIOも姿を見せ、急に場が賑やかになった。

暇な店長のYAMAちゃんを相手に冗談話をしながら、薄いハイボールのグラスを重ねる。客が少ない所為か、YAMAちゃんはテーブルに転がして置いたチケットを手にし、やたらと酒を運んで来た。私がチケット販売機で買う度に、おまけの赤いチケット(二枚分)が出る。これ見よがしに、YAMAちゃんに見せるのだが、途端にヤ~ナ顔をする。

そんなことをしながら遊び、今夜はこれで打ち止めと三軒にて〆た。帰りのメトロは、奇しくも昨夜と同じ時刻、多分。中目黒に着くと、丁度特急電車が入って来た。前夜と違いしっかりと表示を確認した。酔ってない、気も確かだ、車中でも本を読みながらきたのだ。OYAJIは同じ轍を繰り返さないのだ・・・。帰宅は、23:15分のはずだ。昨晩の自由が丘までの乗り越し分だけ早い。

 

てな具合の夜を過ごして、朝を迎えたのだが・・・。目覚める前に見ていた夢がふるっている。”どこぞに出掛けるため、新幹線のホーム目掛けて走っていた。処が乗車予定の列車のドアが目前で閉まったのだ。しまった!これやぁ困ったぜ。”この便に乗らないといけないのだ、「普通電車で追いかけて次の駅で乗れるかもしれない。新幹線のルートは迂回してる」と、電車に乗って、新幹線の次の停車駅を目指したのだ。

夢と云うのは上手い具合に出来ているものだ。駅に着いてホームに駈け上がる、今しがた発車のベルが鳴り終わったが、外人の乗客が未だぞろぞろ降りて来る。ホームの中ほどの駅員は赤い旗を振っている。ドアが閉る処に、無理やり体をねじ込んで乗った。あ~あ、間に合ったぜ

新幹線の車内を空き席を目指して歩いているところでEND。ここで起こされた、「もう、7時15分よ!」。然し夢とは便利なものだ、ギリギリとは云え、新幹線を普通電車で追いかけて間に合っちゃうんだからネ。大したものだ!。このギリギリ、瀬戸際ってのは、まさに我が人生を象徴している・・・。

流石に今朝は弁当は無理と思ったか、家人は「MIZUKIに弁当は休みと電話しようか」と云う。『作る』と一言。となると流石に忙しい、残り飯も冷凍ご飯もない。先ずは鍋でご飯を炊く。菜の方も簡単なものに・・・。

大根の在庫が無いので、鶏肉と蕪を煮る。次いで、出汁巻卵焼を作る。豚小間とタマネギを炒め、焼肉味に。鮭を焼く。以上であったが、何とか間に合った。ご飯の炊ける時間は二十分、この間に鮭を焼き、煮物をスタートさせて、最後に豚肉焼きを仕上げた。娘が来るのが遅かったのも幸いしたが。

                       

                                       奥の皿は残り物

シーンは違えど、夢のつづきを演じている。演じ続けている人生なのだ・・・。BAKANA OYAJI 嗚呼無情!?。

 

 

 

 

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赤信号?

2015-02-03 | Weblog

2/3(火) 今日は節分だ、と今思い出した。私の両親の結婚記念日がこの日で、昭和22年2月3日と聞いている。父は三年前に亡くなったが、老母はありし日のこの日を偲んでいることだろう。その出来損ないの一人息子は、二日酔で今朝を迎えるという体たらくだった・・・。

昨夕、後輩のYOSHINO君が再々就職の件で人形町に来た。先輩のISHIKURAさんにお願いしてあった処、上手い具合に話を持ってきてくださった。その件を、YOSHINO君に伝える。折角なので、ちょいと一杯となり、明るいうちから「ちょっぷく」に入った。飲みながら、一緒に仕事をしていた往時のことなどを話していると、当時の上司が入院しているのを思い出した。今週、お見舞いに行くこととなった。

薄いハイボールを四杯程で切り上げ、会社に戻った。八時頃になったので「ローカーボ」で飲み直すことにした。相手をしてくれたのはスタッフのTOKIOオジサンである。話のネタ尽きないが、仕事のことは程々にして他愛ない話題を肴に、赤ワイン・ハイボールを飲った。この店で切り上げればいいのだが・・・・。

最近のTOKIOは、ローカーボの後「ちょっぷく」に寄りたがる。もっとも店が駅の直ぐ手前に在るので、素通りをしようとしても”そうは問屋が卸さない”と、YAMAKAGE店長の手ぐすねで御用となるが・・・。そうなる前に自首すると思えばいいか?

で、迷店「ちょっぷく」にて例の薄いハイボールで、仕上げとなった。夕方に一度入っているので、二度目のお勤めと相成った。ハイボールだ白ワインだと言っているうちに酩酊状態。迷店で酩酊とはこれ如何に?の態になっていた。私より酷いのはTOKIOであるが・・・。

そんな最中、人形町飲み屋パトロール隊長とも云えるHOYA兄さんが顔を出した。が、明日も朝が早いと飲まずに帰った。克己心が強い!見上げた態度である。私たちが「ローカーボ」を去った後に立ち寄ったとか。どうせ此処に居るだろうと顔を出してくれたのだ。流石にパトロール隊長、鼻が利き感が鋭い。

相当にきこしめたので帰りのメトロでは本を開かず、口を開いて涎でも垂らしていたことだろう。中目黒駅でホームの反対側に入ってきた電車に乗ったはいいが、次の駅までが随分遠~い。漸く着いたと思ったら、学芸大学を素通りして自由が丘だ。特急電車だった。

それでも帰宅は23時半頃であったろう。着替えをしてリビングの椅子に座ったまではいいが、居眠りをしていた。目覚めて手を動かしたとたんにカップを倒し、中のコーヒーをこぼした・・・。パジャマのズボンがコーヒー色に染まった。それから何を思ったか(コーヒーが掛かった所為か)、滅多にしない風呂に入った。湯の中で気が付いたら、相当長い時間眠り、湯に浸かっていたようだ。尤も、気が付かなきゃ昇天か・・・。蒲団に辿り着くと二時になっていた。

酔って風呂に入るのは赤信号だね!、風呂は朝が一番だ。

 

そんなことが有った朝だぜ。快適な目覚めのはずがない。家人から、七時だよと起こされた次第。それでも直ぐには起き上がれず、愚図愚図と時を費やした。

「今日のお弁当は無理ね?」と言われ、俄然我がミッション遂行の魂に火が点いた。『これから作るんだよ』と台所へと急いだのであった。飯を炊く時間はない、先週につづき、冷凍ご飯で「オムライス」を作ることにした。菜の方は、煮物(人参・蒟蒻・さつま揚げ)とチンジャオロースー(出来合でピーマンと筍を刻み炒めるだけさ)。

               

時間がないのでスピーディーに運ばなくては、と気は焦るが体と頭が働かない。昨夜の酒の所為だ、決してボケた所為じゃねぇと、己に言い聞かせる。だがノロイ、遅々として遅々である。

それでも何とかやり遂せたが・・・・。お味の方はどうかな?

反省だな、昨夜の風呂と酒の深さは=だぜ!KATUOにオーダーした棺桶の仕上がりは、まだまだ先だろうし。そんなことを思う次第だが、今夜はUSUI老が一月振りに姿を見せるそうだ。「高松」「ちょっぷく」「ローカーボ」「SEIJU」の中から何軒を廻ることになるやら。一杯やりながら、老の前立腺癌や奥方の大腸癌のことなど聞かないとね。今夜も忙しいか・・・。

 

 

 

 

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TOKYOは寒い

2015-02-02 | Weblog

2/2(月) 昨日の午後、KOCHIから帰京した。羽田から京急線で品川を経由して恵比寿、メトロで中目黒を経て学芸大学に着いた。中目黒駅ホームで東横線下り電車を待ったが、北風が吹き抜け、寒~いTOKYOを実感した。高知と比べちゃいかんだろうが、故郷はまるでワイハだ?

木曜日の午後に帰省したが、曇り空だったが暖かい。翌日は昼前まで小雨が降ったが、午後からは晴れて暖かくなった。二月振りに車を運転して、食料の買い出しに出かけた。夕食は「鍋」でもしようと、室戸の魚屋まで足を延ばして魚探しに行ったのだが、めぼしい獲物はなかった。なんのことはない、買ったのは冷凍のミナミマグロだった。

夜は従姉と、亡くなった従姉の長男で大工のKATUOが来て一緒に飯を喰った。いい加減に飲んだところでKATUOに言った『お前、俺の棺桶を創っとけよ』と。半ば冗談もあるが半分は本音だ。ただし、上手い具合に帰省中に逝ってしまわないと使えないのだが・・・。その棺桶に入れて、安田川から太平洋に送り出してもらう、骸になって西方浄土を目指。妙案ではあるが・・・難しいか。

そんな馬鹿っ話をして、翌日の夜も同じメンバーで一緒に飯を喰った。こんなことをしていると、喰い過ぎになるのだ。金曜日はマグロの刺身に鶏鍋、土曜日は、キャベツを使いたくて「ロールキャベツ」にハンバーグ、カニ爪(タラバ)にホタテバター焼き、大根の煮物などがテーブルに載った。結局、私の一月の減量作戦は有名無実、またしても仕切り直しとなった。

畑に出たのは土曜日の半日だけ。遅まきながら柿の木の枝を切り、枇杷の木も切った。そんなことをしながら、小芋を焚火の灰に埋めた。これが美味かったよ

蜜柑は温州が終わり、紅蜜柑は鳥たちに喰われながら少々残っていた。ピンポン玉位の大きさだが、仄かに香りがあって甘い。小さいくせにタネが多いのが難。八朔が取り入れ時期と云うので、半分ほど収穫して小屋に入れた。樹に残っているのは、文旦・小夏・甘夏にネーブルが少々。未だあったか。一個だけ成っている清美と晩白柚(バンペイユ)が・・・。

                      

                           晩白柚

何れにせよ、私の蜜柑は文旦と小夏を除いて木が若い。若木の実は旨味が不足している、これぞ若気の至りてぇやつだ。先月に収穫して籾殻に入れてあった『ポンカン』も、甘味が足りない。これじゃ他人様に差し上げる分けにもいかん、鳥様に上げるのがいいか?

                    

                     小 夏                   これは、ネーブル

家から4~5km奥のでは、畑の芋も大根も柑橘類 も、猿の襲撃で根こそぎやられているとのこと。こいつらは、イスラム国にでも売り渡したいものだが、向こうに行くともっと性質が悪くなりそうだ・。家の方の里山に下りてくるのも時間の問題か・・・畑に火を間欠泉するゴリラでも据えるか?

 

こんなことをして、昨日、北風の江戸に戻った。「都会の風の冷たさに込上げる涙・・・」か、平成の御世に昭和枯れ芒などはマッチしねえが・・・。

で、今朝も明け方に目覚めて、来し方行く末を思案したが、棺桶も直ぐには仕上がるまいと、弁当を作ることにした。

今日はステーキだぜ!またしてもアメリカンビーフの安肉だが。他にはオムレツと、出来合のシューマイ、そしてホウレンソウの胡麻炒めだ。超簡単な手抜きメニューと云えようが、今朝は何時もよりは早い出勤なんだ。内容よりもスピード重視てな次第。

              

やっぱ、この肉は旨いとは言えん。どちらかと云うと、濃い味付けにした方が肉のやな匂いを消してくれるだろう。牛は、和牛だね!

 

 

 

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