高校時代は川越で郷土クラブに所属していたワタシなのですが、古い商家にいきなりお邪魔して、地元の女子校の特権で、何処行ってもお茶やお菓子を振舞われたりして、とっても呑気な時間を田舎町で過ごしてました。。。

場所は移ってここは世田谷👀

そんな分岐路を滝坂道(淡島通り)から辿ってみると、いまでは一方通行の生活道路になっているようです。

前方にケヤキの高木が並んでいますが、幹の先には、数羽のオナガが群れています。
オナガは世田谷区の鳥。。
はっきりしっかりと古地図に描かれた分岐路は、どうやら、むかしはここが村の中心地だったからのようですね。。

その先、マンションのゴミ捨て場内にも、屋敷林の名残らしきイチョウの木が立っています。

そんなイチョウの前方には立派な神社が現れました。
ここは下北沢の鎮守様ですね❗️

そのすぐ道の先には、まるでゴールのように聳える木々と黒ずんだ門が見えています。
こちらのお寺は、江戸の頃は寺域に聳える大きな富士塚とここで処せられるお灸に大層ご利益があるという口コミで江戸の名所となり、辺りに茶店や宿もできて、たくさんの人が押し寄せたらしいのです。
古地図を見れば、今回もなかなか納得の歴史散歩になりましたね‼️

場所は移ってここは世田谷👀
淡島通りの淡島交差点近く。
江戸がいわゆる「江戸」でなかったむかしは、いまでいう、霞が関のようなところは、府中にあったため、古くからこの淡島交差点を通る滝坂道は、江戸から府中への主要な道だったとか。。
そして、うえの写真に戻りますが、交差点やバス停、また交番名などから、地元では充分通用する淡島という地名ですが、実は地図に載ってないため正式な呼び名ではありません。

そこで、明治初年の古地図をチェック👀
江戸がいわゆる「江戸」でなかったむかしは、いまでいう、霞が関のようなところは、府中にあったため、古くからこの淡島交差点を通る滝坂道は、江戸から府中への主要な道だったとか。。
そして、うえの写真に戻りますが、交差点やバス停、また交番名などから、地元では充分通用する淡島という地名ですが、実は地図に載ってないため正式な呼び名ではありません。

そこで、明治初年の古地図をチェック👀
当時、このあたりは広がる田畠や雑木林のなかにひとんちがポツポツあるような農村だったようですね。
どうやら滝坂道はこの淡島で、大きくカーブして北澤川を渡り、府中方向へと西に進路を変えて続きますが、この往還からの分岐道(赤矢印)に注目すると、なんだかこっちも本道とばかりに、はっきりと地図に描かれているのがわかります。
どうやら滝坂道はこの淡島で、大きくカーブして北澤川を渡り、府中方向へと西に進路を変えて続きますが、この往還からの分岐道(赤矢印)に注目すると、なんだかこっちも本道とばかりに、はっきりと地図に描かれているのがわかります。

そんな分岐路を滝坂道(淡島通り)から辿ってみると、いまでは一方通行の生活道路になっているようです。

前方にケヤキの高木が並んでいますが、幹の先には、数羽のオナガが群れています。
オナガは世田谷区の鳥。。
身体が青くて長い尾っぽはなかなかステキなんですが、声がダミ声なところが残念、、😅

そんな樹の下には朱塗りの立派な門がありますね❗️
史跡の欠片もなかった、ただの路地が、一気にヒストリーチャンネルになりました👏

大名家ならいざ知らず、赤門なんて凄いな。。。
屋根の彫り物も亀に龍とかなり凝ってるし。
古地図を見ると、ここには確かに赤筆で大きな屋敷が描かれているため、徳川家を接待した、由緒ある家柄なのでしょう。。

側にあった世田谷区の説明板をみると、こちらは下北沢本村の名主の屋敷だったようです👆
現在残っているのはこのベンガラ門とほんの僅かな屋敷林の木のみらしいが、それでも下北沢のような都会に保存されているのが素晴らしい❗️

近くには名主さんの子孫から譲られた敷地を利用した区立公園もありますが、入り口には屋敷門が残されていました。
なるほど🤔

そんな樹の下には朱塗りの立派な門がありますね❗️
史跡の欠片もなかった、ただの路地が、一気にヒストリーチャンネルになりました👏

大名家ならいざ知らず、赤門なんて凄いな。。。
屋根の彫り物も亀に龍とかなり凝ってるし。
古地図を見ると、ここには確かに赤筆で大きな屋敷が描かれているため、徳川家を接待した、由緒ある家柄なのでしょう。。

側にあった世田谷区の説明板をみると、こちらは下北沢本村の名主の屋敷だったようです👆
現在残っているのはこのベンガラ門とほんの僅かな屋敷林の木のみらしいが、それでも下北沢のような都会に保存されているのが素晴らしい❗️

近くには名主さんの子孫から譲られた敷地を利用した区立公園もありますが、入り口には屋敷門が残されていました。
なるほど🤔
はっきりしっかりと古地図に描かれた分岐路は、どうやら、むかしはここが村の中心地だったからのようですね。。

その先、マンションのゴミ捨て場内にも、屋敷林の名残らしきイチョウの木が立っています。

そんなイチョウの前方には立派な神社が現れました。
ここは下北沢の鎮守様ですね❗️

そのすぐ道の先には、まるでゴールのように聳える木々と黒ずんだ門が見えています。
おそらく、当時、この村道は一旦あそこで終着となったのでしょう。。

そんな、道の終着点がこちらの森厳寺。

そんな、道の終着点がこちらの森厳寺。
ちょうど、この日はお彼岸ですね。。。

門前に建つ常夜灯と並んだ江戸時代の石柱には、「淡島大明神」という文字がしっかりと刻まれています。
改めて、淡島の地名は、この森厳寺からきたんですね‼️

門前に建つ常夜灯と並んだ江戸時代の石柱には、「淡島大明神」という文字がしっかりと刻まれています。
改めて、淡島の地名は、この森厳寺からきたんですね‼️
こちらのお寺は、江戸の頃は寺域に聳える大きな富士塚とここで処せられるお灸に大層ご利益があるという口コミで江戸の名所となり、辺りに茶店や宿もできて、たくさんの人が押し寄せたらしいのです。
そして、この村道は江戸から来た身分を問わない大勢のひとらに踏み固められて、往還並みにしっかり整備されたために、古地図にもはっきりと描かれていた❗️というわけなんですねー。

門前には常夜灯と青山や祐天寺、目黒不動が刻まれた道しるべが残されています👀

境内の幼稚園の庭には、樹齢400年のイチョウの大樹が聳えています。
このお寺は家康の次男のために建てられたらしいので、その頃からのものでしょう。。。
富士山、大山、そしてこの淡島明神。。。
庶民で賑わう先にも後にも道ありき。

門前には常夜灯と青山や祐天寺、目黒不動が刻まれた道しるべが残されています👀

境内の幼稚園の庭には、樹齢400年のイチョウの大樹が聳えています。
このお寺は家康の次男のために建てられたらしいので、その頃からのものでしょう。。。
富士山、大山、そしてこの淡島明神。。。
庶民で賑わう先にも後にも道ありき。
古地図を見れば、今回もなかなか納得の歴史散歩になりましたね‼️