高校時代は川越で郷土クラブに所属していた私なのです。
川越の古い商家にいきなりお邪魔して、
むかし話を聞いてまわるのですが、
地元女子校の特権で、何処行ってもお茶やお菓子を振舞われまして、
そりゃあ、呑気な時間を田舎町で過ごしてました。
楽しかったな。。
∧( 'Θ' )∧
∧( 'Θ' )∧
場所は移ってここは世田谷。淡島通りの淡島交差点近く。
江戸がいわゆる「江戸」でなかったむかしむかしは、いまでいう、霞が関みたいな場所は、府中にありまして(説明 雑っ!)
滝坂道はそんな江戸と府中を結ぶ主要な道だったとか。
そんな滝坂道の一部で、246号の神泉交差点先から環七の若林陸橋までが、現在淡島通りと呼ばれています。
そして、うえの写真に戻ると、、、
周辺には淡島交差点や淡島交番などなど、その名に因んだ看板が、見られるものの、この淡島って地名は地図にないことに、最近気づいたわけなのですっ。
じゃ、淡島って、、、?
そんな疑問から始まった今回のお散歩なのです(`_´)ゞ
まずは、毎度の古地図アプリからっ( ̄Д ̄)ノ
明治初年の淡島あたりは、雑木林に畑に田んぼだったのね。。。
まんまの江戸時代!
滝坂道(地図中央の破線と実線で描かれた村道)は、
この淡島で、カーブして川を渡り、
南の方に進路を変えていくのだが、、、(緑矢印のほう)
そこから分かれていく村道(赤矢印のほう)もありますね!
しかも、まるでこっちが本道とばかりに、
しっかりまっすぐ地図に描かれているような?
なのによく見ると、
その先この村道ってどんどん先細りして曖昧になっていくんですね〜。
じゃあ、何のための道なのよ、、、。
(・◇・)?
ってなわけで、その不思議な分岐路に行ってみることに。
バス道路の淡島通りから一歩入ると、そこは一方通行で静かな道。
古地図ではしっかりと描かれていたが、かなり幅も狭いし。
前方に高木が並んでいるのが見える。
おまけに、幹の先には、数羽のオナガが!
オナガは世田谷区の鳥だし、何だか幸先よさそな予感。。。
そんな樹の下に、朱塗りの立派な門がある!
史跡の欠片もなかった、ただの路地が、まさかのオナガ効果で、
一気にヒストリーチャンネルにっ(=゜ω゜)ノ
大名家ならいざ知らず、赤門なんて凄いな。。。
ここは、かつての天領。
やっぱ、徳川家と関係あるお宅だったのかな〜?
屋根の彫り物も亀に龍とかなり凝ってるし。
古地図を見ると、ここには確かに大きな屋敷が描かれていますよ!
側にあった世田谷区の説明板を読んでみると、
どうやら名主の屋敷だったことが判明する。
残っているのはこのベンガラ門とほんの僅かな屋敷林の木のみらしいが、
それでも貴重な史跡ですっ。
近くには名主さんの子孫から譲られた区立公園もあったし。。。
やはり、これも公園の入り口が屋敷門なのね〜。
なるほど~(・◇・)
はっきりしっかりのこの道は、
むかしは名主ストリートだったってわけか。。。
その先、マンションのゴミ捨て場内にも、
屋敷林の名残らしきイチョウの木がニョッコリと立っていたな、、、。
そんなイチョウの前方には立派な神社が建ってます。
ここは地元、下北沢の鎮守様。
手前、石に掘られた名前の人も、ただの同姓同名なんかじゃありませんよ〜。
そして、その先。
まるでゴールのように、
あの門を目指してこの道があるかのように見えるではないか!
それはお寺だったのでした。
ちょうど、この日はお彼岸なのね。
門前に建つ常夜灯と並んだ江戸時代の石柱には、
「淡島大明神」という文字がしっかりと見えますぞ(=゚ω゚)ノ
調べるとやはり、淡島の地名は、この森厳寺に端を発しているようです。
このお寺のお灸に大層ご利益があることから、
江戸の名所となり、辺りに茶店や宿もできて、
遠くから、たくさんの人が押し寄せた、、、とか。
まっ、見たわけじゃないから、どんだけの人か知らんけど、
確かに古地図を見れば何となくは頷けるような~~( ̄。 ̄)
門前の石柱には、青山や祐天寺、目黒不動の文字が残ってます。
道に不慣れな参拝者が迷わないよう道しるべの役割、
今で言うウォークラリーみたいなものなのかな、、、?
境内の幼稚園の庭には、樹齢400年のイチョウの大樹が印象的!
このお寺はそもそも家康の次男のために建てられたらしいので、
その頃からずっと立っているということかな。
富士山、大山、そしてこの淡島明神。。。
庶民で賑わう先にも後にも道ありき。
古地図を見れば、より納得出来ました!
そんなわけで、滝坂道から分かれた道は、
現在でも淡島の名が残るほどのかつての江戸の名所、
淡島大明神へと続く立派な参拝道と、
立派な赤門を構える名主ロードだったのでした。
気まぐれ散歩は、また続く。。。のか?
川越の古い商家にいきなりお邪魔して、
むかし話を聞いてまわるのですが、
地元女子校の特権で、何処行ってもお茶やお菓子を振舞われまして、
そりゃあ、呑気な時間を田舎町で過ごしてました。
楽しかったな。。
∧( 'Θ' )∧
∧( 'Θ' )∧
場所は移ってここは世田谷。淡島通りの淡島交差点近く。
江戸がいわゆる「江戸」でなかったむかしむかしは、いまでいう、霞が関みたいな場所は、府中にありまして(説明 雑っ!)
滝坂道はそんな江戸と府中を結ぶ主要な道だったとか。
そんな滝坂道の一部で、246号の神泉交差点先から環七の若林陸橋までが、現在淡島通りと呼ばれています。
そして、うえの写真に戻ると、、、
周辺には淡島交差点や淡島交番などなど、その名に因んだ看板が、見られるものの、この淡島って地名は地図にないことに、最近気づいたわけなのですっ。
じゃ、淡島って、、、?
そんな疑問から始まった今回のお散歩なのです(`_´)ゞ
まずは、毎度の古地図アプリからっ( ̄Д ̄)ノ
明治初年の淡島あたりは、雑木林に畑に田んぼだったのね。。。
まんまの江戸時代!
滝坂道(地図中央の破線と実線で描かれた村道)は、
この淡島で、カーブして川を渡り、
南の方に進路を変えていくのだが、、、(緑矢印のほう)
そこから分かれていく村道(赤矢印のほう)もありますね!
しかも、まるでこっちが本道とばかりに、
しっかりまっすぐ地図に描かれているような?
なのによく見ると、
その先この村道ってどんどん先細りして曖昧になっていくんですね〜。
じゃあ、何のための道なのよ、、、。
(・◇・)?
ってなわけで、その不思議な分岐路に行ってみることに。
バス道路の淡島通りから一歩入ると、そこは一方通行で静かな道。
古地図ではしっかりと描かれていたが、かなり幅も狭いし。
前方に高木が並んでいるのが見える。
おまけに、幹の先には、数羽のオナガが!
オナガは世田谷区の鳥だし、何だか幸先よさそな予感。。。
そんな樹の下に、朱塗りの立派な門がある!
史跡の欠片もなかった、ただの路地が、まさかのオナガ効果で、
一気にヒストリーチャンネルにっ(=゜ω゜)ノ
大名家ならいざ知らず、赤門なんて凄いな。。。
ここは、かつての天領。
やっぱ、徳川家と関係あるお宅だったのかな〜?
屋根の彫り物も亀に龍とかなり凝ってるし。
古地図を見ると、ここには確かに大きな屋敷が描かれていますよ!
側にあった世田谷区の説明板を読んでみると、
どうやら名主の屋敷だったことが判明する。
残っているのはこのベンガラ門とほんの僅かな屋敷林の木のみらしいが、
それでも貴重な史跡ですっ。
近くには名主さんの子孫から譲られた区立公園もあったし。。。
やはり、これも公園の入り口が屋敷門なのね〜。
なるほど~(・◇・)
はっきりしっかりのこの道は、
むかしは名主ストリートだったってわけか。。。
その先、マンションのゴミ捨て場内にも、
屋敷林の名残らしきイチョウの木がニョッコリと立っていたな、、、。
そんなイチョウの前方には立派な神社が建ってます。
ここは地元、下北沢の鎮守様。
手前、石に掘られた名前の人も、ただの同姓同名なんかじゃありませんよ〜。
そして、その先。
まるでゴールのように、
あの門を目指してこの道があるかのように見えるではないか!
それはお寺だったのでした。
ちょうど、この日はお彼岸なのね。
門前に建つ常夜灯と並んだ江戸時代の石柱には、
「淡島大明神」という文字がしっかりと見えますぞ(=゚ω゚)ノ
調べるとやはり、淡島の地名は、この森厳寺に端を発しているようです。
このお寺のお灸に大層ご利益があることから、
江戸の名所となり、辺りに茶店や宿もできて、
遠くから、たくさんの人が押し寄せた、、、とか。
まっ、見たわけじゃないから、どんだけの人か知らんけど、
確かに古地図を見れば何となくは頷けるような~~( ̄。 ̄)
門前の石柱には、青山や祐天寺、目黒不動の文字が残ってます。
道に不慣れな参拝者が迷わないよう道しるべの役割、
今で言うウォークラリーみたいなものなのかな、、、?
境内の幼稚園の庭には、樹齢400年のイチョウの大樹が印象的!
このお寺はそもそも家康の次男のために建てられたらしいので、
その頃からずっと立っているということかな。
富士山、大山、そしてこの淡島明神。。。
庶民で賑わう先にも後にも道ありき。
古地図を見れば、より納得出来ました!
そんなわけで、滝坂道から分かれた道は、
現在でも淡島の名が残るほどのかつての江戸の名所、
淡島大明神へと続く立派な参拝道と、
立派な赤門を構える名主ロードだったのでした。
気まぐれ散歩は、また続く。。。のか?