心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

裸の字

2013-03-19 | 書の話
                             (全紙・部分)


週末は家に籠もって、ずっと作品と向き合っておりましたが、
紙と墨を無駄にし、腰が痛くなるばかりで 

1日経って画仙紙の山を捲ってみるも、しっくりくるのが1枚もなく。。

ひゃあ・・ひゃひゃひゃのひゃ~  

今日は仕事から帰るなり、墨磨り機に一人で張り切ってもらっておりますです。
あの力強く回転する音と、墨の香りは、おっし!という気持ちにさせてくれるのでして。

とは言え、今回は、なかなかスイッチが入らなくて、そうなるともう全然閃かなくて
何枚書いても同じことの繰り返し、というスパイラルに。。

なので、今更ながら、何が書きたいのかえ? と自分に聞いてみたところ・・
「作為のないものが書きたいなぁ・・」と 

書を勉強したいと思うきっかけになった、中川一政の書の展覧会─「裸の字」。
あの瞬間の感激を思い出しながら、そこに帰りたいという思いを、
もっと強く持って、自分と向き合えたらなぁって思っています 

・・・って、ブログに書いちゃうと、それもまたプレッシャーなんですけどね~
自分で自分の首絞めて、私も阿呆やなぁ。

ま、あんなこと言ってら~くらいに聞き流してやって下さい 
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迷うより

2013-03-16 | 書の話
                          (全紙・部分)


早くも3月半ば。
来月4月18日~21日まで、町田市民ホールギャラリーで開催の、
蘭秀会書展の作品制作中でして。

色々と迷ってばかりで、全然前に進めなくて困っとります。

とりあえず全紙に書いてみた作品のアップ写真。
全体を見てたらそうでもないと思っていたけど、こうしてみると
やっぱりどこか師のにおいがするのでして

ここから抜けたいと思っているのに、どこかでここに帰りたいと思ったり。
変なものですね
というか、なんだかんだと言っても、もう沁みついているのでして。

母と最近、そんな話を。
母は母で、全く違う世界の私の書風を横目で見つつ、時に迷い、
私は私で、同じような思いもあり。

でも、お互い初心に返ろうって話になり。
迷うより、信じて、楽しみたいです 

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甲骨文の「順心」

2013-01-27 | 書の話
                         (半切1/2)


甲骨文の「順心」

角川書店の書道字典には「順」の甲骨文字が載っていなかったので、
旁は「頁」の甲骨文字から。

原本はこんな感じ↓


左3つの心臓のようなのが「心」、右の2つは「頁」


なんともかわいらしい「頁」の印象を生かしたくて
お茶目に~と思って書いてみました
でもって、「頁」の部分は、順の如くきちんと正座をしている風に。

こちらは更にピュア?で、すっとぼけた表情に 




力強い線で白を攻める書も好きだけど、細い線で白を生かすのも好き。
あれもこれも好きって思うから、これぞ私っていうのが
いつまでたっても見つけられないのでありんす 


さて、今日は休日ということで、こんな笑える動画をば。
かなり笑った~  何度見ても笑える。。
ヤギと議論するときは注意~みたいなコメントがついてました 



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臨書の捉え方

2013-01-21 | 書の話
                    「氷壺玉鑑」 (半紙)


杜甫の句。心が氷のように極めて漂白な形容。鑑は鏡。
(新修墨場必携(上) 法政大学出版局より)

羊毛・長鋒の沙月で。
何子貞(何紹基)の張遷碑臨書↓を臨書するときに、この筆を使っていて。



同じ古典の臨書でも、会派や師によって、捉え方、表現の仕方は様々。
私の師は、上田桑鳩の流れを汲んでいるから、粘っこく腕力を使って書く臨書でして。
それゆえ、素直なまっすぐな線ではなく、くっくっくとひっかかりのある揺らぎのある線で。

初めの頃は、その「ひっかかり」の感覚がわからず、ただゆらゆらと曲線にしていたら、
「波線を書くんじゃないんだから・・」と 

何度か師が臨書されている姿を拝見していると、その線には
静かに溜めながら吐く息(呼吸)を感じ、あぁ、そういうことか、と 

他の会の方が臨書されているのを拝見したこともあるけれど、
感じ方、表現の仕方は色々あるのだなぁと思いつつ、
蛙の子は蛙じゃないけど、刷り込みみたいなもので、
やっぱりいいなぁと思うのは、師の書かれる臨書なり 

今日のは墨が乾いて硬くなった筆で書いたとはいえ、
私のは、まだまだ波線の域でございますねぇ 
息が短い・・! 
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表現するという行為は

2012-07-02 | 書の話


最近、ダンスの動画をあれこれと。
今日はMats Ek and Sylvie Guillem による Smoke  をば。

ストーリーも大事だけど、それよりも、からだそのものの動きが
観る人を惹きつけるのかなって思いながら。
二人の肉体表現には、人間のあらゆる感情が、生き物のようにまつわりつき
映像という異次元の世界と共存することで、更にドラマチックに。。



表現するという行為は、
無のまま、肉体のまま、湧き出るままに、ほとばしるままに、
湧き出る感情を紡いでいくことなのかなと思った。

だから、作り手の作為が感じられた瞬間に、
美も、共感も、喜びも、憎しみも、感じなくなるというか。

目的や結論はどうでもいいこと、というかそれは結果であって
結果には本当の感激はないような気さえする。

書もひとつの表現であるならば、筆と墨と紙に力を借りながら
肉体と魂の奥深くから滲み出る線、空間を、吐き出してみたいものであ~る 

もちろん、鍛えられた肉体同様、線の鍛錬なくして為し得ないことではあるけれど。

なんか眠くてちょっと支離滅裂かもだけど、今日はこんなとこで 


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書が運んでくれたご縁に感謝

2012-06-21 | 書の話
                       (半紙)


今日午前中は書道教室。
今は、造像とかぶっとい線の古典を勉強されてる方がいなくて、
久々に、腹の据わった感じをイメージして書いてみたなり 
これは木簡、漢簡集字千字文から。

私の師は、同じ古典でも人によって臨書が全然違っていたのでして。
あんたはこんな感じが好きやろ、とか、
今あんたには、これが足りないからこんな風に勉強してみなさい、とか。

その横で正座しながら、ふ~ん、なるほど~って見比べたりしながら
育ってきた?のでして 

今日の教室で、「どうしたらそういう自由な発想ができるようになったんですか?」
みたいなことを聞かれて 

自由かどうか、それがいいのかどうかもわからないけれど、
たぶん、そんな風にご指導して下さった師のお蔭なんだと、改めて感謝。
私もいつも、同じように、その人らしい臨書を探しているのでして 

以前ご紹介した小坂奇石文集 に、臨書は、意臨より形臨をとの文言があり、
耳が痛い・・と思う部分もある。でも私はやっぱり、意臨を探したい 

言い訳だとわかってはいるけど・・私にとって書は目的ではなくて。

臨書をしていく中から、人と人、自然とのつながり方や、生きるヒントみたいなのを
たくさん気づかせてもらっていて、それを、もっと自由でおおらかな心でもって
表現したり、体験していく中で伝えていきたいんだなって思うのでして 

正しいことが全てじゃないって思うから。
ぶさいくだったり、情けなかったり、無器用だったり、それもまたよろしってね。
たぶん正しいことから逃げてるんだと思うけど、こんな風にしか生きられないのでして


さて今日は、60代でいらしてから、かれこれ20数年通って下さったMさんが、
残念ながら教室を去られることになり、昨夜書かれたという般若心経をお持ち下さり。

4年前、趙子昂行書千字文を半切に全臨された こともあるMさん、
今回もその集中力、根気、そして何よりも美しく凛とした書風は、お人柄そのものです。

いつもおっとりとした笑顔で、母や私のことも見守って下さっていたので
とても寂しく残念ですが、感謝の気持ちで一杯です 

書を通して頂いたご縁に感謝です。


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自分は自分の

2012-02-20 | 書の話

                  (半紙)

 

 

 

今日は母の書をば。

裴迪(はいてき)の詩。「鹿柴」(ろくさい)

               

 日夕見寒山  日夕 寒山を見ては   日が暮れて寂しい山を見つけると
 便為独往客  便ち独往の客と為る   たまらず一人で山中へ分け入った
 不知松林事  知らず 松林の事    松林の奥には何があるのか
 但有麏鹿跡  但だ麏鹿の跡有るのみ   あるのはただ、鹿の残した足跡だけ

 

 

やっぱり母の師、中平南谿先生 の気配を感じるのでして。

 

母の書は、意外と潔くて、率直でさわやかな印象です。

「書は人なり」とはよく聞きますが、母は本来、そういう人なのだと思います

 

私は母の書に憧れつつ、でも母とはまた別の書に出会い、求めてきましたが、

結局行き着くところは、自分自身なのかな、と。

 

それはたぶん母も同じで、全く違う世界の書を、横目で見ているうちに

好みや興味も広がる部分もあったようですが、やっぱり自分は自分でしかない。

 

母は母の、母らしい世界を、私は私の、私らしい世界を

それぞれに信じて信じて、とことん自分と向き合っていけたら

まだまだ知らない自分に出会えるんじゃないかな、という期待も少々。

 

かく言う私は、いい年こいて、自信もなければ、迷い焦ってばかりでしたが、

ようやく、迷路を抜け出す扉を見つけられたような気がしています。

 

 

この1ヶ月、3月に 京都で二人展 をさせて頂くにあたり、

展覧会の作品について、私にとっては、禅問答のような命題をいくつか頂いて、

そのたびに、自分の中で混乱しては振り出しに戻り・・を繰り返し。

そのお蔭で、ふっきれたものもあり、気づいたものもあり

 

よい展覧会になるよう・・感謝を込めて。。

 

 

 

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あなたはどんな「途」?

2011-11-17 | 書の話

                  「途」  (半紙1/2

 

 

今日午前中は書道教室。先週と今日は、教室の体験教室をば。

嬉しいことに、先週と今日も数名の方がお仲間に

 

 

皆さま、とても熱心に半紙に向かわれて。

まずは、欧陽詢(おうよう じゅん)の楷書基本帖を、母が臨書したものをお手本に

点・横に一の字、縦線からスタート。

 

それから口・主・正・・と、点・線から成る文字、左右の払いのある文字とを

書いていき、自分で1冊の折り帖を完成させるのが、最初の目標。

 

今日、母の折り帖や、お稽古の模様の写真を撮ろうと思っていたのに

バタバタしていてすっかり忘れてしまったので、またの機会にでも。

 

新しい出会いに、私も母も刺激とパワーを頂き。 

 「書が好き」という同じ思いを重ねつつ、

人と人のつながりも大事にしていけたらなぁって思います。

 

皆さま、どうぞよろしくお願いします 

 

 

で。

いつもの宿題ってことで、今日のお題は「進」と山頭火の句。

久保田さんの「進」を写真に撮ってあったのに、間違えて消してしまい。

(久保田さ~ん、ごめんなさい。よかったらまた次回お持ち下さい

 

それは、半紙を横長の1/2にして、右側に「隹」を書いて、

しんにょうは左からずずいと右に伸ばして書いた作品で、それがとても素敵でした。

 

私だったら、「隹」は思い切り左で、しんにょうの長さを強調したくなるところだけど。

・・ってことで、今日の「途」。そうこんな感じにしたくなる。

 

皆さんそれぞれ、のんびり「進」や、軽やかだったり曲がりくねりながらの「進」やら。

何気ない一文字にも、その人の個性や人生が見えたりするのでして。

  

 

最初の「途」は・・しんにょうをぐっぐっぐ・・と、ふんばりんながらも着実に

歩いている「途」をイメージして。

↓は、力図よくあっけらかんと進む「途」って感じかな。

 

 

 

 

背景を変えることで、印象も変わることもあるわけで。

 

 

さて愈々、12月の展覧会の作品工作の道具が日曜日に整うので、頑張りま~す。 

え? まだだったの?って 

 

自主制作ゆえに見栄えに多少の心配もあるけれど、これも経験、勉強ってことで楽しみま~す

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とことんやれば

2011-11-07 | 書の話

                     (半紙)

 

 

夏頃書いた「仍辟涼州」。 

原本は木簡だったかな・・。極細面相筆で。

遊びすぎだけど。。

 

 

ところで、バランスというのは、どこにいても見えてくるものでして。

1枚の写真、窓の外に見える景色、キッチンにならぶ調味料、

反対側のホームに並ぶ人の風景、駐車場の車、日向ぼっこをしてる野良猫たち・・

 

そこにあるバランスは、偶然だったり必然だったり。

そんな日常の中でも、自分にとって、居心地のいいバランスを探すのが好き 

 

たった1枚の半紙の中にも、それぞれのバランスがあるわけで。

バランス=均衡・均等ではなくて。

 

これが正しいバランスだ、なんてのはたぶんないのだから、

恐れずに、自分なりのバランスをとことん追求すればいいんだって思う。

そう、なんでもとことんやってしまえば、それはもう個性になるんだって思う 

 

書TENという発表の場を与えて頂いたお蔭で、

ちょっとづつ、私らしさを確認中。 感謝に深謝

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赤井清美偏 篆隷字典

2011-11-05 | 書の話

                    (半紙)

 

 

金文による「萬光」。

極細面相筆で。

 

原本はこれ↓

 

 

 

光という文字には、祈りのポーズのようなものを感じる。

萬という文字は、宇宙人のような、なんとも愛嬌のあるお姿 

 

これを縦に書こうと思うと、空間が平凡になりそうなので、横書きに。

「萬」を長く上下いっぱいに伸ばして、「光」は上の空間を残して

祈りと感じた印象をそのままに、書いてみたなり。

 

どうも私は、横書きの方が好きなのでして 

 

 

ところで、今日は神奈川書家三十人展に行くつもりで、

その前にちょっと書作のアドバイスを・・と実家に寄ったら、

風邪気味もあって、断念してしまい。。

 

母が一人で初日に行って、図録を求めてきたというので、

今回はそれを眺めることでお許し頂くことに。。

明日図録の中から何点かご紹介しまする。

 

で、母が部屋を整理していたら出てきたという、分厚い篆隷字典を

あなたにあげるわと。 今日の原本はその字典から。

 

家も狭いからいらないのに・・と思ったけど、帰宅して開いて見たら

なかなか楽しい字典でして 

 

 

出版社の記載がなく、赤井清美 編とあるので検索してみたら、書家でいらっしゃるよう。

字典の紹介から、ご本人の書作などもあるHPはこちら→赤井清美 文墨に楽しむ

 

書籍の頁は ここをクリック 

作品ギャラリーの頁は ここをクリック

 

シャープで瀟洒な作品も興味深く拝見。

まだまだ知らない世界がたくさんあるなぁ・・と 

 

母&父?に、素晴らしい字典をありがと 

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