「愚如」 70cm×70cm パネル
さてさて、昨日はさすがに朦朧としてましたが、今日はすっかり回復したので 遅くなりましたが、京都 うつわ屋めなみさんでの二人展の模様をば。
1階にあるうつわ屋めなみの入口右にある扉を開けると、やさしい光の差し込む玄関が。 そこに藤澤さんの鯰の器と一緒に、書画作品の折本。
そして階段を上って2階のギャラリーへ。 最初の写真の「愚如」は、本当は階段途中の高い壁面に飾っていたのですが・・
これ、わりと軽いので、両面テープつきのフックをつけて紐で吊っていたんですが、 あれこれ調整しても、どうも落ちてしまいまして・・。 その下には藤澤さんの器もあって危険~ってことで、階上のこちらに鎮座してもらいました。
後日、その階段途中には、書TEN出品作でしたが軸を持参。
そしてギャラリーに入って左側。
反対側、正面はこんな感じ。
真ん中は「貫」、左は、DMに使った半切1/4の「愚如」、右は「陶天真」。
で、これがDMに使った作品。 真ん中の色があるのは何?って聞かれて、あれ? あは。真ん中は鯰さんです。 今回、藤澤さんが鯰の器を作るというので、私も鯰を描いていいですか?と。
この二人展をやるにあたってですね、藤澤さんからこんなイメージを頂いてて。
今回のテーマは、「愚の如く~出会いを求めて」。 そして、この部屋を「屋形船」に見立てて、この正面は舟の先端として そこにあなたの哲学を見せて欲しい、と。 く~むずかしい~って悩んで悩んで。
で。 愚の如く(まわりからは愚者に見えても好きなことを積み重ねていくこと)を貫く、 そういう思いを込めて、正面にかけたのが「貫」の文字。
これにはいろんな感想を頂いて。 人の姿に見えるね、とか、頑固そうな顔に見えてくるね、とか。 それって書いた人に似てるんじゃない?とか
初日に千葉からいらして下さった書の大先輩には、「ちょっと窮屈に見えるな」とか。 う~ん、なるほど。確かに。 もう一方、滋賀からいらして下さった書の大先輩も交えて、 刺激的な書談義、人生談義、ものづくり談義は、また後日。
でも、この「貫」は、今回自分では一番好きな作品です。 リンクさせて頂いている「父ちゃん坊やの普通の写真」ののぼるさん が モノクロで素敵に写真を撮って下さってますので、ぜひ~
25日に着物美人のお友達の方といらして下さり、「のぼるです」って言われた時は もうびっくりして、思わず部屋を1周走ってしまいました
今回は、ブログを見て来て下さった方がたくさんいらして下さって、 お目にかかるのは、はじめまして~なのに、なんだか不思議な感激でした。 そのうれしい出会いのお話もまた後日。
この日の陳列作業のあと、めなみの女将さんが「御料理のめなみ」での お食事にお誘い下さり、藤澤さんと三人で。
器と御料理とお酒は、目と味と楽しい会話で、しあわせなひと時でした
おばんざい盛り合せ 生ゆば造り・京人参のきんぴら・のれそれ酢・牛肉しぐれ煮・ふきの葉巻
のれそれって、初耳、初味でしたが、あなごの稚魚↓だそうです。
わかめと小魚、えびと青海苔の天ぷら
お刺身とほたるいかの酢味噌和え
このあと場所を変えて、深夜までまだまだ話は尽きず。 翌日、それでも眠気ひとつなく、無事初日を迎えられました
今回一緒にとお声をかけて下さった藤澤さん、 何から何までお世話になりっぱなしだった女将さん、めなみの神田さん、 遠いところからも会場にお越し下さった皆さま、そしてこのブログを見て下さっている皆さまに、 感謝の気持ちでいっぱいです。 ありがとうございました
二人展レポートの続きはまた明日。 明日は藤澤さんの器を中心にお届けします
「貫」という文字、かっこいい! なんか背筋が伸びました。
私もいつか実物が見たいなぁ。
「貫」は今回の作品の中で自分では一番好きです。何人かの方にもそう言って頂けて、一人でむふふ~となってます。
ありがとうございま~す
「貫」素敵です。
ほぉ~と見入ってしまいました
背中に光を受けて歩いている姿のようです。
のぼるさんのブログにお邪魔して拝見しましたら、山頭火さんのように見えました。
TOPの「愚如」の点画の距離感にもウットリです。
見せていただいて、ありがとうございました
「貫」は、どなたかにも、そう山頭火が歩いてるように見えるって言われました。
文字そのものの意味からくる印象もあるんだと思いますが、それを裏切るような作品も書いてみたいです
ウットリだなんて・・でもうれしいです。
ありがとうございます♪
「愚」の欠点を補って余りあります。
弓道の病に早気というのがあるそうで、矢を射るときに、自然と矢が放たれるのを待たずして射ることに逸る心を抑えきれず矢を放ってしまうことだそうで、この病にかかると、なかなかそこから抜け出せないそうで、抜け出すのにえらい苦労をするそうです。
「愚」の欠点がまさにその「早気」に似たところがあるような気がします。
同じく矢を放った後に「残心」という所作があるのですが、余韻ともいうべきものでしょうか。
そういった一呼吸が、筆を紙面に下す前にも必要であろうかと思い居ります。
それが書の良し悪しに少なからず関わっているような気がします。
「愚」はちょっと力んでますね。力みが心の逸りとなったのでせう。
自分の中のリズムとしては、愚の如く鼻息荒く走り抜け、「如」で息を整えたといった感じでした。
書の魅力のひとつは、リズム、呼吸の余韻でもありますね。勉強になりました。
ありがとうございます(^^)