「進」 (部分)
今起きていることは、自分の仕業。
誰のせいでもなければ、因縁のせいでもない・・って思う
・・って言うか、思うようにしている
たとえば何かの因縁のせいだって思ったら、何かにすがりたくなるかもしれない。
神頼みってやつだ。
私の場合、目の前で起きていることを
自分の五感で捕らえ、掴み取るものを信じたいわけでして
宗教は、時に人を救うものではあるけれど
たとえば、ご先祖様の祟りじゃ~ってセリフ、あれは仏さまが聞いたらどう思うやら。
「わたしゃ、そんなにちっちゃい奴じゃないぞえ~ 」
・・でもって、そんなことより、自分を見よ!ってね。
そうそう、禅語にもある。
「却下照顧」(きゃっかしょうこ) 己の足元を照らせ!って意味。
どんな時にも焦らず飾らず、捉われず、我が身、我が心を振り返るべしって感じかな。
どんな自分ともこつこつと向き合っていけたら、
これもあれもまた楽しって、日々刻々を味わえるような
今起きていることは、誰のせいでもなければ、因縁のせいでもない、
自分自身の仕業なのだと思えたら「生かされてる」ってことに感謝できるような
さまざまな書体、書風を学び表現するってことには、
そんな生きるヒントも隠れているのでありまする
(↑)先日の茅山先生のお寺での遺墨展の折にも、トイレにこのことばが。
トイレにあるのは、履物を揃えよの意味もあるようだけど。
今起きていることは、自分の仕業。
誰のせいでもなければ、因縁のせいでもない・・って思う
・・って言うか、思うようにしている
たとえば何かの因縁のせいだって思ったら、何かにすがりたくなるかもしれない。
神頼みってやつだ。
私の場合、目の前で起きていることを
自分の五感で捕らえ、掴み取るものを信じたいわけでして
宗教は、時に人を救うものではあるけれど
たとえば、ご先祖様の祟りじゃ~ってセリフ、あれは仏さまが聞いたらどう思うやら。
「わたしゃ、そんなにちっちゃい奴じゃないぞえ~ 」
・・でもって、そんなことより、自分を見よ!ってね。
そうそう、禅語にもある。
「却下照顧」(きゃっかしょうこ) 己の足元を照らせ!って意味。
どんな時にも焦らず飾らず、捉われず、我が身、我が心を振り返るべしって感じかな。
どんな自分ともこつこつと向き合っていけたら、
これもあれもまた楽しって、日々刻々を味わえるような
今起きていることは、誰のせいでもなければ、因縁のせいでもない、
自分自身の仕業なのだと思えたら「生かされてる」ってことに感謝できるような
さまざまな書体、書風を学び表現するってことには、
そんな生きるヒントも隠れているのでありまする
(↑)先日の茅山先生のお寺での遺墨展の折にも、トイレにこのことばが。
トイレにあるのは、履物を揃えよの意味もあるようだけど。