「登って下っての四国旅行記(その10・香川編⑨)」のつづきは、丸亀城
正門たる大手門に近づいていきますと、
お堀にいるのは白鳥?
確かに白鳥だったのですが、大手二の門に向けて架かる石橋からお堀を見下ろすと、そこにいたのは、、、
ここにいれば餌をもらえると知っていて群れているのでしょうけれど、それにしても、この数は何だ
たまぁ~に彩り鮮やかな鯉がいたりして…。
Wikipediaによると丸亀城ば、
丸亀市街地の南部に位置する亀山(標高66メートル)を利用し、縄張りはほぼ四角形で亀山の廻りを堀(内堀)で囲む、輪郭式の平山城である。
だそうで、この「亀山」が、形が「亀」だったのか、
多くの亀が生息していたからなのか、逆に、
「やはり丸亀城には亀だろう
」と亀が放されたのか不明ですが
、なんと亀の多いこと
なんだか「」説が有力ではないかと思いつつ、大手二の門をくぐって入城しました。
城内に入って、まず目に止まったのは、こちらのゴミ箱。
一番上が、最初に丸亀城を築いた高松藩主・生駒家(出羽・矢島に飛ばされたあの生駒氏)の生駒車紋、一番下が、生駒氏の次に丸亀城に入った山崎氏の扇紋、そして真ん中が山崎氏の血統が絶えた後に丸亀藩主となり幕末まで続いた京極家の平四ツ目(結)紋です。
紋所に興味津々の私にとってグッとくる
ゴミ箱でした。
ちょいと話がズレますが、「扇」の紋所を使っていた大名としては、「五本骨扇に月丸」の佐竹氏と「檜扇に違い鷲の羽」の秋田氏が思い浮かびますが、どちらも私の故郷・秋田と縁の深い家なんですな。
ただの偶然でしょうか?
つづき:2014/10/07 登って下っての四国旅行記(その12・香川編⑪)