今夜、かなりかなり衝撃的なことがあって、かなりかなりショック
を受けている私ですが、その衝撃を薄れさせる効果を願って「登って下っての四国旅行記(その11・香川編⑩)」のつづきを書きます。
私が丸亀城を訪れた9月14日の夜、徳島のホテルで、この日撮った写真をSDカードからPC
にコピーしていますと、撮った記憶のない写真
が何枚か記録されていることに気づきました。
そんな1枚がこちら
左側に写っているのは何?
まるで心霊写真のようですが、ここに写っているのは、大手二の門をくぐって左に進路をとり、三の丸に向かう「見返り坂」です。
「見返り坂」というのは、
傾斜が急で、時々立ち止まって振り返りたくなることから、いつしかそう呼ばれるようになりました。頭上に覆いかぶさる木々が、四季折々の美しさを覗かせ、心をなごませます。
と説明されているように、かなり急な坂でして、私には「心をなごませます」なんて余裕はありませんでした
平地から一気に登ったものですから、三の丸で、もうこんな眺めでした。
「讃岐富士」こと飯野山がど~ん
大手門から三の丸までと比べるのもに失礼なほど、三の丸からちょこっと登ると、もう二の丸。
「高いところ好き」の私としては、二の丸からも下界を見下ろしたいわけでして…
瀬戸大橋(本州四国連絡橋)が見えました。
「3つの吊橋と2つの斜張橋、1つのトラス橋」と「これらをつなぐ高架橋」からなるこの橋を渡ると、倉敷方面とつながっているのだそうな。
東京目線からは、「本四連絡橋を3ルートも作る必要があったのか ムダづかいだったんじゃないのか」と思ってしまいますが、3ルートそれぞれに、両岸界隈の人たちにとっては有用なんだろうな…
とも思ったりして…。
でも、一方で、とても通行料でコストを回収できない橋を作ってしまったのは、少子化が進む日本の国策として適切だったのか疑問に思って、かなり複雑な気分でした。
ところで、二の丸跡には古井戸がありました。
こんな高いところ(「相対的に高い」です)に井戸があるなんて と思ったら、
丸亀城で最高所にある井戸です。現在も水を湛え、城絵図によると深さは36間(約65m)あります。
だとか。
丸亀城は、天守のある頂上の標高が65mの亀山に築かれたといいますから、この井戸はふもとよりもっと深く掘られているんですな。
なるほど、理屈に合います
と、納得したところできょうはお終い。
もう今夜の「MISIA アフリカの風」の放送も終わりますし…(今夜の最後の曲は「The Rose」だ)
つづき:2014/10/08 登って下っての四国旅行記(その13・香川編⑫)