新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

(秋田)県南小旅行記(その1)

2016-08-27 21:56:26 | 旅行記

書きかけ or 未着手旅行記が、福岡旅行(秋田)県南旅行2本あるのですが、さて、どちらから書こうか…

と、しばし考えた末、先週の県南旅行旅行記を先に仕上げることにします。
今夜は「大曲の花火」があることですし…(さほど意味はない

   

今回の県南旅行のきっかけは、ハフィントンポストに載っていたこちらの記事でした。

「茅葺き屋根を残すために、町ごとアートに。 地方創生の未来と、秋田・田代の人たちの想い。」と題するこの記事を見つけたとき、「秋田・田代」という地名にピンと来ました。
もしかして私の高校時代からの友人で、今も正月・夏に帰省したときに欠かさず飲み会を開催しているメンバーの一人が住んでいる秋田県雄勝郡羽後町田代のことではなかろうか? と…。

記事を読むと、まさしく羽後町田代のお話。

秋田県羽後町の田代(たしろ)は、つづら折りの峠道を登った先にある山間の集落だ。のどかな里山風景と昔ながらの茅葺き民家が数多く残る田代地区の別名は「鎌鼬(かまいたち)の里」。鎌鼬とは、つむじ風に乗って現れる人を鎌で切りつけるイタチの妖怪、もしくはその現象のことを指す。そしてこの地に2016年9月に「鎌鼬美術館」が誕生する。

という内容でした。
というか、この記事のメインは「鎌鼬美術館」ではなく、

そもそも田代がなぜ「鎌鼬の里」と呼ばれるようになったのか。それは、51年前に田代に突然現れて、里の人たちの前で道化を演じ、つむじ風のように去って行った秋田出身の舞踏家・土方巽(ひじかた・たつみ)の記憶に由来する。
1965年(昭和40年)、秋。稲の収穫期を迎えた田代に奇怪な男が現れた。男は稲を天日干しするための稲架(はさ)のてっぺんに登り、赤ん坊をさらって田畑を疾走し、村人の輪に入り戯れ、呆気にとられる子供らの眼前で跳ね、少女をかどかわすような行為に及んだ。今の時代ならば即、通報ものだろう。
だが、これらはすべて土方巽と、彼の才能に惚れ込んだ写真家・細江英公(ほそえ・えいこう)によるアートプロジェクトだった。

と、土方巽+細江英公のアートプロジェクトでした。

そして、記事に載っていたこちらの写真を観て、あれっ?、この写真、観たことある と思いました。

と書いたところで、NHK BSプレミアム「大曲の花火」中継に見入ってしまって、洗濯物の取り入れも忘れ夕食も忘れ、、、、と、ブログを書くのも忘れていました

ここ数年、NHK BSプレミアム「大曲の花火」の中継を観ていた私ですが、今年は、各競技者の作品も、前年の内閣総理大臣賞受賞者(イケブン)による特別プログラムも、名物大会提供花火も、フィナーレも、全部、見事な出来映えで、他のことに手がつかなかったのが実情です。

放送が終わったら、なんだかますます「他のことに手がつかないの感が強いもので、激しく不本意ではありますが、今夜はこれまでとさせていただきます。

ホント、中途半端で申しわけございませぬ。

つづき:2016/08/28 (秋田)県南小旅行記(その2)

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