「(秋田)県南小旅行記(その2)」のつづきです。
「羽後町総合交流促進施設(旧長谷山邸)」の土間に入ると、旧長谷山邸の模型が展示されていました。
こんな風に、母屋と蔵が配置されているのですよ。
後ろのポットが邪魔…
それにしても、蔵が「蔵」に見えなくて、そして、背が高い
そんでもって、土間から上がると、広ぉ~い板の間囲炉裏添え
遠山記念館東棟の囲炉裏の間にも負けないくらい広い
広いだけでなく、部屋の隅には電話BOXまで装備する無敵
の囲炉裏の間です。
んでもって、隣の部屋にも囲炉裏がありました。
ん? そういえば、私が小学3年生まで住んでいた家にも囲炉裏のある部屋が二つ
、それも続けてありましたっけ…
もっとも、どちらも旧長谷山邸と比べるまでもなく狭かったのですが
それはともかく、母屋から渡り廊下を通って蔵へ…
この渡り廊下を見るだけでも、やはり「普通の家」ではありませんな。
んでもって、「蔵」の2階に広がっていた光景は、
見事な小屋組もさることながら、また、無造作
に衣桁に掛けられた裃もさることながら、右に見えるのは土蔵の上部か?
どう見ても土蔵です (裃がヨレヨレ~
)
土蔵が木造の建物の中に入っている
ちょっと混乱しながら、ガイド役の友人
に誘われるまま、「蔵」の3階に上がると、、、、
おわぁ、大広間
旅館か料亭のような大広間がありました
そして、「長谷山氏の高楼新築」を祝うこんな「書」が。
この書の末尾にある署名を見ると、
「明治甲辰」ですから、明治37年(1904)で、説明板による蔵完成
の2年後なんですな。
ところで、この書を書いた人、「従二位平朝臣時萬 73歳」って誰?
「平朝臣(たいらのあそん)」って、百人一首の詠み人のように時代がかっていますが、「従二位」というくらいですから、かなり高貴
な方…
調べると、すぐに見つかりました
こちらを見ると、「幕末~明治時代の公卿交野時萬(かたのときつむ)」の筆蹟はこの書と一緒です。
なるほどねぇ~
何が「なるほど」なのか自分でも判りませんが、高い場所だけあって、良い眺め
それにしても、この大広間で宴会をやるとなったら、お給仕はさぞかし大変
だったろうな…
なにせ、母屋の台所から、渡り廊下を通って、急な階段を昇って来なければならないのですから。
長谷山家の歴代当主の一人、長谷山行毅さんの肖像画
と勲章&勲記(勲三等旭日中綬章
)を拝見したのち、1階まで降りました。
と、ここでちょっと寄り道。
長谷山行毅さんは、1950年の第2回参議院議員選挙で秋田県選挙区から選出され、1期6年だけ参議院議員を務められたようです。
ところが、2期目を目指した1956年と、返り咲きを目指した1962年の参議院議員選挙では、日本社会党の鈴木寿さんに敗れて政界を引退したらしい。
そういえば、秋田ではどうしたことか、社会党が強かった時期がありましたっけ…
ということで、旧長谷山邸の「蔵」の謎を解明できていませんが、きょうはこれまで。
つづき:2016/08/30 (秋田)県南小旅行記(その4)
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