7月16日の「南九州旅行記(その10:熊本編の結)」のつづき、ようやく旅行3日目、鹿児島編の始まりです。
多くの時間を知覧訪問に費やしたこの日(5月1日)の行動は、以下のとおりです。
ホテル⇒ホテル周りを散歩
⇒鹿児島中央駅⇒路線バス
⇒特攻観音入口バス停⇒知覧特攻平和会館⇒ミュージアム知覧⇒徒歩
⇒知覧武家屋敷群⇒徒歩⇒亀甲城趾⇒徒歩
⇒武家屋敷入口バス停
⇒路線バス⇒鹿児島中央駅⇒徒歩
⇒加治屋町界隈⇒ホテル
ホテルで朝食を摂ったあと、身支度して、ホテル周りの散歩から行動を開始しました。
ホテルのすぐ近くを流れる甲突川に架かる橋(高見橋)が賑やかでした。橋を渡る人やクルマで賑やかというよりも、彫刻が賑やか
北側の歩道脇では子どもたちがはしゃぎまわっていました。
銘板によれば「母と子どもの群像」という作品だそうですが、「母」がいません。
と、「母」は、車道を挟んだ反対側、南側の歩道脇で「子どもの群像」を見守っていらっしゃいました。
芸が細かい
そして、橋を渡りきったところにそびえ立っていたのが、
大久保利通公の像でした。
なんとも「鹿児島に来たぞ」という気分が高まります
すぐそばのライオン像(地元のライオンズクラブが建てたらしい)が意味不明ですが…
さて、甲突川の土手にある遊歩道(歴史ロード「維新ふるさとの道」)に魅力を感じつつも、そこは後回しにして、電車通りを進み、加治屋町交差点を右折。
そこで建物好きの私をときめかせたのが、こちら
鹿児島中央高校です。
学校のHP(ブログ)によればこの校舎(国の登録有形文化財)、
本館は,県立第一高等女学校の校舎として県の技師岩下松雄氏により設計され,昭和10年に竣工しました。
竣工直後は陸軍大演習の大本営がおかれ,また,行在所となり,昭和天皇が7日間滞在されました。
その後,県立第一高等女学校の校舎として,昭和24年からは県立鶴丸高等学校の校舎として使用され,昭和39年3月から鹿児島中央高校の校舎として使用され現在に至っています。
創建当時は鉄筋コンクリート造りによる校舎は珍しく,しかもその造りには数多くの意匠が凝らされています。とくに正面玄関の階段室をもつ建物隅部の内部構造は,空間との調和をかもし出す造りとなっており,現在でも創建当時の美しさを保っています。
だそうです。
これを読むと、内部も拝見したい気持ちが高まります
この加治屋町界隈は、多くの明治の元勲を輩出した街だそうで(こちらのサイトをご参照方)、鹿児島中央高校の向かい側には、「元帥公爵大山巌誕生之地」の堂々とした石碑が立っていました。
さらに、この先の十字路を右に曲がり、「維新ふるさと館」に向かう道を進むと、左側に「西郷隆盛誕生地」があります。
さすがに西郷ドン、扱いが違います。石碑があるだけでなく、一角が小さな公園になっています。
ところで、西郷隆盛さんがこの地で生まれたとなれば、実弟の西郷従道さんはどうなんだ?
と思ったら、西郷隆盛さんのこの立派な石碑の傍らに、
ちんまりと従道さんの碑が立っていました。
しかも、隆盛さんの碑が蒼々たる面々の連名(下の方々)で、明治22年(1889年)に立てられた一方で、
従道さんの碑は、「明治100年記念」といいますから、兄上の碑が建てられてから80年後の1968年
う~む…的な扱いの違いです。
西南戦争で賊軍として自刃した隆盛さん、政府軍に留まった(陸軍卿代行として東京にいたらしい)従道さん、鹿児島の人たちのこの兄弟に対する感情が垣間見える気がしました。
「維新ふるさと館」の前を通り過ぎ、歴史ロード「維新ふるさとの道」を横切って鹿児島中央駅に向かおうをしたところ、「二つ家と呼ばれる住居形態」の展示に足を止めました。
下級武士の居住地だったという加治屋町界隈には、こうした武家屋敷が並んでいたのでしょう。
いやいや、「武家屋敷」と呼ぶにはかなりこぢんまりしています。
「なかえ」と呼ばれる「生活の場」は、農家のものとそう変わらない雰囲気ですが、それでも、「おもて」の玄関は、いかにも武士の住宅らしく、凛としていました。
縁側のたたずまいもなかなか…
知覧行きのバスの時刻が近づいてきていましたので、そそくさと木造の南州橋を渡り、鹿児島中央駅を目指しました。
ナポリ通りに出て、鹿児島中央駅へと歩くと、右手にかなり魅力的な建物が
鹿児島の都市ガス会社「日本ガス」の本社ビルです。
軍国主義へのターニングポイント、2・26事件が勃発した1936(昭和11)年に建てられている。建て面積550平方メートル。地上3階、地下1階のゴシック様式のコンクリート造り。当時、周辺では珍しい近代的なビルで、「ガスビル」と親しまれたらしい。市内全域が壊滅的な打撃を受けた鹿児島大空襲(1945年6月)も生き延びた。
だそうです。
私にはかなり興味深い建物なのですが、これ以上の情報が見つかりません。
日本ガスのHPを見ても、何の記述もありません…
建て替えしていないだけでもありがたいことと思いつつも、残念です。
ということで、まだまだ続きます。
つづき:2011/08/14 南九州旅行記(その12:鹿児島・知覧の巻①)
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