「半年前の信州旅行記(その29)松本編⑪」のつづきです。
旧開智学校は、同じ「開智」の名を持つ松本市立開智小学校と隣接していて、松本市開智2丁目にありますので、私はてっきり、もともと現在の位置にあったのかと思ったのですが、リーフレット
によれば、
この校舎は昭和38年(1963)まで約90年間にわたって使われていた、国内で最も古い小学校校舎のひとつです。同36年3月23日、建築文化史上重要な物件であることから、近代の学校建築としては初めて重要文化財に指定されました。昭和38年1月から翌年8月にかけて、市街地を流れる女鳥羽川のほとりから現在地に移築され、新築当時の形に近づけて復元されました。昭和40年4月、旧校舎は教育博物館に生まれ変わり、校舎とともに貴重な教育資料も公開しています。
だそうで、解体移築前(1963年)の写真が載っていました。
旧開智学校校舎内の説明板によると、
当初は現在残る本館部分に、逆L字型に教室棟が附属していました。修理工事等で当初の姿を残していなかったため、重要文化財の指定からは除外され、現在は残っていません。
とあって、「教室棟」が写真でも判りますな。
「その29」で、
普通の小学校・中学校・高校の校舎を思い浮かべれば、(旧開智学校校舎のように)建物の真ん中を廊下が貫いている構造というのは、そうそうないと思います。
と書きましたが、この建物が「管理棟」的な建物だったとなれば合点がいきます。
もっとも、開智学校が開校された当時はどうったか不明ですが…
それはともかく、「市街地を流れる女鳥羽川のほとり」という旧所在地がどこだったのか、での展示では見つけられませんでした
そこで、帰ってから調べてみると、跡地は「南深志本町(現・松本市中央2丁目)」にあり、石碑や説明板もあるそうな。
その場所、もうちょっと詳しく探すと、
スカイビル長野県理容会館とか三井生命松本営業部とか駐車場がある辺り、もしかすると時計博物館の敷地も含まれていたかもしれません。
あらかじめのことを知っていたら、跡地にも行ったのになぁ…
旧開智学校校舎の見学の後、松本駅前に戻る際、ソバ屋に忘れてきたらしい帽子の後釜を調達するべく、バスを途中下車して、この旧開智学校跡地のすぐ近く
を歩いたんだから…
旧開智学校校舎の展示を私が見落としたのか、そもそもなかった
のか…
いずれにしろ残念です…
ところで、旧校舎(街のど真ん中)と、現開智小学校とはずいぶん離れています。
現開智小学校は、旧開智学校から街の中心部にあった校舎を引き継いで、1963年に現在地に移転したとのことですが、こんなに離れていて、学区はそのままなのでしょうか?
調べてみますと、松本市の資料によれば、
旧校舎のあった中央2丁目のほとんどは、現開智小学校の学区になっていました。
なるほどぉ~
それにしても、都市部の小学校にしては、広い学区のような気がします。
さて、旧開智学校の「擬洋風建築」をもうちょっと楽しみましょう。
この角度から観ると、左上にちょいと見えている東西南北を示す金属板と縦長の窓を除けば、瓦屋根といい、漆喰壁といい、石垣の算木積み風の角(かど)の処理といい、いかにも和風です。
ちなみに、「算木積み」風の部分は、実際に石を積んでいるのではなく、石板を貼っているのだとか。
一方、正面玄関は、
「擬洋風建築」については、校舎内に判りやすい説明板がありました
見方によっては、「ゲテモノ」と言われるかもしれないけれど、旧開智学校の場合、下卑て見えない、それどころか「端正」にさえ見えるのはどうしてなんでしょ
想像するに、立石棟梁が、「こんな感じだとウケるんじゃないかな?」なんて軽いノリではなく、「時代最先端の建物を造るんだ
」という気合いのもとに、持っている知識
と技術
と技能
と発想
をつぎ込んだ「本物の擬洋風」だからなのではなかろうか…
そんなことを考えながら、旧開智学校校舎を後にしたのでありました。
旧開智学校校舎の隣に、洋館が立っていました。
サイコロのような形といい、水色の外壁といい、日本の意匠ではあり得ませんな。
この建物は、「旧司祭館」というものでして、
旧司祭館は、明治22年(1889)松本カトリック教会神父クレマン(フランス人)により、旧藩政時の武家屋敷跡(松本市丸の内9番32号)地に建設された西洋館で、アーリーアメリカン風の建築様式を伝え、各部屋には暖炉を配し、1・2階ともベランダを備え、外壁に下見板張りを施すなど、随所に西洋館の特徴を表している。
だそうです。
旧開智学校校舎とは打って変わって、北面(現状)のほぼ全面がガラス窓で、
気持ちよさそう
な造りなんですが、もともとこの方角で建てられていたのでしょうか?
これだけ「陽光燦燦」なスペースが、北側に設けられているというのは、ちょっと解せない…
そんなことを考えながら旧司祭館を出て、 「旧開智学校」バス停(開智小学校前にある)から「松本周遊バス タウンスニーカー」
に乗って、松本駅方面に向かいました。
そして、途中の「伊勢町Mウイング」バス停でバスを降り、近くの松本PARCOで帽子を買い、松本駅南西側にあるホテル
まで歩いたのですが、前記のとおり、ここで至近の「旧開智学校跡」に立ち寄れれば言うこと無し
だったんですけどねぇ~
返す返すも残念です
これで今回の松本周遊はお終い(夕食を除く)だったのですが、「旧開智学校跡」の一件を除けば、至極満足
の一日でした。
いやいや、午前中は長野市を観光したわけで、なんとも濃密な一日でありました。
つづき:2016/03/09 半年前の信州旅行記(その31)茅野編 1
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