新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

今年最初の京都遠征ダイジェスト #2

2022-01-18 06:42:03 | 旅行記

「今年最初の生MISIAと京都遠征ダイジェスト #1」のつづき、遠征2日目のダイジェストです。
ここからはMISIAの話題からちょっと離れますので、タイトルを変更いたしました。

まずはきのうの行程から書いておきます。

ホテル⇒徒歩東寺 (食堂→西院御影堂[大師堂]→五重塔→金堂→講堂→観智院)⇒徒歩京都駅バス博物館三十三間堂前三十三間堂(蓮華王院)博物館三十三間堂前バス京都駅⇒徒歩⇒買い物ホテル

要するに、きのう巡ったのは、東寺と三十三間堂だけでした。
三十三間堂の拝観が終わったあと、近くの京阪七条駅から電車に乗って、東福寺まで行ってみようかとも考えたのですが、念のためスマホで東福寺の拝観案内をみたところ、既に拝観受付が終了していました (12月の第1月曜日~3月末の拝観時間は 9:00~15:30)
約1時間にわたって、靴下履き三十三間堂冷たい床の上を一周(≒約300m)したことで、足が冷え切っていましたので、きょうはこの辺で… とホテルに戻ってきました。

でも、約10年ぶりだった東寺も、15年ぶりくらい(?)だった三十三間堂も、予想以上に楽しかった

東寺講堂立体曼荼羅は、全21体のうち15体東下した「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」展 @東京国立博物館 (見聞録)でお目にかかって以来、約3年ぶりでしたが、修理中金剛波羅蜜多菩薩さまを除く20体もの仏さんが一堂に会する様子を見られてときめきました。とくに、立体曼荼羅を真横から拝見すると、その立体ぶりが際だって凄いったらありゃしない
そんな立体曼荼羅が繰りひろげられる講堂の中にいる拝観者私ひとりなんてタイミングもあったりして、なんとも贅沢なひとときでした。

ところが、立体曼荼羅だけではなかったんですな、東寺は…

たまたま東寺では、

五重塔初層内部の公開が行われていました

つい2ヶ月前薬師寺東塔興福寺五重塔初層内部を拝見したばかりだというのに、こんどは東寺五重塔の内部を拝見できた

東寺五重塔といえば、国内で最も高い仏塔なんですが、高いだけにデカい

外観のみ拝見した10年前にはさほど感じなかった、塔全体のデカさを感じられたというのは、他のお寺さんの仏塔をいくつも観てきたからなんだろね…
こんなことからも、同じところでも時をおいて出かける価値があるというものです

とか言いながら、初めてのところも2件拝見して、私は思いました。「私は東寺のことをほとんど知らなかった」と…。
しかも、その「2件」とも国宝だというのですから、なんともはや…

その一つは、食堂(じきどう)の外から土塀越し優美な建物が見える と行ってみた建物、

それが、国宝 大師堂 こと 西院御影堂でした。

仏堂というよりも、平安京のお屋敷のような佇まい。
檜皮葺きの屋根の優美なライン光り輝く金具が美しい

そして、もう一件は、拝観券を購入するときに、五重塔・金堂・講堂だけの券にするか、共通券にするか迷った挙げ句、共通券を購入したことで拝観することになった観智院でした。

お恥ずかしいことに、「観智院」という塔頭は初耳でした。
京都市による説明板によると、

現在の建物は、慶長10年(1605)に完成した客殿(国宝)をはじめ、本堂、書院、土蔵、門など、いずれも江戸時代の建築である。客殿は、入母屋造、こけら葺の代表的な書院造の住宅建築で、床の間の「鷲の図」、襖絵の「竹林の図」は宮本武蔵の筆と伝えられる。
本堂には山科安祥寺の恵運が唐から請来した五大虚空蔵菩薩像(重要文化財)を安置している。

だそうです。

客殿からの眺めが、食堂・講堂・金堂の屋根の連なり五重塔で、はぁ~ でございました。

また、説明板にある「五大虚空蔵菩薩像」お顔立ちが日本の仏像とはかなり違っていて、さすがは渡来仏だと感じ入りました。

   

三十三間堂を拝観したのはいつ以来だったのか、高校の修学旅行以降、1回行った気はするものの、記録には残っていません
はす向かいにある京都国立博物館には何度も出かけ、2年前には通りを挟んだ向かいの養源院(記事)後白河天皇陵(記事)にも出かけたというのに…

そんなボンヤリした記憶ゆえ、1001体千手観音がズラリと並ぶ壮観なイメージしかなかった三十三間堂でしたが、改めて拝観すると、その壮麗さはもちろんのこと、というより、脇役たる雷神・風神像観音二十八部衆像の、いかにも鎌倉期の仏像らしい躍動感と存在感が際だっていて、どうしてこんなに避けるかのように三十三間堂から足が遠のいていたのだろうか? と考え込んでしまいます。

また、江戸時代に行われていたという「通し矢」過酷さも、説明板を読むにつれ、ひしひしと感じられました。

「通し矢」という競技をざっと書けば、三十三間堂の西縁で、24時間の間に、約120mの距離を床・天井・壁に当てることなく何本射通すことができるか、というもの。

そして、最高記録は、貞享3年(1686) 4月に紀州の18歳の若者、和佐大八郎が樹立した13,053本射て、8,133本射通したものだとか。
24時間で13,053本射たということは、1分間に約9本射て、それを24時間続けた
しかも、天井に当てず約120m以上も遠くまで射るためには、矢の速度を上げる=強い弓で射る必要があるわけで…
想像を絶します…

それとは話が違いますけど、足が冷えてしかたがなかった三十三間堂の拝観でした。

きのう断念した東福寺へは、きょうの午前中に行ってみるつもりです。

つづき:2022/01/18 今年最初の京都遠征ダイジェスト #3 [終] 

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