新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

角川武蔵野ミュージアム探訪記 [前編]

2021-10-20 17:53:12 | 美術館・博物館・アート/本・雑誌

北海道遠征記の本編を書き始める前に、先週月曜日に出かけてきた角川武蔵野ミュージアムのことを書いておきます。

武蔵野線・東所沢駅から徒歩10分ほどのところに、ところざわサクラタウンという去年11月にグランドオープンした真新しい複合施設があります。所沢市の下水処理施設跡地に、KADOKAWA角川文化振興財団が主体となって建設したもので、KADOKAWAの本社機能(一部)や工場、倉庫のほか、ホテル、飲食店、物販店、イベントスペース、なぜか神社、そして角川武蔵野ミュージアムなどで構成されています。

私の自宅からは、電車一本、30分ほどで行けてしまうような場所なのですが、訪れたのは今回が初めてでした。
お目当は角川武蔵野ミュージアム、それも、その壁面に設置されたこれを観るため

鴻池朋子さんの24m×10m巨大な作品「武蔵野皮トンビ」です。
角川武蔵野ミュージアムが進める「6人のアーティストがコロナ禍のなかで人々に求められるイメージをそれぞれの解釈で制作する『コロナ時代のアマビエ』プロジェクト」第2弾として今年1月から約1年間の予定で設置されたもの。

前記のとおり、家から簡単に行ける場所だけに、そのうちに行こうと考えているといつのまにやら10月になってしまいました。こりゃそろそろ行かねば ということで訪れた次第です。

角川武蔵野ミュージアムのエントランスに掲げられた鴻池さんのメッセージには、

美術館の中か外かというならば、もはや私はどこであっても、その展示場所に特に違いはないような心持ちになっています。けれどもひとつ思うことは、美術館の中はとても安全で守られている、それが一番の弱点と感じるようになってきました。理不尽なことを言っているようですが、その“妙な感触”というのは、遡れば東北の震災を経たあたりから、より自覚的になってきたように思います。感覚は言語に先行して情報を捉えます。人間にとって利点である「守られている」ということを、なぜ直感力は弱点とするのか、探ってみたいと思いました。 [中略]
設置の構造は台風時にも耐える仕様になっていますが、作品自体は床皮(とこがわ/牛革を漉いた際にでる裏皮)を縫い合わせ、水性塗料を塗っただけの素朴な製法で、いわゆる絵画を屋外に晒しているような状態です。ですから、雨を受け太陽に当たれば、どんどん経年劣化して朽ちていきます。そこには、これまでの美術館の中で成立していた永遠とか、普遍とかいう言葉は何一つ通用しません。当たり前すぎることですが、地上に存在するという事は、常に外部に晒され、未熟で、同じものではいられないからです。 [中略]
「動物の皮」というその躯体に、何か“敵意”のようなものさえ孕みながら、しなやかに岩肌にへばりつき、雨や風や太陽や鳥などと呑気にやりとしながら、人間の皮膚のようにタフに歳とっていきます。「皮トンビ」はこれから約1年間、ここに棲みつきます。

だそうです。

設置から10ヵ月過ぎてもピンピンしている「武蔵野皮トンビ」を間近からしげしげと眺めた後、洞窟を思わせるエントランスから館内に入りました。

そもそも、角川武蔵野ミュージアムって何? 博物館? 美術館?

角川武蔵野ミュージアムは「博物館・美術館・図書館・アニメミュージアムが融合した文化複合施設」を標榜しているようです。

それすらも判らないまま、数多い券種のなかから自宅からネットで「KCM スタンダードチケット (本棚劇場含む)」を購入していた私は、エレベーターで4階に上がりました。

   

そしてまずアートギャラリーに行くと、俵万智展が開催中でした。

この個展(?)は、俵さんが今年、「短歌界の最高賞迢空賞を受賞したことを記念」たものだそうで、厳選したという作品(全部で約300首とな)が、ポップに展示されていました。
もちろん、一大センセーションを巻き起こした「この味が いいねと君が 言ったから 7月6日は サラダ記念日」とか、私が妙に気に入っている「万智ちゃんを 先生と呼ぶ 子らがいて 神奈川県立 橋本高校」とかもありました。

そうか、、、「サラダ記念日」の出版は1987年か…。昭和は遠くなりにけり です。

今、Wikipediaを見たら、面白い記述がありました。

角川短歌賞受賞者月刊カドカワの企画で注目を浴びていた俵の初歌集ということで角川書店からの出版になるはずだったが、角川書店社長の角川春樹自身が俳人であり、歌集、句集など短詩型文学の書籍は売れないものであると考えていたため、出版には反対したといういきさつがある。結局河出書房から出版されたこの『サラダ記念日』はミリオンセラーとなり、みすみすそのチャンスを逸した格好になった角川は後に「人生最大の失敗だった」と振り返っている。

角川書店といえば、蛇笏賞超空賞の主催をはじめ、「俳句歳時記」の出版とか、短詩型文学「家業」だったはずなのにね…

久しぶりに俵さんの短歌を拝見して、やはり唯一無二の歌人だなぁと感服しました。
中でも、この歌、イイです

「俵万智展」のことは、こちらのサイトのレポートがなかなかのデキです。

   

さて、ここからが角川武蔵野ミュージアム真骨頂エリア

角川武蔵野ミュージアムといえば、昨年末のNHK紅白歌合戦YOASOBIが歌った「本棚劇場」ばかりが取り上げられがちでが、その手前にある「エディット・タウン-ブックストリート」が、なんともイイのです

このコーナーは、

本の息づかいや賑わいが感じられる「本の街」松岡正剛の監修のもと、世界を読み解くための9つの文脈によって25,000冊の本が50メートルの通りに配架されている。新しい本と出会い、新しい連想が生まれる空間。

で、図書館の開架閲覧室のように、本を手に取って、その辺の椅子に座って読むことができます。

ここに並べられている本は、背表紙を眺めているだけで、こちらにビンビンと響いてきます。
ふと、昔、銀座勤めしている頃、会社の帰りに、当時晴海通り沿いにあった近藤書店(こちらの記事で書きました)に寄ると、「これを読みたい、あれも読みたいと盛り上がってしまい、個人的に「衝動買いの近藤書店」と呼んで親しんでいたことを思い出しました。
ネットで本を購入するときには味わえないこの感覚を久しぶりに味わいました。
これって、丸の内勤めをしている頃、丸善丸の内本店「松丸本舗」をぶらついたとき以来です、、、、、って、「松丸本舗」松本正剛さんプロデュースのショップインショップでした

感覚の合う書架って、眺めているだけでどうしてこんなに楽しいのでしょうねぇ。まぁ、判らない人には判らないでしょうけれど

こんな分類って、ありますか

いやはや楽しいったらありゃしない

このあと、「本棚劇場」圧倒され、その裏にある「アティックステップ」あれまぁ~ となったのですが、そのお話は後編で。

つづき:2021/10/21 角川武蔵野ミュージアム探訪記 [後編] 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 3度目の正直:北海道遠征記 [... | トップ | 角川武蔵野ミュージアム探訪... »

コメントを投稿

美術館・博物館・アート/本・雑誌」カテゴリの最新記事