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AMLに代わるCMLの記事「[CML 003646]映画 『密約―外務省機密漏洩事件』」(http://list.jca.apc.org/public/cml/2010-April/003583.html)で、この三十数年前の映画が緊急上映されていることを知りました。
WPは、
http://www.mitsuyaku.jp/
です。
原作は澤地久枝さん(岩波現代文庫)で、まだ読んでいませんが、偶然に数ヶ月前に書店で見かけて購入した記憶があります。上記WPの「レビュー」の頁に、澤地さんの『怒りと悲しみ』という、一読の価値のある文章があります。
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【http://www.mitsuyaku.jp/review.html】
・・・。『密約―外務省機密漏洩事件』という1冊の本に、わたしは日本の民主主義の悲しい貧困、不毛の精神土壌への怒りをこめました。責任を問われ、裁かれるべきであったのは、沖縄返還交渉において米国政府と密約を結び、国会においても欺瞞に終始した佐藤栄作内閣と外務省首脳であったはずです。しかし、検察側の起訴状に「ひそかに情を通じ」「しつように申し迫ったうえ」云々と書かれた新聞記者と女性事務官の個人的問題にすりかえられ、「密約」はついに不問に付されたまま現在にいたっています。
すりかえを許したわたしたちの側の弱さに、わたしは歯がみする思いでした。恋愛も不倫も、個人的な問題に過ぎません。国民を欺いた政治家の責任の大きさと重さとは比較のしようもない「情通問題」の目つぶしが効果的であった日本の社会。・・・。
最高裁は西山記者を有罪とした控訴審(第一審では無罪)を支援し、上告棄却としましたが、それでも取材の自由は原則的に認める判断を示しています。しかし、ますます強固になる国家機密の壁によって、ジャーナリストの仕事は、10年前に比べてさらに困難なものになったという実感があります。この上さらに国家機密法を制定しようという動きが執拗にくりかえされ、有権者はその良識と知性、権利意識を試されている現状ではないでしょうか。
わたしはこの16年間に28冊の本を書き、かつての陸軍および海軍が極秘資料として封印し、闇に消し去った歴史事実をさぐる仕事に出会いました。その結果わたしに投げつけられた非難は、「アカ」よばわりであり、左翼作家とも書かれました。
・・・。西山・蓮見両氏が身柄を拘束されたあと、昭和46年4月14日の「毎日新聞」夕刊に、大島渚氏が書いています。
「言論の自由というような抽象的な問題に立戻ってはいけない。佐藤首相の人間的反応にふりまわされてはいけない。問題は、あくまで佐藤内閣が私たちに何をしたかだ。知る権利などというのは自明のことだ。極秘資料のスッパ抜きに次ぐスッパ抜きを! 今こそ日本中を、スッパ抜きした極秘資料でもってあふれかえさせること。・・・」
・・・大島さんは・・・。事態の本質を適確に見抜いています。
朝日新聞支局襲撃、記者の殺傷という事件に象徴されるように、政治が右旋回するときに標的となるのは「言論」です。半歩でも後退すれば、テロリストたちの意図は達成されます。
問題の本質はなんであるのか、確認し直視しつづける姿勢をいまほど求められていることがあったろうかと思います。そのよきテキストとしての映画「密約」を一人でも多くの人々に見ていただきたいと思います。
西山記者の弁護団中最年少であり、ドラマ化にあたって献身的な補佐をしてくださった西垣道夫弁護士が若くしてガンで斃れた悲しみをかさねて、生きている人間のなすべきことを熱い思いで考えています。
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