
『「押し紙」という新聞のタブー/販売店に押し込まれた配達されない新聞』、4月に読了。黒藪哲哉著。宝島社新書。2009年10月刊(第1刷)。
新聞販売店に搬入されている少なからぬ割合の新聞が読みもされずに廃棄されている。3割から4割、驚くべきことに、7割という例もあると云う。「押し紙」である。なぜか? 単純に言うと、広告費を稼ぐためである。「押し紙」とは「販売店にノルマとして押し売りされる新聞」(p.4)であり、ウィキペディア英語版には「・・・(They call it “Oshigami”)」とあるそう。これは発行部数ギネスの読売だけでなく、朝日や毎日、はてはブロック紙・地方紙まで。
「・・・新聞ジャーナリズムは、プロパガンダの道具にまで衰退したのだろうか。・・・と各記者個人の職能を問題にする傾向が見受けられる。・・・いわゆる精神論だ。/私は、このような考え方には賛成できない。・・・/メディアをコントロールする鍵は、経営部門への介入にほかならない。・・・/本書は、新聞ジャーナリズムの衰退を、部数至上主義の功罪という観点から検証したルポルタージュである」(pp.6-7)。
読売による黒藪さんへのSLAPP。自分が書いてもいない文章で著作権侵害を訴えた総額2230万円の高額訴訟による恫喝。「言論ではなく、裁判による個人攻撃」(p.21)。言論封殺、「言論を封じるのが読売の方針なのか!?」(p.121)。「押し紙」問題に敏感な他社も暴走。「「『押し紙』報道憎し」という感情が、朝日では念書に化け、読売では裁判の多発を誘発し、毎日では「自称フリーライター」呼ばわりとなって表面化したのだ」(p.22)。
ビジネスモデル。「「押し紙」政策は、新聞社のビジネスモデルの柱である。・・・新聞社は、販売店に「押し紙」を買い取らせることで過剰な販売収入を得る。・・・必然的に新聞のABC部数(公表部数)をかさ上げする。その結果、紙面広告の媒体価値が高まり、広告収入が増える」(p.32)。過剰な押し紙は販売店の負担が膨らむのでは? 「第一に、新聞社が販売店に補助金を支給して、「押し紙」の負担を軽減する方法がある。/さらに第二の方法として、販売店に折り込みチラシを水増しさせ、それによって得た水増し収入で、「押し紙」の損害を相殺させる方法である」(p.32)。馬鹿を見ているのはだれか? 広告主。「もちろん広告主は、このような裏事情を知らない。発注したチラシは、全て配布されているものと勘違いしている」(p.32)。「チラシ詐欺」(p.89)である。なんと「税金で制作され配布される広告紙が、「押し紙」と一緒に捨てられていたのだ」(p.92)、「公共チラシ詐欺」(p.102)。「昨今始まったことではなく、新聞業界の慣行として昔から行われてきたのである」(p.93)。
出版不況、ネットの普及など新聞にも氷河時代が到来。しかし、「・・・新聞の部数はあまり減らなかった。かえって搬入部数を増やした新聞社もある。その結果、日本中に「押し紙」が溢れるようになったのである」(p.34)!!
「新聞社のようにジャーナリズムを看板にした企業でも、ビジネスが優先されているのが現実だ。/・・・/「押し紙」制度を廃止すれば、ビジネスモデルそのものが成り立たなくなるので、新聞社は一方で「押し紙」を強制し、もう一方では「押し紙」をしていないという法的根拠を準備しているのである」(pp.110-111)。
