Activated Sludge ブログ ~日々読学~

資料保存用書庫の状況やその他の情報を提供します。

●『警察(サツ)回り』読了

2010年11月14日 00時51分47秒 | Weblog

『警察回り』、10月に読了。本田靖春著、ちくま文庫。2010年12月第1刷発行。おそらく2冊目を購入。
 解説は、大谷昭宏さん「彼岸からの叱責」。

  第一章 バアさんの回想録
  第二章 警察(サツ)回り無頼
  第三章 「東京の素顔」
  第四章 黄色い血〟キャンペーン
  第五章 深代惇郎の死
  第六章 バアさんの血

 「バアさんが死んだ」(p.8)。有名な出だし。「第六章 バアさんの血」へと・・・。

 バー素娥(p.26)。深代惇郎氏、「素娥には昭和三十年代の記者たちの青春がいっぱい詰まっていて、オーバーに言えば戦後の新聞史の一頁くらいにはなるかもしれない」(p.31)。

 深代惇郎氏(p.33、179、194、262、269、283)。
 鈴木東民氏(p.140)。

 「社会部帝国主義」(pp.82-83)。「・・・反権力の気風がみなぎっており、社会部こそが民衆に直結し無告の人々を代表しているのだ、という自負に一人ひとりが支えられていた」。
 記者クラブ(p.123)。「私たちは刑事部屋に食い込むための努力はしたが、権力機構である警察そのものとは一線を画していた。意識としては、はっきり民衆の側にいた。社会部記者というのはそういうものだと信じていた。いまも私はその気分が脱けない」。

 写真の想い出、「こうして書いていて、いまなお慚愧の念に堪えない」(pp.112-113)。

 「加藤(祥二)学校」(p.141)。「「題材は一切問わない。・・・続きものをやろうじゃないか。改めて取材しなくても、ふだん見聞きしているだけで、十分材料はあるはずだ。それをみんなで自由に楽しく書こう」/警察(サツ)会議の席で加藤デスクがそう提案したときの興奮を、私はいまでもありありと覚えている。うそも誇張もなく、身体が震えた」。

 東京オリンピック(p.188)。「私をとらえていたのは、一版でも早く原稿を入れなければならない、という職業上の義務感より、だれかに話さずはいられない、といいた性質の感動でった。/・・・/メモも取らない。自分でも不思議としかいいようがないのだが、次から次からとこみ上げてくるものが口から迸り出て、頭脳の回路はどこかへ行ってしまったかのようであった」。

 ケツバイ(p.215)。売血・買血。頻回採血・違法採血。〝黄色い血〟キャンペーン。「「〝黄色い血〟追放・献血100パーセント」の目標を掲げて私がキャンペーンを始めた・・・」(p.227)。ライシャワー事件(p.229)。
 大蔵省「なんだね、これは。・・・恐喝じゃないか。・・・」、「・・・恐喝だろうが何だろうが、私はとことんやります。あなたと私とどっちの言い分が正しいのか、国民に判断してもらおうじゃないですか。・・・」。「君が単なる仕事としてではなく、社会のために一所懸命になっている気持ちはよくわかった。それは私も同じだ」、「―――――」、「予備費を出しましょう。ただし、厚生省に出すんじゃない。君に出すんだ。それにはひとつ約束をしてもらわなきゃならない」、「何でしょうか」、「役人というやつは予算がついたら、一杯飲んでそれで終わりということになりかねないんだ。だから、これから出す金は献血にきちんと役立つよう君が責任を持って監視してもらいたい。その約束ができるかね」(p.237)。
 読売との決別。「キャンペーンは、社と決別するにあたって、何か一つ社会部記者であった確かな証がほしい、というあがきの産物であった。/輸血という医療行為が続くかぎり、輸血制度は残る。街で移動採血車を見掛けるたび、私は社会部記者であったことを誇りに思う。キャンペーンによってだれよりも救われたのは、私自身だったのである」
 ミドリ十字(p.239)。

 バアさんのお茶漬けの「そのやり方」(p.261)。

 深代氏のロンドン派遣(p.271)。「そのあたりにも朝日の懐の深さが現れている。私は彼の話をうらやましく聞いた。/しかし、朝日の社内でも、警察(サツ)回りからいきなり海外に派遣されることなどは、めったにあることではない」。「・・・朝日の期待の星であった。・・・彼に対する評価はこれ以上ないと思われるほど高い。/・・・優れた平衡感覚ですね。・・・。/・・・あれだけの名文家はそんなにたくさんはいないです。・・・彼に匹敵するほどの人間はいないですね。・・・。/・・・。/早くから名文家のほまれが高く、しかも、若くして社長候補に擬せられた深代は、・・・何十年に一人の人材であった」(pp.272-273)。
 「・・・バアさんは日本への帰化を決心するのである。/・・・。/・・・帰化申請書に添えられた理由書・・・。/・・・これに手を入れたのが深代で、・・・。」(p.295)。「いまも帰化の条件は厳しいが、・・・。/・・・。/法務省から戻ってきたバアさんによれば、担当者は理由書を読み終えると深くうなずいていた、という。/「・・・この仕事をしていてこれだけのものは初めてです、ってさあ」/「そりゃあそうだろうよ。天下の深代が見てくれたものだもの。下書きは大切にとっておけよ。彼が死にでもしたら、それこそ家宝物だ」/冗談を言った私は、いまその下書きを机の上に広げて、無常を感じずにはいられない。/・・・。/許可の通知の際、法務省の担当者から個人的なお祝いの言葉があった、とバアさんはうれしそうに話していたのを思い出す。おそらく彼がきわめて好意的に事務処理に当たってくれたのであろう」(pp.299-300)。

 そして結末へ・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする