綿井健陽さんの逆視逆考PRESS(http://watai.blog.so-net.ne.jp/)で知りました(http://watai.blog.so-net.ne.jp/2011-10-11)。
金平茂紀さんのWPより(http://www.taji-so.com/kaeteha/?c=20110426230703)。RKB毎日放送のドキュメンタリー作家 故 木村栄文氏についてのお話。
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【http://watai.blog.so-net.ne.jp/2011-10-11】
wataitakeharu山形映画祭は2日半の滞在だったので、少しの映画しか観られなかった。が、やはり木村栄文さんのTVドキュメンタリーには皆さん拍手喝さい。「祭ばやしが聞こえる」の上映後、私は心の中でスタンディング・オベーションを贈った。TBS金平さんのコラム http://t.co/270Aiwqu10/10 16:10
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【http://www.taji-so.com/kaeteha/?c=20110426230703】
#9 木村栄文さんの「自由」
2011/04/26
RKB毎日放送のドキュメンタリー作家・木村栄文さんが亡くなったのは、あの大震災発生から12日目のことである。享年76歳。何とも署名性の強い、かつTVドキュメンタリーの掟、固定観念を確信犯的に破ってみせる作品を作り続けていた。栄文さんでなければ絶対に作れないような作品ばかりをつくっていた。僕らの世界では「RKBに木村栄文あり」と言われていた。本当にすごい人がいたものだ。けれども会って話をすると、これがなかなか笑顔が魅力的な、クネクネしたところもある曲者といった印象なのだった。その木村さんを「送る会」が福岡市内で開かれた。氏にゆかりのある人々が集って人柄、作品、思い出を語り合った。よい会だった。会場の一角でその会を見守りながら、日本のTVドキュメンタリー界のこのような傑出した人物と少しでも関わりになれたことだけでも幸いだと思った。『まっくら』『飛翔』『苦海浄土』『あいラブ優ちゃん』など好きな作品は数限りない。『まっくら』のどこがドキュメンタリーなのか? ドキュメンタリーとは、現実を忠実に切り取ったもので、それを観るものに客観的に提示する禁欲的なプロセスである、などと考えている人がいるとしよう。そういうドキュメンタリー信者は『まっくら』をみると頭がクラクラするだろう。ははは、これが真実を伝えるドキュメンタリーだよ、とニコニコしている栄文さんがその傍に立っている。
会は3部構成で、吉岡忍さんの進行で進んだが、静子夫人らご家族の登壇のあと、栄文さんと作品で深い関わりのあった作家の森崎和江さんが「さんざんお世話になりまして…」と嬉しそうな表情で語っていたのが印象的だった。カメラマンの山崎裕さんは「美しくて悲しいものを撮ってくれ」と注文された思い出を語る。編集マンの粟村皓司さんは「栄文さんは賞に固執していた。彼の作品の3分の2は撮影前の調査段階で出来上がっていて、映像は素材にすぎなかった」などガンガン本質的なことを語っていた。ひとつの時代を画した、JNN九州エリアのドキュメンタリー番組枠『電撃黒潮隊』のスポンサーだった姜東さんは「作品のことはみんな忘れました。栄文さんと酒を飲むのが本当に楽しみだった」と述懐した。さらに「今のテレビで深夜流れているような番組をみていると、民放経営者たちは恥ずかしくないのか、と思う」と付け加えた。熊本放送でドキュメンタリーをつくってきた村上雅通さんは、自身が水俣病取材にはいるきっかけを栄文さんにつくってもらったエピソードを披露していた。映画監督の原一男さんも、自身の『ゆきゆきて、神軍』が栄文さんに批判された出会いから語り始めた。そして、栄文さん独特の、作者自身が撮影している現実に侵入していくというドキュメンタリー方法論上の「(原さんよりも)はるかなルール違反」についてとうとう語らずして逝ってしまった栄文さんの「美学」について語った。NHKの渡辺考さんも、敬愛する栄文さんのDNAを引き継いでいきたいと語る。みんなみんな、あのわがままで自由な栄文さんが好きだった。そう、木村栄文さんは、あくまでも「自由」を求め続けた……
会場に展示されていた当時の進行台本や宣伝チラシなどがどれも手作り感が漂っていて、熱気さえ残っているように感じられた。栄文さんとの縁で紹介された、あるいは共通の知り合いだった村上由見子さんや李水香さんの名前の入った台本があった。会場で旧知の新聞記者Sさんに会った。「今日はね、実は東京では氏家斉一郎さんの告別式なんですよ。でも、僕は迷わずこっちの方に来ましたよ」と言って微笑んでいた。こんな時代の変わり目だからこそ、こういう「仕事師」の価値がブレないことがわかると確信を抱いて「送る会」の会場をあとにした。
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