捨てライオンの「野生のエルザ」と、その育ての親であるアダムソン夫妻の関係は、仲の良い、本物の親子のようで、素晴らしいですよね。
p230の第2パラグラフ。
この物語や、これに似たいろんな物語のポイントは、自然な状態の野生動物と呼ぶものや、私ども人間に内在する「本能的な」野生、あるいは、「自発的な」野生と呼ぶものと、私どもの日々の関係が、歪められているのは、何千年にも渡る迷信のためだ、ということですし、あるいはまた、もしも、その自然をコントロールするだけではなくて、その自然を育てていくことを私どもが学びさえすれば、私どもに内在する「野生」の中にさえ、平安の源があるのかもしれない、ということです。今日、私どもは、「ちょうど聖句にあるように」、サル君に「自分の腕の肉を食む」(イザヤ書第9章19節)ことを教えることができますが、それは、「どこかの首相のように、間違いだらけの指導者たち」が、全人類を「火にくべる薪」(エゼキエル書第15章6節)にしてしまうことに、似ています。しかし、同様にありうることは、私どもは子どもたちを、大自然の中でも、自分に内在する自然においても、「子牛と若いライオンは、共に育つ」(イザヤ書第11章6節)ようにするために、育てることもできる、ということなんですよ。
最後の件は、パラダイスそのものでしょ。「弱肉強食」の世界では、子牛と若いライオンが共存共栄することはありません。しかし、パラダイスでは、子牛と若きライオンが、「弱肉強食」の世界を超えて、育つわけですね。そのように子どもを育てることもできます。かたや、火にくべる薪のように、人を人とも思わない人間に育てることもできますね。
どちらを選ぶかは、あなた次第です。
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