エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

朝の礼拝 名前の不思議

2016-07-18 06:57:45 | 聖書の言葉から

 

 

 
選択のとき
 「〇〇を認めるならば、権力がもし欲すれば何事でも強硬できること、つまり万能であること認めることになります。権力が万能であることを認めながら、同時に民主主義を認めることはできま......
 

 

 今朝はエリクソンに戻ります。赤ちゃんとお母さんの朝の挨拶、朝の礼拝です。Toys and Reasons: Stages in the ritualization of experience.から。

 

 

 

 

 

 私どもが申し上げたい要点は、この陽気で楽しい、毎日必ずやることが正しく評価されるのは、身も竦むほどの世代と世代の繋がりの中で、ささやかであるけれども、切っても切れない絆である、と認める時だ、ということです。…お母さんは赤ちゃんを名前で呼びますでしょ。…でもね、どんなことが、この赤ちゃんの名前に意味をもたらすとしても、その赤ちゃんの名前の意味は、名前が繰り返される挨拶の仕方に影響を及ぼすことになります。それは同時に、お母さんにとっても、特別な意味を持ち、結局はその子どもにとっても、特別な意味を持つことになる、日々の世話を重要視することにも繋がりますね。このようにして、お母さんも自分を特別な呼び名で呼ぶことになります。特別の上にも特別な意味をお互いに名前に込めることによって、人間らしい礼拝に普遍的な要素が、1人の人に生じる源になりますね。この、人間らしい礼拝とは、すなわち、顔と顔を見合わせ、名前と名前を呼び合うことによって、お互いに相手を価値ある存在と認め合うことに基づいているのです。

 

 

 

 

 

 礼拝と言ったら、お寺やお御堂でするもの、との勘違いがありますね。

 礼拝とは、そんな特別なことと、全然違います。

 本当の礼拝とは、人と人がお互いに相手を大切にするやり取りのことです。

 

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