エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#発達トラウマ障害 #体感がない #右往左往 or #凍り付いてしまう #怒り爆発

2018-06-29 05:33:33 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
#発達トラウマ障害(DTD)の #回復プロセス
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 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』

 6章。「身体を失くすと,本当の自分も失くすよ」,p.96,6行目の途中から。ここ何日かの部分もご一緒に。





ダマジオは,この「目隠し」が,自分自身の様々な問題を,自分に都合良く,外の世界に押し出すように心がけて,働く仕方を説明し続けます。しかし,それは高い代償を支払うことになります。「自分の課題を自分に都合よく人のせいにすることは,私どもが本当の自分と呼ぶものが,可能性に満ちた源であり,そういう可能性に満ちた本質がある事を,感じ取れなくなってしまいます」とダマジオを言います。ウィリアムズ・ジェームズの100年前の著作に基づいて,ダマジオが論じたのは,自意識の核心は,身体の内的な状態を知らせる体感にある,ということです。



始まりにある様々な気持ちのおかげで,私どもは,自分の身体が生きている実感を感じることが出来ます。その身体が生きている実感は、言葉になりませんし,飾り気もなく,只々,生きている,ということ以外の、何者でもありません。この始まりにある様々な気持ちが,様々な次元で沿った身体のいまここの状態を映し出しています。…喜びから痛みまで測る物差しに沿って,大脳皮質よりも(訳注:脳の内奥,原始的な部分で,呼吸その他の生命維持を司る)脳幹のレベルから始まるものです。いろんな気持ちを感じること全てが,初めにある様々な気持ちを土台にするいろんな音色なのです。

 

 私どもの感じる世界が形作られるのは,生まれる前からです。子宮の中で,自分の皮膚を羊水が押すのを感じていますし,流れる血液の音や消火器が動くのが,かすかに聞こえますし,お母さんがいろいろ動くのに合わせて,伸びたり丸まったりしています。生まれた後は,自分との関係と身の回りとの関係を体感が決めます。私ども人間は,オシメを濡らし,おなかペコペコで,アキアキして,眠たいところから始まります。訳の分からないいろんな音,訳の分からないいろんなイメージが,心に響かないこととなって,私どもの末梢神経に押し付けられて,傷を残します。意識と言語を手に入れた後でも,私どもの体感システムは,記憶と記憶を繋ぐ,とても大切なフィードバックをしています。体感常に人間らしい伝えあいをすることは,お腹の中で,顔や胴体や四肢の筋肉の中で,変化しますから,痛みや心地よさや,空腹と性欲といった刺激がお知らせとなっていきます。私たちの周辺でいま起きていることは,私どもの体感を刺激します。今いると分かっている人を見ること,特定の,例えば,音楽の一部だとか,サイレンを聞くこと,温度が変化したことを感じることは,全て,私どもの意識の焦点を変えますから,そういった体感に気づかなければ体感の後にくる,様々な大切な考えや行いも,生まれません




 体感は,自分自身に関するお知らせですから,体感がなければ,自分の考えや行動も生まれず右往左往するか,凍り付いているか,怒り爆発か,になってしまいます。

 発達トラウマ障害の悲しき現実です。

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#悪い良心の餌食になっていることに気が付かない と #厳罰化 #暴力の悪循環に拍車を掛けることに #ニッポン人のほとんどがビョーキ

2018-06-29 05:06:04 | エリクソンの発達臨床心理

 
現世考: #ウソ と #感覚マヒ
     発達トラウマ障害(DTD)という診断名は、特化された診断基準だぁ!   陽気で楽しいは、うつる!  エリクソンは「プレイセラピーで大いに役......
 

 

 Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』。 P.97,8行目途中から。ここ数日分も,ごいっしょに。





 生涯を通して,日常生活は,善と悪,淨と不浄を区別する境界線を不動にします。これらの善悪などの分別の境界線が,大人の世界の中にある善悪などの分別を言葉にする暮らしの中で,あらゆる日々の礼拝に当てはまる善悪などの分別の判断基準を,一番正しいもの(訳注:であるかのように)にします。その日々の礼拝では,人間は,神様の教えに身も心もピッタリと従いますし,礼拝の進め方の細かいところにも全体にも目を配ります。礼拝に参加する人たちの現実をともに乗り越えた,神様を信頼する気配が匂い立って際立ちますし,共に分かち合っているもの全てを,互いに自分から分かち合いますし(願わくば,容疑者が自分の罪を告白する事も含まれてほしいものですが),そして,日々の礼拝こそは,決して手放し得ない1つの心の習慣です

 しかしながら,ルールを言葉にして出来事にすることを,仕事でも,自分の生活でも,実際に見て分かる中に,この日常生活を礼拝にする人生の習慣によって,母子2人がピッタリと一心同体になることがうまくいかない場合もあります。すなわち,赤ちゃんが我慢できて,うまく働く様々な分別の境界線が,世代から世代へと,悪い良心と戦いながら確信をもって伝えられなかった場合です。ルールを言葉にする日常生活を礼拝にする礼拝は,客観的には「ルールで」悪いことは,将来容疑者になるかもしれない者たちへの見せしめになることを確立する課題からも,「仲間内で正しいとされる行い」の点で,当てになる人に自分がなることからも,かけ離れすぎになる場合が多すぎです。司法制度は,正しい行いの点で,当てにならないことを助長しています。というのも,司法制度は,正しいと実感していることに自由に賛成する,というよりも,脅して強制的に同意させる,という方を強調するからです。つまり,司法制度は,確信をもって日々の礼拝を行うことよりも,悪い良心に犯されて,形ばかりのおざなりなお役所仕事を,優先しがちです。裁判所が,ビックリするようなノゾキ趣味を煽る時,被告を裁く中で,厳罰化が行われます。こういった悪い良心の支配させた裁判は全て容疑者を救いのない孤立に追い込み,その回復されぬままの激しい怒りをますます悪化させて,ますます恥知らずな犯罪に仕向けることになります。






 悪い良心が,日々の生活全てを支配している事に気付いて,様々な分別の境界線を,鷹揚に,一貫性を持たせて,大人も言行一致を意識しながら,伝えることが大切です

 いまのニッポンで,厳罰化ばかり叫ばれるのは,ニッポン人のほとんどが,悪い良心の餌食になって心が病気になっているのに,そのことに気が付いていないからです。

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#信頼 #キリスト母親赤ちゃんと一巡 #いつまでも残る宝物

2018-06-29 04:21:43 | エリクソンの発達臨床心理
 
エリクソンの叡智:  #アクチュアリティ #カイロス #永遠のいま #温もりに満ちたやり取り
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 発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com  但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間70~80ケースの発達トラウマ障害(DTD)セラピーをしてきていかなりのケースが善くなっていますよ。あなたも是非位一度連絡してください。料金は,母子家庭などは,割り引きます。

 Identity and the life cycle  『神様と一心同体になること と 神様の命が一巡すること』 p.63の,第3パラグラフ,10行目目途中からから。 第2パラグラフもご一緒に。



 赤ちゃんは,信頼している,とは言えても,赤ちゃんは「自信がある」とまで言ったら,言い過ぎになるでしょうね。信頼が創造する復活とは,さらには,外から赤ちゃんの将来を見越して様々な世話をするお母さんがいつでも共に居て,いつでも対等で,赤ちゃんと一心同体になる人で,しかも,いつでも身も心も赤ちゃんと共に居て,絆がある,というだけではありません。自分自身を信頼し,自分を縛り付ける者(訳注:悪い良心=自我の上に立ち,自我に様々な文句を付けて,縛り付ける悪い良心そのものの超自我と,子どもや人の上に立ち,子どもや人に様々な注文を付けて,縛り上げる悪い良心の持ち主である大人達)と戦う自分の様々な働きの度量も信頼することです。つまり,私どもは,自分自身十分に当てになること一体として見る(見なす)ことができるんですよ。ですから,赤ちゃんの将来を見通して世話してくれる人たちに,もう守ってもらう必要はないし,プレゼントを運んでもらう必要もないのです。

 精神病理学の論文では,「口が寂しい性格」という場合が多いものですが,これは,この口の舞台の悪い良心との戦いが未解決であるのが原因となって,知らず知らずのうちに自分と何を一体にしたらいいのか分からずに迷子になっていることが骨身に沁みて自分は信頼できると見なすまともな発達できずにいる人です。口の舞台の最悪の生き方が,支配者となり,他の生き方の余地がなくなりますと,赤ちゃんの様々な危機は,相手にされずにホッタラカシにされるかもしれないという不安,あるいは,単に,独りぼっちにされるかもしれないという不安,それに,関わってもらうことに飢えている不満ですが,その赤ちゃんの様々な危機が見て取れるのは,落ち込んでいる様子,相手にされずホッタラカシにされて落ち込み,神様に見捨てられたかと勘違いして,役立たずと感じて落ち込んでいます。このような赤ちゃんの様々な危機がありますと,命が回転して逆向きに根がケチで欲張りになります。それは,精神分析では,「根っからの無慈悲」と呼ばれ,人様には有害なやり方で,いろんなものを無慈悲にも自分の手に入れようとします。しかし,初め(値っ)から最高の人(訳注:キリスト)も1人いますね。その人は,まず自分が与えてから受け取る関係を自分から作り出して,一番大切なこと(訳注:互いに大切にすること)を命の中に回復することになります。そして,ひとりびとりあらゆる人間の中で,人生の習慣になる心の地下層となる「始まり(根っこ)」があります。この始まりに,キリストを豊かに信頼するお母さんから生まれるものは,いつまでも残る(訳注:信頼という名の)宝物です。

 



 自分信頼できることを,=であるかのように見なすことが,最高です。自分信頼を繋ぐことができるのは,究極的にいえば,キリストしかいませんから,エリクソンも,ここで,そのことを封印して,表現しています。

 また,キリストに豊かに信頼するお母さんも,エリクソンは封印した形で,ここに示しています。そのお母さんから生まれた赤ちゃんは,いつまでも残る宝物である,キリスト,あるいは,聖書の神様を信頼する根源的信頼感をもらえます

 根源的信頼感の信頼はキリスト(聖書の神様)から始まり,お母さんを介して,赤ちゃんの命に一巡するとき,赤ちゃんも信頼という永遠の宝物を身に着けることができます

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#聖書の言葉 #1人豊か #生きるはキリスト #台無し

2018-06-28 05:59:25 | 聖書の言葉から

 

 

 私の好きな聖書の言葉から。11回目ですが,φρονέω フロネオー つながりで。

 

 その人は結局,自分も他人も台無しにすることになりますよ,…この世のことに身も心も向けちゃっているからです。(フィリピ 3:19)

 

 

 この世のことに身体が向くことは仕方がありません。その時でも,心はキリストに向け続けていかなくてはなりません。身体もキリストに向けられるようになるためです。

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#体感 #お知らせ #自分に関する

2018-06-28 05:44:27 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
聖書の言葉:  #神の心からの優しさ
     嘘つきは、「正義」がお嫌い    子どもの頃に、遊びに値打ちを教えくれた人が、1人いたらいいのになぁ   ぼんやり は 自分の源   ......
 

 

 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』

 6章。「身体を失くすと,本当の自分も失くすよ」,p.96,4行目の途中から。ここ何日かの部分もご一緒に。





ダマジオは,この「目隠し」が,自分自身の様々な問題を,自分に都合良く,外の世界に押し出すように心がけて,働く仕方を説明し続けます。しかし,それは高い代償を支払うことになります。「自分の課題を自分に都合よく人のせいにすることは,私どもが本当の自分と呼ぶものが,可能性に満ちた源であり,そういう可能性に満ちた本質がある事を,感じ取れなくなってしまいます」とダマジオを言います。ウィリアムズ・ジェームズの100年前の著作に基づいて,ダマジオが論じたのは,自意識の核心は,身体の内的な状態を知らせる体感にある,ということです。



始まりにある様々な気持ちのおかげで,私どもは,自分の身体が生きている実感を感じることが出来ます。その身体が生きている実感は、言葉になりませんし,飾り気もなく,只々,生きている,ということ以外の、何者でもありません。この始まりにある様々な気持ちが,様々な次元で沿った身体のいまここの状態を映し出しています。…喜びから痛みまで測る物差しに沿って,大脳皮質よりも(訳注:脳の内奥,原始的な部分で,呼吸その他の生命維持を司る)脳幹のレベルから始まるものです。いろんな気持ちを感じること全てが,初めにある様々な気持ちを土台にするいろんな音色なのです。

 

 私どもの感じる世界が形作られるのは,生まれる前からです。子宮の中で,自分の皮膚を羊水が押すのを感じていますし,流れる血液の音や消火器が動くのが,かすかに聞こえますし,お母さんがいろいろ動くのに合わせて,伸びたり丸まったりしています。生まれた後は,自分との関係と身の回りとの関係を体感が決めます。私ども人間は,オシメを濡らし,おなかペコペコで,アキアキして,眠たいところから始まります。訳の分からないいろんな音,訳の分からないいろんなイメージが,心に響かないこととなって,私どもの末梢神経に押し付けられて,傷を残します。意識と言語を手に入れた後でも,私どもの体感システムは,記憶と記憶を繋ぐ,とても大切なフィードバックをしています。体感が常に人間らしい伝えあいをすることは,お腹の中で,顔や胴体や四肢の筋肉の中で,変化しますから,痛みや心地よさや,空腹と性欲といった刺激お知らせとなっていきます




 体感は,自分自身に関するお知らせです。

 

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