桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

鰤大根

2008年12月24日 13時00分31秒 | 料理

 クリスマスイヴにはそぐわない料理-鰤大根をつくろうとしています。
 三日前に材料を仕込みましたが、帰宅するのが遅かったりして、まだ完成に到っておりません。

 寒さが厳しくなると、鰤大根をつくりたくなります。
 特別な調理ではないので、レシピに独特なものはありませんが、普通は出来上がるころには煮汁がほとんどなくなるのに対して、おぢさんは大きめの鍋に多量につくるので、食べごろになっても、おでんのように煮汁が残るようにしてあります。
 大根もおでんやふろふきに用いるように、輪切りで大きめです。だから、火が通り、充分に煮汁を吸い込むまで時間がかかります。
 少しずつ食べながら、鍋に隙間ができてきたら、新しい大根や鰤を買ってきて、継ぎ足して行きます。

 
三日目ごろになると、煮汁は絶品と形容していいような味に変わってきます。
 夏場だと冷蔵庫が必須ですが、この季節はときおり(食べたいとき)火を通してやれば、一週間は保ちます。数日なら同じもの(好物でなければならぬのはもちろんです)を食べつづけても飽きないという味覚の持ち主なので、調理に費やす時間が節約できるのも大きなメリットです。

 おぢさんは時代小説や歴史小説が好きです。しかし、なにせつむじ曲がりなモンですから、その手の小説ならなんでも読むかというと、左にあらず、なのです。
 藤沢周平さんは余すことなく読みましたが、池波正太郎はまったく読みません。ただ、テレビでやっていた「剣客商売」だけは好きで、いつも愉しみにしていました(が、原作は読みません)。
 そうして藤田まことと小林綾子を視ながら、ときおり空想していたのは、若い愛人か若い女房と一緒に、小さな料理屋か煮売り屋をやることでした。
 おぢさんは厨房に引っ込んで、調理に腕をふるっているので、客の前には滅多に顔を出しません。愛人は表で接客をしています。

 おぢさんの料理は不味くはないけれども、美味いと評判を取るほどでもない。そんな腕でも、そこそこに店がやって行けるとしたら、客の目当てが愛人の若さと愛想のよさにあるからです。おぢさんはそのことを充分に知っていて、口には出さないけれども、心の中では深く感謝をしています。 
 何かの煮物が鍋の中でグツグツと立てる音に混じって、自分にはもったいないほど歳の若い愛人が客とやりとりしている賑やかな声が聞こえてくる……それはさぞ幸せなひとときであろうと、おぢさんは独りほくそ笑みながら鼻の下を伸ばしています。

 そういう思いをいっそう強くしたのは先月の末、通勤途上に「総菜とおでん」と看板を掲げた店ができたからです。いまのところ、遠巻きに見ながら素通りするだけです。

 新松戸の飲み屋街にもシャッターの下ろされた店が散見されます。
 新松戸に引っ越してきてから、ずっと「貸店舗」と印刷された不動産屋の貼り紙に変わりのない店の前を通りながら、こんなところに店を構えられたらなぁ……と肩をすぼめて足早に通り過ぎる毎日です。
 現実には調理師免許を取らなければならず、鰤大根や焼きうどんという限られたメニューでは店は立ち行かない。そもそも開店資金がないし、一緒にやってくれる若い愛人もいないという現況では夢のまた夢です。

 宮部みゆきさんの小説(「ぼんくら」と「日暮らし」)に、お徳という煮売り屋の女将さんが出てきます。
 いつも美味そうな湯気を立てている店の大鍋には何十年という間、継ぎ足し継ぎ足しして使ってきた煮汁が入っている。

 おぢさんちの煮汁はせいぜい一週間のイノチでありますが、食べて下さる方があれば、絶やさずつづけたいものであります。