今日二十六日から勤務先近くの交差点脇に、毎年恒例の注連縄(しめなわ)を売る露店が出ました。
今朝は風があって晴れていたので、富士山が見えるかと思いましたが、あいにくその方向には雲があって、見ることは叶いませんでした。
裾野のほうが市川真間あたりの台地に遮られるので、六合目より上しか見えませんが、冬になるとちゃんと見えるのですよ。
昨夜は勤め先の忘年会。
忘年会を終えたあとも出勤というのはすっきりしませんが、ともかく出勤です。
昨夜、愉しくもない忘年会の時間をなんとか耐え抜いて帰るとき、市川大野の駅で上り電車を待避している貨物列車を見かけたので、カメラに収めました。
寝台列車がどんどん廃止されて、機関車に引っ張られる列車は貨物だけになっています。発車するときに、ガンガンガンと前から後ろへ衝撃が伝わって行く音を聞くのはなんともいえません。
私はオタクとまではいきませんが、鉄道ファンでした。中学生のころ、友人と写真を撮りに行って、電気機関車に踏み潰されそうになったこともあります。
踏み潰そうと迫っていたのは、通称マンモスと呼ばれていたEH10でした。ピーッピーッという激しい警笛と目前に迫ってくる前照灯の眩さを、いまでもはっきりと思い出すことができます。
列車というと、何十回となく乗ったのは、昼過ぎに新大阪に着く東海道新幹線の「グランドひかり」という編成でした。
私にはついこの前……と思えるのですが、もう十年近くの年月(正確には2000年三月十日で廃止)が流れていて、すでに「グランドひかり」はありません。
そのころ、私は仕事で一週間に二回も三回も大阪へ通うことがありました。
「のぞみ」が走り始めていて、他の「ひかり」は必ずどこかで「のぞみ」に追い越され、後塵を拝することになるのですが、発車時刻の関係で「グランドひかり」だけは「のぞみ」に追い越されることがないのでした。
しかし、「グランドひかり」を選んだのはそういう負けず嫌いの理由ではありません。すでに希少価値であった食堂車があったからなのです。
大阪へ行くとき、列車が滋賀と京都の境の音羽山トンネルに差しかかるころに、降りる支度をして席を立ち、食堂車に向かいます。食事をしている客がいても、せいぜい数人で、ほとんどが食べ終えるころです。私がほどよい場所の空席を選んで坐り、注文を終えるころには、車内はガラガラになってしまいます。
京都を出ると、車窓右手に明智日向守殿無念の地「天王山」が見えてきます。頼んだ料理が出てくるのもそのころです。私は日向守殿と料理の両方に手を合わせて、おもむろに食べ始めます。仕事が始まるのが午後遅めという日なら、生ビールで喉を潤したりもしました。
記憶の中では車内はいつも陽の光にあふれていて、至福のいっときでした。
週に二回も三回も乗っていたのですから、全部が全部晴れの日だったはずはありません。
しかし、私の思い出の中では、いつも富士が見え、伊吹山が見え、燦々とした陽光を浴びながら、食事をしておりました。