日曜日(六月二十日)の朝、ハローワークのインターネットサービスを視ていたら、一件だけでしたが、私の狙うべき求人がありました。土曜日、ハローワークへ行って検索しているのに……。土日に新しい求人を受理することはないでしょうから、多分見落としていたのです。
早速履歴書を……といっても、エクセルでつくって保存しておいたものをプリントアウトし、セルフタイマーを使って撮ってある顔写真もプリントアウトして貼るだけですから、明朝できるだけ早く行くべし……。
そう思ってプリンタの電源を入れたら、パソコンの画面にはブラックとライトシアンのインクが残り少ないという表示が出ました。一通つくるだけですから、なんとかなるだろうと印刷実行をクリックしたのですが、プリンタがガーガーガチャガチャとひとしきり音を立てたあと静まり返ってしまいました。いつもなら、そのあとに紙を引っ張るローラーが動くのですが、動く気配がない。
うにゃ? と思って見ると、プリンタのディスプレーには、インクの残存量が限度以下なので、プリント不可能というガイドが出ていました。
私のプリンタはエプソンですが、エプソン製品でなくとも新松戸にはインクカートリッジを売っているような店がありません。家電販売最大手の量販店がありますが、スペースは狭く、パソコンと携帯電話が同じ売場になっているのですから、行ったところで、ないことは明々白々です。
となると、柏まで出かけなければなりません。ここ数日は体調がそれほど不全ではないのが幸いですが、頭の重い感じは相変わらず。ヤレヤレです。
ビックカメラでインクカートリッジを買って、柏へ出てきた用件は済みましたが、あっという間に引き返してしまうのも味気ない。前から柏に行くようなことがあれば行ってみようと思っていた長全寺へ足を延ばすこととしました。柏駅から歩いて十分足らずです。
そごう前の階段で駅前のデッキを降りると、三井ガーデンホテルの前を通ります。
季節はすっかり移ろっていますが、ここに投宿した友に会いにきたのはわずか四か月前のことです。
直後から連絡が途絶えました。当初は何があったのだろうと心配しました。やがて多分二度と会うことはないのであろう、と自分を納得させるようになりました。
しかし、縁のあった場所にくれば、私の身体をいろいろ心配してくれていたころの思い出が甘酸っぱい香りとともに甦ってきます。
そんなことを思い返しながら歩いているうちに長全寺に着きました。
手前に通用門があって、そこから境内に入ることができますが、私はほんの少し足を延ばして山門から入りました。
「開創天正二年(1574年)四月二十五日」と彫られた山門前の石柱と山門です。
ところが、寺の略縁起には開創は弘治二年(1556年)とあるのだそうです。実際はもっと古く(年代未詳)、それまでは天台宗寺院であったのを、廣徳寺五世の巧室梵藝大和尚が曹洞宗に改めたのが弘治二年だというのです。よくわかりません。
廣徳寺は我が庵から近いので、よく足を運ぶお寺です。
およそひと月前、写真に撮ってきた歴住碑。http://blog.goo.ne.jp/aguis57/e/81c8b26bfa279fc341284cc418bc482f
改めて見てみると、確かに巧室梵藝大和尚は廣徳寺の五世で、長全寺と小金原にある萬福寺の開山(1571年)と記されています。
もう一つ、境内に弘法大師を祀る大師堂があったのも理由がわかりません。
馬橋にある萬満寺は臨済宗のお寺ですが、臨済の教えとは関係がないはずの不動明王を祀り、弘法大師にまつわるものも遺されています。元が真言宗のお寺だったからです。
それはともかく、最初に長全寺が開かれたのは現在地ではなく、少し離れた戸張村(柏市戸張)というところでした。寛永年間(1624年-44年)に現在地へ移転。
私はまだ訪ねていませんが、戸張には千葉氏の流れを汲む戸張氏の城館跡があり、大永年間(1521年-28年)までは同氏の菩提寺として栄えたようです。
ところが、重要な史料とされている「本土寺過去帳」に再三登場していた戸張氏の名が、大永五年(1525年)以降プッツリと消えてしまうそうです。消えたあと、現在の埼玉県吉川に居館を移していたことがわかるのですが、なんらかの事情があって隠居させられたのだろうと推測されています。隠居状態では有力な檀越の勤めは果たせず、よって寺も凋落し、三十年後に曹洞宗の寺院として再興された、ということなのでしょうか。
山門の後ろに咲いていた紫陽花。紫陽花の花をとっくりと眺めるのは今年初めてです。
仁王門。まだ真新しいと思えば、昭和四十九年の落慶とか。
吽像(画像上)は穏やかな表情をしておられます。
仁王尊とは背中合わせ、本堂を向いて立っている四天王像。
持ち物から推し量るに、画像左の左は持国天、右は多聞天、右の左は増長天、右は広目天だと思うのですが……。
本堂。これも真新しく昭和四十一年の落慶。
画像は割愛しましたが、金比羅堂(昭和三十一年)、鐘楼(同四十三年)と新しい伽藍ばかりです。年代物と思えるのは山門と大師堂だけではないかと思えます。火事にでも遭ったのではないかと想像したくなりますが、ホームページには手がかりになるようなことは何も書かれていません。
仁王門のかたわらに聳える椎(シイ)の古木です。柏市の保護樹木に指定されていますが、どれほどの樹齢なのか、詳細は不明です。
新しい伽藍ばかりだったせいか、しっとりとした潤いが感じられず、のっぺらぼうな印象を受けたお寺でした。
ヤマダ電機が入っているので 一応品揃えはしてあります。
ただしエプソンのインターネットショップで買うのと同じで、一円の値引きもない定価でござりました。
インクだけ買うなら柏まで行く方が電車賃の分七十円だけ高くつきまする。