桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

厄日となった(?)薬師如来縁日

2021年02月12日 22時41分22秒 | 薬師詣で

 八日は突発事故のようなことがあって、薬師如来縁日のお参りは地元・慶林寺だけにせざるを得ませんでした。
 代わりに今日十二日の縁日は少々の遠出を試みて、埼玉県草加市にある三覚院というお寺にお参りしようと考えていました。
 コロナ禍では電車に乗るのは極力控えようと思うのですが、去年の暮れあたりから、脚力がとみに衰えてきて、この先いつまで薬師詣でをつづけることができるのだろうか、と不安が兆すようになってきました。そこで、薬師如来の縁日がきて、幸いなことにその日は体調も悪くなく、足腰の状態がよさそうなら、行けるところは行ってしまおうと考えたわけです。

 ところが、今月八日の薬師詣でをとりやめにしてから今日までの四日間に、腰を抜かすようなことが起きました。
 多分、初めて服用した薬の影響だろうと思われますが、服んでしばらくすると、突然左半身に痺れが発生したのです。それが九日のこと。さらに、熟睡はしていなかったとしても、最近の私としては長時間眠ったあとだったのにもかかわらず、盛んにあくびが出るのです。
 意識だけはしっかりしていたので、てっきり軽い脳梗塞に見舞われたのではないかと思いました。



 犯人(?)だと思われるのは画像左のセリンクロという錠剤です。いわゆる嫌酒薬というもので、服むとアルコールが不味いと感じられるようになり、次第に飲酒習慣から脱することができるようになる、という代物です。画像右は抗不安薬のセルシン錠。

 服用後二十分ほどすると、顔の左側に痺れが出ました。このあとに起きたことがなければ、痺れだとは思わなかったかもしれません。やがて痺れは自動車のエアバッグを軽く押しつけられているような感じに変わってきました。
 何が起きたんだろうと思いながら、こたつにあぐらをかいて坐っていましたが、動けません。立ち上がったり、動く必要は何もなかったのですが、とっさに動いてみなければ、と思ったのかどうか、立ち上がろうとしたのです。しかし、全身が脱力感に覆われていて、動こうという気力が出ないのです。
 その薬を処方してくれた病院に連絡を、と思うのですが、スマートフォンは1メートルほど離れた机の上にあって、置いてあるのが見えているのに、動けないので、手にとることができません。立ち上がってトイレに向かおうとしたら、左半身が軽く麻痺しているようでした。
 服用一時間後、左の額から頬に掛けてまだ麻痺が残っている感覚でしたが、やっと病院に電話をかけられる状態になったので、電話を入れました。薬を処方した担当医はその日は休みで、代わりに応対してくれた別の医師から服用をやめるように、といわれました。
 その後、二時間ほどうたた寝。
 目を覚ますと、依然違和感は残っているものの、ようやく通常に近い状態になりました。服んでから半日が経過していました。外はすでに暗く、とても慶林寺まで歩いて行けるとは思えなかったので、久しぶりに参拝を欠くことになりました。

 実際は持病を抱えているのですから絶好調であるはずはないのですが、二日後の十一日になると、ごく普通に動けるようになりました。しかし、何をするにもおっかなびっくりという感じです。そう思いながら動くからかどうか、いつもの状態に完全には戻ってはいない。
 十二日になると、やっと前と変わらない状態になったようです。朝早いうちはまだ動きがぎこちない感じでしたが、あまり進まないながらも食事をし、台所の洗い物を片づけたり、庭のプランターに水遣りをしたりしていました。

 これなら薬師詣でに出かけられそうだと思われました。午後、約束ができていました。それまでに帰ってこなければなりませんが、わりと近いので行こうと考えた草加の三覚院というお寺は初めて行くところです。行きも帰りもバスに乗らなければなりません。



 行きがけに地元の慶林寺に参拝。縁日なのでお賽銭をあげます。
 参拝を終えて駅に向かっていたとき、一本前の電車が時刻どおりに発車して行くところでした。
 プラットホームに降り立ったのは乗る予定の電車がくる五分前でした。新松戸で武蔵野線の府中本町方面行に乗り換えるときは進行方向前のほうで待ちます。ちょうどベンチがありますが、あと四~五分で電車がくるという時刻ですから坐るまでもありません。

 遅いな、と思いながら、腕時計を覗くと、すでに電車がくるはずの時刻になっていました。それなのに、自動音声のアナウンスがない。正常に運転されているのなら、「間もなく一番線に……」と女性の声で自動アナウンスが流れるところですが、流れません。
「アレッ」と思ったところに、間髪を置かず、駅員の生のアナウンスがありました。プチっとマイクの電源が入る音がしたので、嫌な予感がしました。何ごともなければ、駅員の声が流れることはありません。流れてきたのは「柏駅でムニュムニュ」という声。ムニュムニュのところははっきりと聞き取れませんでしたが、「間隔調整」といったと思います。
 くるはずの電車の次の電車が遅れている。くるはずの電車を時刻どおりに運転してしまうと、その次の電車との運転間隔が大きく開いてしまうことになる。そうならないために、くるはずの電車を柏駅で停めて少し遅らせる、というわけです。

 コロナ禍で、電車に乗る機会も尠なくなっていたので、JRへの警戒心をすっかり忘れていました。
 旧国鉄時代は時計より正確といわれた電車の運行です。確かに旧国鉄時代に較べれば運行本数が増え、運転間隔も詰まるなど諸事情もあるのでしょうが、時計より正確といわれた時代の人々がいなくなって、(私からすると)いつの間にか遅れても平気、それよりも安全こそ第一というのかもしれないが、本当に、肝に銘じてそう思っているのか、いろいろ言い逃れのできる風潮が生まれてきたので、この際、ちょっくら便乗させてもらって、言い逃れに使わせていただきやしょう、ということではないのか。
 常磐緩行線一本で行くことができ、その先は歩くだけというところであれば、多少の遅れは影響もないのですが、乗り換えがあったり、着いてから先はバスに乗らなければならない、さらに今回の私のように、一定の時刻には帰っていなければならないという場合は、一本の電車の遅れは致命的です。
 旧国鉄は旧国鉄であって、いまのJRは国鉄ではないのだから、もっと余裕を持って出かけるべき、という人もいるかもしれないが、余裕を持って出る余裕がないから、ギリギリの電車に乗らなければならない、という人も、場合もあるのです。

 きちんと電車がきて、きちんと発車してもらわないと困る、というときに電車が遅れていると、私はいつもある人の話を思い出します。
 遥か昔の話ですが、その人は電車が予定より大幅に遅れたがために営業時間内に銀行に着くことができず、手形を不当たりにしてしまったという苦い過去を持っていました。
 この日の私はそこまで重大な状況ではありませんでしたが……。
 
 おまけに今日の天気は夕方までは晴だといっていた予報は大ハズレで、いつまで待っても陽は射さず、肌寒いままでした。天気は自然現象ですから肚を立てても仕方がないと思う代わり、晴だといったのに、曇って陽射しがなくても予報はハズレではない。ハズレたと認めるのは雨が降ったときだけという我田引水的理由で、当たる確率は90%以上などとほざく根性だから信用できない。そう思うと、当たらない天気予報にも肚が立ってきました。

 草加で乗る予定のバス便は一時間に三本しかありません。結局、薬師詣でに行くのは取りやめにしました。行きのバスは一本遅らせるとしても、帰りのバスの時間がどうなるか、予測ができなくなって、約束の時間までに帰ってくることができるかどうか、見当がつかなくなってしまったからです。



 悄然として家路についた帰り途、近くの食品スーパーにも二本の河津桜があって、チラホラと咲き始めていたのを見ました。



 手ぶらで帰るのもシャク(なぜだか)だったので、スーパーに寄ってみたら、催事場で京都物産展が開かれていました。
 京都……。いつ行ったのが最後になるのか、にわかには思い出せません。仕事に追いまくられていたころ、一週間に三度も行ったことがあったっけ。三度も行ったりきたりするぐらいなら泊まれば、と友人にいわれたことがありましたが、京都の取材の翌日は東京での取材が待っている、という状態だったので、まるで通勤するみたいに新幹線の往復を繰り返す時期もありました。いまと違って、お寺巡りなどという趣味のないころでもあったので、何十回となく通いながら、ほとんどお寺巡りも観光もしませんでした。

 熱いお茶でも煎れて心を鎮め、ゆっくりと生八ツ橋でも味わうことにしましょう。くれぐれも火傷をしないように……。

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