また暑い日は戻ってくるようですが、とりあえず涼しい日になりました。
一年に春夏秋冬あれど、季節が終わる、と感じるのは夏だけではないでしょうか。
春の終わりの場合は、ある日突然か、少しずつか、年によって違いがあるのでしょうが、暑くなってきて……、ああ、夏がきたな、と思います。夏がきたのであって、春が終わったとは思いません。
秋が終わる場合も、やはり突然か徐々にか、冷え込む日がやってきて、冬がきた、と思うものの、秋が終わった、とは思わない。
夏の終わりはこんなときにも感じます。昼間、汗をかいているので、眠る前にシャワーだけ浴びてバスルームを出ると、ヒヤッとする。
孔子は人生を「青春・朱夏・白秋・玄冬」の四つに喩えましたが、ほんのときたまのことでも、立っていられないような眩暈に襲われることがある、いまの私は白秋の域か、すでに玄冬の域か。
昨十八日は観音菩薩の縁日でした。
薬師如来の縁日とは違って、どこかのお寺にお参りに行ったりするわけではありませんが、観音様をお祀りしている東漸寺と慶林寺にそれぞれお参りしてお賽銭をあげることにしています。もう何年も、毎月毎月欠かさずつづけてきたことなのに、なんということか、昨日はうっかりしていて、今日がその日であるということをすっかり忘れていたのです。
普段、その日最初の外出は薬師如来をお祀りしている慶林寺にお参りに行くことです。帰りに買い物をしたり、公共料金を払うために、コンビニや郵便局に寄ったりすることはありますが、よほど緊喫の用がない限り、慶林寺参拝を後回しにする、ということはありません。
しかし、観音様の縁日である十八日と、月に二日ある特定の日(十五日と二十七日)だけは最初にお参りするのは東漸寺と決めています。
忘れていなければ、その日最初の外出は東漸寺参りのはずでした。しかし、私の足はいつもどおり慶林寺に向かっていました。
以前は、慶林寺に行くときに、前を通れば、黄色の車止めの前で立ち止まって、拝礼するだけだった鹿島神社です。
しかし、このところは拝礼したあと、鳥居の前を右に入って行きます。
なんの説明もないので、なんでもないものかもしれませんが、境内の一番奥に塚(墓)のような盛り土があります。
そのかたわらに、なんの樹だかわからぬ樹の切り株があります。最近はこの切り株に腰を下ろすことが日課のようになりました。
一か月ほど前から坐骨神経痛が出るようになりました。痛みが出ると、突如歩けなくなりますが、腰を下ろせる場所があって、何分間と決まっているわけでもないけれど、しばらく腰を下ろしていると、痛みはすっかり去っているか、すっかりではないとしても、歩くのに支障がない程度になっていて、また歩きつづけることができるのです。
さらに歩きつづければ、再び痛みに襲われることもありますが、近所での散策だったり、買い物程度であれば、以降二十分ぐらいなら痛みに襲われることもなく帰ることができて、庵に帰れば、痛みが出ることはありません。
午後から夕方にかけては直射日光に晒されますが、午前中なら、塚のようになったところに生えている楠(右)と、まだ名前のわからない樹(左・樹高の高いほう)の二本の大木が涼し気な木陰をこしらえていてくれるのです。
その切り株に坐って門前のほうを眺めた風景。
今日もここでひと休みして、冷たく冷やした持参のアクエリアスをグビグビと飲んで、神経痛を追い払ったあと、慶林寺の参拝に出向きます。
そこでなぜかうっかり。高さ5メートルはあるという観音像は嫌でも目に入ってくるというのに、本堂にお参りしただけで、何を考えることもなく帰りました。
東漸寺に先に行かなければならないのに忘れているのと、いつもは本堂だけの参拝で済ませる慶林寺も、今日は本堂のあと、観音像にお賽銭をあげて、参拝しなければならないはずでした。
門前にある民家の柿の木と参道の河津桜で鳴くツクツクボウシの三重奏を聴きました。盛夏でも夕暮れ涼しくなるころには、ツクツクボウシの啼き声を聴くことができますが、昼日中に啼き声を聴く、というのはやはり秋が近い証拠です。柿の実が色づき始めるのももうすぐです。
ツクツクボウシやミンミンゼミは啼き声は聞こえても、その姿はなかなか見ることができません。油蝉はわりと無警戒で、手の届くところで鳴いていたりします。子どものころは手でやすやすと掴むことができたりしたものです。
えい、この唐変木め、今日は観音様の縁日だったではないか、と気づいたのは午後二時ごろ。重い腰ならぬ痛い腰を上げて、東漸寺へと赴きました。
東漸寺門前の掲示板。来週末は小金宿まつりです。
今年も藪茗荷(ヤブミョウガ)が花を咲かせ、実を結び始めていました。
去年、この実をいただいて我が庭に播いたのですが、土が合わなかったのか、別の理由があったのか、芽吹くことはありませんでした。
東漸寺の観音堂です。賽銭箱がないので、本堂にお参りしてお賽銭をあげたあと、ここにお参りします。坐骨神経痛に悩まされるようになった私はやはり玄冬か。
慶林寺の観音像。こちらは賽銭箱があるので、お賽銭を。
毎月十八日は念珠を持ち、シャツの胸ポケットにこんなものを忍ばせて出かけます。大般若経転読で用いる経典と同じような蛇腹折りになっています。
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