二月の薬師詣では我孫子に行ってきました。
昨年から毎月毎月、薬師詣でを済ませたあと、翌月こそ茨城県美浦村の海源寺へ……と期していながら、朝方の体調が優れなかったり、体調にはとくに支障がないと思えば、日曜や祝日だったりして、願望を果たさずに過ごしています。
美浦村の海源寺を訪ねるのには、常磐線の土浦まで行って、その先はバスしかありません。それも一時間に一本しかありません。
土浦まではおよそ一時間かかります。現地で歩き廻る時間は、私のシミュレーションによると、バスに乗っている時間も含め、スムーズに運んで三時間かかります。すなわち行って帰ってくるのに五時間。
午前十時に出発できれば、帰着は三時ですから、なんの問題もないのですが、このところの体調を考えると、出発できるのは早くて十一時。ひょっとしたら十二時。
帰りのバスも一時間に一本しかないのですから、乗り損ねたときには、一時間待たなければならない、ということになります。
平日であれば、現地を歩き廻ったあと、ほとんど待つこともなく帰りのバスに乗れるのですが、土日祝日だと、バスのダイヤが平日とは違うので、出発する時間も、現地での行動も変えなくてはなりません。よって、行くとすれば平日なのです。
今月八日は平日の木曜日。
朝方の体調がよければ、美浦村行を決行する運びだったのですが、あいにく頭が少々重いような感じがあって、じりじりと時が経って行くのに、朝のうちは炬燵に坐ったままで過ごしました。結局、乗れるのは北小金駅発十二時九分という遅めの出発になったので、美浦村行は取り止めにして、我孫子へ行くことにしたのです。
我孫子への小旅行に出立する前に、地元の慶林寺に参拝します。
門は閉ざされていましたが、薬師如来の縁日にはお賽銭をあげることにしているので、右の通用門から境内にお邪魔します。
お賽銭をあげ、この小鐘を撞きます。
参道入口にある河津桜です。
例年であれば、この時期になると、一輪か二輪、チラホラと咲き始めているのですが、今年はまだでした。
こちらは参道の中ほどにあるもう一本の河津桜。
こちらも開花までにはあと数日かかりそう。
柏で上野から直通の成田行に乗り換え、東我孫子で降りました。
この先にある湖北とか木下(きおろし)とかには何度も行っているので、その都度この駅は通っていますが、降りるのは初めてです。
成田線は単線なので、この駅で上り電車と交換しなければなりません。
かなり前の夏、成田線でどこかへ行って、帰りの電車に乗っていたときのことでした。この駅に着いたとき、上野からくる電車が遅れているので、しばらく停車します、という車内アナウンスがありました。
進行方向、向かって右側の座席に坐っていました。身体を屈めれば、南の空が見えます。ふと見ると、先ほどまでカンカン照りだった空に暗雲が立ち込めるようになっていました。
出かける前の天気予報では、にわか雨の「ニ」の字もなく、カンカン照りがつづいていました。二時半ごろには帰る予定だったので、敷き布団を干したまま出ていました。
遅れに遅れた下り電車がやってくるころには、どうやら一雨避けられぬ空模様になっていました。
我孫子で常磐線の緩行に乗り換えましたが、電車が次の北柏の駅に滑り込むころにはカンカンという音がして、見ると地面には雹が跳ねていました。
ザアザア降りとはなりませんでしたが、帰ってみると、布団は取り込むことができぬほどの濡れようでした。夏だったので、カーペットの上に寝て、一夜を過ごすこととなりましたが……。
東我孫子という駅は初めて利用する駅でしたが、それなりに因縁のある駅でした。
スイカの残金が残り少なくなっていたので、降りたらチャージしておこうと考えていたのですが、降りてみると無人駅です。改札もないので、スイカをタッチせずに出て、どうなるのだろうと思いながら、駅を出ました。もちろんチャージする機械なんぞはありません。
※帰りもこの駅から乗ったので、そのときにわかるのですが、上り下りと二本あるプラットホームのそれぞれ端っこに、スイカをタッチするパネルがありました。
帰るとき、上りホームのパネルにタッチすると、出場記録がありません、というメッセージが出ました。降りてから何時間も経過しているのだから、どうであろうかと訝りながら下りホームへ行ってタッチすると、無事出場したことになって、上りホームに戻ってきてタッチすると、無事入場できました。
線路に沿って成田方面へ歩き始め、踏切を渡って、国道356号線を横切ります。
東我孫子駅から歩いて十分ほど、左へ緩くカーブしている径の前方に墓石が見えてきたと思えば、道路を挟んだ左側に西音寺がありました。
この日、私は三つもミスを犯すのですが、ここで最初のミスを犯しています。本堂前に本堂落成を記念する石碑がある(画像右のほう)のですが、まったく読むことなくカメラを構えてシャッターを切りました。
私が普段遣いしているパナソニック製のコンパクトデジカメはシャッターを切ったあと、撮した画像が暫くの間だけモニタに残ります。
撮影するときはそのモニタを見ながらシャッターを切るわけですから、切った直後に目を背けようとしない限り、画像は目に入るはずです。ところがほんのときたま、モニタ枠内に目的の被写体がちゃんときているのを確認すると、目はほかのものを見て、シャッターを切るということもあります。
多分このときはほかの何かを見ながらシャッターを切り、その瞬間、カメラが動いてしまって、なんだかよくわからないものしか撮していなかったのにもかかわらず、直後のモニタも見なかったのでしょう。
このときに記録を確かめておけば、写っていないという致命的なミスは犯さずに済んだのに、境内には本堂のほかに、二つの小さな御堂があったのですが、どちらが薬師堂であろうかということに気をとられていました。
この西音寺がいかなるお寺であるのか。ブログにするときには撮したはずの石碑を読みながら、と思っていたわけで、すなわちお寺の来し方がわからないままです。
薬師堂が確認できました。お賽銭をあげて、友人知人たちの息災を祈ります。
本堂の右後ろに赤い鳥居が見えたので、行ってみると八幡神社でした。社があるのはずっと奥のほう。しかも石段を上らなくてはならぬということがわかったので、参拝するのはパス。
次は白泉寺を目指します。
地図には「白泉寺」とありますが、お寺そのものはすでにないのです。公共の施設に建て替えられていて、その中の部屋の一間に、白泉寺にあった仏像が祀られている、ということのようです。
……と、下調べをしたときに読んでいたはずですが、すっかり忘れていました。持参の地図にも「卍」印があって、白泉寺とあるので、そういえば、と思い出すことがなかったのでしょう。地図のせいにしてはいけませんが、「卍」ではなく、史跡を示す記号であったなら……。
これが二つ目のミス。
西音寺をあとにして、国道356線に出ました。
交通量の多い道を歩くのは避けたいと思っていましたが、それは歩道部分が白線を引いただけの狭いスペースで、私が歩くかたわらを後ろから追いまくるように排気ガスを撒き散らしながらトラックが突っ走って行く、と考えていたからです。しかし、この地域の国道356線は広い歩道があり、柵もあって安心して歩くことができます。
バス停がありました。下ヶ戸(さげと)のバス停です。時刻表を見ると、湖北駅南口行と布佐駅南口行が通っています。
電車でいうと下り方面で、帰りに乗るとしたら反対側のバス停の時刻表を見なければなりませんが、結構本数があります。疲れたら、帰りはバスに乗ればいいと思うと、多少の無理なら押してもいい、と少し気持ちが楽になります。
歩いているうちに太腿が痛くなってきました。朝のうち、体調が優れなかったこととは関係がありません。前日の散策のとき ― 最近は体調の優れぬ日が多いので、忘れていたというか、その気が起きなかったのですが ― 元ピンク・レディのミー推奨の大股兼早歩きを試みていたのです。その後遺症が出たのでした。
湖北台団地入口の交差点を通り過ぎて行きます。
前方には上り坂があります。立ち止まって、持参の地図を見ると、白泉寺まではあと少しのようです。
坂を上って行くと、岡都坂上というバス停がありました。
便数の多いバス路線は通り過ぎてきた湖北台団地入口で曲がってしまうようで、時刻表に記されているのは寂しい本数に変わりました。
バス停を過ぎてすぐ、左に入って行く路地の奥に赤い鳥居が見えました。白泉寺が別当だった八幡神社だと思って、鳥居の前まで進みましたが、肝心の白泉寺が見当たりません。私はまだ白泉寺がすでにない、ということを思い出せず、お寺がない! と思ってしまったのです。
うろたえました。薬師詣でのあとにだれかと待ち合わせているわけではないから、少しも慌てることもなかったし、出直すのが格別むずかしいような遠隔の地にきているわけでもないので、見つけられなければ出直そうと考えればよかったのですが……。
西音寺で薬師詣では済ませていたのだから、今日の目的を達していないわけではない。もう一度きちんと調べ直して、別の月の薬師詣でで参拝することにしてもいい。うろたえることなど何もないのにうろたえて、地図を見直しました。
すると、少し先にもう一つの八幡神社がありました。な~んだ間違えたんだ。ホッとして歩き出しました。
そして、歩くこと300メートル足らず。同じように左に入る路地があって、歩いて行くと、な~んと八幡神社ではなく、八坂神社です。うろたえたので、地図の「八」の字だけを見て、八幡神社だと思ってしまったのです。
目指す白泉寺ではなかったとわかって、完全に気力喪失! 疲労も数倍!
やはり先ほどのところだったのか、と思い、もう一度引き返しましたが、余計な廻り道をした、という思いが強いので、今日の日はもう脚が動きません。
これは最初に覗いたときに写した八幡神社の画像です。
左奥に写っている白っぽい建物が薬師如来が祀られている岡発戸(おかほっと)公民館です。「我孫子市史」によると、公民館が建てられているところに、いまはない白泉寺があったようです。
市史には昭和三十年に建物を改修して岡発戸公民館を設置することになり、その建物の中の一間を仏間として仏像等を納めた旨が記されています。
白泉寺の創建は慶長十五年(1610年)、開山は正泉寺第七世の竹巌宗嫩大和尚です。正泉寺とは今回は寄りませんでしたが、白泉寺跡から徒歩七分ほどのところにある曹洞宗の寺院です。
外からは何も窺うことはできませんが、祀られている仏像は木造阿弥陀如来坐像、木造十一面観音坐像、それに木造薬師如来坐像の三体のようです。
公民館前にある大師堂です。この画像ではわかりませんが、正面の妻の懸魚が渦波模様になっています。「白泉」という寺号にちなむ、ということであろうと考えられています。
下調べのときに読んでいたはずの「薬師如来は岡発戸公民館に……」という一行を忘れてしまっていたばかりに、ほとんど真ん前まで行っていながら、お参りは果たせず、ということになってしまいました。
そんなに遠いところでもないので、いつの日にか薬師詣で。
諦めがつくと、気になるのは三十分に一本しかない帰りの電車の時刻でしたが、上野行の電車がくる八分前に東我孫子の駅に戻ることができました。
→この日の行程です。
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