このところ好天つづき。
先日、偶然立ち寄った春山寺で布袋尊を見たのが流山七福神の四つ目。残りの五つ目~七つ目は我が庵から歩きでがありますが、一気に制覇してしまわんものと出かけることにしました。
最初に東武野田線豊四季駅近くにある成顕(じょうけん)寺の弁財天を見に行きます。
富士川と坂川沿いに歩いて、野々下水辺公園から始まる坂川の出発点を通過。放流のない日もあります。今日の放流量は中程度。
東武野田線の豊四季駅を通り過ぎ、我が庵を出てから徒歩五十分で大堀川を渡る駒木橋に到りました。手賀沼に注ぐ川です。
成願寺へは豊四季駅前の通りをもう少し進んでから曲がらなければならなかったのですが、一つ手前を曲がってしまいました。ために、成願寺の裏手を半周して裏門から入ることに……。
成顕寺。本堂右手に本尊の釈迦如来、左手に諏訪龍神を祀るという神仏習合の寺。豊四季駅近くには去年訪れた諏訪神社がありますが、かつてはその奥の院であったようです。
真言宗寺院として大同年間(806年-09年)に創建、鎌倉時代の弘安年間(1278年-87年)に日蓮宗に改宗、と伝えられています。
ここでも万灯練り行列があると知りましたが、期日は日蓮の命日(十月十二日)とは程遠い八月二十二日です。その日には諏訪神社の例祭があるので、それに合わせているようです。
鰐口。直径90センチ、厚さ50センチと大型です。
流山七福神・五つ目の弁財天。
境内は落ち葉盛ん。十人近い人が境内に拡がって落ち葉の掃除をしていました。
六つ目の毘沙門天がある福性寺まで歩いて行くのはかなり厳しい。豊四季駅に戻って電車に乗り、三つ先の江戸川台で降りました。
江戸川台で降りて地図を見ると、駅からそれほど遠くなさそうなところに慈眼院と浄信寺という「卍」の印がありました。「慈眼」というのは慈眼大師 ― 天海僧正の諡号(しごう)です。
地図では宗派がわかりませんが、天台のお寺なら、きっと何かの因縁があるはず……「慈眼」という字を見れば寄らずにはおれません。
道が間違っていなければそろそろあるはず、と思って歩みを進めましたが、一向に寺らしきものがない。間違ったかもしれないと思って途中で横道に入り、周辺をウロウロ。
広く交通量の多い道路に出てしまうと、バス停があって、やはり先ほどの道が正解だったのだと知らされてあと戻りしました。
遠いのも道理でした。私が携帯していた地図の縮尺は、中心街は一万五千分の一なのですが、慈眼院と浄信寺が載っている周辺部は三万分の一であったのです。
慈眼院は天台ではなく、真言宗豊山派の寺でした。無住のようで、山門も通用門も閉じられていて、本堂は見えますが、写真に写せるようなアングルがありません。流山市が建てた説明板で創建が戦国時代とわかるだけでした。
慈眼院と向かい合わせて浄土宗浄信寺がありました。創建は天正六年(1578年)。
説明板には六十年に一度開帳の秘仏・聖観音(しょうかんのん)が祀られている、とありました。六十年に一度とは、一度きりの人生で二度拝めることはむずかしいはず。それなのに前の開帳はいつであったのか、何も説明がありません。
浄信寺から福性寺へ向かうとき、この日二度目の道の間違い。
間違えたおかげで野良殿に出会えました。
私がバッグに忍ばせているミオは一袋40グラム入り。野良殿に出会えば、一匹に対して手のひらに一握りずつ、一匹しかいなければ三回か四回ぶんあるのですが、この野良殿はよほど腹を空かせていたのか、猛烈な勢いで食べ始めました。
食べ終わっても鼻を伸ばして匂いを嗅いでいるので、もう一握り、もう一握りと、結局一袋まるまる食べてくれました。
※いつだったか、電車の中で漏れ聞いた話です。
猫は犬に比べると嗅覚がかなり落ちるようです。そこでキャットフードなるものは幾分強めの匂いがつけてあるらしい。
その話を聞いたからか、それ以前からか、確かな記憶はないのですが、野良殿に出会ったとき、私はミオの袋を振ることにしています。封を切っていない場合は封を開けて……。
チッチッと舌を鳴らしても、素知らぬ顔を決め込んでいる野良殿も、音を聞くと(実際は強めにしてある匂いが漂うのでしょうか)近寄ってきてくれます。いまのところ百発百中です。
周辺は畑を縫うようにして曲がりくねった道ばかりです。高い建物はないので、見晴らしはよいのですが、神社や寺かと思わせる森がそこらじゅうにあります。あれか、と目星をつけて行ってみると、残念ながら屋敷森。二つアテが外れてさまよっているうち、ようやくお寺らしい高い屋根を見つけました。
福性寺本堂前に聳える無患子(ムクロジ)と公孫樹(イチョウ)です。
無患子は一年近く前までは名前すら知らなかった樹なのに、研鑽を積んだおかげで、いまでは葉と大まかな姿を見れば、無患子だとわかるようになりました。
無患子(上)と公孫樹(下)の根元です。両方ともこれだけの大樹であるのに、流山市の保存樹木に指定されているというだけで(それも流山市のホームページで知りました。現地には何もなし)、樹齢その他は何一つわかりません。
無患子の根周りは目測で3メートル。公孫樹は6メートルは下らないと思えます。樹の高さは公孫樹のほうが少しだけまさっています。
福性寺本堂です。真言宗豊山派のお寺で、弘化元年(1844年)の創建。
肝心の毘沙門天です。無患子に見とれてしまって忘れるところでした。
これで六福神を巡りました。これまで見たものはすべて石像でしたが、この毘沙門天だけは青銅のようです。右手につかんだ三叉戟(さんさげき)を石から彫り出すのはむずかしいからか。
七福神の残る一つは西栄寺の福禄寿ですが、福性寺からは流山街道沿いに歩いて四十分ほどかかりそうです。二度も道を間違えてウロウロしているので、一時間近く時間を無駄にしています。
陽もかなり傾いてきました。陽光のあるうちに辿り着けるかどうか、と危ぶみましたが、ともかく流山街道を歩き始めました。
秋の陽は釣瓶(つるべ)落とし、とはよくぞいったものです。右手に夕陽を見ながら急いだものの、香取神社前を通過するころには薄暗くなってしまったので、西栄寺訪問は断念。
到着までにまだ二十分ほどかかりそうでした。コンパクトデジカメのストロボではきっと写真にはならないだろうし、真っ暗になったあとに、歩いたことのない道を帰らなければならないのも心配だし、夜目では地図も読めなくなってしまいます。
降りた江戸川台駅は遙か遠くに去っているので、一つ柏寄りの初石駅に出ることにしましたが、常磐道を越すころには完全に日が暮れて、この日三度目の道の間違いを犯しました。
夕陽に燃える森。芸術的で絶妙な色合い、と思ってシャッターを押しましたが、モニタを見てみると、さほどのことはありません。パソコンに取り込むと、なお一層さほどのことはない。
しかし、実際は実に実に美しかったのです。道を間違え、西栄寺行を断念したおかげです。流山市上新宿(かみしんしゅく)の八坂神社で。
↓この日歩いたところ第一部。坂川放水口→成顕寺→豊四季駅まで。
http://chizuz.com/map/map78606.html
第二部。江戸川台駅→福性寺→初石駅まで。豊四季→江戸川台は電車利用。
http://chizuz.com/map/map78607.html
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