二人語りの折、共演した酒井孝宏さんの主宰する「劇団 徒紀の奏」の第3回公演、『ボヘミアン グレイブヤード』(酒井孝宏作・演出)を観てきました。
やはり今回のテーマも、「都会の片隅に漂う人びとが探し求めているもの」であったと思います。
酒井さんらしい作風で落ち着いて観させていただきました。
酒井さんの作品に登場する人物は、時間や環境や社会に流されているようでいて、いつも何かを考え、考え、考えしている人たちです。
酒井さんの作品を観ると、もう、私たちがずっと自問自答している
「私はどこから来てどこへ行くのか」に辿り着き、その問題を考えるのをしばらく忘れている自分に気づきます。
今日の作品のタイトルは『ボヘミアングレイブヤード』(漂流者の墓地)ということで、家族と別れても、思いのままに生きる選択をし、その先に、結果、骨をうずめる土地を探し求めた一人の漁師の男の足跡を追うような話の展開でした。
その人生は、家族と別れ、弧独であっただろうが、詩集を投稿し続け、詩集「ボヘミアングレイブヤード」という形で想いを綴り残したことで、彼の生き様がはっきりと見て取れ、自分が成すべき事と真剣に向き合った男の身勝手には違いないのだけれど、真っ直ぐな静かな戦い、人生を見ることができ、納得のいくものでした。
娘が、結婚を前に、二十年前に別れた父を探すことを、開業したばかりの探偵事務所に依頼するところから始まったこの作品の終わりは、遠い土地で既に亡くなっていた父の墓に、別れた妻と娘が、墓参りをしている様子が目に浮かぶようなものでした。
その墓は、眺めの良い小高い丘の上に、卵形の石をのせただけの、小さな墓。
「墓参り」というのは故人を偲び慰める、故人への慈悲の気持ちで包まれているもの。
そこには、長年つかえていたものへの許しがあり、優しい心の和解も生れたのだと思い、穏やかな気持ちになりました。
まだ、生れてほやほやの「劇団徒紀の奏」。
回を重ねるたびに、若い劇団員の方が育っているのがわかります。
若い劇団を応援していく楽しみは、そんなところを観る楽しみでもあります。
また、この作品のところどころに、ことわざや、詩人や文豪の名が飛び交ったり、作品の話題を盛り込んだユーモアを散りばめていたのが、普段熱弁を聞けるほど、小林秀雄好き、文学好きの酒井さんの一面がでていて、私としては嬉しいことでした。
酒井さん、次もよい作品作ってくださいね!
帰り、夕方の6時半過ぎのこと。
出かける時は、雨が降っていて、ぐずぐずだったのに、あまりにもまぶしい光が私の背を押し、新しいホームが明るく照らされていました。
静かでした。とても。
ふと、「ここに私がいるのだなぁ」となぜかいつも降りる駅のホームでそう思いました。
♪「探し物はなんですか、見つけにくいものですか~~」とフレーズが浮かんできました。
小さい頃耳にした、いくつかの記憶の歌の歌詞。
ようやく身に覚えがあるようになってきました。
まだまだ探す気です