脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

冬至

2006年12月22日 | 四季の風景
今日は冬至です。

これからだんだんと、日が延びていきます。
なんだかうれしいです。

冬至にはかぼちゃを食べて、ゆず湯に入る風習があります。
冬至にかぼちゃを食べると病気にならないとか・・・。

もう病気になっているけれど、
この病気に効くというβカロテンが摂れるし

日本の古来からの風習には、
ビタミン補給などの意味があると思うので、

厄よけになるというから、
さっそく煮て食べてみます。

しかし、
「脳脊髄液減少症」患者の脱力する手では
硬いかぼちゃを切るのは大変で、恐怖なのです。

すでに先日半分食べた時、
半分に切ることが命がけのように大変でした。
手元が狂って、かぼちゃがゴロンとなって
おなかに包丁が刺らないようにと
とても緊張しました。

丸ごとレンジで加熱して、
やわらかくすればよかったのですが・・・。

冷凍かぼちゃもあるので、今夜はそっちにします。

冷凍かぼちゃは切ってあるのでとても楽です。

かぼちゃプリン。
かぼちゃサラダ。
かぼちゃの味噌汁。
かぼちゃのシナモンはちみつ煮。
かぼちゃグラタン。
かぼちゃの甘煮。
かぼちゃのてんぷら。
かぼちゃ饅頭。
かぼちゃのシチュー。

かぼちゃは大好きなので、。
誰かいろいろ作って
食べさせてくれないかなぁ、と思います。

そうそう、
お風呂
今夜は柚子湯にしなきゃ

記憶障害だから、うっかり忘れそうです。

あんまり柚子を入れると体がひりひりするので
1個だけ入れて、すぐ出して、
手で持って香りをかぎながら入浴します。

かぼちゃはボケ防止にもなると信じられていたようで
こちらでは、
ぼけ防止のお守りに「かぼちゃ」をかたどったものがあります。

「脳脊髄液減少症」の病名をもらう前、
何年もの間、記憶障害に悩みましたが、

医師に「気のせい」と見捨てられると、
最後は神頼みしかありませんでした。

かぼちゃをかたどった「ぼけ封じ」のお守りを
いつも持ち歩いていました。

かぼちゃをじっと観察していたら、
治ろうと必死だった、あのころの自分を思い出しました。

もっと早く、この病名があったなら・・・
もっと早く原因に気づいていたなら・・・
治療法にたどりついていたなら、・・・

くやしいです。

今年もあと9日です。
早いものです。

これから年末まではバタバタとして、
もしかしたら、もう更新できないかもしれないし、

このままうっかり、
ご挨拶も忘れてしまうかもしれないので、

クリスマスもこないのに、
少し早すぎますが、
いまのうちに皆様にご挨拶しておきます。

今年はいろいろとお世話になりました。

皆様にささえられながら、
苦しい闘病生活もここまでこれました。
本当にありがとうございました。

来年も、
「交通事故後遺症」を克服できる日まで、
苦しくても、自分の命を大切にしながら、

「とりあえず、生きて」
少しでも前に進みたいと思っています。

皆様も、どうかお体に気をつけて

よいお年をお迎えください。   Y.



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森の「綿菓子屋」さん。

2006年12月12日 | 四季の風景
今日は12月12日
今年もあと19日。残りわずかです。
今日はこちらは曇り
午後から雨になるようです。

昨日の朝は寒くて、庭に霜柱を見ました。
たまった水に氷もはっていました。

今朝はくもりだったせいか、比較的暖かな朝で
霜はおりていませんでした。

最近寒いせいか、
インフルエンザにかかった時のように、全身のふしぶしが痛みます。
昨日も今朝も痛みで目が覚め、本当にこんな目覚めが嫌で、
つい「もう死にたい。」と
弱音が自然に口から出てしまいました。
こんな日もあります。

さて、
12月4日に初霜を見ました。
翌日も霜で車も空き地も真っ白でした。
冬だなぁと感じました。

その日は寒かったけれど晴れていたので、
気温が上がるのを待って、公園に散歩行ってきました。
これで26回目です。

翌日5日にも、出かけるのが11時ごろと遅れたけれど、
散歩にいきました。
27回目です。

でも、出かけるタイミングは遅かったせいか
具合が悪くなってきて、いつものコースより短めに歩いて、
早めに帰ってきました。

以来きょうまで、散歩には行っていません。

12月の公園は木々の紅葉も終わり、
木の葉が落ち、うっそうとしていた森が
急に日が差し込んで明るくなってきました

最後の落ち葉が道を埋め尽くし、
もみじの赤や黄色の木の葉で埋め尽くされた木の下は
まるで色とりどりの糸で織られたじゅうたんが
しかれているようでした。

11月末のある朝の散歩の時、
朝日のスポットライトの射す林の中で、
まるで、雪のように絶え間なくハラハラと散る、木の葉を見ました。

とても幻想的な美しい光景でした。

考えてみると、
今までの人生の中で、
10月11月12月と移りゆく、木々たちを、
こんなにも毎日のように観察したことはありませんでした。

紅葉の名所は何度か見たことはあっても、
身近な木々たちの葉が次第に少しずつ色づき、
散っていく一部始終の変化を、
見て、嗅いで、木の葉を拾って、描いてと、
全身で感じたことも、ありませんでした。

いつも、苦しい症状を抱えながらも
時間に追われ、学業や仕事や忙しい日常に追われ、
必死に生きていたから、

こんなにじっくりと紅葉の一部始終を見たことは
今までの人生で一度もありませんでした。

こんな秋は、今年が生まれてはじめてでした。

「脳脊髄液減少症」が悪化して、リハビリ散歩が必要なほどにならなければ
こんな時間は、私の人生にはなかったかもしれません。

そう思うと、今までの人生も、悪化後の苦しさも
ブラッドパッチ後も孤独な闘病も、リハビリも、
ただ、苦しいだけではなく、

自分と向き合ったり、四季の自然からエネルギーをもらう
大切な時間を与えてもらったのかもしれません。

「人生に起こることがらに、何も無駄なことはない。」のだと思えました。


この秋、公園にいくと、私にはひそかな楽しみがありました。

それは、「森の綿菓子屋さん」に会うことです。

その「森の綿菓子屋さん」は
いつもそこで、甘い香りを周囲一杯にただよわせて
私が来るのを待っていて、
11月下旬まで、私を励まし楽しませてくれました。

「おっ、今日も歩いてきたな。」
「がんばれよ。」といわんばかりに
そこを通るたび、甘い香りで応援してくれました。

しかし・・・・・、
そこには、「綿菓子屋さん」の姿は見えません。

ただ、濃厚な、砂糖がこげるような、
カラメルソースのような、
お祭りの屋台の綿菓子やさんの近くにただようような、
甘い香りがするだけです

私はいつも、そこで足を止めました。
見渡すかぎり、森です。
「はて?」と毎回考えました。

「近くに精糖工場でもあるのかな?」
そう、本気で考えました。

でもそんな施設は周囲にはありません。

「ミツバチの巣でもあるのかな?」
「はちみつの匂いかな?」
でも、蜂の気配もありません。

「はて?この甘い香りの正体はいったい?」

散歩をしている老夫婦に
「ここに来ると甘い香りがしますよね?なんでしょう?」
と聞いてみましたが
老夫婦は二人でニコニコと首をかしげるばかりでした。

老夫婦には、この香りがわからない様子でした。
耳が遠くて、私の声が聞き取れなかったのかも・・・

まさか、私だけが感じる幻臭?

ずっと疑問に思いながら、
公園散歩に通いました。

いつ行っても、そこを通ると香ってくる
あま~いカラメルの香り・・・。

ある日、その正体がやっとわかりました。

その正体とは・・・・・

決してキレイな紅葉とはいえない、あたり一面に敷きつめられた、
茶色の「桂(かつら)の木の落ち葉」でした。

茶色になった落ち葉をひろって、匂いをかいでみると、
カラメルの香りそっくり
「これだ」と
気がついた時の驚き。

そして、確かに「香りの元」があったことで
微妙な木の葉の香りを感じ取ることができた
自分の嗅覚の回復したことの気づきと驚き。

改めて周囲を見回すと
その場所は、桂の大木が何本かそびえ立っていました。

「森の綿菓子屋さん」の正体は
かつらの木たちだったのです。

まさか、この甘い香りの正体が、「木の葉」とは想像もしませんでした。

ハート型の「桂の葉」は、
好きな人の持ち物の本にそっとはさんでおくと
自分の思いが伝わると
昔、山の案内人から聞いたことはありましたが

こんなに甘い香りがすることを、
この秋まで、私は全く知りませんでした。

桂の木の大木が何本かある林の一帯には
10月ごろから、11月下旬まで、ずっと甘い香りがただよっていました。

どうして落ち葉がこんなにおいしそうな香りがするのか、
自然界のいたずらに驚きました。

桂の茶色になった落ち葉だけが香るのでしょうか?
若葉はどんな香りがするのでしょうか?
興味はつきません。
また調べてみたいと思います。

落ち葉を拾い集め、何枚か持って帰って、玄関とパソコンの横に置きました。
すると、家の中まで、ずっとあの甘い香りがするのです。
自然の芳香剤です。
ちなみに家族は「しょうゆせんべい」の香りと言いました。

私は甘い香りに感じました。
甘い香りは、なぜか心を穏やかにしてくれます。

桂の木は、ちょうど歩いていて苦しくなる
折り返し地点にあったのです。
甘い香りをかぐと
「もう少し。」とがんばれました。

この秋、桂の落ち葉の香りには
本当に励まされ、楽しませてもらいました。

でも11月下旬24回目の散歩した時、
もう桂の木の横を通っても、甘い香りはしなくなっていました。

落ち葉として落ちてからも、しばらく甘い香りを漂わせたあと、
カラカラになって、その甘い香りが終わるようです。

11月下旬で、すべての葉が落ちてしまいました。

「森の綿菓子屋さん」も11月で閉店のようです。

この秋、私の孤独なリハビリ散歩を
いつもそこで待っていて、甘い香りで応援してくれた
「森の綿菓子屋さん」。
ありがとう。

今より元気になって、きっと会いにいくから、
また、来年、甘い香りをかがせてね。



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銀杏(ぎんなん)

2006年11月04日 | 四季の風景
先日公園を歩いていると

黄色く色づいたイチョウの木の下に

梅の実ぐらいの大きさの、イチョウの実が落ちていた。


ふと、足を止めて、イチョウの大木を見上げた。

青い秋空と、イチョウの黄色のコントラストはきれいだけど、


見上げていたら、

「来年のぎんなんの季節には、私はどうしているのだろう?。」と

期待と不安、希望と絶望の入り混じる、

もの悲しい気持ちになった。


足元のイチョウの実は、

臭いがきついけれど、

少し拾って、持って帰ってきた。


家に帰って、

ホースで水をかけて、熟した実をはぐと、

中から白い種が出てきた。

やっと、売っている「ぎんなん」の姿になった。


今日になって、

その「ぎんなん」を食べてみようと思った。


毎日が「連休」の私には、

11月の3連休のありがたみもなく、

だれも来ない、どこにも行けない、ひとりぼっちの時間は、

ただ、体の苦しさと向き合うだけ。


そんな時間をまぎらわすため、

自分で拾って、自分で実をむいて、洗ってあった白いぎんなんを、

自分でフライパンで炒って、殻を割った。


出てきたのは、

透き通った、エメラルドグリーンの中身。

キラキラとして、本当の宝石のように美しかった。

食べてみると、深い緑の味。


今まで何十年も生きてきて

秋に自分で拾った「ぎんなん」を食べたのは、

今年がはじめて。


「脳脊髄液減少症」にならなければ

公園にリハビリに散歩に行って、自分で拾ったぎんなんを、

こうして味わうこともなかっただろう。


でも、

ひとりぼっちの連休の午後に

ひとりぼっちで、味わう「ぎんなん」は

なんだか、せつない味がした。    






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12日ぶりの公園

2006年10月30日 | 四季の風景
どうしても、

公園の紅葉の進みぐあいが気になって、気になって、

具合は悪かったが、けさ、無理して公園へ行ってきてしまった。

どうしても、自分を止められなかった。

公園に行ったのは12日ぶり。

紅葉は、思ったより進んでいなくて、まだ楽しめそうだった。

よかった、ほっとした。

でも、歩き出したものの、途中で、半身がシビレて、足が前に出なくなってきた。

手も脱力してきた。

半身が重い。ひきずるように、必死で歩く。

地面が地震のようにグラグラと感じる。

景色がゆがむ。

呼吸が苦しい、心臓が苦しい。

いつものコースが長く感じる。

散歩が楽しめない。

周囲を見る心のゆとりがない。

倒れこみそうになりながら、必死で杖歩行でやっと1周歩いてきた。

調子がいいときと、悪い時の、この落差。

これが誤解を生む元になる、この病気の「症状の波」。

スタスタと公園2周も、早足で歩けるときもあれば

半身マヒ状態でひきずりながらの時もある

あまりの落差に、この病気を知らない人には

まるで「演技」のように見えるだろう。

でも、どちらの状態も、

演技でもなんでもなく、この病気の真実の状態。

きょうは歩いていても、現実感がない。

夢の中を、ただよってきたような散歩だった。

悔しい。

でも、無事、運転して 帰ってこれてよかった。



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お散歩日記

2006年10月18日 | 四季の風景
今日もいい天気で、公園に散歩に行ってきました。
10回目です。
9回目になる昨日も行きました。

昨日、行きと帰りの対向車がすごく怖かった。
出るのが少し遅れると、トラックがバンバン通る時間帯なのです。

対向車が来ると恐怖から、ブレーキを何度も踏んでしまうし、
無意識に左に寄っていってしまって、たんぼに落ちそうでした。

「対向車が怖い。」
これも、交通事故の精神的な後遺症だと思います。

本当に、自力でリハビリするのは危険を伴い大変です。

健康保険で安心して、
「脳脊髄液減少症」の治療もリハビリも受けられる日が、
早く来てほしいと、心から願っています。

昨日の公園は、どこかの部活の学生がたくさんいました。
散歩していたら、
ひとりの女の子が、ぽつんと集団から遅れてとぼとぼと歩いていました。

体調が悪いのか、下を向いて、トボトボと歩いています。
先には同じジャージの子が、集団で歩いています。

普通に見える子どもの中に、
もしかしたら、スポーツ事故などによって、
「脳脊髄液減少症」の症状が出ている子がいて、

それに気づかないまま、
だるくて思うように動けず、仲間から「のろま」とか言われている子が
いるかもしれないなぁと、
その子がとても、気になりながら追い越しました。

10代の子なのに、私の歩きで追い越せるのです。

その子が気になりながらも歩いていくと
いつもと違った横道に気づきました。

本物の山に入っていくような道でした。

腐葉土や朽ちた小枝でふかふかの道は、
ワインの栓のコルクを敷き詰めたような、やわらかな歩きごごちです。

アスファルトの道と違う
足から伝わるその感触を、脳もここちよく味わっている感じでした。
以前、症状の説明の「ふわふわ感」で書いたような
目でみた地面と足の感覚と脳の感じ方とが一致しないような、
計算が合わないような、異常な歩行感覚もすっかりなく、

硬い地面は硬く、やわらかい地面はやわらかく、
きちんと、
目で見た地面の様子と、足の感覚と、脳が感じる感覚が、
ピタリと一致している心地よさ。

普通の人には当たり前の感覚が、
「異常感覚」で苦しんだ経験のある私には
ありがたく、貴重な感覚に思います。

「ふわふわ感」は、もうずいぶん昔に自然に治まっていましたが
ブラッドパッチでさらに、シビレが和らいだせいか、

足の裏と脳の捕らえる感覚が、
さらに繊細に鋭敏になった感じがしました。

その道の途中で、真っ赤な木の葉を拾いました。

まだ、ほとんどの葉が緑だというのに、
その木の根元に数枚だけ、真っ赤な木の葉が落ちていました。
目が覚めるような、赤でした。

と、ここまでが昨日のお話。

今日の散歩は、きのうトラックで怖い思いをしたので
早めに出ました。

すると、
今度は通学の自転車と、通勤であせっている車で、
また違った運転の怖さがありました。

リハビリに公園に行く途中で事故を起こしたら、
本末転倒なので、運転は今後も注意します。

公園に着いて歩き始めてすぐに、
木々の間の地面に
手のひらより少し大きい範囲の、高さ10センチ位の土の山を見つけました。

小さな土の山がポツンポツンとあちこちにあるのです。

そう、
モグラ君がトンネルから、掘り出し地上に押し出した
モグラ塚です。

足を止めて、ためしに、土をどけて、木の枝でトンネルの穴を探すと
ありました。
2~3センチのモグラ君のトンネルの穴が。
木の枝を差し込むと、枝がどこまでも入りました。

以前、猫を飼っていた時、よくモグラ君を捕まえてきたので、
モグラ君のかわいい大きさや姿はわかっていたので、
その穴の大きさに納得しました。

さらに歩き進んでいくと
今度は死んだ50センチくらいのヘビに会いました。
かわいそうに、公園整備の車にでもひかれたのでしょうか?

おなかに傷があり、道路の端にひっくり返っていました。

きのう歩いた時はいなかったから、亡くなったばかりのようです。
ヘビ君も、一生懸命生きてきたのに、気の毒に
きのう命が終わってしまったんだね。

命は自然にまかせていても、
思いがけない形で終わってしまうこともあるものです。

明日、命がある保障は、誰にもないんですよね。

一日一日を大切に感謝して生きたいと思います。

さて、
最近、いじめを苦にして相次いで自殺する子の報道に
心を痛めていましたが、

きのう、公園でひとり、下を向いてトボトボ歩く、
気になる生徒を見たせいか、
ひさしぶりに、子供たちにメッセージが書きたくなりました。

後日、したいと思います。


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うなぎでリハビリ

2006年08月27日 | 四季の風景
昨日は、朝から涼しい1日でした。
雨あがりの空気はひんやりして、すごしやすく
夜にはコオロギが鳴いて
夏の終わりを感じました。

今日も朝から涼しいです。
秋ですねぇ。
でも体はなぜかだるい。

今朝は寝起きがすごくつらかった。

この病気の方ならわかっていただけますか?
この朝のつらさ、だるさ、動けなさ。

さて、今日は
「うなぎ」が「私のリハビリ」につながったお話をしたいと思います。

前回書いたように
うなぎの好物が「ミミズ」と判明し、

特に「天然ものの土中のミミズ」が大好物
とわかりました。

しかし、なぜ、水中のうなぎが
土中のミミズを好むのか?
疑問は深まるばかりです。

当時、私はほとんど庭にもでられない状態でしたので
土中の天然ミミズをうなぎのために
毎回用意することはできません。

そこで、
釣具店で買ったミミズが
うなぎのえさになりました。

しかし、ミミズにもいろいろあるようで
さらに、うなぎを観察すると、
うなぎにはミミズの太さに好みがあるらしいのです。

以前あげたような、細いミミズは
あまりお好みではない様子。

家族はだんだん、太いミミズに代えて買ってきました。

最後にたどりついたのが
庭のミミズと同じ太さのかなり大きいサイズ。

太さ7ミリ、長さ10センチくらいのミミズです。

ついに、
このサイズのミミズが
一番のうなぎの好物だということを発見しました。

でも、釣り用の極太ミミズを買っていた時は
思いっきり食べさせてあげられませんでした。
1匹か2匹ずつ。

なにしろ、釣り用の極太ミミズは一箱600円もするのです。
普通サイズのミミズは1箱450円です。

最近私は、あのうなぎの見事な食べっぷりが見たくて
短時間、庭に出て、ミミズを探すようになりました。

あまり、長い時間体を起していると苦しくなるのですが

幸い、庭はミミズの宝庫で、
枯れ枝をよけたり、植木鉢をよけるとすぐ
太いみみずを10匹くらい捕まえることができました。
この夏、ミミズ探しが日課になりました。

「脳脊髄液減少症」の悪化以来、
仕事で稼げない私は、
せめて、「うなぎのえさ代」くらい稼がなければ!という
欲?も出てきました。

太ミミズがたくさん見つかったときは
すごくワクワクして、
まるで「大漁」のような気持ちになります。

同時に、いも堀りのような、「収穫の喜び」も感じます。
ささやかな楽しみです。

ミミズは大嫌いなはずなのに、
軍手をして、ミミズ取りに励む私。

ミミズは意外にすばしっこくて
逃げ回るのを軍手をして捕まえるのは
うなぎを捕まえているようでけっこう大変です。
でも、けっこう面白い。

見つけても
あっという間に土にもぐりこんでしまう。
シッポを捕まえても、もぐりこむとなかなか引っ張りだせない。
意外な力。

そうしてとったミミズは直接さわれないので、
割り箸でうどんのように1匹ずつつまみ
水槽に入れます。

すると、うなぎは目にも止まらぬ速さで
長くて太いミミズを一気に飲み込んでしまうのです。

頭から、しっぽから、
そして、ミミズの中央から二つ折にして、と
いろいろな飲み込み方で一気に・・・。

しかも一回の食事で多い日にはミミズを8匹は飲みこみます。
ある一定量食べると、もう見向きもしない。

うなぎの胃袋はどうなっているのか?

うなぎの胃袋でうごめいているであろう8匹のミミズたち。

想像して、ふるえあがりつつも、

うなぎの食べる姿みたさに、
ミミズ取りに励む私。

それは2~3分の短い時間ですが
毎日、少しずつ外に出るようになりました。

朝や昼間や夕方、
蚊に刺されながらも、
この夏、ミミズとりが日課になりました。

春のころはそんな気力もなく
買ったミミズをうなぎにやっていたのですが、

最近のうなぎは
私の「獲りたて産地直送」ミミズを食べています。

ふと気づけは
冷房の部屋から
夏の外気に私を引きずり出し、
日々リハビリしてくれた「うなぎ」。

ミミズ取りついでに毎日数本ずつ
草むしりしたら、庭も少しきれいになりました。

まさに、チリも積もれば山となる。

雑草が減った庭を見て、
「けっこう、私、役にたつじゃない。」と前向きな思考の効果も。

秋の風を感じるこのごろ
ゆっくり、ゆっくり、
この夏、気力体力とも回復を感じる私。

「うなぎのえさ取り」という「作業療法」?が
リハビリになったような気がしています。

無意識のうちに、
この夏
「うなぎでリハビリ」していた、私、でした。


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うなぎとミミズ

2006年08月25日 | 四季の風景
今日は朝から曇っています。
ムシムシと暑いです。
今日の体調はまずまずです、。気持ちが楽に感じています。
しかし、午後から、また起きていられなくなり
横になりました。

さて、先のうなぎの話のつづきです。

うなぎを飼うと言っても、
最初は「食べるまでの暫定的な措置」という感じでした。

生きたうなぎをサバける人が見つかるまでの
一時的な飼育。

せっかくの国内産高級うなぎです。
まだ、食べることは捨てきれずにいました。

うなぎやさんに頼んでみようか?とか
思い切って、サバいてみようか?とか
皆で何日か考えていましたが、

迷っているうちにえさもわからず、
日にちが過ぎ、うなぎがやせはじめたように感じ、

それでは、と
「二匹とも少し太らせてから食べよう!」
と言うことになりました。

しかし、ケンカして1匹が死に、
1匹だけ食べてもしかたがない気がするのと
情も移ってとてもサバいて食べる気になれなくなり、
飼いつづける羽目になりました。

正直、うなぎなんて飼いたくありませんでした。
食べることは好きですが・・・。

えさがわからず困っていたある日、
家族が偶然、
テレビで養殖うなぎに、
バケツからミミズをシャベルでばらまいている映像を見て、

うなぎのえさは「ミミズだ。」と気づいたのです。

私は「ミミズなんか食べるはずがない!。」と思いました。

うなぎは小エビとか
おいしいものしか食べないと思い込んでいましたし、
いずれヒトが食べようと思っているうなぎには
「ミミズ」ではなく、「食用えび」で太ってもらいたかったのです。

でも、私たちが喜んで蒲焼で食べてる天然うなぎは
たぶん「ミミズ」を食べているのだと思います。

ですから、「ミミズを食べて育ったうなぎは食べたくない。」
と言うのは変ですよね。
でも、皆、本当にその時はそう思っていました。

うなぎのえさは「ミミズ」だと確信をもった家族が
ペットショップで小さいミミズ?を買ってきました。

最初に家族が買ってきたミミズは熱帯魚用?の
赤くて、細くて、小さい、糸のようなミミズ?虫?が
キューブ状に冷凍されて固まって
キャラメルみたいになっているものでした。

ためしにやってみると
な・ん・と!
水にとけてばらけた赤い糸みたいなものを食べる。

しかし、なんか食べっぷりは悪い感じ。

でも、「うなぎはミミズが好き?。」
そう確信を持った家族は

たまたま、庭で見つけたふつうのミミズを
うなぎに「やってみる。」というのです。

私はやめてほしかったのですが
ついに、生きたミミズが水槽内へ・・・。

す・る・と、

うなぎは、ものすごい速さでミミズに食らいつき
あっという間にまる飲みしてしまいました。

びっくり!

その様子は明らかに
「ペットショップのえさの反応」とも、
「えびやシラコのえさの反応」とも違っていました。

ミミズを食べるうなぎの姿は
嬉々として、

「うまいよ~。おいしいよ~。」
はしゃいでいるようにも見えました。

「何日ぶりだよ~天然もののミミズ。
たまらないよ~。もっとちょうだ~いよ~。」

と言っているかのように
ニョロニョロ、クネクネと頭をフリフリ
えさを探しまわるように動くのです。

驚きました。
まさか、うなぎが「地面にいるミミズ」が好物だったとは・・・。

魚類に疎い、私の知識では想定外のことでした。

(次回につづく)


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うなぎ  

2006年08月24日 | 四季の風景
今日は朝は雨でしたが、
だんだん晴れてきました。
睡眠不足のせいかだるくて
午前中は起きていられず、横になっていました。

さて、きょうはうなぎの話をします。

土用の丑の日に食べたうなぎの蒲焼。
うなぎはなぜ夏のスタミナ源なのか?

栄養があるから?
脂がパワーの源になるから?

最近私は、その秘密がわかった気がしています。

実はうなぎを飼ってます。

数年前の夏、
まだ私が動けたころ、
静岡産のうなぎを2匹、家族が生きたままもらってきたのです。

生きたうなぎはへびのようで、もう、正直パニックでした。

しかし、私を含め、生きたうなぎをサバける人など
家族に誰もいません。
どうしようかと悩みました。

生きたまま冷蔵庫で凍らせることも考えましたが
ヘビのようにニョロニョロと動き、怖くてできませんでした。

二匹とも水槽で飼うことにしました。
その日のうちに水槽とエアポンプを購入しました。

もらってきた人は、「今夜は蒲焼だぁ~。」と浮かれて
いたので、食べられないことになり
 がっかりしてました。

うなぎは二匹で
最初は仲良く暮らしているようでしたが

まもなく狭い水槽で縄ばり争い?が起き
激しい戦いの挙句、
1匹が首を噛まれて致命傷となり、亡くなりました。
うなぎに歯があるのでしょうか?

「うなぎのドウモウさ」をはじめて知りました。

うなぎを飼い始めたころ、
水槽を買うときに一緒に買ったえさをあげてました。

えさは何を食べるのかわからず、
ペットショップで係の店員さんに相談すると
深海魚が食べる餌がいいのかもというので
買った餌です。

でも水が汚れるばかりで
あまりたべませんでした。

ミジンコかも、と思ってやってみましたが
これも、水が汚れるだけで食べた様子はありません。

自分で調べ、考えて、「えび」がいいのではと思い、
ぜいたくにも、人間用のえびをきざんであげてみました。
また魚のシラコもやってみました。

すると、食べるのですが
「いやいやしかたなく食べている感じ。」なのです。
うなぎは何を食べて成長しているのか?
なにがお好みなのか?
わからないまま、月日が過ぎ、
「えびとシラコ」でなんとかうなぎは生活していました。

そのうち、私が寝たきり状態になり、
誰にもずっと、えさもかまわれず放置されていました。

なのに、ずっと生きているのです。
すごい生命力。

水も代えず、何ヶ月も食べずに生きてる。
水槽の藻でも食べていたのか?
冬だったので冬眠していたのか?
うなぎは冬眠するのか?
謎です。

水を代えるときでも、
水道水を直接いれても、金魚のように死なない!。
水道水を汲み置きして、塩素を抜いてなんてことしなくても
平気なうなぎ。

うなぎってこんなに強い生き物だったんだと
はじめて知った私。

この強靭な生命力だからこそ、
食べると、精がつくのかも?と気づきました。

蒲焼で食べられるはずが命びろいし、
えさも与えられず放置され、
それでもなお、生き延びたうなぎ。

逆境をしぶとく生き抜いた
狭い水槽のうなぎを見て、なんだか励まされ

後遺症、手術、そして脳脊髄液減少症の苦しみで
この1年、自力で外出もできず、
狭い家の中でしか生きていない私も
「しぶとく生きるぞ!」と思いました。

ありがとう!うなぎクン(ちゃん?性別不明)

(次回につづく)(次回は「うなぎでリハビリ」)





コメント (9)
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ある夏の風景

2006年08月18日 | 四季の風景
絶え間なく聞こえる
川の水音

外には淡い紫の朝顔
花びらの先が紫から白にグラデーションしている
大輪の朝顔

ひんやりと澄んだ空気

カナカナと
さざ波のようによせては返す
ひぐらしぜみの羽音

濃い緑の森を
吹き抜けてくる涼風

その風に、リン、と鳴る風鈴

しびれた体を横たえ
ぼんやりと夏を感じる

ささやかな
やすらぎのひととき

自然はいつも
私をありのままに受け入れ、
あたたかく包み、抱き、
無言でなぐさめ、
静かに励まし、
生きている喜びを教えてくれる。

次の夏
また、素敵な自然に会いたいから
きっと、今より治ってやると
目を閉じて
静かに思う
ある夏の日。
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