脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

脳脊髄液減少症に関する最新動向

2009年06月30日 | 情報
患者会のyoutube動画

動画が作動しずらい方は こちら

3年前の2006年には
脳脊髄液減少症があたかもこの世に存在しないかのような
発言で埋め尽くされていた脊椎脊髄ジャーナル19巻5号

最近出た、脊椎脊髄ジャーナル22巻の4号

まだ、「低髄液圧症候群」という正式に認められた病名にこだわっていますね。

だからぁ・・・・髄液圧が低いんじゃなくって、
脳脊髄液が減少して、足りなくなるために症状がでるので

「脳脊髄液減少症」って病名のほうが、
病態の実態にピッタリくるんですってばぁ~。


そうパイオニアの先生がおしゃっているんですから、
「低髄」じゃないってば~

いろんな呼び方があったら、
(と、言うか、私は個人的には、この二つの病名は別モノだと思ってますが・・・)

一般の人々は混乱して、
ますます認知が遅れてしまうと思うので、

「症状の原因が、髄液圧が低いのではない病態」に関しては、
「脳脊髄液減少症」に統一していただきたいのですが・・・。

実際にRI検査を自ら判断して自分で施術して検査し、
その画像を自ら読映し、
ブラッドパッチして、
数多くの患者の経過を観察し続けてきた、検査、診断、治療の
一連の流れをすべて自分でこなしてきた、

臨床経験の多い医師の言い分に
勝るものはないと思っています。

神経内科系の先生は、
脳脊髄液減少症の一連の検査診断治療の流れの、
RIシステルノグラフィ検査やブラッドパッチ治療は
自ら直接行えないことが多いのであれば、

せめて、脳脊髄液減少症の最先端医療現場で実際の、一連の検査診断治療に多数かかわっている先生について学ぶなりしてから、

神経内科的視点からも、もっと積極的に関わっていただき、

私たち患者のブラッドパッチ後の神経内科的ケアや

脳脊髄液減少症の研究に関わって
患者を助けていただきたいと思っています。

整形外科の先生は、
交通事故後体調不良の患者が
一番最初に、相談にくる可能性が高い分野の先生なのですから、

たとえ、今まで「脳脊髄液減少症なんてこの世に存在しない。」という
スタンスでいても、

もし、「脳脊髄液減少症」の存在を認め研究や治療にお力を貸していただけるなら、

今までの思い違いを認めプライドを捨てて、医師としての初心に戻って、

脳脊髄液減少症のパイオニアの先生方の臨床の現場をどんどん実際に見て、患者の声を聞いて、学んで
患者支援、人命救助にお力を貸してほしいです。

人類は間違いを改めながら、

ここまで知識を蓄積して進化してきたのですから、
思い違いは誰にでもあるものですから恥ずかしいことではありません。

最初に整形外科の先生が、脳脊髄液減少症の可能性を
見抜けるか、見抜けないかは、

けっして、大げさではなく、
その後の、
その患者さんの人生や命にかかわる重大なことだと思います。


整形外科の先生方のご理解とご支援なしには、
「脳脊髄液減少症」の
早期発見は難しいと思います。

人の命より営利を優先するような
保険会社のかたを持つより、

医師としての本来の「傷ついた人を回復させる」という
役割をきちんとこなしてほしいのです。

詐欺師ではない、
何の罪もない「真の被害者」や患者さんを救ってあげて、

早く治して、

一人でも多く社会復帰させてあげてほしいのです。

正しく診断されないで長く病み続ける人が減ることは、
個人の幸せのみならず、
国にとっても、世界にとっても、益あることだと思います。




どうか、よろしくお願いします。


過去記事 2008年1月2日

要望書
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平静の祈り

2009年06月29日 | つぶやき
2年前、私の書いた記事に対し、
読者のなっちゃんさんが、

コメント欄で教えてくださった、

ラインホルド・ニーバーという人の、
祈りの言葉です。




 『平静の祈り』    


「神よ、私にお与えください。

変えることのできないものを受け入れる平静な心を、

変えることのできるものは変える勇気を、

そしてそれらを見分ける知恵を。


一日、一日を生き、

一瞬、一瞬を楽しみ、

苦しみも、平安へ続く道として受け入れ、


この罪深い世を、自分の願うようにではなく、そのままに受けとめる

あの方がそうなさったように。


神の御心に自らを明け渡すのならば、

神は全てを善いように変えてくださると信頼しつつ

それによって、私がこの世での人生もそれなりに幸せに生き、


来るべき次の世ではとこしえに、

神と共に最上の幸せを得るように・・・・・」

(ラインホルド・ニーバー)


      






私は、得に信仰はもっていない人間ですが、

どうにもならないこの世の中と、

どうにもならない現実に、

心が苦しくて苦しくて、こんな冷たい世の中から逃げ出したくなり、

自分で自分を見失いそうになる時、

今でも、
この言葉に支えられています。







過去記事
平安の祈り


リンク
平静の祈り

ブログ


(この記事は、本日以前に書いたものです。)

コメント (8)
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今朝の収穫

2009年06月27日 | 小さな幸せ
草の中や、
土の中から、野菜をみつけるのは、

「発見」と「驚き」と「喜び」であり、

脳にも、心にも、

いい刺激、いいリハビリ、だと思っています。
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冤罪(に至る過程がわかる)ドラマのおしらせ

2009年06月26日 | 情報
今夜9時

フジテレビ系
金曜プレステージ

実録ドラマスペシャル

「妻よ!松本サリン事件 犯人と呼ばれて 家族を守りぬいた15年」

      


私が最近書いた記事
「冤罪みたいな病 脳脊髄液減少症 1」


明日で、
松本サリン事件からちょうど15年だそうです。

私は、
もし、「冤罪みたいな病」の「脳脊髄液減少症」で、
今までの人生の大半を苦しみつづけなかったら、

今も、「冤罪」なんて言葉にさして関心ももたず、興味もわかない人間だったと思います。

冤罪について、
「あ~かわいそうな人もいるものね。」と
冤罪被害者の、恐怖感も絶望感も、
まったく想像できない人間で終わっていたと思います。

「冤罪みたいな病の脳脊髄液減少症」で長く苦しんだおかげで、

私は、「本当の冤罪被害者の理不尽さの苦しみ、悲しみ、恐怖と絶望感」はいかばかりか?
と少しだけ想像できる人間になりました。


普通なら平穏に幸せに過ごせたはずの人生が、
ある日突然、真犯人によって、
いきなり苦しみと絶望の日々に突き落とされただけでなく、

さらに、加害者の罪を、背負いこまされ、
周囲の人たちの思い込みによる誤解と無理解の中を、

自ら、
加害者によって追わされた体や心の傷を抱えて苦しみながらも生き抜いた
人たち。

誤解に耐え、最後まで自分を失うことなく、
無実を訴えてきた人たちもいれば、

自白の強要に屈してしまい、
罪を背負いこまされてしまい服役まで強いられた人たち。

疑念を抱かれ、
加熱報道された人たちはもちろん、

罪が確定してしまいながらも、
自らの無実を訴え、

誤解が晴れるその日まで、
生き抜いてきた「本当の冤罪被害者」の人たちの心境や、
今までの日々の苦しさ、
冤罪で失われたものの大きさに対する悲しみはいかばかりでしょうか?


脳脊髄液減少症という、
原因が判明するまでの長い長い年月を、

病名ももらえないまま、誤解の中を生き延びた患者さんたちなら、

本当の冤罪被害者の苦しみ、悲しみ、絶望感を
きっと想像できると思います。


冤罪被害者の苦しみ、悲しみ、恐怖と絶望感を
想像でき、
こういうことを、決して繰りかえしてはならないと、強く思える人間が
この社会に増えていかなければ、


本当の冤罪や、

無理解医師や否定派医師と、損害保険会社が
無実の脳脊髄液減少症患者を犯罪者扱いして苦しめることなどの、

非人道的なあやまちが、

今後も繰り返されてしまうと思います。

どうか、
一人でも多くの人たちが、

被害者なのに加害者の罪をかぶせられることや、

無実なのに、真犯人にさせられることが、
どんなに恐ろしいことか?

想像していただけたらと思います。



見た感想

朝日新聞の「試写室」で記者が「河野家の結びつきに寄り添った分、
加熱報道などをえぐる力は弱かったようだ。」と書いていますが、
私もそう思いました。

あのままだったら、
冤罪に至ってしまいそうだった事件が、

1年で疑惑が晴れたことは、
せめてもの救いだったと思います。

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気になる言葉

2009年06月24日 | つぶやき

大和証券のCMで、

「気になる言葉」がいくつかあります。

 

ギロビッチ博士~フレーミング編」の中の、

 コーネル大学の心理学教授のギロビッチ博士の言葉

 

「人は思い込みにより

事実を正確に捉えていないことがある。」

 

 

「ギロビッチ博士~行動非行動編」の中の言葉

 

「人間は、行動した後悔より、

行動しなかった後悔の方が深く残る」

 

大和証券のCM動画

(スクリーンを見やすく調整してご覧ください。)

 

大和証券のCM中の言葉

 

このサイトの中のトム、ギロビッチ博士からのメッセージが

文字が小さいので

一部を抜粋して紹介させていただきます。

 

『私は、「心理学」や「行動経済学」の分野で

毎日日常的に行われる

「人間の判断や意思決定」の研究をしています。

 特に私が興味を持っているのは、広い意味での「行動経済学」です。

 

人間の心が、毎日の生活の中で、

どのように証拠を取り入れて、

結論を出し、

信念を築き、

行動を決定するのか。

 

言いかえると、そのとき、

なぜ人間は判断を間違えてしまい、

あいまいな信念を形成し、

合理的とは思えない行動を選択してしまうのか、という

ことです。

 

私たちの日常の判断は、

人間心理の大きな影響を受けて決まります。・・・・(後略)・・・』

 

「行動経済学」を研究している博士を、

証券会社のCMに出演させるとは、

おもしろい発想ですね・・・。

 

私は投資するお金はないから、

証券会社に全く興味はないけれど、

 

脳脊髄液減少症患者の私にもひびく言葉を

教えてくれた、大和証券さんには

感謝します。

 

 

 

でも、婉曲すぎて何がいいたいのか?、

証券会社として、何を伝えたかったのかわからないかも?

 

このCMで伝えたかったことは、

「判断をまちがわなければ、株で失敗しない。」 

「株を買わないで、あの時かっておけばと後悔するより、

買って後悔したほうがまだ、まし」

ということですかね?

 

う~ん、婉曲すぎるCMは

脳脊髄液減少症の脳では理解が難しすぎる・・・。

 

証券会社のCMなら

もっとストレートなメッセージの方がわかりやすいな~。

「投資なら、うちにまかせて!」とか・・・・

 

ま、何でもいいから話題になれば、

それで、CMとしては成功なんでしょうね。

 

ギロビッチ博士の言葉は

何も行動経済学だけではなくて、

 

脳脊髄液減少症否定派の先生方にも、

知っていただきたい言葉だと思います。

 

自らの間違った判断、あいまいな信念、

合理的とは思えない行動に、

早く気づいて改めていただき、

 

もうこれ以上、無理解保険会社とともに、

患者を苦しめることはやめて、

その知識とご経験を、

ひとりでも多くの患者を助けるために、

まわしていただきたいものです。

 

でも、「ほ~らね、心理学の博士もいっているでしょう?

心理的なことで患者も自分が脳脊髄液減少症だと思い込んだり、不定愁訴が出たりもするんですよ・・・・・」とかえって反論に利用されたりして・・・・。

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アルコール依存症と脳脊髄液減少症の類似点

2009年06月23日 | 他の病名との関連性
今週のNHKきょうの健康で
アルコール依存症について放送されます。

昨日は「決め手は早期発見」が放送されました。


私はかねてから、
アルコール依存症と脳脊髄液減少症では
共通点が多いと感じています。

私の考えるその二つの病の類似点について、
列挙してみたいと思います。

①、これらの病気が原因で、二次的に、心や体にさまざまな症状や病を出現させるのに、もともとのその病気の本体が見逃されやすいこと。

(脳脊髄液減少症でも、それによって、さまざまな臓器や脳に障害をもたらしますし、社会生活においてさまざまな問題につながったり、家庭が崩壊したりすることもあります。)

②、患者の訴える体の症状や心の症状の治療のみで、
それらの原因となっている「大元の病気」の存在と、
その治療の必要性に、患者本人も医師も家族もなかなか気づけないこと。

③、本人も家族も医師も「そんな病であるはずがない。」と、否認する、
「否認の病」であること。

④、周囲が「この病ではないか?」とたとえ気づいても、本人の「否認」の前に、
介入が難しいこと。

⑤、そのために、本人が底つき体験しないと、
病の根本治療に取組もうとせず、大元の病気の治療が遅れること。

⑥、がんと同じ大変な病気で、
早期発見、早期治療が大切で、放置されれば、じわじわと患者の心も体も蝕み、
「サイレントキラー」と言ってもいいほどの大事に至る可能性もある病なのに、
そういう認識が社会にも医師にも乏しいこと。

⑦、命にかかわる大変な病を抱えた患者なのに、外見ではそう見えないこと。

⑧、外見で、「命の関わる深刻な病をかかえた人間に見えない」ということは、
周囲に病院として重要視されず、
命にかかわる状態になるまで、ほったらかしにされかねないという危険がある病であること。

⑨これらの病を重要視し、専門的に患者治療に情熱を傾けてくださる医師が少ないこと。

⑩、がんと同じで、長期的な闘病に及ぶことがあり、その間、
専門医と家族の協力が必要な病なのに、そういう認識も社会一般にも薄いこと。

⑪、早期に発見治療がなされず、放置されると、
その病によって、仕事ができなくなったり、家事や子育てができなくなったり、精神的にも健康でなくなったりして、さまざまな社会問題につながりかねず、
家族をも巻き込み、家庭崩壊など、
患者の人生に悪影響を与える病であること。

⑫、病によって起こる、それらのことのうち、
精神的な症状や、行動、社会的な問題などは、
まるで、その本人の性格、本人の問題のように周囲には誤解されやすく、

患者が「なまけもの」「だらしがない」と責められて、
病によるものであるという認識が患者の周囲の人たちになく、
患者が適切な医療、支援を受けられないこと。

⑬、患者や家族に最初に相談される地域の医師たちが、
これらの病のことを、不勉強だったり、誤解していたり、軽くみる医師も多く、
患者を正しく診断し、適切に専門医につなげる医療の連携体制が整っていないこと。

⑭、他の深刻な病、難病などに比べて、これらの病の正しい知識や理解が遅れ、
社会の充分な支援に恵まれていないこと。

以上、

でも、アルコール依存症よりも

脳脊髄液減少症のほうが悲惨だと思います。

何しろ、医学の教科書にも詳しい症状は載っていない病態なので、
医師も看護師もその他患者に手をさしのべるべき関係者のすべてが

学校で全く
脳脊髄液減少症のことを学んできていないのですから・・・・・。

こうした類似点のある二つの病ですが、
反対に、
この二つの病のまったく違う点は

アルコール依存症は、本人の「飲酒という嗜好や生活習慣」がきかっけで
ひきおこされやすいですが、

脳脊髄液減少症は、
「交通事故などの、本人には全く責任のないことでも引き起こされる。」
ことがある点だと思います。


追加、類似点がもうひとつ気づきました。

⑬昨日23日の放送で

アルコール依存症の引き起こす、
女性特有の問題として、自然流産や不妊の原因になる、ことがあげられましたが、

下垂体の機能障害を引き起こし、ホルモン障害も起こす脳脊髄液減少症でも、
脳脊髄液の漏れが長く放置されれば、流産や不妊の原因になりうる、
月経に伴う激しい苦痛、月経困難症、月経前症候群様の症状がひどくなるなど、
女性特有の問題があると思います。


追加
6月23日放送
なぜ、増える女性の患者

6月24日放送 欠かせない専門治療と周囲の理解

依存症は予防できる。
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「がん支えあいの日」に思うこと。

2009年06月21日 | つぶやき
本日6月21日は
「がん支えあいの日」だそうです。

昨日20日は日本財団の助成事業で
乳がんで闘病中の山田邦子さんが参加しての記念イベントも、
東京で行われたようです。

がん支えあいの日ということで、

5月に書きかけてあった以下の記事の存在を思い出しましたので
少しだけ抜粋します。

『5月12日のNHKの朝のニュースで
脳外科医のオーケストラが、
脳腫瘍の子供たちのために、チャリティーコンサートを開いた」とのニュースを見ました。

また、
朝日新聞社の週刊朝日増刊号「新 名医の最新治療」という本も

「本誌は収益の一部を日本の対がん活動のために寄付します。」と書いてあるのも新聞広告で見つけました。

TBSは局をあげて、「余命1ヶ月の花嫁」を通して
乳がんの早期発見早期治療を呼びかけてくれているようです。

こういうニュースを知るたび、

「がん撲滅キャンペーン」を知るたび、

こんなにも世界中の社会の理解と支援を得られている、

こんなにも、世界中の医師や研究者が、
がん撲滅のために、病の研究や新薬の研究に、競って、真剣に取組んでくれている

「がん患者さんたちがうらやましい」と

私はついつい思ってしまうのです。



以下ダラダラといつものようにまとまらない文章が続くのですが、
本日はここまでにしておきます。

ただ、こんな本音を書くと、

「がん患者さんがうらやましい」という言葉じりだけをとりあげて、

「がん患者でもないくせに、がん患者さんの痛みも抗がん剤の苦しみも、
命を落としていくつらさも知らないくせに、なんという浅はかで失礼なことをいう。」と、

お叱りをうけるであろうことがわかっていましたので、
記事はUPしないままでした。

でも、本日の「がん支えあいの日」に、
勇気を出して、
私の思いを少しずつでもお伝えしたいと思います。


私自身、
健康で、幸せで、人生が順調な人から、
「脳脊髄液減少症患者さんは、死なない病で,

不定愁訴程度のたいしたこともない症状で、働かないで家にいてうらやましい。」
などと思われたら、

「この病の苦しみも知らないくせに」と頭にくると思います。

でも、相手が何らかの病を抱えた患者さんで

「そういう思いに至るまでの患者の心理過程」をきちんと説明してもらえれば、
その人がそう思う気持ちが、理解できるかもしれません。

だから、「他の病をうらやましい」、という発想や発言が
その病の当事者の患者さんたちを不快にさせてしまう危険性は
充分わかっていますが、

あえて、

そういう感情を持ってしまうに至るまでの、
脳脊髄液減少症患者の心理過程について、

今後少しずつ、

休み休みでも書いていきたいと思っています。

そうでなければ、
私のような脳脊髄液減少症患者の「他の病がうらやましい」心理は、

いつまでたっても世間に理解されないで、誤解されたままで、

ただ、その人個人の考え方のゆがみや、
人格を問われ、馬鹿にされ、非難され、責められて
おしまいになりますから・・・。


なぜ、他の深刻な病の患者さんたちの苦しみも経験したこともないくせに、
知りもしないくせに、
「うらやましい」なんてことを考えてしまうのか?


なぜ、深刻な病を抱えて心身ともに苦しんでおられる、
他の病名の患者さんまでうらやましいという感情を持ってしまうのか?

なぜ、医療に最善を尽くされて亡くなられていく患者さんですら、
「うらやましい」と感じてしまうような、
病んだ精神状態にまで至ってしまうのか?

少しずつでも説明しないことには

過去から現在まで生き延びた脳脊髄液減少症患者の,

そういった心理過程を言葉にすることが「タブー視され」、
誰も口をつぐみ、永遠に闇に葬られてしまえば、

今後の脳脊髄液減少症患者の、
「心のケア」にも生かせないと思うからです。


「誰にも理解されない、助けてもらえない、
苦しい症状を感じてしまう、この自分や肉体を早く脱ぎ捨ててしまいたい。」

「早く死んで楽になりたい。」

「死によって、病の苦しみから解放される人がうらやましい。」

「自覚症状が出る前に検診で、病を指摘してもらえる患者さんがうらやましい。」


「症状を訴えてすぐ病名がつく患者さんがうらやましい。」

「健康保険での検査や治療が用意されている病の患者さんがうらやましい。」

「充分な入院での療養も用意されている患者さんがうらやましい。」

「有効な対症療法や、緩和ケアが用意されている病がうらやましい。」


「症状を訴えて、すぐさま、検査でその症状を裏付ける検査結果がでて、
症状を医師に、ウソではなく、

思い過ごしでもなく、気のせいでもないと信じてもらえ、
晴れて病人とすぐ認めてもらえ、対応してもらえる患者さんがうらやましい。」

と、考えるようになってしまうまでの、

脳脊髄液減少症患者の追い詰められた心の過程を、

どうかお怒りにならずに、
なぜ、患者がそんな気持ちに至ってしまうのかを、

少しだけこの機会に、立ち止まって、

一緒に、静かに考えていただけませんか?。



交通事故、転倒転落などで、誰にでも明日にでも
なってしまう可能性のある脳脊髄液減少症は、

放置すれば深刻な事態になり、
早期発見、早期治療が大切だという点では

がんと同等の病だと私は常々思っています。

がんと同様、誰にでも起こりうる、
決して他人ごとではない病です。

がんと同じく、
多くの人の理解と支援が必要なのです。

それなのに、
脳脊髄液減少症患者たちはまだまだ孤立無援の状態なのです。

それどころか、脳脊髄液減少症という、
見た目ではわからない苦しい症状を抱えているのに、
病人とさえ認められず、
周囲から非難され、責められていたりするのです。

病人なのに、心身の苦痛にひたすら耐え、
健康な人と同じ仕事や家事を周囲に求められながら、
周囲には健康な人と同様に、こなすことを求められ、

叱咤激励されながら、生きているのです。

充分な入院期間も、健康保険適用の治療も、リハビリもなく、
ひたすら、野生動物の怪我が癒えるのを待つように孤独に耐え続けているのです。

まだ脳脊髄液減少症という病名にさえ、気づけず、
まるで無人島で、
患者ひとりで病と闘っているかのような、
そんな孤独な気持ちに陥っている人たちも、
今も数多く潜在しているはずです。


近い将来、


脳脊髄液減少症 支えあいの日、

脳脊髄液減少症 撲滅キャラバン、

脳脊髄液減少症 早期発見キャンペーン、

脳脊髄液減少症患者のためのチャリティコンサート

そして、日本脳脊髄液減少症学会ができて、学術総会
なども、

あたりまえに各地で開催され、

数多くの人たちと企業の理解と支援が得られるような社会が

必ず来てほしいと願っています。





おまけ・・・・

NPO法人 キャンサーリボンズ

がんに限らず、脳脊髄液減少症だって、
誰もが支える側にも支えられる側にもなる病であることを知ってほしいです。

脳脊髄液減少症が誰にでも起こりうるありふれた不定愁訴に隠れている病だということがまだまだ世間に知られていないだけです。

日本対がん協会

日本がん看護学会
日本脳脊髄液減少症看護学会なんてできるといいなぁ・・・・
無理か?

がん性疼痛緩和推進コンソーシアム
脳脊髄液減少症性の疼痛の緩和ケアにもどなたか真剣に取組んでくださいませんかねぇ・・・ひどくなるとがん患者さんの痛みとひけをとらないと思うのですが、・・・・ダメですかねぇ・・・

日本緩和医療学会
脳脊髄液減少症という病の緩和ケアの必要性は視野に入ってますか?

日本癌学会

ブルークローバーキャンペーン

第17回日本乳癌学会学術総会

脳脊髄液減少症は老若男女の誰にでも起こりうる病です。

早期発見、適切治療大切なのは、脳脊髄液減少症でも同じです。
朝日さん、脳脊髄液減少症患者の「早期発見・適切治療」の大切さも伝えてはくれないのですか?

「患者を生きる読者編」でも取り上げられないところをみると、
脳脊髄液減少症患者は無視ですか?


どんな過酷な病であっても、命に限りがある病であっても、
周囲や医療のあたたかい理解と支援があれば、
最後までその人らしく、おだやかに生を全うすることができると思います。

脳脊髄液減少症患者が、
孤独と、無理解な社会への悲しみと、絶望の中で、
ひとり亡くなっていくことがないように、

症状の苦しみを軽視されて、誰にも理解されないまま、

病の症状で思うように動かない体や頭を
病のせいだと理解されず、「ダメなやつ」と
誤解されながら、

周囲に、責められながら叱られ、
「他の社会に認知されている病がうらやましい」と思うほどに、
悲しい思いで毎日を過ごしている脳脊髄液減少症患者さんを

もうこれ以上出すことがないように、

脳脊髄液減少症という病の理解と、

長期戦の闘病中の、患者の緩和ケアなどによる、QOL(人生の質)の向上にも

一刻も早く、社会の皆様の、
ご理解とご支援をいただけたらと思います。

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冤罪みたいな病 「脳脊髄液減少症」 1

2009年06月20日 | つぶやき
最近17年半ぶりに釈放された、
「足利事件」の冤罪被害者Sさんの報道を見ていて
感じたのですが、

本当の冤罪で人生を奪われた方の、
失われた時間や苦痛や受けた心の傷、不名誉な経験とは比べ物になりませんが、

脳脊髄液減少症という病もまた、
小さな「冤罪みたいな」病だと思いました。

冤罪で17年半も服役を強いられていたSさん。

真犯人ではないのに17年半も
犯人扱いされ、服役して、人生の自由を奪われていたなんて、
なんて残酷な話でしょう。

検査結果で犯人だときめつけられ、
17年半もの年月を同時に真犯人を取り逃がしていたなんて、

そしてその真犯人の身代わりで人生をだいなしにされたなんて・・・・

「人生を返してほしい。間違って自分が犯人だとした人たちはあやまってほしい。」
そう冤罪被害者が思うのは当然だと思います・・・。

だって、私ですら、
こんな脳脊髄液減少症という
「冤罪みたいな病」ごときで、シャバにいながら、
何十年も医師にも原因がわからず「気のせい」扱いされ、
ほったらかされ、人生を思うように生きられなかっただけで、

「私の人生を返してほしい!」と今も思ってしまうのですから・・・。

当時、科学警察研究所のDNA鑑定は科学捜査の最先端で
そこで「犯人と同一と思われる」との技官の判断がでれば、

それを、警察も検察も、疑うことなく信じ込んだとしても
しかたがなかったとしても、

病気の検査と同じで、科学的医学的検査が「絶対」だと信じ込み、

その検査結果に頼りすぎると、
「真実が見えなくなってしまう」ことがあるのは

脳脊髄液減少症の見逃しが
過去に起こっていたことと同じだと思いました。

当時のDNA鑑定は、
検査で出たDNAの横線の位置を、犯人のDNAの横線の位置と比べて、
同じだと思うか?否か?を、
「人の目視による判断」にたよっていたそうです。

私たちが今まで信じてきた「科学捜査」の「DNA鑑定」の実態が
当時はそんなレベルのものだったとは・・・。

いまから考えれば、そんな大雑把な検査結果を
「科学的検査にもとづいた確固たる証拠」だとして

社会の人々にまで「絶対だ」と信じられていたこと自体が
一番恐ろしいと思います。

「生身の人間の訴え」よりも
「科学的検査結果の方が絶対」と人々が信じ込みやすのはなぜなのでしょうか?

脳脊髄液減少症患者の多くが
症状を訴えても訴えても医師に信じてもらえず、「方向違いの検査」の「異常なし」の結果だけが信じられ、

患者の訴えはすべて「精神的なもの」だとされる。という経験をしている
と思います。

「生身の患者の訴え」よりも
「医師の指示した検査の結果と、その結果に対する医師の判断の方が正しく、絶対である。」と人々が思い込みやすいのは、

冤罪を生み出す環境とよく似ていると思いました。

人はウソもいうし、思い込みもあるし、精神的なもので身体症状もでるけれど、

「科学的検査はウソもないし、間違いもないし、人の思い込みも精神的な影響も全く入る余地もない」とでも信じられているのでしょうか?

17年以上前のDNA鑑定のように、
科学的検査を実行しているのも、そのデータを読み解くのも、判断するのも

最終的には「人間」であることが
まるで忘れられているように思います。

「検査結果が絶対である。」と頭から信じられてしまうことは、
とても恐ろしいことです。

患者が苦しい症状を訴えても、訴えても、
医学的検査で異常がみつからないために、

「異常なし」「アナタの気のせい」と
切捨てられてきた脳脊髄液減少症患者たちが、
その後どんな人生を送ってきたのか?

もっと患者の声に耳を傾けて知ってほしいと思います。

長期放置されてきた患者さんも、
もっと声をあげてほしいと思います。

科学的検査を絶対視することの危険性は

「精神的な病」と誤解されつづけ、
適切な治療もうけられず30年以上たって、
脳脊髄液減少症と診断された作家の柳澤桂子さんが、
著書で書いておられるような「科学信仰の罪と罰」に
も書かれています。


脳脊髄液減少症患者たちは、
事故からずっと、不定愁訴の症状を訴えるたびに、
検査でその症状を裏付ける原因が見つからないために、

まるで
その人自身のせいのように、責められ続けてきました。

「あなたの訴える症状は医学的にありえない。」

「検査で異常がないのに、いつまでも症状を気にしないように。」

ただでさえ、無実の被害者であるのに、
周囲から救済されるどころか、責められ、

適切な医療に、助けてもらうこともなく、症状に耐えているというのに、

さらに追い討ちをかけるように、

「異常なし」

「症状の原因はあなた自身の問題」、

「あなたの考え方のクセのせい」、

「あなたの性格のせい」、

「あなたが気にしすぎるせい」

「あなたが心のどこかで病気になりたいと願い、そのメリットがあるせい」

「あなたの心がストレスを感じるせい」、

「あなたの生活習慣の乱れのせい」・・・・・・・、


「あなたのせい」

「あなたのせい」・・・・・・・・・・・

延々と、医師や周囲や家族や社会に、


責められ続けるのです。

たとえ、直接、そうはっきりと言葉で責められなくても、
そういう雰囲気は、人の言葉や態度のはしはしに
患者は敏感に感じ取って、まともに
患者として相手にされていないことがわかってしまいます。


私も、今さら
「あなたのせいではなく、真犯人は脳脊髄液減少症でした。」なんてはっきりしても、

今まで私を「あなたのせいだ。」と責め続けた人たちから受けた心の傷
そうやすやすと癒されるわけではありません。

医師にも科学的にも周囲にも家族にも

今さら「核医学検査RI検査で医学的に認められた
れっきとした事故後遺症をかかえた病人だ。」と認めてもらっても、

失った人生も、

失った仕事も、

失った人間関係も、

失った信頼も
もうもどってこないのです。

もしかしたら、
私の心に、心から人を信じる心さえ、完全には戻ってこないかもしれません。
今も、心の底から人を信じることができません。

私の例からも、
交通事故という暴力による「脳脊髄液減少症」が発症しているという現実が
あることは事実ですが、

何も脳脊髄液減少症を引き起こすのは「交通事故」にかぎらないと思うし、
格闘技でも、激しい衝突を伴うスポーツでも、
日常生活に潜む転倒や転落でもどんな「衝撃でも体に加わることで」起こりううると思うのです

さらに、
同じ「脳脊髄液減少症患者」でも、
交通事故など「加害者という相手」がいる場合はより悲惨です。

なぜなら、
本来なら、加害者の負うべき罪を、
被害者が負わされてしまうことがあるからです。

それは、
殺人現場にたまたま居合わせてしまった、
自分も犯人によって傷を負わされている何の罪もない一人の被害者が、

怪我は自作自演の狂言であると思われて、
「真犯人はあなただ。」と犯人にされてしまうようなおそろしさです。

自分のせいではないのに、
加害者行為である交通事故の「業務上過失傷害」という罪を
被害者が背負わされるようなものです。

見えない怪我による「脳精髄液減少症という事故後遺症」を、負ったために、

あたかも、その怪我の原因が被害者自身が原因で起こったかのように、
「精神的な病」や「何らかのメリット」のために、
「そのような症状」が出ているかのように
原因と結果をすりかえられてしまうことがあるのです。

まるで、「保険金めあての詐欺師のように」
病を演じているかのような、犯罪者のように扱われたりして、

被害者なのに、まともに治療も補償もされないばかりか、
まともに
医師から病人として扱われなかったり、

周囲からも、医師からも、保険会社からも、

時には職場や家族からも「あなた自身のせいでは?」と責められ続け、
人格までも疑われるという、

あまりにむごい仕打ちにあっている
交通事故被害者もいると思うのです。・・・。

今もなお、勉強不足の医師や、

患者の声に耳を傾けないガンコな否定派医師の皆様たちには
脳脊髄液減少症の症状が誤解され、信じてもらえないのに、

「脳脊髄液減少症」の病の概念がなかった時代の
交通事故被害者は今の交通事故被害者よりさらに悲惨だったと思います。

私は当時は交通事故で見えない怪我を負い、
脳脊髄液漏れを起こしていても、

今思うと幸いなことに、まだまだ「最悪の症状」はではなかったために、
ありふれた不定愁訴の範囲でなんとか耐えられ、

何の根本治療もされないまま、数年前に気づくまでの間生き延びることができたのだと思います。

当時もし、あの激悪化後のような
世にも恐ろしい最悪の状態の脳脊髄液減少症の症状がでていたなら、
とうてい今まで、治療もされないまま生き残れるはずもなく、

自分の苦しみの真相も知らないまま、
今頃は、この世にいなかったと思います。

だから、
本人もしらないうちに、脳脊髄液減少症に死に追いやられた事故被害者も大勢いたと想像します。

脳脊髄液減少症によって殺されても、
真犯人である、脳脊髄液減少症という原因は誰にもしられず、

真相は闇に葬られたまま、
当時どんな症状に苦しんでいたか、誰にも知られることもなかったのです。

私も数年前の激悪化のような状態にならなければ、
肩こりだの、めまいだの、首の痛みだの、だるさだの、
「原因不明」の不定愁訴を抱えながら、「ドクターショッピング患者」と
医師たちに嫌われながら、病院めぐりを余儀なくされ、

そのたびに
気のせいだの、うつ病だの、自律神経失調症だの、精神的な病のせいだの、
と医師にも誤解され続け、本人もまた、そう思い込んでしまって、
根本療法には程遠い、薬づけになり、よけいおかしくなり、

今もなお、「脳脊髄液減少症」という真犯人には
気づくことができなかったかもしれません。

ただでさえ、
見た目に反して、
きつい状況に追い込まれて、生きる体力が奪われているのに、

その表現しがたい症状は、
身体症状も精神症状も非常に言葉で表現しにくく、

さらに、高次脳機能障害や
体の症状のキツサで、
それを言葉や文字で伝えようとする能力も、気力も奪われています。

この苦しみをどう表現していいかわからない、
たとえやっと表現しても誰にも信じてもらえない、わかってもらえない、

こんな状態にあって、
正当な補償もうけられず、治療費ももらえず、
医療人に病人として相手にされず、
病人と診断されなければ、周囲の誰にも理解もされず、

症状は耐えがたく、働けなくなり、
絶望の中で死んでいった、多くの交通事故での脳脊髄液減少症患者が
いたと想像します。

「脳脊髄液減少症」という病名がある今も、

やっと、脳脊髄液減少症かも?と気づいても、
近くに診断治療できる医師もいず、
近所の無理解な医師には冷笑され、

遠くの専門医は予約待ちで、

その間、一刻も早く治療してもらいたいのに苦痛にじっと耐え
待たなければならず、
「こんな苦しみから早く死んでのがれたい」と
思うほどに追い詰められる、
こんな脳脊髄液減少症患者が今もなお現実に存在しているはずです。

これは、
ただでさえ他人の暴力により傷を負った被害者が
無理解な社会や医学界や周囲から、

さらに「これでもか、これでもか」と
精神的集団リンチにあっているようなものです。

何の罪もない事故被害者が、
誰も助けてくれない状況の中で、無理解、無支援、無治療という絶望の中で、

症状の耐え難さに孤独に死んでいくしかないような状況に
追い詰められていくようなことだけは、
今後は絶対に繰り返してはなりません。

「脳脊髄液減少症」という
不定愁訴の原因病である「真犯人」がいたのに、

「脳脊髄液減少症」という真犯人は存在していたのに、見逃されて、症状が治らず、長引く原因は
「あなた自身のせいだ」と患者が責めつづけられるような過去のあやまちだけは、

今後は絶対に繰り返してはなりません

タバコを吸い続けて「肺がん」や「SOPD(慢性閉塞性肺疾患)」になった患者さんや、
アルコールを飲みすぎて「肝硬変」になった患者さんが、

「あなたのせい、あなたのせい」といつまでもいつまでも、
周囲や医師から責められるでしょうか?

「肺がん」「CPOD」「肝硬変」と病名がつけば、もう責められることもなく、

本人にまったく不摂生も落ち度もなくて病になってしまった患者さんと同じに扱われ、
「病人」として認められ、
手厚く暖かく医療に対応してもらえるのではないでしょうか?

それなのに、なぜ、
交通事故での被害者としての、脳脊髄液減少症患者は

自分では病になる原因はなにひとつ自分で作っていないのに、

「あなたのせい、あなたのせい」と延々と責められ続け、

症状も信じてもらえず、
まとも病人として扱ってもらえず、

症状を訴えればうったえるほど、時には嘲笑され、馬鹿にされ、
真剣に助けてもらえならなかったのでしょうか?

それは「脳脊髄液減少症」という病態が
「この世に存在しないもの」として信じられ、

「患者の訴えの方を軽視され」真相が見逃され続けてきたからに他なりません。

「脳脊髄液漏れ」「脳脊髄液の減少」という病態は当時も確かに存在していたのに、「病名」が医学の教科書にのってなかったというだけで、

あたかも、「この世には存在しない病態」であるかのように扱われてきたせいです。

人間の把握しうる病なんて、医学の教科書に載っている病なんて、
人の病のうちの、ごくごく一部にすぎないのに、

そのことをまるで忘れてしまっているようです。

そして、医師の間に、
「医学的にありえない症状を訴える、教科書にない症状をうったえる、
検査で裏づけのとれない症状を訴える、患者のほうがあやしい」という
発想が多くの医師の心の根底にいつもあったからだと思います。

交通事故の後遺症、脳脊髄液減少症、という真犯人が別にいたのに

「真犯人」に代わって
何の罪もない無実の人が責められ、犯人扱いされるという点では、

脳脊髄液減少症患者は
まるで小さな小さな「冤罪」を背負おわされた
冤罪被害者のようです。

このように、脳脊髄液減少症は患者の人権まで侵す恐ろしい病です。

このようなむごい仕打ちをうける交通事故被害者も、

本当の「冤罪被害者」も
今後は二度と出してはならないと思います。

そのためには、ひとつの検査結果を鵜呑みにすることなく、

多方面の複数の視点から検証して、真実を見逃さないことと、

間違ったかも?と思ったら、早めに勇気をもって原点にたちかえり、

今一度別の視点で
検証しなおすことが必要だと思います。


これは警察や検察や司法関係の皆様に限らず、

医師の「患者を診る姿勢」においても、お願いしたいことです。

医師はどうしても、
「自分の専門分野からの視点のみでしか患者を診ない」傾向にありますから、

人は心も体も脳でつながっていることを忘れずに、
人間まるごと診る、
全人間的視点も医師は常に持っていただきたいと思います。

脳脊髄液減少症の場合も
本当の冤罪の場合も、

どうして過去にそのような
「罪もない人を苦しめるような事態」がおこったのか?

過去の過ちから目をそらすことなく、
勇気を持って真実を直視し、

きちんと検証してほしいと思います。

そして、何を見落とし、何を思い違い、

どうして真実と違うことを真実だと思い込んで、判断を誤り、
罪もない人たちを苦しめたか?を

きちんと過去から学び
今後に生かすことは絶対に必要だと思います。


私自身の、この「小さな冤罪みたいな脳脊髄液減少症という事故後遺症」で経験した、
誤解され続け周囲に責められ続けたつらさと、
失った人生の悔しさから考えても、

本当の冤罪で、犯人扱いされて、

刑務所に17年半もいた被害者の胸のうちは
どれほどのものか、想像もできません。

Sさんを犯人だと思って憎み続けてきた被害者遺族も
今まで犯人だと思い込んでいた人が別人で、

いまだに真犯人がわからず、時効を迎えてしまっているなんて、
遺族も冤罪の被害者だと思います。

冤罪被害者の皆様には、
今後の人生は、せめておだやかにと願わずにはいられません。


「真実を見逃して、真実と違うことを真実だと思い込む」、

「真犯人ではない無実の人を罪人だと思い込んで責め続ける。」

このようなことは、

犯罪捜査の世界でも、

医学の世界でも、

今後は絶対に起こらないようにしっかりと過去に学んで

対策をたてて

未然に防いでいただきたいと思います。




追加

精神科や心療内科の先生が脳脊髄液減少症に理解を示してくださらなければ
多彩な不定愁訴やパニック症状や、うつや、社会不安障害などの
精神症状にも潜んでいる可能性のある、

脳脊髄液減少症患者の早期発見は難しいと思います。

さらに、
脳脊髄液減少症は、
婦人科、耳鼻科、整形外科、神経内科、泌尿器科、小児科、内分泌科
などなど、
すべての診療科にかかわる症状がでるため、

すべての診療科の医師が、医学部でも教えていない、
脳脊髄液減少症の症状を自ら患者の声を真摯に聞いて、頭にたたきこみ、
パイオニアの医師たちの本から深く学んで、

常に新しい情報と知識を仕入れ、

脳脊髄液減少症患者の早期発見にご協力いただきたいと願っています。


ろくろさんのブログからの情報です。

東奥日報

陸奥新報

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6月の回復

2009年06月19日 | ブラッドパッチ後の変化
実は、
昨年の冬、家族にひどい風邪をうつされて以来、
体調が下降し、不調が続いていましたが、

6月に入って、梅雨にもかかわらず、
体調も精神状態も良くなり、安定してきました。

家族にも6月になってから、グンと良くなってきた感じがすると言われました。

第3者的にも、回復が見てとれるのかもしれません。

5月はうつ状態がひどくてまいりましたが、
どうやら峠は越えたようです。

かなり精神的にも体調的にも楽になって
気持ちも明るく前向きになってきました。

一時は、
こんな自分のこともまともにできない、
働けないで家族に依存している自分が
「こうして生きていることにさえ、罪悪感を感じ」るほどに落ち込みましたが、
過ぎてしまえば、
なんであれほど悩み泣き、落ち込んだのか?と思います。

人の精神状態と体調は連動し、表裏一体のようです。

しかし、
昨日は、体は楽で調子が良かったのに、

どういうわけか気力がわかず、何もする気になれず、
一日何もできないで横になったり、庭にさえでず、家に引きこもっていました。

人の心と脳は時には相反するのか謎だらけです。

しかし、どうしてこれほど脳脊髄液減少症の回復には時間がかかり、
波のある回復のしかたをするのでしょうか?

今後のさまざまな分野の研究者による研究が待たれます。


今日は、すこし気力がわいています。
天気が回復して、気圧が上がってくるのでしょうか?

本日はやるべきことがらを、少しでもできるといいのですが・・・。

その前に、私の唯一のはけ口である、ブログ記事を更新したいと思います。

やるべきことがなかなかできないのに、
ブログは更新しつづけている私に、

内心あきれている現実世界の皆様

どうか、こんな私をお許しください

私にとってブログは、

生きていると、自然に体内から発生する、
「出すものを出さないと具合が悪くなる。」ようなモノを
体外にだすための、

生理現象の唯一の排出の場、

つまり、「精神的なトイレ」みたいなものなんです。

と、同時にブログを書くことは、
「自分が今まで生き残ってきた意味、これから生きる意味」を探すための場でもあり、

生きつづけるために、「自分を見つめる場」でもあります。

せっかく、ここを朝からのぞいてくださっている皆様には、
汚いたとえで朝の気分を害してしまって、申し訳ありません。

これに懲りずに、
どうかまた、おこしくださり、

脳脊髄液減少症にご理解のほどよろしくお願い申し上げます。


さて、近況はこれくらいにして、

明日は、以前から書きかけていた「足利事件」の「冤罪」の報道を見て
感じたことと、
「脳脊髄液減少症」に関する記事をUPしたいと思います。


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私がクスリをやめたわけ・・・。 

2009年06月17日 | 高次脳機能障害

現在私はほとんどクスリを飲んでいません。

本当にごくたまに、
1年に1度か二度、

鎮痛薬を飲んだり、痛み止めの塗り薬を塗ったり、
漢方や薬酒を飲んだりするぐらいで、

ほとんど西洋薬は飲んでいません。

しかし、かつて
脳脊髄液減少症が原因だとわからなかったころ、

不眠や過眠や、だるさや、思考の混乱など、
さまざまな精神的身体的症状がつらくて、
何とか治りたくて
さまざまな病院のさまざまな分野のドクターを受診する
ドクターショッピングをし、

そのたび各診療科で処方される薬を、
ワラにもすがる思いで飲み続けたことがあります。

中には精神に作用を及ぼすクスリも複数ありました。

SSRIのルボックス、パキシル、睡眠導入薬ハルシオン、リタリン、抗不安剤
などなど・・・・

婦人科では漢方薬も、ホルモン剤も処方されました。

今でこそ、ほとんどクスリに頼らない私ですが、
まさに、「クスリ漬けの日々」の時代もあったのです。

そんな私が、
脳脊髄液減少症とわかる少し前から、クスリを一切断ちました。

脳脊髄液減少症とわかってからも、
それ以後、
たとえ
どんな症状が出ても、ほどんどクスリにたよらず他の自己流の
緩和方法で、まぎらわせて耐え忍び生きてきました。

激しい頭痛、腹痛、内臓痛の時だけ、気休めに鎮痛剤を飲みましたが、

背中や四肢の痛みの場合は、
飲み薬ではなく、塗るゲルタイプの鎮痛剤を
愛用してしのぎました。

なぜ、そんなにまでして薬を遠ざけてきたか・・・?

私が飲みクスリをやめたわけ・・・。

それは・・・・、

脳脊髄液減少症でありながら、長年そのことが判明せず、
原因にあった治療でないから、何をやってもどんな薬を飲んでも効かないし、

治らないし、
なかなか治らないと、精神的なものだと
医師にも周囲にも思われ、心も深く傷ついて、

医療不信、医師不信、人間不信、クスリ不信、になってしまったという理由もあります。

でも、
一番決定的だったのは、


脳脊髄液減少症の超短期記憶障害と思われる症状により、

さっき自分でクスリを飲んだことを忘れ、

また、直後に同じクスリを飲んでしまっているような自分に、
うすうす気づいてしまったからです。

さっきクスリを飲んだか?飲まなかったか?
自分の、しかもついさっきのことなのに
確信が持てず、定かでないことから、

そんなあやしい自分に気づきました。

いくら服薬記録をつけても、
そのメモもノートもどこかへしまい忘れたり置き忘れたりして、失くす自分。

自分が「自分の服薬管理もできないこと」に気づいてしまった時、

クスリの連続服用による、2倍量、3倍量を一度に飲み、
飲みすぎによる身の危険を感じました。



一時はあれほど、クスリに頼っていたのに、

クスリでは,

自分のつらい症状の、「根本的な治療にはならない」と
思い知ってしまったことも、
クスリから離れる一因になりました。

クスリは対症療法でしかないとわかった以上、
また、自分で自分の服薬管理もできず、
クスリを多量に飲んでしまいかねない危険があることに気づいた以上、

薬に頼ることは
私にとってはメリットよりもデメリットの方が高いと判断し、
「今後は原則的にやめよう」と思いました。

脳脊髄液減少症とわかってからは、
症状のひとつひとつにとらわれず、ありのままに症状を受け止め、
体がその症状で何を伝えようとしているのか感じながら、
耐えてきました。

症状の大元の脳脊髄液漏れとか、脳脊髄液の減少という根本原因を
医師とともに治すことに全力を尽くし、

耐えられる症状はありのままに感じ、受け入れようと
思いました。

おかげで自分の体がどんな症状を出し、どんな反応や信号をだし、
自分がそれを感じるかをクスリの作用でぼやかすことなく、
つらかったけれどありのままに感じとれたと思います。

だからこそ、脳脊髄液減少症の症状のことが
今、詳しく書きとめられるのかもしれません。

それでも、
耐え難い頭痛、腹痛の時は鎮痛剤を飲み、
耐え難い背中の痛みには塗る鎮痛剤を使ってしのいできました。

症状のガマンのしすぎで、心や精神が壊れて、
病と闘う気力がうせてしまっては、元も子もないからです。

「今私にはクスリの助けが必要だ。」と
自分で判断した時には、クスリに頼って、
その苦しみを一時的に緩和させ、生きる気力や
病に打ち勝つ気力を失わないようにとは心がけてきました。

でも、基本的に、
睡眠薬や、向精神薬などは一切やめました。

連続飲用してしまいかねない自分が
睡眠薬や、抗精神薬などのクスリを、
きめられた分量以上に服用することは、非常に危険だと思ったからです。

ボルタレンなどの強い痛み止めも、連続服薬で一度に多量に摂取されれば危険だと思います。

直前記憶が消えるということは、
自分がついさっきクスリを飲んだことを忘れ、
また連続して同じクスリを飲んでしまう危険もあるのです。

そういう認知症患者のような状況が、私個人に限らず、

年齢に関係なく、
脳脊髄液減少症患者に起きてしまいかねないということを

脳脊髄液減少症治療に関わる医師の皆様には、
ぜひとも知っていただきたいと思います。

医師の皆様も、
脳脊髄液減少症患者に、向精神薬や睡眠薬などを処方する際には、

一見、その患者が若くて元気そう、普通に服薬管理ができる
まともそうな人に見えても、

その患者が脳脊髄液減少症という診断がついているなら、
まず、一応服薬管理ができるかどうか?を確かめてほしいと思います。

それには、まず、

普段から物忘れはないか?
脳脊髄液減少症になってから、落し物、なくし物は増えていないか?

置き忘れ、しまい忘れの症状はないか?

なべ焦がし、水の出しっぱなしなど
自分が直前にした行為を忘れることが、
日常生活で頻繁にあるか?

などの質問をして、「直前記憶の消失」という症状の有無についても
確認して患者の状況を把握していただきたいと思います。

もし、その患者さんに記憶障害の有無や
直前記憶の消失という、脳脊髄液減少症、特有の症状が
あるように判断されたなら、

一見しっかりしているように見える患者さんであっても、

患者本人が「服薬管理はできる、大丈夫だ。」と言っても、

医師の判断で、患者の服薬管理をしっかりしてくれる家族がいるか?を確認して
家族に理解と協力を求めた上で、

薬を処方したほうが安全なのではないかと、

私は
自分のこうした「記憶障害での危険な経験」から
思っています。





付録
(脳卒中で脳機能を失いながら、奇跡の回復を成し遂げられたジル博士も
翻訳本の「奇跡の脳」の中で、
「回復のためのオススメ」の中の
「最も必要だった40のこと」の最後の一文に
「薬物療法」について博士のお考えを書かれていますが、
それは私が経験から学んだクスリに対する考え方と同じで大変驚きました。

この本はこの部分しか読んでいませんが・・・
気になる方はご一読を・・・。)

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脳脊髄液減少症の「超」短期記憶障害

2009年06月16日 | 高次脳機能障害
脳脊髄液減少症で、「超」短期記憶障害が引き起こされることがあります。

私はついさっきの自分の行為、
つまり直前記憶がきれいに消えてしまう恐ろしい症状を
何度も経験しています。

それは、あきらかに「物忘れ」という
範囲ではありません。

この症状が脳脊髄液減少症で引き起こされていることに、
医師も患者も長く気づかず、

さまざまな症状の陰に隠れた
脳脊髄液減少症という真犯人の存在に気づかず、

脳脊髄液減少症のブラッドパッチ治療もされず、

家族が患者の高次脳機能障害の存在に気づかないまま、
健常者としてあてにして、
病人としての、障害を持つ患者としての支援もないまま長く放置されれば、

時には、この症状で
人の命を奪うほどの危険を、引き起こす可能性もあると思います。

私は、「脳脊髄液減少症」という真犯人に、
「脳脊髄液減少症の高次脳機能障害や意識障害」という症状で、

事故死にみせかけて、殺されかけた経験が何度かあります。


だから私は

「脳脊髄液減少症の、直接の症状では死なない。」とか、

「脳脊髄液減少症での死の危険は自殺だけ」とか、

そうは全く思いません


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「格闘技」と「脳脊髄液減少症」

2009年06月15日 | つぶやき
プロレスラーの三沢光晴さんという方が
相手のバックドロップを受け、
試合中に亡くなったとテレビの速報で知りました。

本日になって、
三沢さんの死因は「頸髄離断」だと知りました。

バックドロップというワザを受け、頭から落ちたことで、
すでに痛めていた頸椎がずれたことで、
中を走る神経の頸髄が離断した状態になっていたそうです。

頸髄離断とは?

なんとも痛ましい原因です。

死因を聞くだけで胸がしめつけられます。

バックドロップで首から落ちたことによって、
頸髄が切れてしまうとは・・・・・。

私は格闘技は大嫌いで今まで全く見たことがないため、それまで、
三沢さんという方が、どういう方なのか存知ませんでしたが、

「二代目タイガーマスク」だったのですね・・・。

心からご冥福をお祈り申しあげます。

でも、
私は、脳脊髄液減少症とわかる前から、
格闘技は大嫌いでした。

すでに、脳脊髄液減少症だった体がこれ以上危険から身を守るために、
本能的にすべての危ないものから身を遠ざけようとしたのかどうかわかりませんが、
危険なものや映像に対する恐怖心と嫌悪感が
異常なまでに高まっていた感じでした。

格闘技に限らず、体に衝撃が加わるようなドラマや映画のアクションシーンや、
スタントマンのスタントシーン、
バンジージャンプ、などなど、
脳脊髄液減少症を引き起こしそうな行為をテレビで見るのが当時不快で
たまりませんでした。

そんな私ですが、
生きるためのお仕事として、
また、スポーツとしての格闘技があることは理解していましたが、
嫌いなので見ないですむものは見ないで生きてきました。

家族がテレビで見ているだけで不快になるくらい、
格闘技が嫌いでした。

命の危険を伴うような行為は
見ることさえ、とても怖かったのです。

テレビ報道によると、
三沢さんは、長年の激闘による首へのダメージで
頚椎が変形していたそうで、首の骨の前方に骨棘ができていたそうです。

3月ごろから「体調が悪い」と常々体調不良を訴えていたそうで、

当日も無理をしてリングにあがったのでしょうか?

当日は、いつもの三沢さんと違って、精彩のない動きだったそうです。

「受身の天才」とまで言われた三沢さんに
いったいどんな体調不調が起こっていたのでしょうか?

46歳という決して若くはない年齢で
リングにあがっておられたのは、
プロレス・ノアの社長として、

自分がリングに上がらなければ、観客を集められないと
思われて頑張っておられたのでしょうか?

奥様もお子様もいらっしゃるでしょうに、

今月6月18日が47歳のお誕生日であったのに、
その数日前に、リングで亡くなるなんて、

報道を聞いただけで、
あまりの痛ましさに胸が張り裂けそうです。

女子プロレスの世界でも過去に、
プラムまり子さん
門恵美子さんなど、過去にも何人か亡くなっているそうで
(競技中に亡くなった人たち)
頭や首から落とすわざは、スポーツを超えていて
危険すぎると思うし、

このような事故で命を落とす方が
出ることは非常に残念に思います。

ご遺族はもちろん、
試合相手の方も、さぞかしお辛いことと思います。

大事故や、交通事故に限らず、
このような思わぬ事故も、
人を一瞬にして悲しみのどん底に突き落としてしまいます。

事故は本当に冷酷です。

無力な私には、
この世の中から悲惨な事故が少しでも減ることを願うことしか
できません。

今回のことで思いだしたのですが、

私はかねてから、格闘技の選手で、体調不良を訴える方の中に、
脳脊髄液減少症になっている方がいるのではないか?とも考えていました。

脳脊髄液減少症は、体に激しい衝撃が加わることで起こるのですから、
何も交通事故に限ったことではないはずです。

スポーツ事故で起こる可能性もあるのですから、

首や全身や頭に衝撃が加わるスポーツである、
ボクシングやプロレスなどならなおさら
脳脊髄液減少症を発症する可能性は高いと思います。

しかし、そのことにどれだけのリングドクターが
気づいておられるでしょうか?

パーキンソン病を発症したという、
手足の振るえが止まらない様子の元ボクサーのモハメド・アリ選手が
オリンピックで聖火を持って走るのを過去に拝見しましたが、

モハメドアリ選手も、長年のボクシングによる頭部への衝撃で、
もしかしたら、脳脊髄液漏れも起こしているのかもしれないと
後で思いました。

さらに「パンチドランカー」とだといわれていた方の中にも、

もしかしたら、
脳脊髄液減少症の高次脳機能障害の方がいたのではないか?とも思っています。

以前、事故の報道で、
柔道で投げ飛ばされ、直後は大丈夫と起き上がり、
試合終了後に、倒れ急死された方の新聞記事を読んだ時も、

走っている車から転落し、直後は元気そうだったのに、その日のうちに亡くなった方の報道をネットで知ったときも、

「見た目元気そう」「見た目軽症」「そのうちに容態が急変して
死亡」という「事故との時間差での死亡記事」の中に、
脳脊髄液減少症の気配をも感じてしまいました。

首や体や頭に激しい衝撃が加わって、
たとえば、もし、急激で大量の脳脊髄液漏れが引き起こされたとしたら、
急死や、
多少の時間差があっての死が起こりうるのではないか?
とついつい考えてしまうのです。

私は専門家ではないので、単なる私の想像にすぎませんし、
同病の患者さんの不安をあおるつもりもないのですが、

この病は、自殺以外にも人の命を奪う可能性があるように思えて
しかたありません。

脳の下垂で
脳幹の機能障害が起きれば、

呼吸や心臓の動きに異常をきたし、
急死することもあるのではないか?とも思っています。

実際、私が原因不明であった時、
医師がわからないなら自分で原因を探そうと思い、
自分の症状から必死に原因を医学書でさぐっていた時、

顔から、体、足にかけての体をタケを縦に割るように、
頭から足まで縦に割って左右に分けたような、半身の感覚障害の分布が、

「中脳以上視床までの異常」である、「高位脳幹障害」の感覚障害の分布に
とても似ていたので、
私の症状の原因は、もしかして「脳幹の障害?」と思ったことがありました。

当時は、まだ最悪の状態を経験せずにすんでいたし、
働くことも、
自分で医療機関を受診することもできていたころでしたので、

「まさかね・・・」で終わってしまいましたが・・・。

まさか脳脊髄液が漏れていたとは、

後に、さらに激しい呼吸困難や、心臓の急激な頻脈、徐脈、など、命の危険も感じるほどの激しい症状が出るとは、当時の状況では、
まだそれほどの症状までは
当時は想像もできませんでした。

脳脊髄液減少症が激悪化するまで、
まさか、このような恐ろしい症状が出て動けなくなり、
外出はもちろん、歯磨きや入浴という自分の世話さえ支障がでるほどになるとは、
思ってもいませんでした。

脳脊髄液減少症での悪化を経験し、
さらに激しい症状を体験してから、

この症状がさらに悪化した先にあるものは
急死ではないか?
と真剣に考えるようになりました。

でも、
たとえ、この病で亡くなった人がいたとしても、
誰も死因が「脳脊髄液減少症」だとは
気づかないでしょう。

死因としての「脳脊髄液減少症」なんて
考える医師もいないでしょうから、

脳脊髄液が急激に大量に漏れていたか?
それが原因で、脳が急激に下垂し、
脳幹に機能障害が起きたか?なんて医学的視点では
検死はされないでしょうから・・・。

でも、
脳脊髄液減少症は、「死に至る可能性のある病」だと私は個人的には
ずっと思っています。

それは「自殺」に限ったことではないと思っています

自分がこの病の症状に何度も殺されそうになった経験から
そう考えるようになりました。

「人知れず、脳脊髄液減少症に殺されている人もいるのではないか?」と私は思っています。


「脳脊髄液減少症では死なない。


「他の病の患者をうらやましいとは思わない。


もし、そういうお考えの脳脊髄液減少症患者さんがいらっしゃるとしたら、

それは、
脳脊髄液減少症という同じ病名の患者の中でも、

とても幸運な脳脊髄液減少症患者様たちかもしれません。

だって、

「脳脊髄液減少症は自殺や事故死や急死などで死に至る可能性のある病」とか、

「脳脊髄液減少症の症状で急死したり、突然死したり、
高次脳機能障害での不慮の事故にあって亡くなっている人もいるのではないか?」

という考えに至ってしまうほどの、
激しい症状や苦しく孤独な経験をしないですんだと思われるからです。

つまり、
身の置き所のないほどの耐え難い悶絶するほどの激しい症状や、

自殺を考えるほどの周囲や医師の無理解による絶望感や

事故死しそうになるほどの、
恐ろしい高次脳機能障害の症状を免れることができ、

「この病での自殺や、
高次脳機能障害が引き起こす不慮の事故死の可能性や、
症状での急死、突然死の可能性を想像してしまうほどの症状を体験しないですみ」、

脳脊髄液減少症が長年放置されることで巻き込まれていく
人生のさまざまなトラブルや、
他に類をみないこの病の理不尽さを

「経験しないですんだ」、
または「経験しても受けた心の傷が浅くてすんだ」、

「不幸中の幸い」とでもいうべき、
幸運な患者様たちであるように私には思えます。

脳脊髄液減少症は
誰にでも明日にでも起こりうる
決してまれではない、事故後遺症だと思います。

すでに何らかの不定愁訴や
慢性的な原因不明の体調不良を感じている方、

医師によって別の病名をつけられていて治療をしても
なかなか良くならない方の中に

脳脊髄液減少症の方がいると思われます。

まれではなく
非常にありふれているのに、

症状があまりにありふれていて、
または他の病名にそっくりで、多くが見逃されているように思います。


まして、
常に体に衝撃を受け続ける格闘技に関わる選手や医師の皆様には
脳脊髄液減少症のことは、
これからは「知らない」ではすまされないと思います。

交通事故やスポーツ事故など、
体への激しい衝撃で起こることが、
多くの患者たちの証言でわかっている以上、

格闘技の選手の治療に関わる医師の皆様、
リングドクターの皆様には

体調不良を訴える選手に対して、
いつも
脳脊髄液減少症の可能性についても、
頭に置いて、診察をしていただきたいと思います。


また、このような事故が二度と起こらないよう、

できるだけ首や頭への危険を回避した上で
スポーツや、格闘技が
安全に行われてほしいと
心から願っております。

スポーツはやってもいいし、楽しんでもいいけど、
人の命は大切にしてほしい・・・。


追加

中国新聞ニュース記事

記憶を失くす?頚椎ねんざと脳震盪?肩がきつい?

それって・・・・
私プロレスラーではありませんが、
脳脊髄液減少症で、似た症状経験してますけど・・・・

新日本プロレスコミッションドクターの富家孝さんって方、脳脊髄液減少症って病態の存在をご存知なんでしょうか?
循環器系にも呼吸器系にも異常がでるんですけど・・・(患者実経験談)

いくらリングドクター歴34年でも、
脳脊髄液減少症については、何も知らないかもしれないなぁ・・・。
コメント (1)
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目の見えないピアニスト

2009年06月13日 | 情報
本日午後、
ラジオのJFN系38局ネット
先日、米バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した
辻井伸行さん(20)と、

恩師の上野学園大学

横山幸雄さんとの2台のピアノでの
ラフマニノフの協奏曲の演奏が放送されます。

読売オンライン記事

クラシックに関心のある方も
ない方も、
もし、興味を持たれましたらラジオ番組表でご確認ください。

また、15日月曜朝の「クロノス」(38局ネット)でも放送があるようです。

全盲だからということで、特別視するわけではありませんが、

楽譜を目で読むことができない彼が、
ひとつひとつの音符や、音の長さ、リズム、強弱や、曲想を、

耳で聞き覚えた音をたよりに、ひとつひとつ鍵盤をさぐりあてながら、
鍵盤の場所を覚え、暗譜し、教師に学びながら、
音楽に彼の解釈をつけていったであろう作業は
健常者より努力を要したと思うし、

ここまでのご両親のサポートやご本人の努力の年月を思うと、
胸が熱くなります。

人間の持つ偉大な可能性や、

たとえ何か障害があっても、残された能力を最大限に生かして
人生を楽しみながら生きていくことのすばらしさを、

彼の奏でる音楽から感じとり、

私も勇気と元気をもらいたいと思います。

辻井さんの演奏の動画
辻井さんのホームページ

読売オンライン記事
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EDと、LOH症候群と、脳脊髄液減少症

2009年06月12日 | 他の病名との関連性
(リンク先はパソコンでご覧ください。)

女性の私が、
いきなりこんな題名で失礼します。

本日の朝日新聞医療面に
加齢性男性性腺機能低下症候群(LOH症候群)についての記事が掲載されています。

私はかねてから、男性のEDの一因に
脳脊髄液減少症がひそんでいるのではないか?と思っていました。

EDとは?


女性の脳脊髄液減少症患者が、「性機能低下や性反応の消失」が起こったり、
症状を「更年期障害」と誤解されることが多いなら、

男性の脳脊髄液減少症患者だって「ED」や「男性更年期障害」と
誤解されたって、おかしくない症状が出ているはずだと思うからです。

ED治療にかかわる医師たちは、
脳脊髄液減少症による性機能低下のことを
どれだけご存知なのか?と常々疑問に思っていますが、

恐らく知らないんでしょうね、きっと・・・。

性機能低下は、確かに加齢により低下もするでしょうが、
加齢によるものばかりではないと思うのです。

そう思うのは、
私が脳脊髄液減少症になってからの、
月経周期、月経日数、月経量の異常、
異常なまでの激しいPMS症状(頭痛、吐き気、激しいだるさ、怒りっぽさ、思考の混乱刷る感じ、激しいイライラ、うつ、涙もろさなどなど・・・の月経前症候群)などに加え、

性機能の低下、性反応の消失などをも経験しているからです。

かつて、私は、脳脊髄液減少症という病名がこの世に存在しなかったころ、

内分泌科的異常、婦人科的異常の症状により、
ホルモン療法も受けたことがあります。

しかし、
私のそれらの症状の原因は
内分泌疾患でもなく、
婦人科的疾患でもなく、

脳脊髄液減少症が原因でした。

このことから
脳脊髄液減少症の男性にも、
似たことが起こっているのではないか?と
かねてから強く感じていました。

この事実を、婦人科疾患や内分泌科の医師、
そして、性機能障害の治療や相談にかかわる医師の皆様にも
ぜひ知っていただきたいと思います。


今まで、性に関する症状や経験は記事に書きづらく、

UPした記事には
ごくごく一部のことしか書いていません。

あとの記事はUPしないままです。

しかし、本日の記事掲載を機に、
脳脊髄液減少症患者の性機能に関する症状についても、
タブー視せず、躊躇せず、
伝えなければ
脳脊髄液減少症の一症状としての
性機能障害や性機能の低下をわかってもらえないと思い、

少しずつでも私の経験や気づきを書いていけたらと思います。

本日のLOH症候群に関する記事を読んで、
「加齢性男性性腺機能障害低下症候群(LOH症候群)」と診断されたり、
そう思われている方の中にも、
脳脊髄液減少症が原因の方がいると思われます。

記事に書かれている、LOH症候群の症状の男性に限る部分の症状を、
女性用に置き換えて考えれば、
脳脊髄液減少症の私にもほとんど当てはまるからです。

ネットで見つけたチェック表

おそらく、男性の脳脊髄液減少症患者さんが
新聞記事のチェック表やこのチェック表で試してみれば、

脳脊髄液減少症の私と同じような結果がでるのではないでしょうか?

脳脊髄液減少症の症状は多彩で
そのひとつひとつの症状について調べてみても、

脳精髄液減少症とは、正しく診断されにくいために、
原因不明とされやすく、
そのため、症状だけを対症療法的にクスリでなんとかしようと
患者も医師も考えがちです。

もし、脳脊髄液減少症が原因でのEDの方が
バイアグラなどのクスリでむりやり体を反応させてまで
性機能を維持しようとすることは、

ただでさえ、脳脊髄液減少症でバランスを崩している体に対し、
さらに負担を加えることにはならないのでしょうか?

とても心配です。

脳脊髄液減少症は、性機能低下、性欲の減退、性反応の消失も引き起こすことは
私の経験からも明らかです。

症状を引き起こしている真の原因を、
しっかりと診断、治療されないままに、

症状だけを治そうとしても、
根本治療にならないばかりか、クスリの副作用も心配です。

また、
例によって、脳脊髄液減少症患者がうける誤解のひとつとして、
患者の性機能の低下、性的無反応による誤解や、
男女関係の悪化もありうると思います。

脳脊髄液減少症によって、体が正常な性反応を起こせなくなれば、
健常者である彼や彼女、配偶者など、
パートナーとの人間関係にもヒビが入ることもあると思うのです。

まして、
交通事故での被害者としての脳脊髄液減少症を発症したことでの、
病が原因での性機能低下が起こり、
それが相手に理解されないまま、別れることなどが
起こるとしたら、あまりにも残酷です。

脳脊髄液減少症によっておこる体の異常や
性機能低下、性反応の消失はその人のせいではなく、病のせいなのに、

まるでその人の体が男性として、女性として
価値がないもののように思われるとしたら、
その人にとって、あまりにもつらいことです。

患者はただでさえ、
心身の不調に苦しんでいるのに、

ただでさえ、体も頭も思うように動かず、社会からも周囲からも家族からも
ダメ人間扱いされやすいのに、

脳脊髄液減少症の症状による影響を
よくわかっていない人たちによって、

脳脊髄液減少症のせいだと気づいてもらえないまま、

健常者の彼や彼女から、
女性としても、
男性としても、性的にも無能扱いされるとしたら、
あまりにひどすぎると思います。

「脳脊髄液減少症は
下垂体の機能も低下させ、
ホルモンの異常も引き起こし、性欲や性機能も低下させる。」

このことは
関係する医師の皆様には
ぜひとも頭の片隅にいつも置いていただきたいのです。

性機能低下、イコールすぐさま

年齢のせいとか、
更年期障害とか、
うつ病とか、
ストレスのせいばかりにせず、

脳脊髄液減少症という原因でも起こることを、
知っていただきたいのです。

脳脊髄液の漏れなどが起きていて、脳脊髄液が減少することで脳が不調になって、
そのせいで
症状のひとつである性機能低下が起きていても、

ブラッドパッチ治療で脳脊髄液漏れをしっかりと止め、
脳がいい環境に置かれ、脳機能が改善すれば、

性機能も改善することがあることも、
知っていただきたいと思います。


臨床での診察で、
性機能低下を訴える患者さんに遭遇する可能性のある医師の皆様には、

常に「脳脊髄液減少症」でも
性機能低下が起こることを頭の片隅において、

患者さんの訴えに
耳を傾けていただけたらと思います。


そして、心も体も、性機能も、
思うようにならない
脳脊髄液減少症患者をパートナーに持つ健常者の皆様は、

そういうつらさもわかってあげて、

思いやりをもって接してあげてほしいと思います。



   

女性のためのED情報サイト

LOH症候群のチェック表は
こちらのHPの中の
「LOH症候群の診断」という項目の中に
さまざま視点からの、3つのチェック表があります。
ご参考ください。


日本メンズヘルス医学会の、アンケート調査
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脳脊髄液減少症のテレビ報道

2009年06月10日 | 情報
昨日6月8日中部日本放送(CBCテレビ)の6時のニュースの、
「イッポウ」内で
脳脊髄液減少症のことが放送されました。

出演された方のブログ

CBCでは、おととしの19年の3月にも放送があったようです。

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