脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

NHK「名医にQ」首の痛み

2009年01月31日 | 情報

今夜の「名医にQ」は

「今や国民病!首の痛み

徹底対策、

痛みの原因超簡単判別法

痛み解消手術大公開!

痛み緩和の漢方も・・・・」

 

といろいろと

「首の痛み」について放送があるようです。

しかし、

おそらく、

脳脊髄液減少症が原因の首の痛みは

番組でも

無視されるんでしょうね。・・・・きっと。

 

「首の痛みは今や国民病」って・・・

脳脊髄液減少症に気づけない人が大勢いるんじゃないかなぁ・・・・。

整形外科受診していて、

「脳脊髄液減少症の首の痛み」を見逃されている人が

たくさんいるんじゃないかなぁ・・・。

整形外科の先生で、首の痛みを訴える患者さんに対し、

「脳脊髄液減少症」を思い浮かべる医師は

まだまだ、少ないでしょうし・・・。

まだまだ否定派の先生もご健在のようですし・・・。

 

そもそも、患者さん自身が脳脊髄液減少症と自分の症状の関係になかなか気づけないことが、この病のやっかいなところです。

世の中に認知されていない上に、

情報も少なく、医師も知らない。

 

患者さんも、自分の肩こりとか首の痛みから、

まさか「脳脊髄液減少症」なんて、

恐ろしげな病名を想像もしないし、

第一病名を知らないだろうし、

知っても自分のこんなささいな症状が、

まさかそんな病と関連しては考えられないんですよね。

 

脳脊髄液減少症の首の痛みは

時々起こる、気にならないほどの、ささいなものから、

寝違えたような首の痛み、

枕もいろいろ工夫しなければ寝る時の、

首の姿勢も維持できないような首の痛み、

首から肩にかけて、ガチガチにこってしまったような

首の痛み、

夜、寝ていて寝返りもうてないほどの首の痛み

など、さまざまな程度、種類の首の痛みがでます。

 

さらに、ひどくなると、

悪霊に常に首を締め上げられているような症状も出て、

整形外科で首に異常はないといわれ、気のせいと言われると、

本当に「霊」のせいかとお払いまで考えるほどの

リアルな首絞め感が首に起こります。

 

そのため、ハイネックの衣類が着られなくなります。

布が首に触れる、わずかな圧迫だけでも、

首が苦しくて耐えられないほどだからです。

 

でも、ブラッドパッチ治療で首の痛みも締め付けも

私の場合ウソのように緩和しました。

 

あのまま、整形外科で

首の牽引や、などをしていても、

これほど治らなかったと思います。

 

自分で、脳脊髄液減少症かも?と気づけたことが

私の回復のスタートでした。

 

首の痛み、違和感、締め付け感、でお悩みの方、

脳脊髄液減少症に似た症状、経緯はないか?

まずははじめに、患者さんご自身が

よくご自分の症状、経緯を振り返り、

脳脊髄液減少症の数々の症状とひとつひとつ照らしあわせ、

お調べください。

くれぐれも、脳脊髄液減少症にご注意ください。

気づくのが遅れると、

何年も他の病と誤解され、

脳脊髄液減少症の治療とは方向の違う治療を受けたり、

脳脊髄液減少症を何年も何年も見逃され続けると、

私のようについには一人での外出不可能なほどの、

寝たきり状態にまで悪化します。

 

そうなってからでは、病院受診も一人では行けなくなりますから、大変なことになります。

医師にもよくわかっていない方がまだまだいる以上、

これは、けっして脅しではなく、

動けるうちに、この病の可能性にまず、

患者自身が気づくことが重要だと思います。

 

ご自分を救う最初の1歩はご自分の気づきです。

くれぐれも、お気をつけください。

 

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権力に立ち向かうことの困難さ

2009年01月30日 | 他の病名との関連性

「その時歴史は動いた」

第349回わが会社に非あり 〜水俣病と向き合った医師の葛藤(かっとう)〜

平成21年2月2日(月) 17:15〜17:58   BS2

平成21年2月3日(火) ※月曜深夜03:30〜04:13 総合 全国(近畿除く)

平成21年2月3日(火)16:05〜16:48 総合 全国

平成21年2月7日(土)10:05〜10:48 総合 近畿のみ

 

で再放送されます。見逃した方、興味のある方は

ご覧ください。

 

さて、番組を見た感想の続きです。

企業側の人間でありながら、水俣病患者を救った美談の人として、番組には描かれていました。

私も番組を見る前は、細川医師のことを

「企業を救うより、人を救った医師」

見る前から期待をこめてブログ記事にも書きましたが、

 見た後は、見る前と印象がまったく変わってしまいました。

 

今回の番組の主人公の細川医師は、

チッソの付属病院の医師であったにもかかわらず、晩年、

水俣病患者に有利な証言をしたそうで、

その肝心な証言の部分を、NHKさんにはもう少していねいに

描き出してほしかったと思いました。

 

視聴者としては2時間に及ぶ尋問の中身がもう少し詳しく知りたかったと思いました。

「チッソが有機リンが原因だということを知っていたのですね?」との内容の、

細川医師に対する尋問に

本当に、

細川医師が受動的に「ええ」とだけしか発言しなかったとしたら、

なんだか拍子抜けです。

 

結果的にその証言が、水俣病患者を救ったのですから、

細川医師の勇気ある証言だったことには変わりないと思いますが、

 

なんだか想像していた細川医師像とかなり違っていて

がっかりしました。

「企業を救うより、人を救った医師」というより、

むしろ、

「企業の権力に屈し、沈黙を守り、

内部告発をためらい続けて、

被害を拡大させてしまった医師

という印象の方が、

申し訳ないのですが、

強く私の心に残ってしまったのです。  

 

結局人とは弱いもので、

大きな権力を前にして、

どんなに自分の意見が正しいと信じていても、

大衆の批判にさらされたり、

バッシングされたりすれば精神的にも

身体的にもかなりの負担になってしまいます。

 

権力に自分が抹殺されるような危険を冒してまで、

自分を犠牲にしてまで、

いくら正しいことでも、自分以外の多数の人を救うために、

 

たった一人で、権力に立ち向かい

行動を起こすことはしないものなのだと思いました。

 

現代でも、

脳脊髄液減少症がこの世に存在しては困る権力者たちによって

この病が無きものにされようとし、

交通事故とは無関係とされようとしています。

脳脊髄液減少症なんてありえない、

そんな病気などない、

ブラッドパッチなどはおまじないのような治療などと、

批判して、

この病の苦しさも患者たちの現状も知らない愚か者たちが

脳脊髄液減少症をさらに苦しめたり、

脳脊髄液減少症を闇に葬ろうとやっきになっていたりします。

 

水俣病の被害を拡大させた企業の考え方と

なんら変わらないと思います。

 

真実を知っている人間が、

その権力に一人で立ち向かったって、

権力に潰されてしまうのがオチです。

 

でも、水俣病患者たちが力をあわせて行動を起こし、

支援者たちや理解ある弁護士さんたちの努力で、

結果的に細川医師から真実を引き出し

真実をあぶりだしたように、

病で体が弱って思うように動けない脳脊髄液減少症患者も、

少しでも治療で回復して、力をあわせれば、

巨大権力、巨大企業を相手にしても、

もしかしたら、いつかこの世に、

真実をあぶり出せるかもしれないと思いました。

 

細川医師も死ぬ前に真実を語ってくれたのは、ありがたいし、

言わないまま死んでしまうより、たしかに人間としてえらかったとは思いますが、

できれば受動的ではなく、能動的に証言してほしかったです。

それがしたくてもできなかった時代背景があるのは

わかっていますが、

せめて、定年でチッソを辞め、遠く水俣を離れた愛媛県大洲市で、

第二の人生をはじめた段階で、

真実を世に語ってほしかったです。

 

静かに余生を送りたかったのもわかりますが、

それでも、その時、真実を語ってほしかったです。

 

もし、細川医師がその時語っていてくれれば、

患者はもう少し早く、真実を知ることができ、

死ぬ前に自分の病の真相を知ることができた人もいたかもしれません。

 脳脊髄液減少症という病態が発見されたのはつい9年ほど前です、

それ以前は交通事故で脳脊髄液減少症になっても、原因がわからないまま、苦しみながら人生を終えたであろう多くの事故被害者がいたと思います。

だから私は、

病の原因がはっきりしないまま、苦しんで苦しんで死んでいったであろう、水俣病患者の無念も想像してしまうのです。

病気にさせられ、その原因すら患者が知らされないほど、

悲しいことはありません。

被害者は自分の苦しみの根本原因を知る権利があると思います。

 

私が一番えらいと思ったのは、細川医師ではなく、

あんなひどい症状を抱え、

あんな経済状況の中でも、

あきらめることなく、声をあげ、

行動を起こした水俣病患者やその家族や、

水俣病患者を理解し、一緒に闘ってくれた弁護士さんや、理解し支援してくれた健康な人々だと思いました。

 

その方がたの必死の行動がなければ、

「細川医師のあの証言も引き出せなかった」と思うからです。

 

水俣病患者さんとその家族は、病の身体的精神的症状、経済的苦しさ、理解されない精神的苦しみ、を抱えながらも、

よくぞ、闘い、

後世のためにも、公害病の真実をあきらかにしてくれました。

 

今、あたりまえになりつつある、

企業の「環境」に対するとりくみや、

企業CMとしても活用される「環境を大切にする企業イメージ」づくりは、

あの時、水俣病患者さんが、命がけで闘ってくれたおかげかもしれません。

 

あのような過酷な状況の中でも、

権力に屈服することなく、精一杯戦いぬいた

水俣病患者さんたちのほうにこそ、

私はいたく感動しました。

 

私たち、脳脊髄液減少症患者も、

水俣病患者さんとその家族を見習わなければと思いました。

「人命より優先される、

企業利益など、断じてない。」のですから。

 

 

ろくろさんからの情報です。

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人命より利益を優先した企業

2009年01月29日 | 他の病名との関連性

昨夜、NHKその時歴史は動いた

「わが会社に非あり

~水俣病と闘った医師の葛藤~」を見ました。

 昨日のブログ記事は、番組を見る前に、内容を予想して思いを書きましたが、

今日は番組を見た感想を書きたいと思います。

 実際に番組を見てみると、

見る前と違った思いがわいてきました。

水俣病患者に有利な証言を行った細川医師に対する賞賛の思いよりも、さまざまな意外な思いも湧いてきたのです。

まず最初に感じたことは、企業の姿勢や、患者の苦しみ

に対することです。

 

「いつの世にも、

人命より企業利益を優先して考える、心無い、ひどい人間の企業集団がいるものなのだなぁ」ということです。

そして、

そういう人たちが

今もなお、消えることなく存在して、

脈々と続きこの現代にも生息していて、

こりもせず、

「同じことを繰り返し、人命より企業利益を優先し、

人々を苦しめ続けている。」

 

現代の、

交通事故と脳脊髄液減少症の因果関係を絶対に認めようとしない自動車保険会社の

非人道的な行為は、 

水俣病と工場排水との因果関係を頑として認めようとせず、

人々を苦しめ続けたチッソの

「人命軽視、企業利益優先」の考え方と

根っこは同じだ と思いました。

 

チッソが、細川医師の報告により、

うすうす工場排水と水俣病との因果関係に気づいても、

人命より企業利益を優先し、企業を守ることを優先し、

被害を拡大させ、被害者を経済的にも精神的にもおいつめていったありさまは、

まるで脳脊髄液減少症患者の置かれている状況と同じで、

見ていていたたまれなくなりました。

 

先週の「その時歴史は動いた」の

緒方洪庵のはるか昔の「天然痘との戦い」という

「病」に関するお話は冷静に見ていられたのですが、

 

近代に起こった水俣病という公害病の話は、あまりにリアルに自分に迫り、

脳脊髄液減少症患者の苦しみと重なることが多く、

番組を見続けることさえ、精神的につらい思いでした。

 

公害病というものは、人々には何の落ち度もないのに、

もともと健康だったのに、

人間の行為によって、人間が健康を害し、病に苦しむのです。

何の落ち度もなく、海のそばで漁業などでおだやかに暮らしていたであろう市民が、

ある日知らず知らずに有機水銀を魚を通じて

体内に取り込まされ、

突然「原因不明の奇病」を発病し、苦しみながら、命までも落としていく。

たとえ死なずにすんでも、

症状を抱えながら、原因がわからないために、社会的支援もなく、補償もなく、

経済的にも精神的にも追い詰められ、生活にも困窮して人生を破壊されていく・・・。

 

そのありさまは、

交通事故後の脳脊髄液減少症患者のたどる道にそっくりです。

 

私は歴史に無知なために、健康なころも、

脳脊髄液減少症とわかる前も、

水俣病と聞いても正直自分とは関係のないことで、

「過去の公害病」との認識しかありませんでした。

 

今まで「水俣病」というものがどういうものか?

あまり関心も持たずに生きてきました。

 

「水俣病」という病名だけは知っていても、その病の症状が患者本人にとってどんなに苦しく、

何の罪もない人の人生を破壊し、その家族をも苦しめ続けたか?考えたこともありませんでした。

企業がその病と自らの因果関係を認めなかったために、

真実を隠蔽しようとしたために、

患者たちが、病の苦しみの上に、

さらに、周囲や企業や国の無理解にさらされ

経済的にも精神的もどんなに苦しみぬいて

うちのめされて生きてきたか?など、

水俣病患者の実際の苦しみなど、想像したこともありませんでした。

 

「脳脊髄液減少症患者の置かれている苦しみの状況が

過去の水俣病患者の状況と似ている。」と気づいてはじめて、

自分のこととしてとらえることができるようになり、

水俣病に関心を持つようになったのです。

 

人間とは悲しいかな、自分が似た状況になってみるまで、

他人の状況など想像することが難しいようです。

 

同じように、健康な人や

「脳脊髄液減少症」と聞いても、

その、なにやら長ったらしい、漢字だらけの病名を聞いたところで

自分のこととして捕らえられないのも、しかたがないことなのかもしれません。

「脳脊髄液減少症?なにそれ?

どうせ、一部の人の特殊な病でしょ?

数の少ないまれな病でしょ?

自分にもわが子にも、うちの家族にも全く関係ないこと。」

と無関心に陥ってしまう方がいても、何の不思議もありません。

  

医学の教科書に書いてある病しか信じない医師たちは、

いくら患者が体験を伝えても

「脳脊髄がそんな簡単に漏れるなんてありえない。

そんな病は存在しない。

たとえ漏れて脳が下垂するようなことがあったら、即死だ。」

と、聞く耳をもたず、

 

脳脊髄液減少症の患者の苦しみ自体、病の存在自体を否定してしまうのです。

それは、

水俣病患者の苦しみを想像することすらできなかった、

私と同じような状況で、しかたがないことなのでしょうか?

いえ、医師である以上、

医学の教科書にのっている過去の知識より、生きた患者の生の声を聞いてほしいです。

実際に交通事故や、脳脊髄液漏れが証明された患者やブラッドパッチで改善した患者の生の声を聞いてほしいです。

 苦しい経験をした今なら、

私は、水俣病患者の苦しみが

自分の経験と重なり

以前より患者の皆様の怒りも苦しみも悲しみも

想像できます。

 

企業や組織を優先するあまり、人命が置き去りにされるという、

人間の非常な心と、それが生む無理解の苦しみを

脳脊髄液減少症で体験してしまったからです。

 

私達、脳脊髄液減少症患者の苦しみが

水俣病患者に重なるからです。

 

病気(事故後遺症)の苦しみだけではなく、

経済的にも、精神的にも、

企業の無理解と、冷たい仕打ち、にも苦しめられるところが

水俣病患者と脳脊髄液減少症患者はそっくりです。

 

水俣病も、脳脊髄液減少症も、

患者を延々と苦しませ続ける最大の原因が、

「有機水銀」や、「交通事故による脳脊髄液漏れ」という

病や症状の直接の原因ではなく、

 

国や、関係企業の、「無理解、無関心」と

「患者に対する非情な扱い」、という点が

とても似ていると思います。

 

病で弱った患者とその家族が、自ら異議を申し立て、

声を上げなければならない過酷さも

とても似ていると思います。

なんということでしょうか?

 

悲しい歴史、苦しみの歴史は繰り返さないでほしいです。

 

歴史から教訓を読み取って、

次の時代に生かすことができなければ、

進歩も発展もありません。

 

公害病と交通事故後遺症という、原因はまったく違う

水俣病と脳脊髄液減少症ですが、

 

患者の苦しみの質があまりに酷似していて、

驚きました。

番組を見て、

脳脊髄液減少症は

現代の「水俣病」だと改めて感じました。

 (リンク記事:水から環境を考える)

 

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企業を救うより、人を救った医師

2009年01月28日 | 他の病名との関連性

本日夜10時から、NHKで

いよいよ、

「その時歴史が動いた」~わが会社に非あり~

水俣病と向き合った医師の葛藤~が放送されます。

どんな風に医師は葛藤し、証言することを決断したのか、

ぜひ知りたいと思います。

企業に関係する医師でありながら、
企業の利益より、
人命と苦しんでいる患者を救うことを優先し、
企業に不利な証言をしたであろう医師が
過去にいたという事実があることは貴重です。

その医師はどんな気持ちで、どんな思いで、
企業をかばう道より、人を救う道を選んだのでしょうか?

本当にそんなことができた医師が過去にいたなんて
驚きですし、同時に
そういう医師が過去にいてくれたことは、

似たような企業の無理解にさらされている脳脊髄液減少症患者は、せめてもの救いを感じます。


脳脊髄液減少症は、交通事故後に起きることが多いことは、
多くの患者が身をもって体験し、
多くの患者を治し続けている医師たちが証言しているのに、

交通事故で脳脊髄液減少症が起こることに否定的な
自動車保険会社、損害保険会社は、否定派医師を利用して、
事故後遺症としての脳脊髄液減少症を、否定するのにやっきになっています。

「自分さえよければ弱者なんてどうでもいい」ような考えの人々に、
水俣病の患者を救うために、企業と患者のはざ間で葛藤しながらも真実を伝えた医師のつめの垢でも煎じて飲ませたい思いです。

もちろん保険会社が保険金詐欺のような理不尽な要求には応じる必要はありません。

でも、本当に患者が苦しんでいる時、

見て見ぬふりしたり、意地になって否定することばかりではなく、

自分たちに都合の悪いことでも、真実を直視する勇気が企業にはほしいものです。

それができる企業かどうかで、

その企業が「人を大切に思う」企業かどうか、

姿勢が問われる と思います。

つまり、自分達の都合の悪い現実は直視せず、

闇に葬りなきものにしようとする企業は

「人を大切に思わない」企業だと思います。

人命を第一に思うことは、その時には企業に不利なように見えても、
長い目で見た時、自分達の企業を救う道でもあると思うのです。

食品偽装発覚後の、その会社の対応や姿勢で

その会社のその後が左右されていくのがいい例だと思います。

人より企業の利益優先の会社はやがて、大衆の指示を得なくなり衰退していきます。

もし、今後も、私のように、自分には何の落ち度もない交通事故で
脳脊髄液減少症を発症しながら、何の補償もなく、医師にも異常なしと放り出される被害者がで続けるとしたら、

その被害者をさらに苦しめ続ける保険会社があり続けるとしたら、
そんな企業は絶対許せません。

社会から何の理解も支援もなく、
さまざまな自分だけが感じる症状と障害を抱えながら、命からがら生き延びるような、

そんな悲惨な人生を歩ませる交通事故被害者を、もう二度と出してほしくありません。

そのような行為は、今すぐやめてもらいたいと思います。

そして、詐欺師ではない、真の被害者には

きちんと手をさしのべ、

治療費を支払い、補償もし、保険会社としてのあたりまえの義務をきちんとはたし、

被害者の一刻も早い社会復帰を精一杯応援してほしいものです。

そうでなければ、何のための保険会社かわからなくなってしまいます。

何の罪もない被害者を詐欺師扱いし、さらに苦しめる保険会社なんて必要ありません。

そんな非情な保険会社は民衆の力で自然淘汰され、
この世から消えてなくなってほしいです。

私の自動車保険もまた、今年更新の時期がまたやってきます。

万一の時、保険会社が適切な対応をしてくださると信じているから加入者は保険に入るのです。

万一私が加害者になってしまった時、被害者に対し精一杯のおわびをしたいから、

ほとんど運転しないわたしでも、働けない中でも任意保険は更新しているのです。

万一、私が事故を起こして、けがを負わせてしまった被害者に対し、
いくら充分お詫びがしたくても、保険会社が充分補償をしてあげられなかったら、私も被害者に対して大変申し訳なく思います。

それでは、
何のために掛け金を払って

自動車保険に加入したのかわかりません。

払っているのに、入会の時にうたっているほど、

手厚い補償がなく、なんやかやと因縁つけて

支払わないのでは、それこそ詐欺です。

詐欺師ではないマジメな加入者と被害者に対しては、

真摯な対応の自動車保険会社であってほしいものです。

企業にかかわる医師は、
企業を救う前に、人を救う医師であってほしいものです。

これからも、
企業とつながる医師は、
たとえ企業に不利な情報であっても、人の命を救うためなら

勇気を持って、

真実を発言してほしいと思っています。

人を大切にしない企業は、

やがて淘汰されていくのが世の常です。

食品会社であっても、保険会社であっても、

人の命や健康を第一に大切に思う企業姿勢

それこそが、どんな企業であっても、

長い目でみて、その企業を救い、発展させる道につながるのだと思います。

             

 

同じような思いを書いた過去記事:

     

自動車保険の更新

 

保険会社のCM

 

自動車保険会社に望むこと

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「その時歴史は動いた」放送のおしらせ

2009年01月27日 | 情報

何度も最近書いたのでしつこくて申し訳ないですが、

お伝えします。

 

 本日、NHK総合午後4時5分から、

NHKその時歴史が動いた、アンコール

「緒方洪庵 天然痘の闘い」の再放送があります。

 

 

 また、明日、1月28日水曜日夜10時からNHK総合で、

NHKその時歴史が動いた

「わが会社に非あり

水俣病と向き合った医師の葛藤」

はじめて放送されます

 

どちらも、現在の脳脊髄液減少症患者の置かれている無理解の現状と、悲惨さと、

損害保険会社の交通事故被害者に対する仕打ちのひどさと、

社会の無理解の中、患者を救うことを第一を考え、格闘する現在の医師たちの姿を理解するのに、

過去の実際の例として非常に参考になるお話だと思います。

この番組を見れば、

現在の脳脊髄液減少症の抱えている問題が、

過去の現実のお話を通して、

より多くの方に想像してもらいやすく、より理解していただきやすいと私は信じています。

 人間とはおろかな生き物で、意識しないと、知らず知らずのうちに、過去と同じあやまちを繰り返しかけたりするようです。

過去を学ぶことは、これからの指針にもなります。

関心のある方はぜひご覧ください。

この番組に関する最近の過去記事は

こちらと      こちら

 

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夜尿(おねしょ)と脳脊髄液減少症

2009年01月26日 | つぶやき
最近朝日新聞のことばかり書いていますが、
私の接する世界が狭く、

新聞とテレビぐらいしか話題がないのでご了承ください。

朝日新聞社発行の「くらしの風」2009年1月号35ページ

「子育てすくすく相談」で、
お子さんのおねしょに悩むお母さんの紙上相談を読みました。

「小2の息子さんが、量が通常時なみの排尿量のおねしょがあり、
布団をぬらさないために、本人が寝入ってからオムツをはかせている。
朝方までオムツがぬれていないこともあるが、
寝入って1時間ぐらいでオムツがぬれていることもある。」との相談でした。

それに対し、
日本臨床心理士の方のアドバイスは、
寝る前にトイレにつれていく、
夜に起こしてトイレにいかせる。
大丈夫、一緒になおそうと励ます。
オムツをはずして、ぬれた気持ちわるい感覚を覚えさせて、寝ながら排尿するのは気持ち悪い、という感覚を体で覚えさせる。
小児科、子供も対象としている泌尿器科を受診してはいかがでしょうか?というものでした。

なんとも、教科書的な模範的なお答えだと感じました。

そんなことはたいていのお母さんはためしていると思います。
それでも治らないから紙上相談にまで投稿するのだと思います。



この記事を読んで、脳脊髄液減少症のさまざまな身体的、精神的症状を経験している私は、

例によって、
原因不明の夜尿のお子さんの中には
脳脊髄液減少症が原因のお子さんがいるのかもしれないと思いました。

そう、思うのは
私自身が、脳脊髄液減少症で、睡眠が充分取れないほどの、
夜間の頻尿に苦しんだ経験があるからです。

原因不明の頻尿とか、夜間頻尿、切迫性尿失禁、過活動ぼうこう、多飲多尿、
おねしょなど尿にかかわるさまざまなトラブルで、
脳脊髄液減少症を思い浮かべる人間は、世界中で、
私一人なのでしょうか?

脳が大人より未熟な子供なら、
尿意を感じて、今まで眠っていた夜中に、目覚めて体を起こして、
トイレに行って排尿するという一連の行為が
大人よりかなり難しいのではないかと思いました。

とにかく、脳脊髄液減少症は、ありとあらゆる症状がでます。

私の経験からも症状は多彩で、代表症状ともいえる、痛みやだるさがあまり目立たないことだってあるのです。
「なんとなく具合が悪い、体調がすぐれない、風邪かなぁ、疲れかなぁ」などというレベルもありますし、

今にも死にそうなほどの身体症状を感じることもあります。

頻尿だけがひどい日もありますし、
思考力の低下だけが強く感じる日もあります。

症状の組み合わせは人それぞれだし、その日によっても
日替わりで変わったりするから、医師になかなか信じてもらえないし、
早期発見しずらいのだと思います。

どんな症状であっても、症状だけにとらわれていると、
脳脊髄液減少症という真犯人を見抜くことはできないと思います。

脳というところは、人間のすべてのコントロール中枢だということを忘れないで、
「脳が何らかの原因で機能異常、機能低下を起こせば、どんな症状がでたって、おかしくない」ぐらいの視点をもって、
医師はどんな不定愁訴に出会っても、一度は「脳脊髄液減少症」を思い浮かべる負ぐらいで早期発見にはちょうどいいと思います。

なんでも精神的なもの、とか心理的なもので片付けないでほしいと思います。

したくておねしょしている子供はいないはずですから、
何か原因があるからそういう状態になっているはずですから、

大人たちが早期に真の原因に気づいてあげて、
適切な治療で治るものなら治してあげてほしいと思います。

病気のせいで、夜間頻尿が起こり、おねしょにつながっているかもしれないのに、

おねしょするたび、親に叱られているお子さんが
全国にたくさんいるのかも?と
想像するだけで、心が痛みます。

子供にかかわる医師の皆さん、泌尿器科の医師の皆さん、

どうか、まずは脳脊髄液減少症を深く、深く学んで、すべての症状を頭に叩き込んでください。

そうしないと、この完全犯罪者の犯人のような
脳脊髄液減少症の、「多彩な身体症状、精神症状」という目に見える症状にばかり振り回され、真実を隠すような症状トリックにごまかされ、真犯人を
必ず見逃してしまいます。

真犯人を見逃して、仮病扱いされたり、保険金めあての詐欺師扱いされたり、
人生を症状に振り回される交通事故被害者は
もう二度と、絶対に、出してほしくありません。

まして、知識不足から、
子供の脳脊髄液減少症患者を見逃せば、
学ぶ機会も遊ぶ機会もその子から奪うことになりますから、
絶対に見逃さないためにも、

こどもの頻尿、夜尿からでも、他に脳脊髄液減少症に似た症状はないか?
過去に交通事故などの経歴はないか?
などと自然に考えられるほどに、
医師は頻尿や夜尿の症状にとらわれず、広い知識と視野で、患者を診てほしいと思います。

よろしくお願いします。



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SAD、社会不安障害

2009年01月25日 | 他の病名との関連性

他の新聞にも載ったのかもしれませんが、

1月24日(土)の、朝日新聞に、
ソルベイ製薬「SAD NET」社会不安障害についての

全面広告記事が載っていました。

「社会不安障害と経済損失」という題で

元NHKニュースセンター9時の女性キャスター宮崎緑氏と、

横浜クリニック院長、東洋英和女学院大学人間科学部教授の

山田和夫氏の対談が載っていました。

関心のある方は昨日の新聞などを手に入れてお読みください。

 

「働き盛りに増える、『社会不安障害』

未治療による経済的損失は年間約1兆500億円」という

サブタイトルがつけられていました。(計算方法に興味のある方は全面広告記事をご覧ください。)

それを見て、

社会不安障害だけで、1兆500億円では、

社会不安障害も、うつも、全身の痛みも、慢性疲労も、全身倦怠で動けないことも、物忘れ、思考の混乱などの高次脳機能障害なども、

身体的にも精神的にも、

ありとあらゆる症状が出る脳脊髄液減少症患者を

全国の不定愁訴患者から厳密に脳脊髄液減少症患者を

全員探し出して、

その経済的損失を計算したら、

少なくともその10倍、

脳脊髄液減少症の経済的損失は10兆はいくのではないか?と勝手に考えてしまいました。

 

いえ、なかなか診断がつかないことで、

ドクターショッピングを繰り返したり、

あちこちの診療科で、さまざまな投薬治療などをされますから、無駄な医療費も重なり、総合的損失額はもっと多いかもかもしれません。

だからこそ、脳脊髄液減少症の早期発見早期治療が大切だと

私は何度も言っているのです。

SADに限らず、

脳脊髄液減少症も働き盛りに多いと思います。

なぜなら、脳脊髄液減少症の発症原因で一番多いのは交通事故で、

その交通事故に会う可能性の高い年代は、

運転免許を持って実際に運転する年代、

つまり、働き盛りの年代の方がた だと思いますから。

 

以前にも私は脳脊髄液減少症と社会不安障害との関係について、何度か過去記事に書きましたが、

脳脊髄液減少症によっても、脳が不調を起こし、

さまざま精神的不調が現れます。

それはまるで精神疾患、心の病そっくりなので、

実際に精神科の病と間違われて、

精神科での治療やカウンセリングを受けていた脳脊髄液減少症患者さんも実際にいると思います。 

うつ状態、そう状態にもなる、双極性うつ病、

普通のうつ病は夕方に元気になってくるのに、

逆に夕方から具合が悪くなってくる、「非定型うつ病」と言われるうつ病

(脳脊髄液減少症で二次的にうつ病のようになっているなら、座位や立位で日中体を起こし続けていると、時間とともに、脳が下垂し、夕方から身体的精神的にも症状が悪化すると考えると、私個人の体験では、

非定型うつ病とされている方の中にも、脳脊髄液減少症でのうつ状態の方が混じっている気がします。)

立位で悪化することから、電車の中で立っていると死ぬんじゃないかと思う苦しみに襲われ、

救急車で病院につくころには横になっていたために症状が落ち着き、病院の検査でも異常が見つからず、

パニック障害と医師に診断されている方の中にも、

脳脊髄液減少症患者が混じっている気がします。

パニック障害は、次にまた発作が起きるのではないかと不安になり、外出しなくなるなどとよく説明されていますが、

脳脊髄液減少症で、似た経験のある私から見たら、

一度そういう公衆の面前で危機的な思いを何度かすると、

また、公衆の面前で具合が悪くなったらどうしよう?と

「予期不安」がでるのは、

人間として、むしろ、正常の精神反応だと思います。

なんでも精神的病のせいに決め付ける前に、似た症状の出る病である

脳脊髄液減少症の可能性の有無を、

医師は慎重に検討して診断してほしいと思います。

しかし、精神科の医師であっても、

脳脊髄液減少症が原因で、精神状態が不安定になったり、うつ状態になったり、不安障害状態になったりすることを、

今現在、ご存知の方は少ないと思われます。

これから、もっと精神科の医師の皆様にも、ご理解、ご支援いただきたいと思います。

過去記事にも書きましたが、

私の場合、社会不安障害のような、誰にも会いたくない、

ひきこもり状態の精神症状が、ブラッドパッチ後に治まり、

気持ち的にも前向きになり、社交的にもなったことから、

こういった「社会不安障害」状態の精神症状が現れている患者さんの少なくとも一部には、

脳脊髄液減少症が原因での、

二次的に社会不安障害様の精神不調が出ている患者さんが存在することは確かだと思います。

本日の広告の製薬会社も、

広告記事で対談しておられる専門家の先生も、

社会不安障害と脳脊髄液減少症の関連については

おそらくまだ気づいておられないのかもしれません。

精神科の先生方も、

不安障害に苦しむ患者の皆様も、

ぜひ、この機会に、脳脊髄液減少症という、

脳機能低下を引き起こす、見えない後遺症の存在を知っていただきたいと思います。

SADネットにも、

「(社会不安障害は、)実は脳内物質に関する機能異常による「病気」の可能性があります。」と書いてありますが、

その脳内物質に関する機能異常を引き起こすひとつの原因として、

脳脊髄液減少症も考えられると思いますが

そんなことは一言も書いてありません。

おそらく、そういう認識は、SADの専門家の間でも、

ないのでしょう。

 

もし、脳脊髄液漏れが原因であったなら、

脳脊髄液漏れをそのままにして、いくら薬で

社会不安障害など精神症状を治療をしようとしても、

なかなか治らないと思います。

私の経験では、

脳脊髄液減少症が原因でも、社会不安障害は、起こり、

薬ではなく、ブラッドパッチ治療で

脳脊髄液漏れを止めることによって、脳が機能改善して、

症状も改善したという事実があることも、

ぜひ知っていただきたいと思います。

 

少なくとも私の経験では、

脳脊髄液減少症でも、「不安障害」と似た精神不調が出る事、

ブラッドパッチ治療でそれらの精神的不調症状が改善してきたこと。

 

この二つは紛れもない事実です。

この機会に全国の皆様に

精神科ではなく、

脳外科で治るSADもあるという、

この私の1例だけでも、認めていただきたいと思います。

 

リンク先

SAD NET、社会不安障害

社会不安障害の自己診断、ウェブドラマが見られます。)

 

参考までに私の過去記事、

「社会不安障害」

「精神症状の改善」

 

 

追加:

それにしても、この全面広告の

「SADキャンペーン」の監修が

国際医療福祉大学の先生とは・・・・なんという偶然。

(2009年11月現在、調べたところ、

この先生は昭和大学医学部精神医学教授になられていました。

やっぱり、医学部のある大学の教授の地位の方が医師として

魅力的なんですかね・・・・。

私は大学名とか、大学に医学部があるかないかではなく、その医師そのものの人間性で判断するる方なので、

肩書きなんかで判断しない人間です。

東大医学部卒だけが、優秀なすばらしい医師だとは、私は全く思いませんし。

これも、脳脊髄液減少症になって、変わった価値観です。

本当の友達でない人たち、本当の家族になりえない人たちは離れていきました。

何が、本当で、何がウソか?本質を見抜くことの大切さも、脳脊髄液減少症との長い付き合いが教えてくれました。2009年11月4日 追記)

 

この先生、脳脊髄液減少症は肯定派なのでしょうか?

まさか否定派?

それともよくわかってくださっていない派?

 

国際医療福祉大学熱海病院に脳脊髄液減少症のパイオニアの先生がいらっしゃるんですから、

せめて、国際医療福祉大学系列の全病院の全医師

全事務員、全医療スタッフは、

脳脊髄液減少症とはどんな身体症状

精神症状を出し、

どんな風に人の社会生活を障害するかについて、深く学んでほしいと思います。

 SDA事務局へのご意見、ご感想はこちら

脳脊髄液減少症の症状を

うつ病と間違われたお子さんを持つ、お母さまの手記は

こどもの脳脊髄液減少症」の中の。

「ひろば、希望へ」の詳細をクリックしてお読みください。

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幕末のエビデンス

2009年01月22日 | つぶやき

昨夜のテレビは裏番組の「キイナ不可能犯罪捜査官」も見たかったのですが、

おととしみたNHK、その時歴史は動いた、の
「緒方洪庵天然痘との闘い」のアンコール放送を見ました。

これは来週火曜の1月27日の夕方4時5分からも再放送されます。
見逃した方はぜひ、ご覧ください。

脳脊髄液減少症患者のおかれている現状を、少しでも理解してくださろうと思って、ここに来てくださっている方には、

まず、番組を見るにあたって、

番組内容、登場人物、設定を、以下のように頭の中で置き換えながらこの番組を見ていただけば、脳脊髄液減少症をとりまく現状がご理解いただけるかと思います。

緒方洪庵を・・・・S医師や脳脊髄液減少症治療のパイオニアの医師たち」

天然痘を・・・・「脳脊髄液減少症」

牛痘法という天然痘の予防接種を・・・・・「ブラッドパッチ治療」

人の弱みに付け込んで、偽の牛痘法で金もうけをしようとするヒ人を・・・・・「不定愁訴患者を金づると考え、さまざなことを勧めたり売りつける金儲けめあての方がた」

緒方洪庵の正規の種痘を学ばず、きちんとした研修もなく勝手に治療をしている分苗所以外で、接種をしようとする医師を・・・・・「脳脊髄液減少症のパイオニアの医師の指導も受けず、研修も受けず、きちんと脳脊髄液減少症を学ばず診断法も治療法も自己流で脳脊髄液減少症の治療をはじめる医師」

牛痘法の悪いうわさを・・・・「ブラッドパッチ治療のマイナーなうわさ」

幕府を・・・・・・「現在の日本政府」

と、置き換えて、番組を見てみてください。

現在の
脳脊髄液減少症治療医と、患者、医学界、国との関係が見えてくると思います。

さて、幕末に天然痘の予防に取り組んでいた医師たちの活動を今回改めて見て、いろいろ感じた中で、

まず一番強く感じたことは、

幕府が、
「医師、緒方洪庵、相ひろめ候、

植え疱瘡の儀は、怪しむべきものにこれなし」(「医師の緒方洪庵が広めている、天然痘の予防接種の方法は、あやしむべきものではない」。安心して受けよ。という意味だと思います。)

という、

当時の幕府が緒方洪庵の行っている種痘「牛痘法」についてお墨つきを与えたのは、幕府はどんな根拠、(エビデンス、)に基づいての決断だったのだろうか?

「幕末の医療のエビデンス」ってなんだったのだろうか?

という素朴な疑問でした。

 

どう考えてみても、
科学実験による科学的根拠とか、
患者データ収集した研究成果とか、
学会発表で多数の支持を得たとか、
そういったたぐいからの「エビデンス」がもとになっての
幕府のお墨付きではなかったように思えるのです。

おそらく、牛痘法という予防接種を行って、天然痘にならずにすんだ、人々の「生の体験」

幕府のお墨つきを与える当時の「エビデンス」そのものだったのではないか?と私は思うのです。

 

牛痘法で天然痘を予防し、天然痘で死なずにすむ、という噂が噂を呼び、

「緒方洪庵の行っている牛痘法という種痘という技術は、人の命を救う。」ということが、幕府に伝わり、

幕府も確実な情報だと判断した上で、お墨付きを与えたのだと思います。

つまり、

牛痘法の「エビデンス(その治療がよいと思える根拠)」とは

「民衆の実際の経験」そのものだったのだと私は思います。

幕末のエビデンスは「人間の経験のすべて、そのもの」だったとしたら、

それがいつから、科学中心の根拠ばかりに依存するようになったのでしょうか?

いつから生きた患者の生の体験談はエビデンスとして価値のないものとなり、

科学的根拠ばかりが「エビデンス」としてあがめられるようになってしまったのでしょうか?(過去記事:科学信仰の罪と罰

人間が身をもって体験したことが本当は一番大切なのに、どうして患者の体験は信じてもらえなくなってしまったのでしょうか?

実際に交通事故後、長年いろいろな不定愁訴に苦しんできた患者が、どんな検査にも異常なしと言われ続け、放置されてきた患者が、

脳脊髄液減少症の診断にやっとの思いでたどりつき、
「ブラッドパッチで症状が改善した。」といくら声をあげても、

否定派医師には
エビデンスがない。と切り捨てられてしまいます。

国もこの病についての研究者の研究結果を待つとか、

医学界の統一見解を待つなどと、人命軽視もはなはだしい態度を平気でとります。

大昔、

幕府がもし、

牛痘法を試して効果があった、生きた人間の体験を

一番に重要視せず、
牛痘法にお墨付きを与えなかったとしたら、

どうなっていたのでしょうか?

現代のように「科学的根拠や研究が不十分だから」、

との理由で、お墨付きがだされなかったら、

どうなっていたのでしょうか?

 

現場は混乱し続け、

種痘を怖がったり、効果を疑って、天然痘の予防接種を受けない人が出て、多くの命が奪われたことでしょう。

緒方洪庵の方法を学ばず自己流での医師の粗悪な予防接種や、お金めあての偽の予防接種や、あやしい治療にひっかかり、健康を害する人も続出し、

現場は混乱して、さらに予防接種は広まらず、天然痘が蔓延したかもしれません。

今のような医療機器も、科学検査法もない時代、

何をもって、「この予防法や、この治療法が効果がある。」と

医療界や幕府は判断していたのでしょうか?

 

当時のエビデンスってなんだったのでしょうか?

おそらく、多くの種痘を受けた現実の人の「効果がある」という話を

幕府が信じたからこそ、お墨付きを出したのだと思います。

そのお墨付きがでたからこそ、多くの民衆の命が助かったのだと思います。

お墨付きを出そうと判断した幕府の勇気ある決断にも感心します。

いまから159年も前、
患者が実際の体験から、「この予防法は効果があった。」という、人間の生身の体験が
当時の医療や予防法のエビデンスとなり、

それを信じ、多くの人を救うために決断した幕府の勇気によって、多くの人の命が救われたと思われるこの事実を知って、

他の医師の批判も恐れず、まず第一に患者のことを考えて

信念をつらぬきとおした緒方法庵という医師が、

遠い過去にもいたことに、胸が熱くなりました。

 

いつの時代も、「患者第一」の医師の名前は

人々の心に残り、100年以上たっても、語り継がれるものです。

 

そんな医師がこれからもどんどん出てほしいものです。

同じ日本で、幕末に通用した

「体験者の声」というエビデンスが、
否定派医師には全く通じないのは、なぜでしょうか?

医療技術も科学技術も当時とレベルが違うから?

幕末も、今も、人間は人間に変わりなく、
幕末でも現代でも、
人体に起こる病や怪我は同じだと思うし、

治療による反応も同じだと思います。

 現代も、患者の病とその治療の体験談をエビデンスのひとつとして、もっと真剣にとらえてもいいのではないかと思います。

自らの体験もない医師の否定論など、それこそ、信憑性がないと思います。

医療のエビデンスとして一番重要なのは、
人間の実際の経験なのではないでしょうか?

どんなに優れた医薬品も、治験が行われるのは、理論上効果がある、とか安全とか思われていても、

実際に人が試してみるまで、わからないからではないでしょうか?

私は人の体感、経験こそ無視できない、真実を含んだ重要なことだと思っています。

「ふぐの肝を食べると中毒になったり死ぬ」ということも、

実際にふぐの肝を含む部分を食べて死んだ人や中毒になった人がいたからだと思います。

と同時に、肝以外を食べてなんともなかった人がいたからこそ、

毒があるのはふぐの肝だと判明したのだと思います。


ある種のキノコを食べて死んだ人がいたからこそ、

毒キノコの存在が判明したんだと思うし、

実際に食べて死んだ人や、なんともなかった人の経験の蓄積で

さまざまな事実が判明し、

それが知識として、何が危険で、どれが安全か?など、

人間が生き残る上での大切な情報として、脈々と伝わって蓄積されてきたのだと思います。

また、この植物を煎じて飲むと、ある症状が消えるとか、

そういう今科学で証明されて、医薬品に応用されている成分なども、

すべて最初は、

多くの生身の人間の経験の蓄積から始まったのではないでしょうか?

ブラッドパッチでよくなったと患者自身が言っているのに、

「治った気がするだけだ」とか

「暗示効果によるものだ。」とか、
「おまじないみたいな治療法だ。」ということを

今も平気で言い続ける医師がいるなら、

その医師は自ら

「私は患者の話を信じません。
患者の話はウソが多し、思い込みが激しいから、信じるに値しません。

生きた人間の体験や経験より、科学的に証明されたデータや、教科書に書かれた過去の医学知識しか私は信じません。

と公言しているようなものだと私は思います。

 

そういう人は、医師には向かないと私は思います。

「医師、緒方洪庵、相ひろめ候、植え疱瘡(ほうそう)の儀は、怪しむべきものにこれなし」

と、今から159年前、
大阪町奉行北組総年寄(4月24日)からの口達があったように、

「医師、S、広めそうろう、ブラッドパッチの儀は、
怪しむべきものに、これなし」

早く医学界や国が、お墨付きを与えてくれないかなぁ・・・・・。

お願いしますよ。

治療に健康保険も適用にしないなんて

患者いじめもはなはだしいですよ。

 

現代の幕府さん。頼みますよ・・・。

 

国民を救うには、今から159年前の幕府のように、

時には、

勇気ある決断も必要じゃあないですか?

 

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医療過渡期は否定派との闘い

2009年01月21日 | 情報

本日夜NHK総合で

その時歴史が動いた アンコール

「緒方洪庵、天然痘との闘い」

患者第一の医療を目指した幕末の名医

が放送されます。

まさに、現在の脳脊髄液減少症治療に取り組む医師の苦悩と戦いを描いたかのような番組です。

 

おととし放送された番組ですが、

アンコール放送されるということは、

再放送を望む声がたくさんあったのでしょう。

私もこの番組をおととし見た時、

まるで、現在の脳脊髄液減少症治療に取り組む医師たちの闘いをそのまま描いたかのような内容に驚き、

幕末も、現在も、新しい概念を取り入れるときの

過渡期の医療は、今も昔も変わらず、

無理解との闘い、

否定派医師との闘い、

になるのだと思い知りました。

 

現在ではあたりまえの概念となった、

天然痘予防のための種痘という医療が、

この番組を見れば、過去はどれだけ無理解にさらされ、

人を救おうとしていた医師の緒方洪庵がバッシングされてきたかがわかると思います。

 

まあ、どんな最新概念も最初から

イエスマンばかりですぐその治療が広まるより、

否定派、慎重派の医師たちがいるからこそ、その治療法がいろいろな考え方の視点で調査研究検討されていくのだとは思います。

危険度と効果を天秤にかけて、

効果の方が高いと判断する例がだんだん増えて蓄積されていって、

これは大丈夫だとなって、

科学的にもその安全性が証明されてきてはじめて、その医療概念や治療法が医学界や世に認められるのでしょうが、

それを待っていられない、今現在救いを求めている患者がいることも事実なのです。

 そういう患者に勇気を持ってとりくんでいるのがパイオニアの医師たちだと思います。

誰だって、面倒なことや、健康保険のきかない治療や、

リスクのあることには手を出したくないし

「様子見」している方が医師としても楽ですもん。

 

でも、苦しむ患者を前にしたり、命を救おうとして

誰かがやらなきゃいけない部分に、勇気をもって、リスク覚悟で

手をさしのべているのが、

パイオニアの医師たちなのだと思います。

 

緒方洪庵も、幕末のパイオニアの医師のひとりだったのだと思います。

様子見している医師ではなく、

今現在、脳脊髄液減少症の患者たちに、できることをしようと

医療の手をさしのべはじめた医師たちこそ、

「患者第一の医療をめざす、

現代の緒方洪庵たち」

なのだと思います。

 

人を天然痘から救おうとして、種痘を広めようとしたことは、 

現在、一人でも多くの苦しむ患者を救おうとして、

脳脊髄液減少症という後遺症の概念を広め、ブラッドパッチ治療の有効性を説き続けている脳脊髄液減少症治療医の状況と

とてもよく似ています。

 

現に効果を感じた私たち患者が、ブラッドパッチの効果を説いても説いても、

脳脊髄液減少症の治療例を何百例も経験している医師たちが、

脳脊髄液減少症がまれな病でもなんでもなく、見逃されているだけだ、早期発見と治療が必要だと説いても説いても、

心ない医師たちに嫌がらせを受けたり、

バッシングされたり、

悪い噂ばかりが流される

今までの「脳脊髄液減少症をとりまく」流れと似ていると感じています。

菌を植えつけるというのは当時は確かに恐ろしかったでしょうが、

それによって、天然痘で死ぬことがなくなったという事実を、

ひとりひとりの種痘した生きた患者が証明していったことだと思います。

 ブラッドパッチ治療も同じです。

治った患者が声をあげて、体験を伝えていくしか、信頼を得ることは難しいのだと思います。

 

緒方洪庵に、現在の脳脊髄液減少症の治療に必死に取り組んでくださっている医師たちの姿を重ねて、番組を見れば、

 脳脊髄液減少症を取り巻く医師と患者の状況や

闘いと苦悩が把握できると思います。

一度見た方も、前回見逃した方も、

患者も医師も、健康な方も、脳脊髄液減少症という後遺症をよくわかっている方も、わからない方も、

 

この機会に、緒方洪庵の姿に、

脳脊髄液減少症の治療に取り組む医師たちの姿を重ねて、ぜひご覧ください。  

きっと、私がお伝えしたいことがわかっていただけると思います。

捨てる神あれば、拾う神あり、

患者を見捨てる医師あれば、救う医師あり、

患者をなまけものと切り捨てる人あれば、

苦しみを理解し手をさしのべる人あり。

 

頑として理解しようとしない組織あれば、

理解しようとしてくれる組織あり、

いつの時代も、いつの世も

そんなものなのですね。

 

今現在、脳脊髄液減少症がこの社会に理解されないからといって諦めるのはまだ早いですね。

真実は、必ず歴史が証明してくれることでしょう。

100年後に、いえ50年後でもいい、

その時歴史は動いた、

「脳脊髄液減少症患者を救った医師たち」をぜひ作成して放送してもらいたいものです。

否定派医師や、否定派保険会社のことももちろん一緒に放送されることでしょう。

未来が楽しみです。

歴史に自らの汚点を残したくなかったら、

今すぐ、あらりまえですが、

「患者第一の医療」の志を

すべての医師と組織に持ってもらいたと思います。

また、来週はいよいよ、

その時歴史は動いた、

「わが会社に非あり」

〜水俣病と向き合った医師の葛藤(かっとう)〜
平成21年1月28日 (水) 22:00〜22:43 総合

の放送があります。

状況は少し違いますが、

来週はこんどは、

水俣病を引き起こした会社と、

脳脊髄液減少症を事故後遺症として頑として認めない自動車保険会社を重ねてご覧ください。

そうすれば、現在の脳脊髄液減少症患者が

事故後遺症の精神的身体的苦痛のみならず、

保険会社の無理解によってさらに苦しめられ、

経済的、精神的に追い詰められていく状況が

少しは想像していただけるかもしれません。

お見逃しなく。 

 


 

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ヴォイス~命なき者の声~ 

2009年01月19日 | つぶやき
先週月曜の1月12日からはじまった、
月曜9時のドラマを、めずらしく、先週最後まで見ました。

そのドラマとは、
ヴォイス~「命なき者の声」~
僕達は 失われた命を救う医学と出会った。


今日、第2回が放送されます。

先週は見ようと思ってみたのではなく、たまたま見ただけですが、
このドラマは何かいつもと違って、惹かれるものを感じ、
つい最後まで見てしまいました。

おまけに、今日も見たいと思っています。

今回のこのドラマ「ヴォイス」の第1回を最後までみてしまったわけは、

今までの医療ものテレビドラマや医療ドキュメンタリーでは、
脳外科医や、心臓外科医の、
人の命を、迅速に確実に華麗な手術で救うことが脚光を浴び、いつもカッコよく紹介され、

そうでない地味な分野の医師にはあまり光が当たってこなかったような現実に
個人的に不満を持っていたせいかもしれません。

そんな私にとって、
地味な法医学がテーマのドラマが、新鮮だったからかもしれません。

また、自分の経験から、
突然死した方の中に、「脳脊髄液漏れ」が直接の死因の人や、

脳脊髄液減少症とわからないまま、
この病の、高次脳機能障害や、手足の急な脱力や
意識喪失などの症状が原因で

二次的に事故死した人がいるに違いない、と常々私が考えていたせいかもしれません。

昨年の17歳の力士の暴行死が
最初「病死」とされた事件といい、

最近の、母親による最近混入水の注入という、新しい小児虐待で、
すでに複数の子が死なされている事実が浮かびあがってきた事件といい、

私は、不審死や突然死を遂げた人の死因を、
丁寧に検証して、解剖できちんと真実を解き明かしてくれることに情熱を傾けてくれる解剖医が、もっと増えてほしいとかねてから願っています。

長年脳脊髄液減少症を見逃され続け苦しみ続けた私は、
生きた人の病因を正しく診断することも大事だけれども、
亡くなった人の死因を、正しく判断することだって、同じくらい大切だと思っています。

患者が人として、
正しい診断と正しい治療をして、病気を治し、
人の命を救ってもらう権利と同じくらい、

死者には、「正しい死因を判断してもらう権利」と、
遺族には「正しい死因を知る権利」があるように、私は思います。

「法医学」という、とても地味な分野だけれでも、
今とても必要とされている、
そして、人の最後を「診断」するという
とても重要なテーマを取り上げているドラマだと思います。

今までも、法医学シーンがあるドラマは「科捜研の女」などあるにはあったと思うのですが、私はちらっと見たこともあるのですが、ドラマにつかまってしまうほど、引き込まれた経験はありませんでした。

今回の「ヴォイス」と今までの「法医学」ドラマとの違いは、

主人公たちが単に「法医学」に興味や情熱や使命をもった人間というだけではなく、
過去に法医学に救われたり、
法医学に救われることがなく無念の思いをしたりと、身をもって法医学の重要性を感じている「当事者」の若者たちが登場している点だと思います。

つまり、法医学という医学をもって、ただ、
医師が職業人として第3者の視点で死者をとらえて、死因を解明していこうとするのではなく、

医師の卵の若者たちが、未熟ながらも、
「過去に当事者でもあった自分の思い」を「死者の思い」に重ねて、
命の消えたなきがらである死者の視点で、
思いをたどるように真実を明らかにしていくような人間味が
私をひきつけたのだと思います。

自分のことのよう死者や遺族と向かい合う登場人物たちに
惹かれたのだと思います。

自分のことのように、生きた患者と向き合ってくれる医師も、
増えてほしいと思います。
命があってもなくても、人間は「モノ」じゃないですから。

その分野の重要性を過去に身をもって知り、志して学ぶものと
そうでないものとは、
職業人となった時の意識に大きな差がでるように思います。

怪我も重い病気もしたことも、
診断のつきにくい病気になったこともなく、
交通事故にもあわず、脳脊髄液減少症で長く理不尽な思いをしたこともなく、
健康に恵まれ、医大に合格し、
何の苦労もなく、医師になり、ストレートな人生を生きてきて、
挫折も困難の経験も少なく、
興味のおもむくまま専門医になって、たまたま
脳脊髄液減少症の治療や研究に携わるようになった医師と、

自身が過去に、脳脊髄液減少症などの診断されにくい病になったり、
症状の苦しみを理解されない病や怪我を負った経験があり、

医療に相手にされないことでの医療の限界と冷酷さを体験したり、

社会にも家族にも、
症状の苦しみが理解されないことでも孤独感にさいなまれたり、

生活も仕事も、日常が奪われるほどの症状を抱えてもなお、異常なしと言われ続けたり、

得たいのしれない、恐ろしい出たり消えたりする症状の数々と、
病気と認められない、理解されず、何の根本的医療支援も受けられない絶望感と、

仕事も、学ぶことも、日常生活も、すべてが今までのように行かなくなって精神的にも経済的にも追い詰められる過酷さなどを、

身をもって体験して知っている医師、とは

同じ脳脊髄液減少症治療医であっても、
患者の精神的身体的苦しみの理解度、共感度が大きく違うと思います。

もちろん、現実には
理解されない病気経験のある人や、怪我で長く苦しんだ人や、
法医学の重要性を身をもって経験した人ばかりが、
医師になっているわけではありませんから、そんな医師はほとんどいないと思います。

でも、今回のドラマの第1回を見ながら、
「その分野の重要性を身をもって体験して学んで知った人間が、
その分野の専門家になるのが理想的」と
そんな事をつい考えてしまいました。

法医学という、地味な医学。

華麗なメスさばきで人の命を救うことで、脚光をあびることもない、法医学。

助かった患者自身からも家族からも感謝され、
その医療技術が社会からも医学界からも賞賛されることもない、法医学。

でも、死者の声なき声を聞きとり、真実を読み解くことのできる、
選ばれし人の、技術と判断を要する医学である、法医学。

このドラマの
「命なき者を救う医学」という言葉は
まさにピッタリの言葉だと思います。

こういうドラマを見て、この「法医学」という分野の重要性に気づき、
興味を持って志してくださる医学生が増えてほしいと願っています。

単に人体への興味だけではなく、確実に生きて死んでいった
死者の人生に思いをはせ、

その人の人生をいとおしむ気持ちをもった人に
解剖医を目指してほしいと思います。

実は殺されたのに、自殺や事故死や病死にされたり、
その逆で、病死なのに殺されたと間違って判断されて、
周囲をトラブルに巻き込んだりと、

現実の「死因」と違う「死因」とつけられたまま、
「事実」を解き明かされないまま、

あの世に葬りさられ、無念の思いをする死者や、遺族が
今後は少しでも減ることを願っています。

事実が早い段階で解き明かされる事で、
同じ様な事故や事件が無防備に繰り返えされることを防ぐ意味でも、
もっと法医学を学び、解剖で死者や遺族を救おうとする医師も増えてほしいと思います。

最近は「死後画像診断」など、
死者の真実の死因をCTなどで検査することも一部で始められたようですが、

死者や遺族が「真実の死因」を知る権利と、

死してなお、死んだ人も遺族も
せめて「真実を知ることで救われる医学」が、

せめて、「命を失ってしまった人の思いを、受け取る医学」が
もっとあたりまえになる日が、早くきてほしいと思います。

生きた人間を扱う、華やかで脚光を浴びる医学と
死んだ人間を扱う、地味だけれども、亡くなった人を救う医学。

命の消えた死者に向き合い、死者の声を聞き、真実を解き明かす医師もいれば、
社会や医療界の無理解や批判にさらされながら、
それでも患者を救おうとして、脳脊髄液減少症患者の苦しみと地道に向き合い、治そうと日々努力してくれている脳脊髄液減少症の治療医もいるのです。

かっこよく描かれた医師ドラマにあこがれて、医師になった人ばかりなら、
仕事内容がカッコよくて、華麗な、そんな医師の仕事にばかり、
希望者が集中してしまうような気がします。

地味で、めだたない、そんな医師の仕事にもスポットあてたドラマで、
地味だけれども、必要で重要な医学の分野に気づき

法医学も、
脳脊髄液減少症の治療も、目指してくれる若者や、医学生や医師が増えてくれることを願いながら、
今夜も見てみようと思います。

ドラマの中で
若い医学生に向けて
「これからの法医学にはイマジネーションが必要だ。」と、
時任三郎演じる法医学の教授が言いましたが、

同じように、一般の医師の、
ありふれた症状の生きた患者の診断にも、
「イマジネーションが必要だ。」と私は思います。

医学の常識にとらわれ、
教科書的な知識にとらわれ、イマジネーションのない医師には
脳脊髄液減少症の早期発見は難しいと思います。

医師にイマジネーションがなければ、
死者の「本当の死因」を見抜くことも、

生きた患者の症状の「本当の病因」を突き止めることも、難しいのは
同じだと思います。

「ヴォイス~命なき者の声~」このドラマの今後の展開に期待したいと思います。

このドラマに関する朝日新聞記事は
本日のテレビ欄と、
昨日の日曜版のbe週間TVナビ「番組レシピ」にも詳しく書いてありますが、

やはり記者の番組紹介記事は、
患者の私の視点とは全く違って感じました。

死後画像診断(AI)についての記事はこちら
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ミュンヒハウゼン症候群

2009年01月15日 | つぶやき
子供の入院中、
点滴に腐敗水を入れていた
母親が引き起こした事件でミュンヒハウゼン症候群という言葉を知りました。

この母親の、5人の娘のうち、生存しているのは長女と、今回発覚して助かった五女だけで、次女、三女、四女は亡くなってしまい、解剖されたのは四女だけだそうです。

3人も死なせてしまう前に、
周囲の誰か異常を感じとり未然に防げなかったのかと残念に思います。

でも、今回の病院は、よくぞビデオを仕掛けてくださいました。
五女を最悪の事態から救えたことは幸いでした。

今後は少しでも不審のある死のすべてが、
解剖され真実を見逃さない体制が整う日が、早く来てほしいと思います。

その、逮捕された母親の精神的病理が、
「代理ミュンヒハウゼン症候群」と言われています。

代理ミュンヒハウゼン症候群とは、
自らを傷つけたり病人になったりすることで
周囲の関心や同情を引こうとする(ミュンヒハウゼン症候群)
代わりに、

自らの代理的に誰かを傷つけたり、病気にしたてあげ、

その患者をかいがいしく介護したり、看病したりすることで、周りから同情をかったり、賞賛されたり、やさしくされたり、いたわられたりすることで、
精神的快感や満足感を得ることを目的に、
それらの行為を繰り返してしまう精神病理だそうです。

捏造されたウソの病だから、
ほら吹き男爵「ミュンヒハウゼン」の名前がつけられたようです。


代理ミュンヒハウゼン症候群について詳しくはこちら。

ミュンヒハウゼン症候群とは、詳しくはこちら。

親の「代理ミュンヒハウゼン症候群」の精神病理により、
病気にさせられるというこども虐待を見逃さず、被害者になる子供が今後でないように親と子の虐待防止の支援体制も強化してもらいたいものです。


さて、
この「ミュンヒハウゼン症候群」の説明を読んでいてふと思ったのですが、

脳脊髄液減少症の病名に
まだたどりついていない患者さんの中には、
「ミュンヒハウゼン症候群」の
虚偽性障害とか、病理利得だと思われてしまっている患者さんも
いるのかもしれないなぁと、思いました。


脳脊髄液減少症患者も、全身に実にさまざまな症状がでるし、
死んでしまいそうな苦しみのこともあれば、
横になって水分とると数分後にケロッと治ってしまうこともあり、
まるで仮病そっくりだし、

脳脊髄液漏れの可能性を全く意識しない医師の検査指示、検査方法では、
全身のどこをどう詳しく検査しても異常なしですから、

「自分を病人にしたてあげたい精神疾患患者」と誤解されても、
少しも不思議ではありません。

脳脊髄液減少症は、この病態のことをよく知らない医師が多いことから、

心因性とか、身体表現性疾患とか、精神の病のせいとか、思われてしまう確率がかなり高いと感じています。

症状を訴えて、すぐ「脳脊髄液減少症」と診断がつく患者さんは
ごく少数だと思われます。

多くの患者さんが、異常を感じて受診しても、医師に異常なしと言われ続けます。

それでも、患者は確かにつらい症状を感じるし、このままでは耐え難いし、
日常生活もままならないから治りたいから、絶対に原因があるはずだと思い、
さらに別の医師を訪ねます。

それは、患者が望んだことではなく、脳脊髄液減少症を知らない医師が招いたことによるものなのに、
まるで患者自身に問題があるかのように、蔑視をこめて「ドクターショッピングする患者」とされ、医療界で嫌がられます。

しかし、いくら医師を変えてみたところで、
脳脊髄液減少症を知らない医師には脳脊髄液減少症は見抜けません。

脳脊髄液減少症ではない普通の人が、体に異常を感じ、「何かの病気ではないか?」と不安に思って検査して、「異常なし」と言われれば、その検査が確かなものであれば、「病気ではない、心配ない」と医師に言われることは嬉しいことでしょうが、

実は脳脊髄液が減少していて、たしかにさまざまな症状があるのに、それを見抜けず、「異常なし」「病気ではない」と言われても、何の解決にもならないため、
患者は少しも嬉しくありません。

ただ、「ああ、この医師も私の苦しみを理解してくれないのか?
症状の原因を見つけだせないのか?
この医師もまた、私のこの症状を気のせいだというのか?」と
怒りと絶望で、気持ちが
ゴチャゴチャになるのです。

ここの「病気利得」の説明のところに、
「あなたは病気でない。と言われて怒る者は、病気利得を得ようとする要素を持つ可能性が高い。」なんて書いてありますが、

あきらかな症状を感じている患者本人が、具合が悪いと言っているのに、

他人である健康な医師が、
「自分の見立てによって検査されたにすぎない、患者の人体のごく一部を示すデータ」を見ただけで、
患者の訴えのすべてを否定するほうが、かなり無理があるのに、
それを聞いて怒ったり、がっかりする患者を責めることもないと思います。

現実に病気の原因があって、人体はそれを察知して、患者自身はあきらかに何か異常を感じているのに、
医師がその原因をつきとめられないだけで、「病気でない」と断定的に言われれば、患者が頭にきたり、がっかりしたりするのは
自分の命を守る人間の本能として、人の気持ちとして、
当たり前ではないかと私は思います。

医師の知識不足のせいで、脳脊髄液減少症の可能性に気づけないだけなのに、

医師に仮病を疑われたり、大げさだと思われたり、精神的なものだとさらに患者の苦しみに追い討ちをかけるようにひどいことを言われ続けます。

しかも、悪いことに、
病院に自力で受診可能な状態の時は、激しい症状も治まって、比較的元気な状態の時だから、患者の訴えのような、そんな重い症状が出る患者には見えないところがさらに訴えを信じてもらないことにつながります。

脳脊髄液減少症の症状でありながら、
心の病、身体表現性疾患、精神的なもの、都合の悪い時だけ具合が悪くなるのは、ゆがんだ性格のせい。
などと誤解されることは、けっしてまれではありません。

脳脊髄液減少症で苦しみながらも、何年も原因がわからず、右往左往しながら
病院巡りをした経験のある患者さんなら、実体験して知っていることでしょう。

更年期障害、過活動膀胱、起立性調節障害、自律神経失調症、
慢性頭痛、月経前緊張症、月経困難症、うつ病、非定型うつ病、
不登校、ひきこもり、など、など、

不定愁訴にまつわる、さまざまな病態、状態と
誤解されうる脳脊髄液減少症患者が、
たまたま、「ミュンヒハウゼン症候群」を知っている医師に、
「この病だ」と変に誤解され、
精神科に紹介されて、
カウンセリングなど受けている患者さんも、
もしかしたらいる可能性もあると思います。

また、もし、こどもの脳脊髄液減少症患者がいて、
それが、脳脊髄液減少症が原因だとわからないまま、何年も体調不良を抱えていて、
それを、母親がなんとかしようとして、
こどもを救おうとして、必死に子供をつれてあちこちの医師を受診したりすれば、

子供の症状を、こどもにかわって代弁して医師に伝えようとすればするほど、

もしかして、この母親は、
「代理ミュンヒハウゼン症候群?」と誤解されることだって、あるかもしれません。

脳脊髄液減少症とは、このように
患者本人も医師も真の原因に非常に気づきにくい、たどりつきにくい
しかも他の病に誤解されやすい、
本当にやっかいで理不尽な、恐ろしい事故後遺症だとつくづく思います。

この、得たいのしれない症状ばかりで、表現するのも難しいような脳脊髄液減少症の、頭のてっぺんから足先まで、体の表面から芯まででる、
心にも体にも、実に多彩で、さまざまな程度の脳脊髄液減少症の症状を、世間の人に知ってもらうには、

症状を体験した患者ひとりひとりが体験した事実を
世間に訴え続けて、伝えていくしかないのだと思います。

体験のない人々には想像できない症状ばかりなのですから・・・。

とても大変な作業だと思いますが、
ひとりひとりの患者さんが声を上げ続けることと、訴えの積み重ねが大事だと思います。

小さな声でも、集まれば大きな声になる。
大きな力になると信じたいと思います。

治療で回復して、少しでも余力の出た患者さんは、
ご自分の人生を楽しむ合間に、

脳脊髄液減少症の自身の体験を、誰かに伝え続けてほしいと願っています。

そして、今後は、脳脊髄液減少症という、見えない事故後遺症で
何年も何十年も不定愁訴に苦しみ続けて
人生をだいなしにされる被害者が、二度とでないようにしてもらいたいものです。

     


以下、オマケのつぶやき

考察 1
でも、もともと精神的に不安定で、問題を抱えている人で、自傷行為や
ミュンヒハウゼン症候群傾向のある人が、

交通事故にあって、脳脊髄液減少症になったら、どうなるんだろう?
これもまた、やっかいだなぁ・・・。

考察 2、

ミュンヒハウゼン症候群になる人は、過去に、
病気になって医療者に優しくされた経験のある人だという。

ということは、
私のように病気になって逆に医療者に冷たくされた経験のある人は、
ミュンヒハウゼン症候群にはならないということか?

私のように長年、脳脊髄液減少症が見逃され続けて、ブラッドパッチも受けられずにほったらかされて、普通の人間として生きることを余儀なくされてきた人間は、

症状を訴えることで、医療者にやさしくされるどころか、症状を信じてもらえず、
無視され、精神を疑われ、性格を疑われ、
あげくのはてに放り出され、家族にも冷たくされた経験しかないから、

間違っても、
「病気になることで、医療者の関心をひきつけ、同情され、やさしくされる。」とは学習しないから、

少なくとも私は「ミュンヒハウゼン症候群」にはならないと思います。

悲しいかな、
「症状を訴えれば無視される、バカにされる、笑われる、」と学習してしまってます。
だから
いつもどんな症状が出ても、極限までガマンするクセがついてます。

普通の人だったら、あきらかに救急車を呼ぶような事態でも、いつもガマンしてガマンして耐え抜くことで乗り切ります。

病院も必要最小限しか行きません。
薬もほとんと飲みませんし、精神的にも依存しません。

病院に行っても医師にも遠慮して元気を装うこともあるぐらいだし、

痛みを我慢しすぎて、病院帰りに公衆の面前で卒倒した経験もあるほどです。
それでも、公衆に無視されほったらかされた経験がさらに重なります。


(普通、救急車ぐらい呼ぶだろ~
通行人が倒れたんだから・・・・。
しばらくして、気がついて、家族に電話して事情を話し車での迎えを頼みましたが、断られ、自力で帰りました。

脳脊髄液減少症と診断される、かなり前の話です。

つくづく、私は病気になっても、やさしくされることには縁遠い人間です。

「病気になれば無視される、相手にされなくなる。冷たくされる。自分が損するだけ。」といやというほど体験して学びとっていますから、
がまんはしょっちゅうです。

だから、私は今後も「ミュンヒハウゼン症候群」や
自傷行為のアディクションで、周囲の関心をひきつけようとか心配してもらおうとか、絶対に思わないと思います。

もちろん、身体表現性障害にもならない。

そういえば、最近の寒さで痛みも出ているのに、
そういうことはこのブログにも書いてないなぁ私・・・・

病気なのに健康を装い、具合が悪いのに、元気を装う、
これを、
「逆」ミュンヒハウゼン症候群と名づけます。

でも、ブラッドパッチで治ってきているのはホントです。
症状にはまだ波があるのです。
寒いとまだ悪化しますね。やっぱり。

春よこい。
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過活動膀胱と脳脊髄液減少症

2009年01月14日 | つぶやき

テレビで見たのですが、

過活動ぼうこうとは2001年に名づけられたそうで、
まだ新しい病名だそうです。

 過活動ぼうこうの、簡単自己チェックは

尿をする回数が多い

急に尿がしたくなってがまんが難しいことがある。

がまんできずに漏らすことがある。

 

だそうです。

 

この自己チェックでは、私は「過活動ぼうこう患者」ということになってしまいます。

実は「脳脊髄液減少症」で、そのような症状が出ているのに・・・。

私の場合、

泌尿器科での投薬治療だけでは、おそらく症状は思うのうに改善しなかったと思います。

脳外科のしかも脳脊髄液減少症治療医による確かな診断とブラッドパッチ治療がなければ、

一日のトイレ回数30回を越し、夜間3回以上もいく、頻尿や、

一回の尿量600ccということもあるような異常な尿量、5分前にしたのに、またトイレに行きたくなるような状況

切迫性尿失禁などの尿トラブルは、今ほど改善しなかったと思います。

 このように脳脊髄液減少症患者は、頻尿はじめ、

さまざまな症状が出るために、その症状ひとつひとつに振り回されて、大元の脳の異常を見逃しがちです。

見逃されれば、その症状に応じて、いくらでも他の病気のせいにされてしまいます。

病態の本性、真の原因を、患者本人も医師も見抜きにくい

多の病気と誤解されたり、心因性にされがちな点が

「脳脊髄液減少症」のやっかいなところです。

ハルンケアに続き

レディガードコーワ

ユリナール

排尿トラブルに対する市販薬が次々新発売されるのも、
それだけ尿の症状を人知れず抱えて悩んでいる方が多い証拠だと思います。

その方がたの中に、もしかしたら、私のように、

脳脊髄液減少症が原因の方がいるかもしれません。

今までここでも何度も書いてきましたが、

脳脊髄液減少症でも
頻尿、
尿意切迫感、
尿漏れ
 の症状がでます。

尿のトラブル、悩みを抱えた方は数多いと思いますが、
泌尿器科へは行っても、


頻尿で脳外科へ相談に行く人

ほどんどいないでしょう。

でも、私のように、

脳外科で治る、頻尿、尿意切迫感、尿漏れ、もあるのです
そのことを

尿の悩みを持つすべての人と、すべての医師に知っていただきたいと思います。

脳脊髄液が増えすぎる、正常圧水頭症で、尿失禁などが起きることは
医学界で知られていても、

その反対で脳脊髄液が減ることによる、脳機能の異常で
数々の尿にまつわる異常までもが起きることは、
泌尿器科医であっても、あまりご存知ないと思われます。

突発性正常圧水頭症の3大症状である、歩行障害、認知機能の低下、尿漏れ
は、脳脊髄液減少症患者でも同じように起こります。

歩行障害、認知症、尿失禁と書いてしまうと、高齢者特有疾患のイメージがあり、
年齢的に若い人は、これらの症状があっても、
「自分は違う」と思いこみがちだと思います。

でも、脳脊髄液量の異常により、誰にでも起こりうることだと私は思います。

正常圧水頭症や脳脊髄液減少症はとても似た症状を呈していることから、
脳脊髄液の循環というものは
脳脊髄液の量が多すぎても、少なすぎても、脳は正常に機能しないということだと思います。

脳脊髄液量の異常によって、脳が正常に機能しないとどうなるか?

脳脊髄液減少症だった私の経験では精神状態、身体機能にありとあらゆる症状がでます。

しかも、その症状が出たり消えたり、治まったりひどくなったりと、
まるで、当の本人すらも、自分の不摂生、心因性だと思い込んでしまいそうな実にさまざまな「不定愁訴」という形で、症状がでます。

頻尿、異常なのどの渇き、多飲多尿、
尿意切迫感、尿漏れなど、

尿にまつわる症状は、そのひとつにすぎません。

必要もなく過剰に膀胱が活動することによって頻尿などが出現していると考えられているため、
今、過活動ぼうこうにだされている薬は、膀胱の過剰な活動を抑える薬のようです。

でも、膀胱の活動が過剰なのは、膀胱に原因があるのではなく、尿にまつわるコントロール中枢でもある、脳だとしたら?

膀胱だけの視点では、なかなか治らないと思うのです。

さらに、頻尿などの悩みで泌尿器科にいくと、膀胱やがんや、子宮などに他に病気がないかの除外診断は詳しく行われていても、

脳脊髄液減少症の可能性があるかないか?の除外診断は行われていないのが現実だと思います。

もし、脳脊髄液減少症ガ原因で、

「頻尿」「尿意切迫感」「尿漏れ」という自覚症状があって泌尿器科を受診しても、
現在の状況では、

脳脊髄液減少症を見逃される可能性があると思います。

 

人間の体と心のコントロール中枢は「脳」であり、

脳が異常をきたせば、体にも精神状態にもどんな症状がでてもおかしくないのですから、

たかが頻尿とあなどらないで、

また、症状のある体の一部分だけに注意を払うだけではなく、

「頻尿、尿意切迫感、尿漏れ」という誰にでもありそうな症状が

実は脳の異常SOS信号の可能性もあることを、

医師も患者も常に頭に置いてほしいと思います。

なんらかの繰り返す治りにくい症状が出たら、
その部位の病変を疑い、検査してみて、

特に異常がなければ、
次に、一度は脳脊髄液減少症を疑う、ぐらいで

脳脊髄液減少症の早期発見にはちょうどいいと思います。

 

泌尿器科ではなく、

脳外科の

「ブラッドパッチ治療」で治る

「頻尿、尿漏れ、尿意切迫感もある ことを、

尿の悩みを持つすべての人たちと医師に

ぜひ知っていただきたいと思います。

尿トラブルは年齢とともに増えてくると言われますが、

私に言わせれば、人が長く生きればいきるほど、

人生の中で、運転歴も長くなればなるほど、

ささいな交通事故にあうこともあれば、転ぶこともあり、

スポーツで衝撃を受けることもあるわけですから、

さまざまな病態に知らないうちになっている可能性もあり、

尿トラブルの多くを、人体の老化のせいにするようなイメージは危険だと思います。

尿トラブルの過去記事: 「花火が見られた」

       「NHKの頻尿に関する番組を見て」

       「頻尿」
(それ以外の頻尿に関するここの過去記事はここのブログの右上にある、検索ボックスの四角の中に、「頻尿」「尿漏れ」「切迫性尿失禁」とか入力して、「ここのブログ内」にして、,虫眼鏡マークをクリックして検索してお読みください。)

 

テレビに出ていたこの先生も、

脳脊髄液減少症患者の頻尿にも理解を示してくれると

いいなあ・・・。

泌尿器科学会のすべての泌尿器科先生方も、

脳脊髄液減少症の解明と理解と、

患者の人生の質の向上に、お知恵を貸してくださるといいなぁ・・・。

だって、人間で部品の組み合わせでできているんじゃないもの。

体の部分はみんなひとつに繋がっているのが人間だもの・・・。

多くの医師に、

まるごとの人間全部を見る広い視野を持ってほしいです。

近づきすぎると全体像が見えなくなることもあること、

気づいてほしいです。

私は「過活動ぼうこう」と診断されている患者さんの中にも、

「脳脊髄液減少症」患者さんがいる可能性があると思っています。

尿トラブルに悩んでいる方は、他にも脳脊髄液減少症に似た症状がないか?よくご自分で調べてほしいと思います。

 

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子どもサポートネット

2009年01月07日 | 情報

NHK ETV50で、(リンク先画面上から8番目)

9日(総合)、10日(教育)

子どもサポートネット

が放送されます。

(リンク先は画面が重なって見づらいかもしれませんが、動画は見られると思います。)

 <放送>

1月9日(金)総合テレビ 午後10:00~10:49

 放送に合わせてリアルタイムに意見を寄せられる「掲示板」も立ち上げ、視聴者にも議論に参加してもらいながら、番組を進めていくそうです。

 <放送>

1月10日(土)教育テレビ 午後8:00~11:00(生放送)

関心のある方はどうぞ。

 

私は忘れなかったら、見たいと思います。

 

親や子がある日突然、予期せぬ事故で、

脳脊髄液減少症になったらどうなるか?

 

事故から1ヵ月後、3ヵ月後と時間差で次々出てくる

わけのわからぬ症状に振り回されて死ぬほど苦しみながらも、

いくら検査をしても医師に「異常なし」といわれ続け、

または、

医師に脳脊髄液減少症を見逃され、似た症状の「別の病名」をつけられ、

脳脊髄液減少症の適切な治療を受けられないまま放置され

患者が健康人と同じことを、

家族や、親や、学校や、教師や、配偶者や、職場や、社会から、

求められ続けたら、どうなるか?

 

たとえ、脳脊髄液減少症とわかり、治療にたどりついても、

その後の療養中に、家族や周囲の理解と支援が

充分得られなかったらどうなるか?

 

考えながら見たいと思います。

 

以下1月10日追記

昨日の「こどもサポートネット」見ました。

見て、まず感じたことは、教師はじめ、

「スクールカウンセラー」なる方がたにも

「脳脊髄液減少症」を知ってもらう必要性を強く感じました。

そうでなければ、こどもが脳脊髄液減少症になって学校に行けなくなったり、

母親が脳脊髄液減少症になって、充分なこどもの養育ができない状態になった時、

単に不登校、ネグレクト(育児放棄)と判断され、

脳脊髄液減少症の適切な支援を行ってもらえない危険を感じました。

今夜の番組も、長いけれど、できるだけ見て、感じたことを書きたいと思います。

 

1月12日 

10日の放送は前日の再放送に、生放送を付け加えたような内容でした。

3時間は長いので飛びとびに見ましたが、全体を通して感じたことは

「こどものサポート」にかかわるネットワークを、本気で作ろうと思っているなら、親のサポートにかかわるネットワークも必要だということ。

そして「こどもや親をサポート」しようとするなら、

学校、教育関係施設、医療、福祉、など、親と子に関係するすべての組織が手をつなぎ、ネットワークを作る必要があること。

その際、一人の支援者の問題を、

教育、医療、福祉などそれぞれの専門分野からだけの視点で

勝手に判断せず、

常に、同じ親子を他の視点でも見つめ、問題点を平面ではなく、立体的に捉える必要性を感じました。

例えば、番組中で、スクールカウンセラー同士の会議で

一人のカウンセラーが、

「(支援対象者が)うつとパニック障害を抱えている。」と報告した際、それを他のカウンセラーがそのままうのみにしてメモしているように感じました。

本当にうつとパニック障害があるのか?

他の専門職の視点ではどう感じられたのか?

それらを抱えているとしたら、それは心因によるものか?

精神的な病によるものか?

脳脊髄液減少症などの体の病気が原因か?

それとも、心因や体の病気が原因での経済的精神的な問題が起こった二次反応なのか?など、

その原因になるさまざまな社会背景、心理背景、病気の存在など、さぐらなければならないと思うのです。

それなしに、特定の専門職で判断した見方が、次の専門職に伝わっていくだけでは、先入観が入ってしまい、正確な問題点が見えてこず、適切な支援も行えない可能性があると思いました。

これは、たとえていうなら、

真実は脳脊髄液減少症が原因の症状に苦しむ患者が、今の医師に正しく診断されていない状態でなかなか直らず、別の医師のセカンドオピニオンを求めようとして主治医に紹介状を頼んだ際、

「異常なし、心因によるもの」という紹介状を持たされ、

次の医師も、何の疑いももたず、その紹介状内容に先入観を持って鵜呑みにしてしまうようなものです。

これでは真実はいつまでたっても見えてこないと思うのです。

支援が必要な人間の問題点を正しく把握するには、

一人の専門職の人間の見える位置からだけの平面的な情報による判断ではなく、

常に複数の専門職からの多角的な視点で立体的に見て判断しないと、正しい判断はできないように感じました。

 

こどもサポートのネットワークをつくるなら、親サポートのネットワークもつくり双方をつなげること。

その、「おやと子のサポートネットワーク」は必ず、医療、福祉、教育、など複数の専門職で構成されること。

しかも、精神的、身体的、社会的、経済的など、さまざまな問題を引き起こしかねない、脳脊髄液減少症については、さまざまな専門職の方がたに早急に深く学んでほしいこと。

以上をお願いしたいと思いました。

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元旦の願い

2009年01月01日 | つぶやき

新年あけましておめでとうございます。 

ことしもよろしくお願いします。

今年の年越しは、

大晦日も何ごともなく無事に過ごすことができました。

 

これも、再ブラッドパッチ治療のおかげだと感じています。

今年は、

こたつに入り、少々の梅酒

おつまみをいただきながら、

「NHK紅白歌合戦」を最初から最後まで、

じっくり見ることもできました。

 

紅白歌合戦を見ている途中、

ノリのいい歌謡曲に誘われて

またつい思わず、コタツに入りながら、

両手で指揮をしだしたとたん。

「気持ち悪くなるからやめたほうがいいんじゃないの?」と

言われ、

一瞬、何のことかと意味がわからずにいましたが、

昨年の大晦日の

私が曲に合わせて指揮をしていて、具合が悪くなったことだと気がつきました。

しかし、

「ことしの私はそんなヤワじゃないのよ。」と

内心思いながら、

笑い飛ばすこともできました。

 

2007年の大晦日はとんだトラブルで、

食べられなかった年越しそばも、

今回は無事食べることができました。

しかも、

自分でえびのてんぷらを揚げて、乗せることもできました。

 

一年で、すごい進歩です。

これも、治療のおかげだと思います。

本当にありがたいことです。

 

医学に見捨てられていた私を正しく診断し、

治してくださった主治医の先生はじめ、 

今まで、手をさしのべ続けてくれた人が

私の周囲にいたからこそ、

私の今があると、心から感謝の気持ちでいっぱいです。

 

特別悪いことが何も起こらない、あたりまえの日常という、

穏やかな大晦日と元旦を迎えられたことに、

ささやかな幸せを感じることができました。

そんな今年の元旦に思うことは、

一日も早く、

世界中の医師たちが、

この病がありふれた症状の影に潜んでいることに気づき、

世界中の、脳脊髄液減少症患者に支援の手がさしのべられることです。

 

交通事故や外傷で脳脊髄液減少症という後遺症が発生することは私の経験からも事実です。

特に交通事故に伴うこの後遺症の存在が、

「この事実があっては都合の悪い集団」によって、無きものにされることなく、闇に葬られることなく、

事実は事実として、世に認められ、

被害者に対しては正当な支援がなされることを願っています。

 

そして、これからは、

私のように、交通事故でこの後遺症を負いながら、

症状のみならず、長い間医療に無視され続け、ほったらかされ、周囲に誤解され続け、

無理解にさらされ続ける人が

今後一人も出さない世の中が来ることを

心から願っています。

人の心に、正義が存在する限り、真実は必ず認められる日が来ると信じています。

どうか、脳脊髄液減少症患者が、これ以上無理解に苦しみませんように・・・。

今年は、社会や医学界の理解がさらに進みますように・・・。

 

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