脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

冬の夜空

2007年01月31日 | ブラッドパッチ後の変化
年末年始に
ちょっと無理して、夜、出かけた。

夜道を歩いて、初詣と、どんど焼きに行った。

念願の夜の外出は、とても新鮮だった。

その時、はじめて、夜空の星に気づいた。

澄んだ夜空の、輝く冬の星たち

「なんてきれいなんだろう。」とうっとりした。

ぼやけた目でも、メガネをすれば
南の空に、
オリオン座と冬の大三角が見えた。

冬は空気が澄んでいるせいか、
本当に星がきれい。

大晦日は具合が悪かったが、
夜の11時半ごろになって家族に、初詣に誘われた。

いくら近所でも、
体が苦しくて、行きたくなくて、

「人の苦しさも知らないで・・・」と泣きたいような気持ちと、
リハビリの成果を試しに、
出かけてみたい気持ちと半々だった。

好奇心に勝てず、
一緒に出かけ、夜道を歩いた。

大晦日から、新年にかけての
年をまたいでの外出。

近所だけれど、
近くまで車で行って、そこから歩いた。
新年の瞬間を、除夜の鐘を聞きながら、外で迎えた。

大勢の人々に囲まれて
共に新年を迎えた自分が、なんだか不思議な感じがした。

一年前には、考えられなかったことが、
今、体験できていることの不思議。


また、
年が明けて何日かが過ぎ、
近所のどんど焼きも見に行った。

夜空に浮かぶ炎。
はしゃいで走りまわる子供達。

短時間の外出だったけれど、
そんな地方の夜の行事を見るのは、なんだか心地よかった。

「脳脊髄液減少症」の悪化で、
体を起こしていると苦しくてたまらず、
思うように動けなかった1年前には、
考えられなかった、夜の散歩。

それが、ブラッドパッチ治療を受けて、約1年たって
体験できるようになった。

年末年始の行事が体験できたことも、とてもうれしかったけれど、

何より、ひさしぶりに見る、
夜空の広さ、星の美しさに、驚いた。

昨年の秋には、空を見上げるのもつらかった首も
ずいぶん楽になって、天を見上げられる。

冬の星座を見ていると、
壮大な宇宙の広さに比べ、
自分の存在や、苦しみのちっぽけさに気づいた。

今までの人生を、
この病気に振り回されたことへの怒りと悲しみや、
これからの不安、現在も続く苦しみを、
星を見ている一瞬は忘れていられる。

夜空や宇宙やプラネタリウムが大好きだった
少女のころの自分も思い出した。

大人になって、
子供のころの、夜空の星を見上げて、宇宙に思いをはせたころの
ワクワクした思いをずっと忘れていたけれど、

ふうっと、あのころの気持ちもよみがえってきた。

星はあのころと変わらず、
同じように輝いている。

そんな当たり前のことさえ、忘れていた私に、
気づかせてくれた、冬の夜歩き。

冬の夜空は今日も澄んで、
星はいつでも、誰の上にも同じように輝いている。

そんな体験をした1月も、今日で終わり。

日もずいぶん延びてきた・・・・。
今日は4月並に暖かくなるそう・・・。

先日、公園にピンクの花(梅?桃?)花も咲いていた。

まもなく立春。

月日がたつのは早いなぁ。



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見えない障害  1

2007年01月29日 | 心の葛藤
今日は雨です。

昨日出かけて疲れたせいか、今日は不調です。

昨日はとある会場にでかけました。

しかし、頻尿のため、じっと座っていられず、
頻繁にトイレに立つため、
係の方に注意されました。

できるだけ、出口に近いところに座っていたのですが、
そこが前の席だったため、
後ろの方の目障りだったようです。

「病気で頻尿で」、と謝りつつ事情を伝えてみましたが、
「後ろの席に移動してほしい。」と言われました。

確かに迷惑だったかもと反省し、後ろに移動しましたが、
後ろだと、今度は目が見えない。

しかたなく、あきらめ、早々に帰ってきました。

座っているのも限界だったので、
引き上げるにはちょうどいい時間だったのかもしれません。

でも、無意識のうちに、多くの人たちに、
迷惑をかけてしまい、
マナーのない人間に見られたであろうことが
なんだか、とてもショックでした。

会場に入る前、
苦しくなると横になれそうな所をさがし、
持参のスポーツドリンクを飲んでベンチで横になりました。

これも、座席3つのベンチを独占して横になるなんて、
マナーのない行為に見えるでしょう。   

公共の場でいい大人の女性が、ベンチに寝るなんて、
だらしない行為にも見えるでしょう。

私も正直恥ずかしいです。
でも、苦しくて、そんなこと言っていられないのです。

一見健常者に見えるけれど、まださまざまな症状を抱える私。
日によって体調に激しい波のある私。

ある時は寝たきり病人。
またある時は、公園スタスタ散歩人。

この波は、
今までの病気の概念しか持たない人たちには
誤解されても当然です。

やはり、
もっと良くなるまで
にじっとこもっているしかないのでしょうか・・・?

外出すれば、行く先々で、
きっと、非常識でだらしのない、
困った大人に見られるに違いありません。

できるだけ迷惑をかけないようにしたつもりでも、
周りに不快を与えてしまうことに気づきました。

見えない障害で誤解と偏見にさらされてしまう、
「脳脊髄液減少症」という病が憎くて、
悲しくて、やりきれません。

でも、脳のためにも、精神的にも、身体的にも、
家にこもっているのは良くないと思うので・・・

脳や体のリハビリのためにも、
少しでも動ける時は
いろいろな感動や、新しい体験を味わいたいのです。

次回は今回のことを反省し、、
なるべく他の人の迷惑にならないように、
気をつけながら、

体調のいい時や、
どうしても、「見たい行きたい」と心が叫ぶ時は、
無理のない範囲で、
めげずに、少しずつ外に出て行こうと思っています。

でも、見えない障害、見えない症状、
見えない病気、見えない怪我を抱えた人たちにも、
もっと暖かな理解ある社会になってほしいとも、願っています。





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冬のダイヤモンド

2007年01月26日 | 小さな幸せ
今日は晴れです。
気温が上がったお昼ごろ、
31回目の公園散歩に行ってきました。

気温が上がったころに行っても、ちょっと風が寒かったです。
今日は1周歩いてきましたが、最後のころ、
半身がしびれてきて、感覚がおかしくなり、足を引きずる感じでした。


さて、昨夜も夜空を見ました。

昨夜の星空は宝石箱のように輝いていて
本当にきれいでした。

9時半ごろ
南東から空の真上にかけて見える
冬の大六角と、冬の大三角も見つけられました。

六角形の一番上の星から時計まわりに順に

カペラ(ぎょしゃ座)
アルデバラン(おうし座)、
リゲル(オリオン座)
シリウス(おおいぬ座)
プロキオン(こいぬ座)
ポルックス(ふたご座)・・というのだそうですが、覚えられない・・

元気な方は
冬の夜空に輝くダイヤモンド(冬の大六角)、
ぜひ探してみてください。・・・・・

オリオン座の一番上の向かって左の、
オレンジ色の星(ペテルギウス)と
大六角の一番下の(シリウス)と
その左上の(プロキオン)を結んだ
冬の大三角もみえるかな・・・。

くれぐれも、具合の悪い方は、寒いので無理しないでくださいね。

(昨夜は、度の強いメガネをしたら、
オリオン座の三ツ星の下あたりに星の固まりの
オリオン大星雲も見えました。今夜は双眼鏡で見てみたいと思います。)




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散歩再開 !

2007年01月25日 | 日記
きょうはいいお天気で、体調も回復してきたので、
気温が上がったころ、久しぶりに散歩に行ってきました。

約1ヶ月ぶりの公園散歩リハビリです。
これでやっと30回目。

この1ヶ月、不調続きでした。
(もしかして、
12月のインフルエンザの予防接種も影響したのかもしれません。)

ここのところの呼吸と心臓の苦しさには
本当にまいりました。

どうしてこんなに苦しいのに、
現代医学で楽にしてもらえず、耐えるしかないのかと、
非常に疑問を感じました。

今日は歩き始めてまもなく、呼吸が苦しい感じがしたので、
いつもより小回りのコースに歩き、20分程度できりあげました。

その後、近くのスーパーで短時間、少しだけ買い物してみました。

しかし、家を出て戻るまで、時間との戦いです。
今日は、家を出てから、
散歩も買い物も移動時間もすべて含め、
2時間ほどでもどってくるのが安全圏と判断し、
大急ぎで、無事戻ってきました。

一見普通の私が、
まるで、タイマーの時間を気にするようにして
起きて活動している時間を気にしながら、行動しなければならない不自由さなど、
外見からでは想像もできないことでしょう。

いつ、電池が切れたようになって、動けなくなるかもしれない不安。
手足の脱力や呼吸困難が出現すると、
運転して帰ってくるのは、危険を伴うためなおさら不安です。

「行きはヨイヨイ、帰りは怖い~。」状態にならないうちに
家に帰り着かなければなりません。

これは決して「パニック障害」ではありません。

外出中、苦しくて立っていられない症状を、
「パニック障害」と診断されている方の中に、
きっと「脳脊髄液減少症」の方がいるはずです。

少しずつ、自力で外出できるようになった今も、
外出先で、苦しくなって帰ってこれなくなる不安があり、
自分の運転での外出の時は、早めに帰ってくるようにしています。

誰かに連れて出てほしくても、平日はいつも一人です。
公園散歩は体調がいい時に、自力でいくしかありません。

いつになったら、
朝起きてから、夜寝るまで、苦しくなることなく
一日を通して、安心してあたりまえに行動できるようになるのでしょうか?

この病のリハビリは、安静と運動の調整が非常に難しいと感じます。

安静ばかりでは、心肺機能も筋力も衰えます。

しかし、
運動時間や活動運動が長すぎたりすると、症状が悪化します。

それでも、
自分の体が発するメッセージを、よく読み取りながら、
これからも、ぼちぼちと散歩リハビリを続けたいと思います。

もうすぐ春
春の木々の、芽吹きの一部始終を、
この目で見たいと思っています。  


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昨夜見た月

2007年01月24日 | 小さな幸せ
昨夜、7時半ごろ、西の空に「上弦の月」を見ました。

今夜も見えるかも・・・。

皆さんのところからも、見えるかな・・・・。

10時近くになったら、月の色が
白からオレンジ色に変わっていました。

皆さんと、空でつながっているかと思うと、
なんだか心強いです。


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心ない人々 1

2007年01月22日 | つぶやき
近所に、
騒音をふりまく若者(バカモノ?)が何人か住んでいる。

数年前まで、子供だった人間が
今、思春期に達し、
友人達と車やバイクで遊びまわり、
静かだった住宅地は騒音に包まれている。

 深夜、重低音が地面を伝わり、家に伝わり、
ただでさえ
締め付けられるように苦しい、病んだ体に響き、目が覚めた。

窓を開けてのぞくと、
友達の家で遊んでいたのか
帰ろうとしたら、車に霜が凍りついていたらしく、
夜中の1時2時に、30分以上車のエンジンをふかしていた。

おまけに暴走族のような爆音を響かせ走り去る。

暴走族のような騒音をふりまく、社会人とおぼしきバイク青年も複数いる。

ただでさえ、音がつらい「脳液髄液減少症」の体には、
少年の深夜の爆音だけでなく、
働くバイク青年の、出勤時の爆音がまた耳にもこたえる。

いくらまじめに、バイクで通勤していても、
周囲に迷惑をかけていることに気づかない人間は、
社会人としては失格だと毎朝、思う。

改造されたバイクのマフラーの爆音
深夜や早朝の静けさを打ち破る。

聴覚過敏でない、健康な人でも、
不快に違いない。

この住宅地には、
病人も寝ている。

幼い子供達も寝ている。

夜勤で疲れて帰ってきて、朝方眠る人もいる。

そういう、他の人たちのことが
まるで想像できない自分勝手な青年たち・・・。

人を思いやる気持ちが、育たなかった青年たち・・・。

自分が気持ちよければ、楽しければ、
深夜早朝に爆音を響かせてもいいとでも、
思っているのだろうか・・・。

誰もとがめる大人がいない。

私には苦情を言う気力もない。

ますます、周囲の迷惑に気がつかない青年たち。

「想像力」という、「思いやり」が欠如した人間が
ここにも大勢育っている。


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あれから12年・・・

2007年01月17日 | 日記
今日は阪神淡路大震災が
朝の6時前に起きた日だったのですね。

朝起きてみると、テレビに信じられない光景が映っていたのを
今も思い出します。

当時私には、微々たる義援金を送ることしかできませんでした。

今日、テレビで、
我が子を失ったご両親の姿が映しだされていました。

愛する人を失った方がたの、苦しみ悲しみや、
もうすぐ目覚めるはずだったのに、
安心して眠っているところを、
急な地震で、命も未来も、突然奪われてしまった方がたの無念を思うと、

私の、抱える苦しみなんて、ちっぽけなものだと気づかされます。

また、
あの震災から、立ち上がった方がたの苦労や努力を思うと、
これくらいの病の苦しみは、私も耐え抜かなければと思います。

生きていることに感謝して、
命を大切に、自分を大切にして、
自分に与えられた人生を、真剣に生きて全うしなければと
また、改めて思いました。

人は亡くなってもなお、
こうして無言で、人に生きる勇気を与えてくれたり、
命の大切さを教えてくれたりするのですね。

これからも病気に負けず、困難に耐え抜いて
強く、生きたいと思います。

亡くなった方がたの、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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口の渇き 

2007年01月16日 | 症状の説明
昨日も今日もいい天気でしたが、
洗濯を干しに庭に出た以外、不調で外に出ませんでした。

年末年始、不調にもかかわらず、
無理して外出したりしていたので
反動が出たのかもしれません。

ほんとうに、本人ですら、安静と運動のかげんがわからない病気です。

最近、呼吸の苦しさ、舌のシビレ、ろれつのまわらなさと共に、
特に強く感じた症状が、まだあります。

そのひとつが
「唾液が充分出ない。」感じです。

呼吸が苦しくて、
ハアハアと、口で呼吸しているせいだけとは、
とても考えられない、口の渇き。

抗うつ剤の副作用の、「口の渇き」も経験しなかった私ですら、
根をあげるほどのカラカラ感です。

まるで、
砂漠で、オアシスの水を求めてさまよっているかのようです。

最近の不調で現れた、この口の渇きは、
明らかに、「唾液分泌量が減少している。」感じです。

体内の水分保持量が減ってしまって唾液も出ないような、
または、唾液分泌量を調節する、脳からの命令や自律神経が
おかしくなってしまったようにも感じます。

唾液が減れば、さらに口がスムーズに動かないし、
発音しづらく、話しづらくなります。

物が飲み込みづらくもなり、
食事中、いつもより多めの水分で流しこむような感じになります。

この病気での、ひどい嚥下障害は
私はまだ体験がありませんが、
この「口の渇き」、「唾液の出ない感じ」の状態がひどくなると、
「嚥下障害」につながるような気がしました。

この病気とわからず、放置されている、高齢者で、
義歯の方などは、話づらさや食べづらさ、飲み込みにくさは
もっとつらいかもしれません。
誤嚥の危険も高まることでしょう。   

唾液が減れば、口腔や喉が潤わなくなり、
自浄作用も減って
気道が感染しやすくなることでしょう。

経口補水液も、スポーツドリンクも、お茶もスープなどなど、
水分を充分すぎるほど、摂取しても摂取しても、
頻尿のせいか、体が潤わない感じ・・・。

少し頻尿が治まっても、なお、飲んでも飲んでも、すぐ口が渇く・・・
炎天下の砂漠での遭難状態・・・・

朝起きると、口はカラカラ・・・・
喉の粘膜が乾燥して張り付いて、空気さえ通りづらい感じです。

朝、最初に口に含む水が、枯れかけた植物の生えたカラカラの大地に
しみこんでいくようです。

私は今まで、この口の渇きを医師に訴え、受診したことはないのですが、

たぶん、こんなに苦しい口の渇きでも、検査で体に「異常なし」と診断されれば、
精神科の分野にまわされるのだと思います。

「口の渇き」でネットで検索してみても、
この症状で悩む多くの人々は、心療内科医や精神科医に相談しているようです。

まさか、口の渇きの原因が「脳脊髄液減少症」のよるものとは、
多くの医師も、患者本人も、なかなか考えつかないことでしょう。

ぜひとも、この症状で患者から相談される可能性が強い、
歯科医、精神科医、心療内科医の皆様に
「脳脊髄液減少症」にも、激しい「口の渇き」の症状があることを
認知していただきたいと思います。

嚥下障害の治療に取り組む医師の皆様方も、
ぜひ、この病気に関心を持っていただきたいと思います。

こんなふうに不調の時の血圧は、やっぱり低血圧、80/50 台です。
この病はさまざまな症状が絡むように出現します。

まだまだ、闘病は続きます・・・。

見た目より、苦しく、
治療しても、すぐにはスッキリと治らず、
ダラダラと症状が出たり消えたりして、
油断できない、手ごわい病です。

前進と後退の繰り返しのような回復の仕方で、
ただ、年単位では回復が確かに感じられますが、
周囲の理解や生活支援や、支えてくれる医師もいない状態での
闘病期間は本当につらいものです。   

あんまり苦しいと、終わりの見えない闘病に疲れ、
負けそうになります。・・・・

苦しい時、駆け込める救急外来でも、
真剣に患者の苦しみと向き合ってくれて、
考えられるなんらかの対症療法でも対応して、
楽にしてくれる医師や医療機関が近所にあったらなぁ、

せめて、
訪問医療で来てくれて、相談にのってくれる医師がいてくれたらなぁと
しみじみ思います。・・・。

(しかし、もはや近所に医師を探す気力もわかないほど、医療不信の私です。)

また、唾液分泌量の減少と思われる口の渇き、
顎関節症味覚障害舌のシビレ、嚥下障害、
原因不明の歯の痛みなど、
口腔症状がいろいろと出る、この「脳脊髄液減少症」という病を
私は、多くの歯科関係者に知っていただきたいと常々思っています。

現実に苦しむ患者がいるのに、
医学の分野では
整形外科医、脳外科医の方がたの多くが、
この病気の存在を認めてくださらないのが現状です。

歯科医学の分野の皆様には、ぜひ知っていただき、
ご理解いただきたいのです。

それが、整形外科や脳外科とは違った視点からの、
「脳脊髄液減少症」の早期発見と、
身近な口腔症状からの、社会の早期理解にもつながるかもしれないと
考えています。

歯科医の皆様、歯科関係者の皆様の
早期のご理解を期待しています。

よろしくお願いします。


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首のしめつけ感 2

2007年01月11日 | 症状の説明
今日も晴れです。
散歩に行けそうな気もしますが、ちょっとまだ調子がでません。

さて昨日の続きです。

近所にこの病気に理解ある、頼れる医師が見つからないと
本当の「医の心」を持つ医師が
この辺には一人もいないのかと情けなく、悲しく思います。

もし、
ブラッドパッチ後の3ヶ月間の苦しかった闘病期間を、
少しでも地域の医師や医療が支えてくれていたら、

苦しい時に、点滴でも、酸素吸入でも、
入院安静でもいいから、

少しでも、症状が楽になる対応を考えて提供して、
苦しい闘病を支えてくれる、
理解ある医師や医療機関があったなら、
どんなにか気持ちだけでも楽になり、心強かったかと、
心の底から思います。

本当に、最悪の状態の時は
涙がでるほど孤独で心細かったのです。
(今も心細いことには変わりありませんが・・・。)

一人で横になりながら
「殺人事件で、犯人に首を締め上げられて死んでいく被害者は、
息絶える直前は、こんな苦しさなのかなぁ。」と考えたりしました。

じわじわと絞めあげられ、しだいに酸素が入ってこなくなり、
苦しくて苦しくて、「たすけて~」と叫びたくても声も出ず、
誰も助けてくれず、絶望の中、目を見開いて意識が遠のいて死んでいくのかなぁ~、と

健康な人なら、絶対想像もしないであろう
殺人事件被害者の断末魔の情景が、思い浮かぶほどの
苦しさでした。

夜、この首をしめられた苦しさの中で眠りにつく時、
神を信じない私が
「神様、どうか助けてください。」という言葉が
毎晩自然に出てきました。

苦しいまま眠ると、
このままあの世に引きずりこまれて、明日目が覚めないんじゃないか・・・。
という不安も、毎晩抱きました。

人間が死ぬ前に見るという、走馬灯体験をしたのも
このころでした。

これは、
検査には出ない微妙な酸素不足が、
脳に何らかの影響を与えたためかもしれません。
今までの自分の人生が、スライドショーのように、
呼吸の苦しさの中で、さまざまな情景が浮かんでは消えました。

(回復してきた今では、こういう不安はなくなり、必ず朝が来る、と、
安心して眠りにつけるようになりました。神様助けてくださいという言葉も
寝る前忘れて眠れるようになりました。)

一番苦しかった時は、
自分が、
まるで「脳脊髄液減少症」という悪霊に
ゆるやかに絞殺されていくように感じました。

誰もいない家の中で、
首を常に締め上げられる症状に、一人ひたすら耐えることは、
想像以上に心細く、悲しく、苦しく、私を追い詰めました。

その時は、3ヵ月後、6ヵ月後に次第にこの症状が回復して楽になるとは
想像できなかったので、

このままこの苦しみが、一生続くのかもしれないと不安で、

こんなに毎日、首を締め上げられるように苦しいなら、
いっそ、本当に家の中で首をつって死んでしまいたいと
考えてしまうほどでした。

この体験から、治療してもなお続く
長引く苦しみに耐え切れず
自殺を考える人もいると思われます。

これほどの苦しみを患者が抱えていてもなお、
家族にも周囲にも、「そこまでの苦しみ」には見えないようです。

この症状ひとつをとってみても、本当に非常に苦しいのです。
しかも、非常に理解されにくいのです。

「脳脊髄液減少症」の存在すら認めない、
交通事故との因果関係を認めない医師の皆様に、
この症状ひとつでいいから、ぜひ体験してもらいたいです。

きっと、屈強の成人男性であったとしても、
想像以上の苦しさに驚き、
「たすけてくれぇ~」と泣き叫ぶことでしょう。

その時、周囲にも医師にも冷たい目で
「異常なし、気のせい、気の持ちよう。」と言われてみれば
患者の置かれた厳しい現状が
体験できることでしょう。

人の苦しみというものは、
もともと
「固体が別な他の人間にはわからない。想像することしかできない。」
という所が、人間の能力の残念なところです。

でも、自分の過去の体験や、情報と照らしあわせて、
「相手の置かれた状態を、一生懸命考え、精一杯の想像力を働かせる。」ことはできるはずです。

 精一杯の想像力で、相手の状況を思いやろうとする時、

その思いは
時に、限りなく相手の現体験に迫ったりもします。


想像力は、洞察力であり、思いやりの能力だと思います。
想像力ある人間になりたいものです。

もし、ブラッドパッチ後の患者さんで、
私が体験したような
身の置き所のない首しめ感やその他の苦しみの真っ最中にいる方がいたら、
3ヶ月、半年まずは苦しいでしょうが耐えてみてください。

「とりあえず、今日一日を生きる」ことを目標にして、
それを重ねるつもりで、
気持ちを楽にして、日々を過ごしてみてください。

この治療は効果が出るまで、長い時間がかかるようだと
体験から感じはじめています。

回復の仕方が普通の病気や怪我と違って、
段階的で順調な回復ではなく、
良くなったり、悪くなったりしながら
少しずつうねるように回復していくようです。
一時の悪化に落胆せず、どうかあきらめないでください。


まるで、首を悪霊の見えない手で
常に締め上げられているような苦しい「絞首感」

これも、どんなに検査をしても、酸素飽和度も「異常なし」の
患者本人しかわからない、
見た目ではわからない、

非常に苦しい、
身の置き所のない「脳脊髄液減少症」の症状です。

一人でも多くの皆様に、この事実をご理解いただきたいと思います。


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首のしめつけ感 1

2007年01月10日 | 症状の説明
昨日今日といい天気でした。
体調もずいぶんと楽になってきました。

ここのところ、低気圧の影響か
ろれつがまわらない症状と共に
久しぶりに舌の半分の軽いシビレを感じていました。

また、
首が、常に誰かに締め付けられているように、
苦しい症状も再発しました。

「この首のしめつけ感」は
今回、非常に苦しかった症状のひとつです。

これでも、治療後、かなり症状は軽くなりましたが、
調子が悪くなると、今もこの症状が出現します。

この症状も、「脳脊髄液減少症」と診断されるまで
どこをどう検査しても「異常なし」で、訴えても
医師に相手にされない症状でした。

「脳脊髄液減少症」の悪化で診断がつく直前の状態は、
今よりもっともっと苦しく、
その絞首感は、
まるで見えない手に、じわじわと毎日、
常に締め上げられる拷問を、受け続けているようでした。

けっして大げさな表現ではありません。
本当にまるで、首を締め上げられているように、苦しいのです。

まだ原因不明だったころ、この症状が
「呪われている」とか、
「悪霊に取り付かれている」とか
もし言われたら、
信じてしまいそうなほど、リアルな首のしめつけ感です。

悪霊の両手が、背中から這い上がり、
頚動脈のあたりをミシミシと常に締め上げる感じです。

悪霊の手の指の1本1本が、
まるで首に食い込んで、首を圧迫しているような、
七転八倒の苦しさなのです。

呼吸が楽にできず、
苦しくて苦しくて、その手を払いのけようとしても
けっして払いのけられず、首にへばりついて離れない感じです。

陸上にいながら、
まるで水中でアップアップと溺れているように
呼吸が苦しいのです。

治療前がこの症状がひどく、
ブラッドパッチ直後にとても楽になりましたが、
退院後から、3ヶ月間くらい、
一時的にこの症状が悪化したかのようになり、
苦しみぬきました。

そして、3ヶ月過ぎてから徐々に楽になっていきました。

さらに半年後にさらに楽になり、呼吸もしやすくなり、
散歩に行けるまでになりました。
(最近散歩になかなか行けませんが・・・

このへんのブラッドパッチ後の変化は、また改めて書きたいと思います。

この症状が非常に重く苦しかった治療直前と
退院後の3ヶ月間、
本当に毎日が、
首を締め上げられる拷問を受け続けているようでした。

昔、原因不明のこの症状で苦しみ、
「悪霊のせい」と言われて信じ、祈祷にすがるしかなかった人々の中には
「脳脊髄液減少症」の人が少なからず混じっていたと思います。

体を起こしても苦しく、横になっていても苦しく、
身の置き所がない苦しみで
まさに生き地獄のようでした。

ブラッドパッチして退院後、
この症状が一時的に元の状態か、悪化したかのようになりました。
しかし、どんなに苦しくても
近所に助けを求めて駆け込む、理解ある医師も病院もないのです。

たとえ、頼めばしぶしぶ点滴などしてくれる医師や病院があっても、
自力ではとうていそこまでたどりつけないのです。

ひたすら自宅で寝て、耐えるしかなかった日々。
今も、こうして天候などにより体調が崩れ、苦しくても、
私には、症状を和らげてくれる、病院が近所にないのです。

地域には、
大学病院も、総合病院も、脳神経外科や神経内科のクリニックも
有り余るほど、たくさんたくさんあるというのに

どんなに苦しがっていても、
「脳脊髄液減少症」と診断名がついていても、
現状の医師たちの多くは、
「病人」と認めて真剣に対応してくれないのです。

風邪などでも、社会に認知された病態なら、
たとえ、軽症であっても、
いつ、どこへ行っても、一定の医療が受けられるというのに・・・。

病気と認められていない症状は、どんなに苦しくても、
駆け込む病院がなく、頼る医師もなく、

時代劇の病人のように、
苦しみもだえながら、
自宅でひたすら水分を取って寝ているしかないのです。

まるで、タイムスリップして、
江戸時代の病人になったかのようです。

患者の置かれた状況は、本当に悲惨です。

病院に駆け込んでも、冷笑されるだけということを
長年の体験からわかっているので、
どんなに救急車を呼びたいほどに呼吸が苦しくても
治療前もひたすら耐えました。

今でもそうです。

まるで、医療後進国にいるような、
医療過疎地、無医村にいるかのような、錯覚さえ感じます。

(つづく)
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ろれつがまわらない

2007年01月05日 | 症状の説明
きょうはいい天気でした。

しかし、体調はあまりよくありません。
でも昨日より呼吸も楽です。

きのうはろれつがまわらず「酔っ払い状態」でした。
お正月気分でお酒を飲みすぎているわけではありません。

これも「脳脊髄液減少症」の症状のひとつなのです。
(まだ、漏れている?のかもしれません。
舌がまわらず、まるで酔っ払った時のような
話し方になってしまうのです。

お酒も飲んでいないのに
舌足らずな、ふざけているような、レロレロ状態の話し方になればこの病気を知らない人からみたら
「変な人」と見られてしまうことでしょう。

以前にもろれつが回らずレロレロ状態になったことがあります。
「ろれつがまわらない。」という症状を「家庭の医学」などで調べると
「脳疾患の疑いあり、医療機関に急げ!」とか書いてあります。

しかし、脳外科や神経内科を受診しても
MRIやCTを撮っても、脳の血管を調べてみても
どんな検査しても「異常なし」と言われます。

受診の時に医師に
「ろれつが回らないんです。」と言っても
「あなた、今きちんとしゃべっているじゃない。」と言われます。

それはそうです。
病院受診できるような時は
比較的体調がいいときですから・・・・。

病院に行けるぐらいの時には、
ろれつがまわらない症状も治まっているのです。

今までの脳疾患の概念では
出たり消えたりする症状は
一過性のものか、大きな梗塞の前兆としか考えられないため、
検査で脳血管などに異常が見つからなければ、
「異常なし」と放りだされます。

まさか、脳脊髄液が漏れて、
一過性の半身マヒやろれつがまわらないなどの、
脳神経症状が出ているなんて
当時だれも考えませんでしたから・・・
(現在も当時のままのお考えの医師が多いようですが・・・)

当時、一人で受診できた時でも、
具合の悪い時やろれつの回らないような時は、
とても一人では病院までたどりつけませんでしたから、
ある程度最悪の状態が去った時に受診することになります。

病院に行けるくらい元気な時は
苦しい症状が治まっているので、
よけい外見も健康そうに見え、
よけいに検査にも異常が出ずらいのかもしれません。

当時「脳脊髄液減少症」の概念がなくても
動悸などの症状は心電図に異常が表れてもよさそうなのですが、
いつも、苦しさが治まってから病院に行くせいか
「異常」を指摘されたことがありませんでした。

脳脊髄液減少症の悪化で、自力で外出さえできなくなってみて
「本当に具合の悪い人は、自力で病院にさえ行けないこと」に気づきました。

まして、周囲に協力者がいなければ、倒れこんでいることしか
できないでしょう。

たとえ、誰かが、救急車で運んでくれたとしても
「異常なし」と返されるのがオチです。

余談ですが・・・
このごろ、スタスタ歩いて、
一人で病院にきている人たちをみると
「元気だなぁ」と思ってしまいます。

脳脊髄液減少症の
「体を起こしていられない」という恐ろしい症状を体験して以来、

病院に自力で来れる人や、
社会に病気だと認められ、手厚い医療を受けている患者さんは、
どんな重病や不治の病を抱えていたとしても、
私には、「うらやましく、元気な人」に見えてしまいます。

「ろれつがまわらない。」という、本人にとって大変つらい症状。
無理解な医師や第3者から見たら、
命にかかわることでなければ、どうでもいい症状。

でも、
もし、「アナウンサー」とか「舞台俳優」とか、
「落語家」とか、
言葉を話すことをお仕事にしている人々が、

体調不良の原因が、実は「脳脊髄液減少症」で
検査しても「異常なし」で
病名もつかない「ろれつが回らない症状」に襲われたら

どうなるのでしょうか?

考えただけで、恐ろしいです。

ろれつが回らないことに加えて、
文章が読めない、理解できない症状や記憶障害が加わるわけですから・・・

たぶん、お仕事を続けることは難しかったことでしょう。

きっと過去に、こういった症状で思うようにお仕事ができず
評価されず、切り捨てられ、
無念の思いをされた多くの方がいたはずです。

もしかしたら、今も、その症状の本当の原因に気づかないまま、
自分を責め続けているかもしれません。

もしかしたら、脳疾患や神経疾患に誤診されて、
見当違いの薬を大量に処方されて、
治らないどころか、よけい変になっているかもしれません。

発見されにくく、誤解されやすく、じわじわと人の人生を蝕む、
本当に恐ろしい病気です。

ちなみに、昨日は家族と出かけたついでに
薬局で、飲む点滴「経口補水液」を買って、
2本1リットルを一気飲みし、助手席を倒して休んでいると
しばらくして、呼吸も楽になり、心臓の圧迫感も和らぎました。

気づくと、ろれつが回らなかった話し方も
普通に近くなっていました。

詳しい作用機序はわかりませんが、事実です。

家族も「ずいぶん言葉がでるようになった。」といったので
決して、プラシーボ効果ではありません。

水分を飲んですぐ頻尿にならなければ、
けっこう苦しい症状は回復すると、今までも体験から学んでいます。
より、吸収のいい水分
頻尿にならず体にとどまる水分が効く感じがします。

どんな医学知識も
元は人の経験の蓄積だと思います。

フグのどこに毒があるのか、
どのキノコが毒で、どれが食用になるのか?などの知識は、
犠牲者や、食べた人の体験の蓄積なのではないでしょうか?

この症状にこういう治療法は効いた、あるいは効かなかった、
効くが予後が悪かったなどなど、

医師や関係者は、既存の医学書の知識だけ信じるのではなく、
もっと「生きた人間のさまざまな実体験」に
まずは真摯に耳を傾けてほしいと思います。

そして、今後の治療法のヒントにしてもらいたいと願っています。

少なくとも、私の体験では
症状がではじめたきっかけである交通事故と
長引く多くの恐ろしい症状の出現は
まぎれもなく、因果関係があると断言できます。

そして、ブラッドパッチ治療と、
水分摂取と、横になることで
楽になったことも事実です。

けっして「気のせい」でも、「思いこみ」でもありません。

いくら反対派の先生方が、そんなことがあるはずがないといってみても
事実なのです。

交通事故を体験した患者の話より、
交通事故体験もしていない医師の話が正しいとはとうてい思えません。

いくら権威ある医師であっても、自身に「体験がない」なら、
たとえ医学知識がない事故被害者や患者の話であっても、
被害者、患者の「体験談」を、もっと真剣に聞くべきです。

否定派医師の先生方も交通事故に遭って
この症状の出現を体験してみれば、
すぐ、この因果関係に気がつくはずです。

「絶対違う、ありえない。」というのなら、
身をもって証明していただきたい位です。

長年苦しみぬいた人間の体験から学んだ事実を
一刻も早く多くの医師にご理解いただき、
一刻も早く、多くの苦しむ人々を救うため
実際に行動していただきたいと思います。

大地震の時は、多くの救助を待つ人の存在を想像することができ、
社会全体で救援に動きだします。

しかし、
現在「脳脊髄液減少症」で苦しみながら、社会の救助を待つ多くの人々の存在は、
直接皆様の目には見えない上、社会の表面にもあまりでてこないため、
なかなか、気づいてもらえません。

でも、
大きな災害の時と同じ位の人数の人々が
まるで土砂に埋もれた遭難者のように、
社会の無理解に埋もれてうめき続け、助けを求めているはずです。

治療待ちや、長引く苦しみに、
力尽きて、消えてしまう命がこれ以上出ないためにも、

どうか一刻も早く、
人の温かな心ある皆様方の救援の手を、
私たち患者にさしのべていただきたく、
心よりお願い申し上げます。



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迎春

2007年01月03日 | 日記
あけましておめでとうございます。

旧年中は大変お世話になりました。

昨年の
ブラッドパッチ治療してくださった医師や
優しく支えてくださった医療スタッフの皆様はじめ、

同じ病と闘う皆様や
心ある報道をしてくださったマスコミの皆様との、
多くの出会いは

長年、周囲や医師の無理解にさらされ、
孤独に多彩な症状を抱えて生きてきた私にとって
暗闇の出口の、光を見るようでした。

本当にありがとうございました。

今年もさらに回復できるよう、努力したいと思います。

ことしもよろしくお願いします。


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