月刊 創 編集長の篠田博之さんの本日、12月26日のネット記事。
私と同じ考えの人の記事。
有名人の若くしての死の報道の後に、必ずつく、命の電話などの電話相談の案内に対する違和感は、私だけではなかったのかと、思った。
あれほど、いのちの電話への番号告知をテレビやネットニュースで流したのは、
厚生労働省のマスコミへのリリースがあったのか。
それにしても、
というのは簡単だけど、相談しても何にもならなかった、むしろ、孤独を再認識したり、悲しみにうちひしがれた経験がある私から言わせれば、安易に「一人で悩まず誰かに相談して」なんて言えばいいってもんじゃない!と思う。
厚生労働省は電話相談先やチャットでの相談先をマスコミを通じて知らせれば、
それでいいとでも思っているのか?
これはあくまで私自身の経験だけど、
脳脊髄液減少症がらみで、本当に困ったり悩んだりして、
とある複数の電話相談機関や、公的機関や病院やいろいろと助けを求めて勇気を出して電話して相談してみたのに、
相手にされなかったり、
適当にあしらわれたり、
冷たくされたり、
面倒くさがられてるのがこちらに伝わってきたり、
苦しみをわかってもらえなかったりして
かえって落ち込んだり、
孤独を再確認しただけだったり、
よけいに落ち込み絶望しかけた事が何回もある。
相談するには、助けてくれそうな相談相手でないと、話す意味がない。
プライバシーをさらけ出してエネルギーと勇気を出してまで見ず知らずの人に話し始めても、その人がきちんと悩める人を救うだけのスキルや知識や経験がある人に繋がるとは限らない。
むしろ、
相談を受ける側の人間に、カウンセリングの知識も、傾聴の姿勢も、受容と共感の基礎的な姿勢も、
問題解決につなぐための社会資源の知識もまるでない人が多いと、私は感じた。
だから、ただ
「ひとりで悩まず誰かに相談して」とただ、相談先をテレビで告知さえすれば大丈夫ではないのだ。
その電話やチャットやLINEの相談先に、
悩み相談の訓練がきちんとされ、心理的ケアと社会福祉の知識と社会資源の利用知識がある相談員がいるとは限らないのだから。
私の経験みたいに、相談した事でアルバイトみたいな知識のない人たちばかりで、よけいに傷つき、落ち込み、絶望しかける場合だってあるのだから。