先日の「仰天ニュース」でやってた、
フィルターバブルとエコーチェンバー現象
これは医者にも患者にも起こりうると思った。
東京大学大学院
工学系研究科システム創成学専攻
鳥海不二夫教授
が話していた。
フィルターバブルとは、
「ネット利用者の個々の検索履歴を自動的に分析し、
個々が好きそうな情報を優先的に表示するため、自分の考えや価値観に合った情報のバブルに閉じ込められ、
他の情報を見る機会を失う。その状態をフィルターバブルと呼ぶ。そうなると、自分とは異なる意見が目に入りづらくなってしまい、(自分が入っている情報のバブルの中での意見が)根拠のないものであっても目にしている情報が正しいと思い込み安くなる」そうだ。
エコーチェンバー現象とは、
「SNSにおいて、
自分と似た価値観をもつユーザーの主張ばかりを見ていると、
そのような価値観を持った人たちの集まった世界でのやりとりが繰り返され、
自分の意見や思想が肯定され、
あたかも世の中における正解であるかのごとく、勘違いしてしまう現象で、
自分とは異なる意見が入りにくくなってしまう」のだという。これを聞いてふと、今までもやもやしていた事が腑に落ちた。
なぜ、「脳脊髄液減少症の主治医にここまで治してもらった!」と主張する私が、
地域の医師たちから胡散臭い目で見られ続けたのか?
なぜ、患者たちは、その病名ごとに、患者会ごとに固まり、
他の似た症状の疾患名の可能性には見て見ぬふりをしたり、無視したり、自分とは関係のない別の世界と敵対しさえしたり、
他の患者会とは情報交換しなかったり、あえて避けたりするのか?
または、一つの病名で納得するのではなく、逆に自分にいろいろな視点から、自分の主張する病名をつけるそれぞれの医師の主張する診断名をすべて自分につけてしまい、
自分にあれもこれもと、たくさんの病名を重ねていく患者がなぜいるのか?
たとえば、線維筋痛症と慢性疲労症候群と脳脊髄液減少症とか。
なぜ、医師は学会ごとに、診療科ごとに、興味のある病名ごとに固まり、
一人の患者のひとつの症状、一つの臓器、一つの機能だけに細分化して診て、
地面から1本1本の木を見るのではなく、
森全体を空から見て、森に何が起こっているのかを見ないのか?
上から森全体を俯瞰して見るように、
なぜ、症状のひとつひとつから目を遠ざけて、人間全体を俯瞰して見て、その人の体に何が起こっているのか考えつつ、
症状の点と点を結ぶような視点で患者を診られないのか?
謎が解けた気がした。
どれもこれも、フィルターバブルとエコーチェンバー現象で説明できるような気がした。
たとえば、
脳脊髄液減少症を主張する私が、
「まるで反社会的な新興宗教の得体の知れない教祖の教えを信じ込んでいる信者」のように誤解されてしまう感じがしたのは
たぶんまわりが、
「この人は、自分の信じる世界に入ってしまった人」と見ていたのだと思うし、
私が、脳脊髄液減少症を周囲に伝えようとすればするほど、
脳脊髄液減少症というありもしないデマを流す医師を盲信している、無知で哀れな患者だと、地元の医師や周囲の人たちに思われていたような気がする。
さらに、患者会や医師の団体については、
似た症状なのに、
似た症状の患者会同士や
医師の団体、学会、の横の連携がほとんどないのは、
患者会や学会という、フィルターバブルに入ってしまっていて、
違う視点の情報が入りにくくなっていて、
違う視点の情報を無意識に排除してしまっているのかもしれないと思った。
患者の訴える症状の一つひとつにこだわらず、
俯瞰してその人の体に何が起こっているのかを診る視点が医師にあれば、
脳脊髄液漏出症を見逃す事など、なくなると思う。