脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

勇気をもらった言葉

2007年06月29日 | つぶやき
『不可能だから、はじめよう。

それを無理と思った瞬間にすべてが終わる。

可能性を信じること、実現すること。

私たちはいつも創造者でいたい。

総合エンジニアリングカンパニー、

トヨタテクノサービスです。』


これは数年前に偶然新聞で目にした、企業広告の言葉です。

当時の私にとって、

『不可能だから、はじめよう。
それを無理と思った瞬間にすべてが終わる。
可能性を信じること、実現すること。』という最初の3行の言葉は

目が覚めるような、新鮮な響きでした。
勇気がわきました。

その言葉の切り抜き部分を、ずっとトイレに貼っていました。

毎日目にして、その言葉を忘れないようにするためです。

それから数年がたち、
最近、ふと気になって、
この会社名を検索してみたら、
すでに合併して違う社名になっていました。

このCMコピーを考えた方はどなたかわかりませんし、
当時もどんなことをやっている会社か知りませんでしたが、

「不可能と思えることこそ、それを可能にし、実現していこう。」とする、
その会社の姿勢は読む側に伝わりました。

そういえば、
電話も、テレビも、
車も飛行機も、
ロケットも、携帯電話 も、

昔は不可能とされた時代があったことでしょう。

医療の現場でも、
今は治る病も、不治の病とされた時代もあったでしょう。

だから、
いつか「脳脊髄液減少症」も、

いつでも、どこでも、どんな医師でも、
早期発見、診断、治療できるようになる日がくることでしょう。
誤診も減り、今より、よりよい治療法も見つかるかもしれません。

「こうできたらいいな」
「こうなったらいいな」と人が想像できることは、
みな、人が実現してきたのです。

人はひとつひとつ、不可能を可能にしてきたのです。

人が持つ、未知の力

たとえ不可能と思えるようなことでも、
わずかな可能性を信じることの大切さ。

可能性を信じられなければ、何もはじまらない。

可能性を信じる心は、
やがて潜在意識となって、自らを動かし、
やがて実現に向け、実際に行動しはじめることでしょう。

人は人生が終わるその瞬間まで、
さまざまな可能性を秘めているはず。

どんな病に侵されていても、
回復し、治ろう、自分を救い出そうとする力も秘めているはず。

人も、社会も、医学も必ず変化し、進歩していく・・・・。

多くの人が強く、心から願うこと・・・
それは必ず近い将来、実現すると信じています。

これからも、なんでも最初から
「無理」「不可能」と思わないようにしながら、

自分の中の、「可能性を信じること、実現すること」を
忘れないで、
生きていきたいと思います。


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愛が試される時 3

2007年06月08日 | つぶやき
今日は腰が痛くて、思うように歩けず、
一日家の中です。

脳のリハビリに
ケーキを焼いてみました。

電動ミキサーを使って、まぜるだけのケーキミックスで
ひとりで全部作りました。
昨年のイブのケーキ以来、
まがりなりにも、ひとりでできるようになったのは感動です。

でも、手際も悪く、休み休みなので、朝から夕方までかかりました。
「かたづけながら」、が苦手です。

テーブルの上がぐちゃぐちゃになりながら、なんとか完成しました
でも、いい脳のリハビリになりました。



さて、しつこいですが、愛についての話のつづきです。

もし、パートナーがどんな状態になっても、
いつも信じ、励まし、支え、力になれるとしたら、
それは、ホンモノの愛かもしれません。

ファッションもかまえなくなり、
いつも大きめ、ゆるゆる衣服のジャージやフリース姿で、

くつは、いつも履きつぶしたスニーカーで、
髪もかまわず、
人が変わったようになった、パートナー。

時に別人のように元気そうに話し、動くパートナーを見ても、
医師の「異常なし」を聞いても、

それでも、本人の訴えの真実を見抜き、
苦しい症状を信じてあげられるとしたら、

それはホンモノの愛かもしれません。

無理解にさらされたことで、発せられる、いらだちや投げやりな言葉も、

症状が起こさせている、荒れた行動も、おかしな言動も、

その人の本質と、
症状によって現れている現象とを見分けて、
暖かな広い心で、その人を受け止めてくれるなら、

それは本当の愛や、思いやりかもしれません。

パートナーを愛する時、
自分に何か見かえりを期待する、
「条件つきの愛」ではなく、

その人を飾り立てる地位も肩書きも、お金も美貌も若さも、
何もかもがたとえなくても、

魂だけに近い、
「素の人間」のその人を愛せた時、

何も見返りを期待しない、
「無条件の愛」で愛せた時、

それはホンモノの愛かもしれません。

たとえ、一時は「異常なし」の医師の言葉を信じ、
苦しむパートナーを責め立てたとしても、

後で、この病態を知り、学び、理解しようと努力してくれ、
「苦しさを信じてあげられなくて、わかってあげられなくてごめん」と
たとえ医師だろうと、配偶者だろうと、友人だろうと、家族だろうと、

患者に潔く謝れる人間であったなら、
その人とは縁を切る必要は、ないのかもしれません。

人が何もかも失い、どん底の状態の時こそ、

その人に対する、
周囲の愛や思いやりの有無が、
試されているような気がします。

そういう意味では、
私は「脳脊髄液減少症」になったことは幸せなのかもしれません。

この病態のおかげで、周囲の人間を自然にフルイにかけられたのですから・・

自分の人生にとって、必要な存在の方々と、そうでない方がたを、
「脳脊髄液減少症」が見分けてくれたようなものです。

症状が起こす、怒りっぽい、ひがみっぽい、涙もろく、荒れた感情が
巻き起こす、言葉や行動。

病んだ仮面をかぶっていた私。
本当の私は別にいるのに・・・。

多くの人は、その悪の人格の「仮面の私」を
真の私だと思い込みます。

そして、低い人間性と判断され、離れて行きました

仮面の私がぶつける感情も、
仮面の私が起こす異常な行動も、
病気が起こしていたのに、

仮面の下の本当の私を見抜けず、
その仮面だけで判断して、去っていった人々との別れは、
必然のことだったのかもしれません。

そういった方がたは、
もともと、私には必要のない人だったのかもしれません。


私から遠ざかっていったのは、
「本当の愛や、友情や、思いやりや、理解」が
私に対し、なかった結果だと思えば、

過去のすべても受け入れられる気がします。

これからの人生、今までの分まで、

病気による感情の波も、
私自身の持つ欠点さえも、
まるごと受け止めるに耐えうる、寛大な心の方がたと出合って、

暖かく、優しい人間関係をお互いにはぐくみながら、
穏やかな、幸せな気持ちに包まれて、
残りの人生を生きたいと思っています。

苦しくつらい試練の時期は
「自分が試される時」でもあり、

「愛や友情という、周囲との人間関係が試される時」でも
あるように思います。

今後も、襲ってくるかもしれない人生の試練を、
乗り越えられても、乗り越えられなくても、

精一杯生き抜けば、

どんな結果も
それは自分の人生に必然だったことで、
人生に無駄な体験などひとつもないのだと、
納得して、人生を閉じられるような気がしています。

最後に、
ジューンブライドの花嫁さん
すべての新郎新婦さん

この時期、実をつける、さくらんぼのように、
よりそい、支えあって、

末長く、お幸せに・・・・・

(おわり)



追伸:
今夜はほえましい新婚カップル思いながら、
ブラッドパッチ後、初めて自分ひとりで作った、
さくらんぼで飾ったケーキ食べて、

自分の回復も感じつつ、
ささやかな幸せ気分にひたってみます。

[絵の解説]
大きいさくらんぼは、
公園のさくらんぼで感動している私を哀れんで、
家族がスーパーで買ってきてくれたもの。

小さいほうが、公園の山桜のさくらんぼ。
こんなに大きさも色も違います。

山桜のさくらんぼは、あずきのような柄のない状態で、
地面一面に、足の踏み場もないほど落ちていました。

ケーキは大小、両方のさくらんぼで飾りました。










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愛が試される時 2

2007年06月07日 | つぶやき
公園2周歩いてきました。
56回目です。

昨日も55回目、公園1周歩いてきました。

最近、体調がよく、
1時間ほどしか、横にならなくてもいい日が多くなってきました。

特に、3日前の6月3日の日曜は、一日を通して起きていられました。

体調が絶好調で、何か、意識もいつもと違って、
思考がはっきりするような、現実が生き生きと感じされるような
不思議な体験もしました。

でも翌日の月曜日の4日は、
朝起きると、左の耳の中の鼓膜がポコポコと音がして、
気持ち悪い目覚めでした。

その日は呼吸も苦しく、不調で気力もなく、動けませんでした。

こんな激変が、演技でも仮病でもないのです。
これが脳脊髄液減少症の、
回復途中の患者の現実の姿です。

こんな日々を繰り返しながら、治っていくと信じたいです。

二日休んで、また昨日、今日と歩けました。

昨日は、また違った桜の大木の下に、小さい黒い真珠のようなさくらんぼ
地面一面に落ちている場所を見つけました。

ついつい幼子のように、
拾うのに夢中になってしまいました。
約1時間近く、無心で拾ってしまいました。

そのせいか腰が痛いです。

黒真珠のような小さい粒を、
「見つけて」→「つまんで」→「空のペットボトルにつめる。」という作業は、
脳や指先のいい「作業療法」になった気がします。

同じような作業療法を、
以前入院していた病院のリハビリ室で
脳疾患の方が行っているのを見たことあります。

脳脊髄液減少症の私にも効果があることでしょう。

今日も、違う桜の木の下で、さくらんぼ味わってきました。


さて、先日の続きです。

脳脊髄液減少症は、恐ろしい病です。

「見た目にその苦しさが現れない、検査結果にも異常がでない。」ため
世の中や医師に「病気と認められない」だけでなく、

私の体験では、
かなり深刻な高次脳機能障害まで起き、
感情のコントロールもきかず、

人柄まで変わったようになって、
私本来の性格が変化し、変化したほうを私のすべてと思われ、

「おかしな人間」「扱いづらい人間」と誤解され、嫌われることもあるからです。

精神的に不安定になり、
怒りっぽくなり、ひがみっぽくなり、
涙もろくなり

考えがまとまらなくなり、思考力が落ち、
判断力低下でおかしな言動も起き、
仕事も、家事もスムーズにきなくなり、

料理ができなくなり、
部屋もちらかり放題でかたづけられず

計算もできなくなり、家計も管理できなくなり、
通帳でさえ、どこにしまったか忘れるような状態になり、

火も消し忘れ、火事を出しかねない状態になり、

知人の名前も出てこないような状態になってしまいます。

言おうとしたことを、次々忘れ、電話は使えず、
話は飛び、
道に迷い、物をなくし、

それでも、医師には、「異常なし」と言われます。

もし、こんな誰にも理解されない症状にパートナーが苦しんでいても、
そういう怒りっぽい、ひがみっぽい、
憎まれ口ばかり話す、扱いづらい人格になっている時、

それでも、
病気が言わせている言葉や感情や
病気がさせている行動と、

その人のもともとの姿を見分け、

暖かい目と広い心で見守り、サポートし、

その人をその状態から助け出すために、
何か行動を起こせるでしょうか?

また、
生きているのさえ苦しいと訴えるパートナーを、
どう「死への誘惑」から守れるでしょうか?

「脳脊髄液減少症」という病態の存在に
一人の医師も気がつかなかった時代に、

多くの男女の間で、
「脳脊髄液減少症」という過酷な試練によって
「愛が試された  」のではないかと、

いえ、男女に限らず、
家族、友人、同僚、知人の間で、
「人間関係」が試されたのではないかと
私は想像しています。

決して、私ひとりだけの体験ではないように思います。


(つづく)

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愛が試される時 1

2007年06月02日 | つぶやき
早いもので、6月になりました。
もうすぐ梅雨で、散歩にも行けなくなりそうです。

今朝は家族がまだ寝ている朝8時に公園歩いてきました。
54回目です。
こんなに早い時間にきたのは、はじめてです。

早朝の空気はいつもより、すがすがしく感じました。

5月29日30日31日と歩きました。
きのうは不調と天候不順でお休みしました。

31日に森の中を歩いていたら、
黒くて小さい木の実が落ちていました。
とっさに口に入れると、甘いさくらんぼの味がしました。

「さくらんぼだぁ。

周囲を見上げると、
少し離れたところに、桜の大木がありました。

枝が伸びているので、少し離れた道のところまで、
落ちていたのです。

そうか~桜の木って
今ごろさくらんぼをつけるのか~。と

妙に関心してしまいました。

さっそく、改めて食べてみると、これが甘いのです。

しばらく、そこに立ち止まり、さくらんぼ探しをしました。

小さい上に、枝もとれて、
黒い真珠の一粒みたいな姿になった、さくらんぼは
草に紛れ、見つけるのが大変でした。

深紅のアメリカンレッドチェリーを小さくしたような、
かわいい小さな、さくらんぼでした。

枝ごと落ちていたさくらんぼを見つけて
その二つならんだ姿に、

双子のようにも、
恋人どうしのようにも、
夫婦のようにも見えて

ほほえましくなりました。

さて、30日の夜、
芸能人(藤原紀香さんと陣内智則さん)の結婚披露宴のテレビ中継を見ました。

今まで、他人の幸せそうな姿や光景は
心が拒否して見られなかった私です。

脳脊髄液減少症のあまりに苦しい症状と、
脳の機能低下の精神症状のせいか、
幸せそうな、輝いている方がたを、
見たり知ったりするのがとてもつらく、

心が動揺してしまい、
泣けてしまうことがしばしばでした

しかし、
今回の結婚披露宴中継は、なぜか、心も動揺せず、
冷静に見ていられました。

これも、ブラッドパッチ後の脳機能の向上による、
精神機能の安定とも感じられ、いい傾向かもしれません。

でも、いろいろと複雑な思いがわきました。

「試練を乗り越えての結婚」と聞いても、
長い間「認められない病」に苦しんできた私は、

「人生には、もっともっと、
が試される時があるのではないか?」
と思いました。

「新郎さん、
もし、突然、パートナーが、見えない怪我を負い、脳脊髄液減少症になったら?
それが、もし、その病名さえない時代で、
その病態の存在を知る医師が、世界中に一人もいない時代だったら、
それでも今と変わりなくパートナーを支え、愛せる?」と、
とっさに心の中で言ってしまいました。

また
結婚披露宴中継を見ながら、

「誰だって、結婚する時、まさか自分が離婚するなんて、考えないよね。」とか、

「お互い、人生で一番輝いて、きれいで、健康で、仕事も順調な時に、
愛してるというのは簡単だよ。」とか、

「若くて、健康な時の結婚までの試練なんて、試練のうちにはいらないよ。」とか、

「もし、妻が原因不明の不定愁訴の「病気と認められない病」になって、
病名もつかない状態で苦しんでいても、
否定する医師よりも、
妻の訴えを信じ、力になってあげられるのかな」とか

「妻が、病気や怪我で、立っていることも、座っていることもできなくなって、
自力でトイレも行けなくなって、頻尿で失禁したり、オムツのお世話になっても、
オシャレにも、清潔にも、かまえない状態になっても、

年老いて、シワシワになっても、同じように、愛せるのかな」とか・・・

ぶつぶつイヤミなことを言いつつ見ていました。

夫婦のどちらかが、
脳脊髄液減少症になって、どんな検査をしても「異常なし」の症状で、
医師に「気のせい」「精神的なもの」と何十年も言われつづけても、

パートナーの訴えを信じ、支え、愛しつづけられるのでしょうか?

健康なときの試練は乗り越えられても、
弱った心と体を抱えてボロボロの状態になった時、
お互い、それを乗り越えるのは、簡単ではないはずです。

医師の診断は絶対だと信じている人も多いので、
医師の「異常なし」を信じて
医師と一緒になって「気のせいだよ。」と「怠け者」扱いして、
責めてしまう人もいたことでしょう。

そういう危機に陥った時にこそ、
「お互いの愛」が試される気がします。

原因不明の症状に苦しみ、働けなくなり、
毎日毎日ゴロゴロと寝ているような状態になったら・・・。

時々、今までの苦しみ様がウソのように動きまわり、
元気そうに話し、
その激変に、
まるで、演技か仮病のように見えたら・・・。

どれだけパートナーの訴えを信じ、支えられるでしょうか?

ゴロゴロと家事もせず横になっている妻を
料理さえ、頭が働かずできなくなってしまった妻を、
叱り飛ばすことなく、
暖かな声をかけられるでしょうか?
黙ってさりげなく手伝うことができるでしょうか?・・・

美容院にもいけず、
歯磨きさえ、疲れてできず、
お風呂に入ることさえ、ままならず、
髪も体を洗うこともしんどくて、できなくなり、

流行の服を買いに行くことも、
着ることも、体がつらくてできなくなり、

イヤリングも、ネックレスも指輪も、重くて
身につけてつけていられなくなり、

頭が働かず、服のコーディネートもメチャクチャになって、
オシャレとはほど遠い姿の妻を、

なんども同じ話をどうどうめぐりで繰り返し、
痛い苦しいと毎日毎日暗い表情で言い続ける妻を、
愛せるでしょうか?

つらい症状と、激しいだるさと、
性的機能の低下で、肉体で愛しあうことさえできなくなったパートナーを、
以前と変わらず愛せるでしょうか?

ネクタイも首に触れるだけで苦しくてできなくなり、

スーツも重くて着ていられなくなり、汗もでなくなり、体温調節もできなくなり、
会社のエアコンに体がついていかなくなり、
記憶障害で、仕事の予定を忘れ、ミスをし・・・上司に叱られ、
職を追われ・・・そういう夫に優しく声をかけられるでしょうか?

今までと変わりなく愛せるでしょうか?

原因も治療法もわからず、何年も苦しみ続けるパートナーに、
何かしてあげられるでしょうか?
支えてあげられるでしょうか?

別に「脳脊髄液減少症」に限ることではありませんが、
どちらかが、
「出口の見えない危機」に陥った時こそ、
「愛が試される時」なのかもしれない・・・と私は思いました。

元気な時、順調な時には見えない愛の姿・・・

長年「脳脊髄液減少症」の症状に耐え続けてきたことで、
こんな視点でしか「幸せな人たち」を見られなくなってしまったのでしょうか?

ひさしぶりに冷静に見ることのできた、
他人の「輝きに満ちた幸せの絶頂の光景」は、

私に、いろいろと、
について、考える機会を与えてくれました。


(つづく)

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