脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

読売新聞 12月29日 「顔」

2012年12月31日 | 情報

ことしもはや、12月31日になりました。

おとといの12月29日 の読売新聞の「顔」

脳脊髄液減少症から回復したピアニスト 松下佳代子さん

の記事が載っていたので紹介いたします。

 

YOL 動画 で松下さんが語りかけておられます。

ぜひ、ご覧ください。

 

松下さん、

脳脊髄液減少症の体験を隠すことなく、オープンにし、記事にして発信してくださり、

ありがとうございます。

心から感謝いたします。

 

私はここのところ、ちょっと忙しくて、ブログが更新できませんでした。

ここに毎日来てくださった方々には申しわけなく思います。

 

体調はといえば、まだ、症状は残るものの、確実に回復しています。

 

脳脊髄液減少症は、

この動画のタイトルにあるような「難病」なんかではないと実感しています。

 

発見が遅れ、検査が遅れ、診断が遅れ、治療が遅れ、症状をこじらせ、

長い期間の誤診と放置が招く、身体や精神機能の低下がさらに身体と精神機能を低下させていく悪循環。

 

そうなってからでは、私のように回復まで何年も何年もかかり、治療費もかさみます。

放置が長引き、症状をこじらせ、一見「難病」みたいにしているのは、

世間と患者と医師の無知だと思います。

 

未解明な部分はあるにせよ、「難病」なんかではない。

原因も、治療法もあり、回復する 誰にでも起こりうるありふれた事故後遺症だと感じています。

早期発見、早期治療であったなら、

もっともっと回復はたやすかったはずだと感じています。

 

私は何の才能も、特技もない人間なので、

脳脊髄液減少症のことを発信しても、

あまり世間にも周囲にも関心は持ってもらえませんが、

この数年間、脳脊髄液減少症について何もしらない人たちに、

私なりに伝え続けてきました。

これからも、私は細々でも、

死ぬまで、脳脊髄液減少症のことは伝え続けていこうと思っています。

水俣病のことを、伝え続けてくださった方々のように。

 

伝え続けること、

伝えることをやめないこと。

それが、8年以上放置され続け、見逃され続けながらも

生き延びて助けていただいた、患者の使命だと思っています。

 

来年もよろしくお願いします。

 

 

 

 

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