きのう、
梅の花の香りを、胸いっぱいに吸い込みました。
花粉症の私ですが、あまり症状もひどくなく、
梅の花に顔を寄せると、
甘い花の香りを感じるとることができました。
今までは花に、鼻をどんなに近づけて、香りをかいでも、
こんなに香りを感じられることはあまりありませんでした。
梅の花が、
こんなに香りが強いとは思いませんでした。
たまたま今回の梅の花が、
香りの強い花だったのでしょうか?
いいえ、きっと違います。
おそらく、今までの私の臭覚がおかしかったのだと思います。
嗅覚が弱まっていて、今まではうまく感じ取れていなかったのだと思います。
今、嗅覚が以前より正常に働くようになったから、
以前よりも鮮明に、
こんなに梅の花の甘い香りが感じられるようになったのだと思います。
だって、以前の、
一時的に味もわからないほどの、味覚障害も今はほとんど消え、
目の光過敏のまぶしさも、
耳の聴覚過敏の症状も、いまはほとんど感じないほど回復していますから。
おそらく、臭覚も、
気づかない間に徐々に回復してきていたのでしょう。
どうやら、私は視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚など、すべての感覚において
正常ではない、現実感のうすい世界にいたようです。
ブラッドパッチしてから、
激しい症状の波で悪化したようになりながらも、
ふと、闘病に日々を振り返ると、
今のような回復した状態に気づくことができます。
回復してはじめて、今までの異常に改めて気づくのです。
それぐらい、回復もゆっくりです。
脳に直接異常がなくても、
脳脊髄液の減少によって、さまざまな感覚障害もでるのです。
その人にどんな視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚障害などの感覚障害があるかを、
検査することは難しいと思います。
第一、そういう感覚障害のある患者の苦しさ、深刻さが、
どんなに患者の人生の質を落とすかということに気づき、
患者のその症状に深い理解と関心を持って、
検査してくれる医師もほとんどいません。
脳脊髄液減少症の症状は、痛み、締め付け感、めまい、平衡感覚の異常など
本人だけが感じる感覚にまつわる症状が多く、
第3者に対し、その異常の事実をデータとして指し示すことが
かなり難しい症状ばかりです。
しかも、障害が常に一定に定まっているわけではなく、
症状に波があり、日によって、時間によって、状態はくるくると変わり、
時に正常のようになったり、時にひどく異常に感じたりするこの病態の特徴も、
この障害の理解を、さらに難しいものにしていると思います。
検査してデータ化することが難しい症状の上に、
検査するに値するような症状だと認識してくれる医師がいないのですから、
この障害は人知れず患者だけが抱え込む、苦しみとなりやすいのです。
私は幸いにも、真の病名にたどりつき、
ブラッドパッチ治療を受けて、
その後の激しい症状の波をサーフィンのように乗り越え、月日がたち、
今年の春は、ついに
梅の花の淡い甘酸っぱいような香りも、鮮明に感じられるほどに
臭覚も回復してきました。
「梅の花の香りが生き生きと鮮明に感じとれた・・・。」
ただそれだけのことですが、
とても幸せに感じました。
梅の花は
白、こいピンク、うすいピンクとあり、
その花たちに包まれ、
その香りを胸一杯吸い込んで、
脳がその香りを感じとると同時に、
クタクタに疲れきっていた心も体も、
優しい母親に抱きしめられて「よし、よし」って
頭や背中をなでなでされて、なぐさめられている時の子供のように、
安心しきった、穏やかな気持ちになりました。
今までも、
交通事故以来誰にも理解されない苦しみの中、
いつだって、つらいとき、
無条件に私をなぐさめ、励ましてくれるのは
自然の草花や木々たちや動物たちでした。
だから、私は人間なんかより、
自然や動物たちに、心を開いて生きてきました。
私がどんなに荒れたって、
私がどんなにヤケになっていたって、
死にたいほどにつらい時も、
どうしょうもないほどに落ち込んでいた時も、
自然は、
そんな私にいつだって優しく
いつも変わらず、そばにいて寄り添ってくれました。
ありのままの私を受容し、
なだめ、癒し、はげまし、勇気づけてくれました。
自然から元気をもらって
また生きようと思えたことも、
何度も何度もありました。
幸いにも私は、
一方的にですが、この自然や動物たちからの
「無償の愛」を感じとれたからこそ、
交通事故後に脳脊髄液減少症の病名をもらえないまま、
何年も何年も「異常なし」と放り出されながらも、
苦しさに耐え、
ここまで生き抜いてこれたのだと思っています。
自然に抱かれ癒されながら、
自然に学びをもらいながら、
自然に元気や勇気をもらいながら、
倒れても、つまづいても、ころんでも、、
疲れて座りこんでもう1歩も歩けなくなってしまっても、
ふと足もとの一輪の雑草の花に勇気をもらって、
気をとり直し、休んで、力を蓄えて、
また、ゆっくりと力を振り絞って立ち上がり、
これからも、1歩1歩
前を向いて、回復をめざして、
進んでいこうと思っています。
梅の花の香りを、胸いっぱいに吸い込みました。
花粉症の私ですが、あまり症状もひどくなく、
梅の花に顔を寄せると、
甘い花の香りを感じるとることができました。
今までは花に、鼻をどんなに近づけて、香りをかいでも、
こんなに香りを感じられることはあまりありませんでした。
梅の花が、
こんなに香りが強いとは思いませんでした。
たまたま今回の梅の花が、
香りの強い花だったのでしょうか?
いいえ、きっと違います。
おそらく、今までの私の臭覚がおかしかったのだと思います。
嗅覚が弱まっていて、今まではうまく感じ取れていなかったのだと思います。
今、嗅覚が以前より正常に働くようになったから、
以前よりも鮮明に、
こんなに梅の花の甘い香りが感じられるようになったのだと思います。
だって、以前の、
一時的に味もわからないほどの、味覚障害も今はほとんど消え、
目の光過敏のまぶしさも、
耳の聴覚過敏の症状も、いまはほとんど感じないほど回復していますから。
おそらく、臭覚も、
気づかない間に徐々に回復してきていたのでしょう。
どうやら、私は視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚など、すべての感覚において
正常ではない、現実感のうすい世界にいたようです。
ブラッドパッチしてから、
激しい症状の波で悪化したようになりながらも、
ふと、闘病に日々を振り返ると、
今のような回復した状態に気づくことができます。
回復してはじめて、今までの異常に改めて気づくのです。
それぐらい、回復もゆっくりです。
脳に直接異常がなくても、
脳脊髄液の減少によって、さまざまな感覚障害もでるのです。
その人にどんな視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚障害などの感覚障害があるかを、
検査することは難しいと思います。
第一、そういう感覚障害のある患者の苦しさ、深刻さが、
どんなに患者の人生の質を落とすかということに気づき、
患者のその症状に深い理解と関心を持って、
検査してくれる医師もほとんどいません。
脳脊髄液減少症の症状は、痛み、締め付け感、めまい、平衡感覚の異常など
本人だけが感じる感覚にまつわる症状が多く、
第3者に対し、その異常の事実をデータとして指し示すことが
かなり難しい症状ばかりです。
しかも、障害が常に一定に定まっているわけではなく、
症状に波があり、日によって、時間によって、状態はくるくると変わり、
時に正常のようになったり、時にひどく異常に感じたりするこの病態の特徴も、
この障害の理解を、さらに難しいものにしていると思います。
検査してデータ化することが難しい症状の上に、
検査するに値するような症状だと認識してくれる医師がいないのですから、
この障害は人知れず患者だけが抱え込む、苦しみとなりやすいのです。
私は幸いにも、真の病名にたどりつき、
ブラッドパッチ治療を受けて、
その後の激しい症状の波をサーフィンのように乗り越え、月日がたち、
今年の春は、ついに
梅の花の淡い甘酸っぱいような香りも、鮮明に感じられるほどに
臭覚も回復してきました。
「梅の花の香りが生き生きと鮮明に感じとれた・・・。」
ただそれだけのことですが、
とても幸せに感じました。
梅の花は
白、こいピンク、うすいピンクとあり、
その花たちに包まれ、
その香りを胸一杯吸い込んで、
脳がその香りを感じとると同時に、
クタクタに疲れきっていた心も体も、
優しい母親に抱きしめられて「よし、よし」って
頭や背中をなでなでされて、なぐさめられている時の子供のように、
安心しきった、穏やかな気持ちになりました。
今までも、
交通事故以来誰にも理解されない苦しみの中、
いつだって、つらいとき、
無条件に私をなぐさめ、励ましてくれるのは
自然の草花や木々たちや動物たちでした。
だから、私は人間なんかより、
自然や動物たちに、心を開いて生きてきました。
私がどんなに荒れたって、
私がどんなにヤケになっていたって、
死にたいほどにつらい時も、
どうしょうもないほどに落ち込んでいた時も、
自然は、
そんな私にいつだって優しく
いつも変わらず、そばにいて寄り添ってくれました。
ありのままの私を受容し、
なだめ、癒し、はげまし、勇気づけてくれました。
自然から元気をもらって
また生きようと思えたことも、
何度も何度もありました。
幸いにも私は、
一方的にですが、この自然や動物たちからの
「無償の愛」を感じとれたからこそ、
交通事故後に脳脊髄液減少症の病名をもらえないまま、
何年も何年も「異常なし」と放り出されながらも、
苦しさに耐え、
ここまで生き抜いてこれたのだと思っています。
自然に抱かれ癒されながら、
自然に学びをもらいながら、
自然に元気や勇気をもらいながら、
倒れても、つまづいても、ころんでも、、
疲れて座りこんでもう1歩も歩けなくなってしまっても、
ふと足もとの一輪の雑草の花に勇気をもらって、
気をとり直し、休んで、力を蓄えて、
また、ゆっくりと力を振り絞って立ち上がり、
これからも、1歩1歩
前を向いて、回復をめざして、
進んでいこうと思っています。